第11話 父上の動揺
「前からきな臭い人物とは思っていましたが……む、どうしました?」
ディズモン伯爵の名前を出した途端に、父上が固まる。次第に額から汗が流れ始めて、明らかに動揺している。
「怪しい奴らを捕まえる用意は出来ております。命令さえもらえれば、すぐにでも処理できますが?」
「……めだ」
「なんと?」
「……だめだ。ジン、ディズモン伯爵関係には何もするな。いつも通り街の警備をするだけに留めておけ」
「は、本気ですか? 今ならまだ薬物が広まる前に取り締まれます。行動が遅れたら手遅れになりかねませんよ?」
「くっ……構わん。これは仕方がないことだ。その代わり、領民達には注意喚起をしてまわれ。なるべく被害者を減らすように動け」
「仰ってる意味が理解できません」
ディズモン伯爵を放置? なぜその必要があるのか。
この腐れ貴族は、あきらかに怪しい動きをしている。エンバース王国の法律でも、薬物の販売は厳しく取り締まりが行われる。それは相手が貴族であろうとも。
らしくない。あまりにらしくない。貴族として誇り高く、領民を守るために生きてきた父上の発言とは到底思えない。
「一体どうしたのです。被害者を減らしたいのなら、片っ端からひっ捕らえればすむ話でしょう。なにを躊躇っているので? 普段の父上なら今頃を剣を抱えて街に飛び出しているはずでは?」
「……言えない事情があるのだ」
「守るべき者を守らないで、なにが貴族か。それほどの事情があるなら、全員に相談して説明する義務があるはずだ」
しかし、それでも父上は黙ったままだった。
「ふざけないで頂きたい。ヴァリアンツ家に、領民を守る以上に大切なことなどあるわけがない。父上は貴族の誇りを失われたのではありませんか?」
「なんだと……俺のヴァリアンツ魂が腐っているとでも言いたいのかっ! 何様のつもりだ!」
誇りを馬鹿にされたのが気に食わないのか、立ち上がった父上にジンは服の襟をつかまれる。しかし、自身が間違っていないと確信しているジンは逆に睨み返す。
「私は、ヴァリアンツ家の人間として正しきことをしてるまでです。やましいことがあるのは父上の方では? その理由も言えませんか? まさか……汚職に身を染めたなんて言わないですよね?」
「貴様ぁ!」
固い拳がジンの頬を貫く。
幼少の頃より、何度も喰らった父の鉄拳。
じわりと頬から痛みが広がり、口に端から血が滴る。
「俺が汚職だと!? ふざけるな。父からこの領を託された時から、俺は謹厳実直に身を粉にして働いてきた。好き好んで領民を危険に追い込んでいると思っているのか!? なにも知らないくせに口をひらくな!」
ジンが口元の血をぬぐいながら言う。
「……真摯に民を想うならばその事情とやらも話せるはず。それも言わず、行動も起こさないから、領主失格であると言ってるだけです」
「この減らず口め!」
ルドルフの右手が再度振り上げる。しかし、ジンは怯むどころか怒りに身を任せて、怯むことなく胸倉を掴み返す。
「いくらでも殴ればいいっ。私は貴族として正しき提言をしているにすぎない。そして……私だって誇り高きヴァリアンツ家の人間だ。どれだけ殴られようとも、一歩たりとも引き下がるつもりはないっ!」
「く……」
古来より、民を愛し、勇猛果敢で誇り高いと知られるヴァリアンツ。
その血は、なにも父上だけに流れている訳ではない。私にもその真っ赤な激情の血が流れているんだとジンは心の中で叫ぶ。
正しきと思うことを成せ。
それがヴァリアンツの鉄の掟であり、たとえ相手が世界一尊敬する相手でも、ジンは意見を覆すつもりも、引き下がるつもりもない。
普段、冷静で静かなジンの抵抗に面を喰らったのか、父上は拳をさげる。
「ふん」
今のままでは話にならないと思ったジンは、父上の手を振り払い、踵を返してその場を後にするのだった。
◇
ジンが殴られた傷を一人で手当てして考え込む。
―――やはり父の様子がおかしい
短気で猪突猛進なきらいがある父だが、一度たりともヴァリアンツ家を守る領主として、その芯がぶれたことはなかった。
明らかになにかを隠している。
その原因はなんだ?
最近やたらと気にしているハイネに関係するものか。
もしくは、唐突に呼び寄せたミラ・アンバーソンに関係が?
いやいや、そんなまさか。
だが……昔からヴァリアンツ家にはこんな格言がある。
『ヴァリアンツ家の男はいつも女で失敗をして、ヴァリンツ家の女は男選びで失敗する』と。
とはいえ、尊敬する父上のことだ。
いくら女絡みの事態になったとしても領民を危険に晒すような流石にしない。
多分……
頼むから若い女にうつつを抜かして、いい歳こいて仕事も手につかないなんてオチはやめてくれよ父上。
一抹の不安を感じながらも、きっと深い事情があるのだろうとジンは思いなおして、他の原因を探すべく、独自に調査して問題解決をしようと決意するのだった。
「あなたがなにをしているのか知りませんが、必ずこの私が見抜いてみせますよ」
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