第6話 聖女

ミラ・アンバーソンは、三か月後に入学が決まっている魔剣士学園から呼び出しを受けて、学園長室を訪れていた。


コンコンコン


扉をノックすると、「入りなさい」と室内から返事が返ってくる。


「失礼します」


その許可を合図にミラが入室する。


肩甲骨まで伸びている、光を反射して煌めく艶やかな銀髪。


一度見たら目を離せなくなる美しい銀色の瞳。その瞳には可憐さを備えながらも、同時に獰猛な肉食動物のごとき力強い眼差しが宿っていた。


歴代最高成績で主席入学が決まっているミラは、容姿においても学園始まって以来の逸材であった。


ミラは長い睫毛を瞬かせて、入学前から何度も訪れた学園長室を見渡す。部屋の奥でニコリと胡散臭い笑顔で挨拶する学園長のアルバートを視界に収めて、「はあ」とやる気のないため息をついた。


「学園長、今回はどんな用です? まさか、またいつものですか?」


「そのまさかさ。お偉い貴族様から君を紹介してほしいと手紙がきてね」


「言いましたよね? そんな下らないことに付き合ってる暇はないと」


「そう言わてもねぇ、僕も学園長として厳しい立場なんだよ。学園を支援してくれるお貴族様の頼みは無碍には出来ないのさ。こんな僕を少しは憐れんで、生徒として力を貸してくれ」


「……まだ入学前なんですけど」


「ははは、痛いところをつかれたな」


歴代最高成績で入試を突破したのが容姿端麗な少女という話は、貴族達の間で瞬く間に広がった。貴族達は将来有望な彼女に、今の内に唾を付けて、いずれは自分の家で引き取ってやろうと、躍起になっていた。


その影響で、学園長アルバートはまだ入学前のミラを度々呼び出しては、貴族達の顔つなぎとして、仲介役をこなしていた。


ミラは平民であり、いずれは己の実力で魔剣士として出世してやるという強い野望を抱いている。だから、今の内に貴族達と繋がりを持つことに問題はない。しかし、それは相手が、真っ当に自分を評価してくれる人である場合の話だ。


暫く黙っていたミラは、アルバートが無言で自分を見つめていることに気が付く。その視線を追っていくと、学園長の瞳は、同年代の女性より著しく成長しているミラの胸へと注がれていた。


「はあ」


もう一度ミラの深いため息が吐かれる。


「あの、学園長っておいくつでしたっけ?」


「僕か? 今年で二十九だ。まだまだ若い方だろ?」


「……そうですね。けど、私は十八なので十以上はなれてますよ」


―――これだ。私に向けられる視線はこんなものばかりだ。


ミラは努力で実力を身に着け、学園主席という立場を勝ち取った。にもかかわらず、ミラと会いたがる男共は、そんな部分よりもミラの容姿のみに注目する。


屈辱だった。

ミラにとって、それはなによりも不愉快だった。


体や容姿目当てで何度も呼び出される、そんな扱いが続けば、日頃から努力している自分が馬鹿らしくなるので勘弁して欲しいとミラは真剣に悩んでいる。


「ははは、たしかに歳は離れてるが、貴族達などは平気で四十歳以上離れた女性と結婚するからな。それに比べれば大分マシだと思うけどね」


「……まあ、たしかに」


ミラはアルバートを眺める。

さわやかな笑顔に白い歯。この国では一般的なダークブラウンの髪に瞳。


若くして魔剣士学園の学園長をつとめるだけあって、将来も有望であり、悪くない物件だ。有りか無しでいえば、やや有りくらい。


だがどうしても歳の差がネックだなとミラは思った。それでも、普段相手する六十過ぎの貴族達に比べれば百倍マシではあるが。


ミラも十八歳。成績優秀で周囲から完璧超人のように思われているが、頭の中は意外と年相応に桃色の恋愛模様に染まっている。


いや、むしろその傾向は同年代の娘たちより遥かに強いかもしれない。なぜなら、ミラは幼少の頃からモテてきた分、相手に対する評価も辛口でストライクゾーンは非常に狭いと言わざるをえない。


「おっと、随分話がそれてしまったね。それで今回ミラと面会を望んでる相手なんだが、ヴァリアンツ伯爵様で……」


アルバートが本題に入ろうとする。

しかし、関係ない。既にミラの頭はピンク一色になっており、ろくに話など聞いていない。


めんどくさそうに指先で銀色の髪をくるくるといじり、適当に相槌をうちながら会話は右耳から左耳へと全て通り過ぎていく。


真面目にアルバートが説明している隙に、ミラはわずかな時間で学園長と結婚した場合の恋愛シュミレーションを三十年分こなしていく。


まず、将来性という意味ではギリ合格だ。国の兵力といえる魔剣士の育成を任されているのだから、それなりに重要なポジションといえる。


そして、学園長もミラと同じく平民から成り上がった者。努力が出来る側の人間だ。さっきは自分の胸に見とれて情けない姿を見せていたが、同じ境遇の人として、努力してきたことだって認めてくれる筈。


