第20話 あなただけはきれいなままで



 過去、回復の聖女が、聖女戦争を勝ち抜けなかった理由は簡単だ。


 聖女が聖痕を手に入れるためには、自ら聖女を倒さなければならない。


 自らのもつ魔法で。


 けれど、回復魔法では人を殺せない。


 


「が、はっ」


 肩をねじり上げられて床に這いつくばる少女は、隻腕だった。


 泥濘の聖女りこだ。


 短い黒髪に垂れた目の少女は、小動物のような顔だちもあって、年よりもだいぶ幼く見えた。 隻腕は、アルファレド神聖王国に召喚されためいの聖なる光によって焼かれた傷だという。


 かんなは、りこの腕をねじり上げるグレアムの肩に手を触れてねぎらうと、少女のそばで膝をついた。その腕の傷を愛しげになでる。


 ここは、聖女りこの寝室だった。もののほとんどない、がらんどうのような寝室には、世話をするものが誰もいない。この国でのりこの扱いが知れるというものだ。


「誰も、助けに来ませんね」


 見下ろすかんなに、りこは顔をそむけた。


 弱々しい子だ。何もかもがめいの足元にも及ばない。


「聞きましたよ。りこさん。白光の聖女に三回も負けたんですってね。それでは見捨てられちゃいますよね。この国の人たちは、早くあなたに死んでほしかったんでしょうね」


「ううっ」


 この程度の言葉で泣き出すなんて情けない。力も、心も、国に見限られるほどの弱い聖女だ。


(でも、最強の聖なる光を持つめいちゃんは、三回も殺せなかったんです)


 それは、この聖女戦争で勝つための条件が、強さだけではないことを物語っていた。


「私たちがここまで来るのに、誰にも出会いませんでした。もう、ほんとにびっくりです。きっと、私が回復の聖女だって知られてるんですね。私があなたを殺しても聖痕を奪えないのを知っているからか、誰も邪魔してきません」


「えぐっ……ころさ……ないで」


「まあ、そうですね。よく考えたらそういう手もありました。聖痕を奪えないなら、りこさんをさらって連れて帰って監禁してもいいかもしれません」


 りこの瞳にわずかに希望の光が灯る。


 回復の聖女は聖痕を奪えない。それは、半分だけが真実だった。


 かんなは、誰も知らないもう半分の真実を知っている。


「聖痕を奪えないというのが、本当なら、ね?」


 りこの顔が、再び絶望に染まる。


「心配することないですよ。ちゃんと、りこさんをもとの世界に連れて帰ってあげますから」


「本当っ? 本当なの? 帰れるの⁉」


 その希望にすがるような顔がみじめだ。


「はい、りこさんの聖痕を一緒に連れて帰ってあげます。これが一緒に帰れる、唯一の方法です」


「え?」


「殺してあげますよ。私の回復魔法をかけながら、じわじわと」


 ≪≪回復≫≫


 かんなは、りこを仰向けに転がすと、馬乗りになった。その首に手をかける。


「がっ……はっ」


 りこの身に回復魔法を、ほんの少しだけかけて──かけ続けながら、首を絞める。


 グレアムには、手を出すなと伝えてある。


『魔法でなくてもいいのよ。多分、自分の手で殺せばいいだけ』


 めいの母に聞いた言葉を思い出す。でも、確実ではない。めいの母が持っていた聖魔法はめいと同じく最強と言われる聖なる光で、その話は経験に基づくものではないからだ。


 もしかしたら、自分の手で殺すだけでは十分ではないかもしれない。魔法で殺せば聖痕を奪えるのは事実だ。かんなはこの事実から推測する。


 聖痕を奪うのに必要な条件。


 それは、もしかしたら、死ぬ瞬間に、奪う側の聖女の魔法が相手に触れている必要があるのではないか?


(最弱の聖魔法『回復』しか持たない私は、確実に聖痕を奪わなければなりません)


 りこの死ぬ瞬間に自分の魔法が流れている状態を作り出すために、確実な方法はこれしかなかった。


 首を絞められるのがどれほどの苦しみなのか、かんなにはわからない。ただ、回復魔法をかけ続けるのは相手の苦痛を長引かせることに他ならない。


 苦痛に歪むりこの顔をかんなは見下ろした。ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら暴れるりこの手が、かんなの顔をひっかき腕に爪を突き立てる。


 りこの腕を押さえようとするグレアムにかんなは首を振る。なんで首を振ったのか、かんなにもわからない。それが罪悪感だというのなら、そんなのお門違いだ。かんながそんなもの感じるはずがない。


 めいのためのできること全ては、喜びでしかないのだから。


 周りの騎士たちが皆かんなの姿に顔を背ける中、ただグレアムだけが、じっとかんなの姿を見守っていた。


 


 どれだけ時がたったのだろうか。


 りこの抵抗がなくなった瞬間に、それは来た。


 ぞくり。


 背筋が凍るような怖気が体中を突き抜ける。


 魔法を発しりこに触れていた手の先から、何かがかんなの体に這い上がってくる。体中を侵食されるようなそれに、かんなは目をつぶって歯を食いしばった。


 首すじまで登ってきたそれが動きを止めたとき、かんなは大きく息を吐きだした。


「ふふ、はは、あはははは。二つ目の聖痕を、手に入れました。これで、これで──」


 達成感と絶望とが入り混じり、かんなの中を駆け巡る。


 かんなは、人を殺したのだ。


 たった今。


初めて、自分の手で。


(私はもう、めいちゃんの元には戻れません)


「めいちゃん、めいちゃんの敵は、全て私がやっつけてあげます。きれいなめいちゃん。純粋なめいちゃん。汚いところは全部私が引き受けます。だから、めいちゃんだけはきれいなままでいて」


(きれいなめいちゃんの心の傷として残っていいのは、私だけです)


 笑い声と共に流す涙を見たのもまた、かんなの召喚者だけだった。



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