正導の儀
七海の失われた記憶。幼少期ゆえのものか、それともトラウマのせいか。宮司から告げられた事実に驚愕し、ただ呆然とするほかなかった。
(千歳だけでなく、私も神隠しに遭っていたなんて……)
なぜ私が? どうやって助かったの? それに、なんで今回は千歳が? 疑問が尽きず、心が乱れる。
そしてひとつの仮説に行き着く。
(私が助かったから千歳が代わりに神隠しに……?)
想像でしかないがその思考が重く心にのしかかった。そうだとすれば、遠因は私にあるのではないか。そう思ってしまうとそうとしか思えなくなってしまう。
七海はうつむき、頭を抱えてしまった。
弱々しく悩み落ち込む七海を隣で見つめる一樹はその様子に耐えられず、宮司の瞳を力強く見つめた。
「なんとかならないんですか!?」
「出来なくはないですが、御夫婦の協力が必要不可欠です」
宮司の言葉に一樹は即答した。
「千歳が帰ってくるならなんでもやります!」
力強い言葉に七海も顔を上げた。
「私が帰ってこれたということは、千歳が帰って来る方法があるって事なんですよね?」
「はい。昔、あなたをカドワシさまの領域からコチラ側に帰ってこられるようにした儀式があります。それには、
七海は深く頷いた。
「お願いします。何をしたら良いですか?」
二人の了承を得た宮司は一度深く息を吐くと、神妙な面持ちで立ち上がった。
宮司と着物姿の神職の者、
七海と一樹はその場に残され、一人の禰宜から木彫りの人形を手渡された。
木彫りの人形は色が塗られていないが、古風な着物を来た女児の姿で市松人形のように見えた。木の板を抱えるように持つ人形を見ていると神職から彫刻刀も手渡された。
「これは……?」
「その木の板にお子様の名前をフルネームで彫り込んでください。出来栄えは気にせず、刃を入れる度にお子様のことを強く想ってください。そして、その後はその像に帰ってきて欲しいと強く願い続けてください」
説明を終えると禰宜はそそくさと部屋を後にした。儀式の準備で慌ただしいのだろう。
七五三の一般客を迎えながら、裏で千歳を救うべく動いている。きっと人手も足りないのだろう。
不安に感じた七海は、禰宜が去った後の襖を見つめ、心の中に広がる恐怖を抱えたままその場に佇んでいると、七海の肩に一樹が手を置いた。
「名前を彫るのは俺がやろう。危ないしな」
「ええ……じゃあ、お願い」
七海が木彫りの人形を一樹に手渡すと、一樹は七海を安心させるために笑顔を作り、わざとらしく腕捲りをしてみせた。
*****
禰宜たちを率いて、宮司、
舗装はされているものの、あまり手入れされていない苔の生えた石段を進むと、漆喰の壁と瓦屋根の古風な倉庫に辿り着いた。神社から離されて建てられた倉庫には厳重な施錠が施されており、宗久は大きな
ギィィィィ――。
古びた
神社の祭具をしまっておくための倉庫。その奥に進む宗久たち。
地下へ続く階段を折りていくと人工の通路から岩肌が露出した空洞に変わっていく。
足音が反響する洞窟を進む白い狩衣姿の集団。
宗久は眉間にシワを寄せて、息を呑む。儀式の間についたのだ。
暗い広間に禰宜たちが明かりを灯していく。暖色の薄明かりに照らされたのは広間の中央に安置された祭壇と小さな
割れた木札を確認し、弟子たちは持参した新しい木札に割れた木札の名前を彫り込み、入れ替えていく。その間に宗久は祭壇の前に立つとゆっくり深呼吸する。まぶたを閉じ、宗久の脳裏によぎるのは幼き七海を救い出した時の光景――。
20年前、同じ場所で儀式を行った。当時、宗久はまだ弟子として儀式の手伝いをする役割を担っていた。
「毎年、この時期に子どもが
「カドワシさまではなく……?」
「あれは元々神でもなんでもない、山に住むモノノケだ。人々はカクレグイを恐れ、山の神カドワシさまとして別の神社に祀ったが、無駄だった。先代たちが何度封印の儀式を行っても、アレは子どもを食うことに執着している。私はアレを神だと思ったことは一度もない」
まだ現役だった宗久の父の言葉。
「毎年だ。私たちは他の神社と違う重要な責務がある。この山の不浄から子どもたちを守らなければならない。お前もいずれ私を継いで、この町の子どもたちを守るのだぞ」
「はい、父上……!」
儀式を行う中で地響きに恐れながらも儀式を行う父の背中を見守っていた。
狩衣の袖をめくり、腕を祭壇に置かれた器の上に差し出し、儀式用に装飾された短刀を象牙の鞘から引き抜き、手首に滑らせる。
滴る鮮血が器を満たし、白い器が朱に染まる。
永遠にも感じる長い時間に渡る封印の術式を完成させた時、何も無い所から突然七海の姿が現れ、近くにいた宗久が七海を抱えて神社まで運んだのだ。
そして、儀式の結果、父はカドワシさまに……。
――宗久は覚悟を決め、まぶたを開いた。
「これより、
宗久が手にした数珠を握りしめ、禰宜たちが神楽鈴を鳴らし始める。
千歳を救う為の儀式、正導の儀が始まった。
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