ただ、問題は年齢とこの胡散臭い笑顔だな。

どうも性に合わない。

そう考えるミラだったが、一応結婚した場合の三十年分のシュミレーションを実行する。付き合って三年ぐらいで結婚して、子供が生まれて……なんやかんやで子供が成人して、その頃には可もなく不可もなくな生活を送る。


(ん~なしね。想像しただけで吐き気がしそう)


完璧なシュミレーションを終えて、すっきりした顔でミラが頷いていると、アルバートが


「ねえ、僕の話きいてた?」


と至近距離で顔を覗き込んでくる。


無駄なガチ恋距離に一瞬不愉快になるミラだったが、仮想空間で三十年間寄り添ったよしみで、ニコっと笑顔をつくる。


「ええ、聞いてました。どうせ私に拒否権なんてないので、詳しい日程が決まったら予定を送ってください」


そう言って、ミラはアルバートの肩に手を置いて、優しく押しのける。


ミラ的には拒絶のつもりだったが、アルバートは何か勘違いしたらしい。


「随分と考え込んでたみたいだね。どうしてもヴァリアンツ家に行きたくないというなら僕が掛け合ってみるよ」


そう優しくささやくと、自身の肩に置かれたミラの手に、そっと手を添えてきた。



―――『聖者の冒険譚』において、主人公ハイネと聖女ミラの、その後は描かれない。ルドルフはそれを製作費や尺の関係上カットされたと思い込んでいた。



ミラは、自分の手の甲に添えられた学園長の手を見つめ、少し間をあけて、手の平を裏返す。お互いに手を繋ぐような形になる。


アルバートはミラの意思を受け取り、ふっと笑顔を浮かべて白い歯をみせる。


一度離された距離が、アルバートが一歩進むことにより、時間を巻き戻しをしたかのように近づく。あとわずかに二人の距離が縮めば、お互いの唇が重なる……



―――しかし、ルドルフの予想は大きく間違っていた。ゲーム本編でハイネとミラはお互いに熱い絆を感じて仲を深めていく。仲睦まじい姿にプライヤーの多くは二人がいずれ結ばれるだろうと感じていた。だが、それは違う。ミラは、ハイネの正義を貫く魂の美しさに心を惹かれたものの、それは愛情ではなく、友情としてだった。



お互いの吐息が顔に触れ合う。

学園長はこなれた感じに、ゆっくりと目を瞑る。


―――ハイネとミラが結ばれなかった理由。改めて言おう。ミラは幼少の頃からモテてきた。その分相手に対する評価も辛口でと言わざるをえない。


成熟期に入った勢いのある男と、青々と茂る若葉の乙女。二人の唇が近づき、重なるその寸前


「いだだだだぁ!?」


アルバートの悲鳴があがった。

ミラが学園長の手に容赦なく爪を突き立てていた。


アルバートは痛みに驚いて、間抜けな顔でその場から飛びのく。己の手を確認すれば、内出血するほど深く刻まれた女の爪痕。


屈んだ状態で顔をあげた学園長は、額に汗を垂らしながらミラを見上げる。


「学園長、勘違いしないでください。貴方全然あたしのタイプじゃないので」


「ななな、なにを言ってるんだい? 自分でいうのもなんだが、僕は非常にモテるんだぞ。だというのに……こんな屈辱を受けたのは初めてだッ!」


不服そうにアルバートが叫ぶが、ミラはあざ笑うように、先ほどのアルバートの仕草を真似して、ふっと白い歯をのぞかせる。


「若くして才能もあり魅力的なのは事実でしょう。ただ、残念ながらあたしが恋愛において最も重要視しているのは、相手の年齢です」


そういって、ミラを用は終えたとばかりに身体を翻し出口に向かって歩き始める。そして、背中越しに、端的に、分かりやすく、捨て台詞を吐いた。


「貴方は私にとって


バタンと扉を閉めてミラは退出する。

残された学アルバートはきょとんとした顔で、ただミラが去っていたドアを見つめる。


―――そう、ミラは生粋のオジサン好きであった。年上好きと枯れ専のちょうど中間くらい、四十代くらいの男がミラのドストライクゾーンなのだ。三十手前のチャラい若造に用はない。



入学前の学園内を一人歩くミラは小さく愚痴をこぼす


「あ~、どこかに四十歳くらいのワイルドでカッコいい、素敵なおじ様はいないのかしら」


ミラがヴァリアンツ家を訪ねるのは4日後である。


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