23話:園田「病院が占拠された」

 ☆☆☆


 若月くんが週に一度しか来なくなって、二回目の土曜日。

 泣きボクロがチャームポイントの莉歩が、私の顔をじっと涼しい目で見つめながら左頬の辺りを優しくマッサージしてくれてる。

 病気で感覚が鈍くなったせいか、何かが触れてるのがわかる程度にしか感じない。


「ねえ、りほ」


 ぐにぐにと左頬をマッサージされながら、私は名前を呼んだ。


「ん? なに?」


 莉歩は、微かに目を細めて私の目と視線を重ねてくれる。


「ほうこう剤、買ってきて、くれた?」


 昨日、莉歩が帰る時に芳香剤を買ってきてと伝えていたから、それを確認する。何度も確認をしたような気がする。聞いた気がするのに、私は答えを覚えてない。


「うん、買ってきたよ。大丈夫だ」


 莉歩は白い歯を見せて笑ってくれた。

 その笑顔を見て、やっぱり何回も聞いてるんだなと確信した。

 答えは覚えてなかったけど、この笑顔は何回も見た覚えがあったから。


「若月は週に一回しか来ねえの?」


 声のトーンを下げて莉歩が問いかけてきた。

 私と話をする時は、とても元気で明るい笑顔を見せてくれるのに、若月くんの話をするときはいつも苦々しい怒ったような鋭い目になる。


「うん」


 私は頷いて、尋ねる。


「りほは、わか月くんのこと、きらい?」

「嫌い!」


 莉歩は強い口調で言い切った。その様子がなんだか可笑しくて、クスクスと笑いが堪えきれない。

 そんな風に私が笑ってるのを見て、莉歩も怒ったような顔からまた笑顔になってくれる。そんな莉歩の笑顔が大好きで、ずっと見てたいなって思う。だから、本当は若月くんの話をするときも笑ってて欲しい。


「何時だっけ?」


 莉歩がそう聞いてきた。顔がまた怒ったみたいになったから、それだけで若月くんが来る時間のことを尋ねてきてることがわかった。


「いちじだよ」


 私は枕元に置いてあるデジタル時計に視線を移す。十一時を過ぎた辺りだった。


「じゃ、そろそろ始めよっか」


 莉歩が鞄の中から化粧道具を取り出した。

 若月くんが来る前に、私はいつも莉歩に化粧をしてもらっている。

 若月くんの瞳はとても鮮明に色が見えてる筈だから、顔色が悪いのなんて絶対に見られたくない。

 莉歩が手の甲に化粧下地のクリームを少しだす。それを指につけて、私の顔にちょん、ちょんと何カ所かに分けて乗せていく。下地を薄く伸ばす。最後にスポンジで優しく押さえるようにしてなじませる。

 やっぱり左の頬辺りだけはほとんど感覚が無かった。どうしたら治るのかなと考える。そんなの決まってる。リハビリをするしかない。

 散々みんなから言われたこと。だけど、私はリハビリをするのが怖い。どんなに一生懸命頑張ったとしても、後遺症が残ってしまったら努力が無駄になる気がするから。

 二週間前までの私は、それをちゃんと言葉にできなかった。拷問という言葉に置き換えて、泣き叫んで行くのを拒んだ。そんな姿を見せちゃったから若月くんは私に幻滅して、お見舞いに来てくれる頻度を少なくしてしまったんだ。

 でも、そうしてくれたから、私はリハビリについていっぱい考えて間違いに気付けた。私にとって若月くんの存在は、とても大きなものになっている。

 本当はもっと会いたい。でも今は、一週間に一度の若月くんとの時間を大切にしたい。


「ファンデ、いくよ」


 莉歩の言葉に頷いた。

 莉歩がファンデーションがついたスポンジで私の顔を優しく撫でていく。

 ファンデーションを塗り終わったら、フェイスパウダーを薄くつけてくれる。

 本当はコンシーラーもして欲しいけど、莉歩が「使わなくても十分可愛いから」と言ってくれるから、それを信じることにした。

 アイメイクをして、唇にリップを塗って、最後にチークを塗って仕上げてくれた。


「はい、完成。どう?」


 莉歩が鞄の中から折り畳みの鏡を取り出して、私に見せてくれる。

 どうだろう。私は自分の顔が可愛いかどうかわからない。だから決まって莉歩に尋ねる。


「りほは、どうおもう?」


 いつも莉歩は決まってこう返してくれる。


「すっごい可愛い。女の私でも惚れるくらいね」

「ありがと」


 クスクスと笑いながらお礼を言う。

 莉歩が時計に目をやったのに釣られて、私も視線を向ける。いつも丁寧にやってくれるから、化粧だけで一時間くらいかかってしまう。

 申し訳ないなーといつも思う。でも莉歩は、「ナコに化粧するのすっごい楽しいから、気にすんなっ」と笑ってくれた。

 化粧が終わると、莉歩は病室を出て帰っていく。

 この二週間、若月くんが週に一度しか来なくなってから、莉歩は午後も病室にいてくれた。

 でもそれは若月くんが来ないからで、若月くんが来てくれる土曜日は午前中で帰る。若月くんと出くわしたら殴りたくなるっていうのが理由らしい。

 最近やっと一人で少し歩けるようになったから、病院の壁に取り付けられている手すり頼りに、よぼよぼとした足取りでエレベーターホールまでついていき、莉歩が帰るのを見送った。

 エレベーターのドアが閉まる。丁度お昼だから、細かく刻んでる私のお昼ご飯を食べる為に談話室へ向かう。

 エレベーターホールから談話室まで十メートルもない。それなのに私は一歩一歩、ゆっくり足元を確認しながら歩いて、何分もかかってしまう。

 談話室に到着して、お昼ご飯がどこに置いてあるかを確認する為に顔を上げた。

 目の前の光景に胸がざわついた。

 談話室の椅子に、ひしめき合うようにして座る私の祖父母よりも年配の男性と女性。その姿が突然、怖くなった。

 怖くて足が竦む。その場に尻餅をついて座り込んでしまった。

 やだ、怖い。なんでみんな、エレベーターから降りてすぐのところに密集してるの。もしかして、誰かがくるのを通せんぼしてるの?

 もしかして、この病院は占拠されたの?

 怖い。占拠されたなら私は人質? 嫌だ。そんなことになったら、若月くんに会えなくなる。

 首を捻ってナースステーションを確認する。看護師さんの姿が見えない。

 やっぱり占拠されたんだ。看護師さんはみんな追い出されたか監禁されてるんだ。

 早く、ここから逃げなきゃ。

 壁に取り付けてある手すりを持って、震える足で無理矢理立ち上がる。

 どうか誰にも見つかりませんように。

 そう願いながら、私はこっそりと談話室から逃げ出して、エレベーターに乗った。

 どこに行ったら逃げられる? ゆっくりとしか歩けないし一人じゃ無理。乗り物に乗ったら逃げられるかな。

 乗り物。そうだ、いつか若月くんが言ってたのがある。

 エレベーターが一階に到着する。私は思いついた場所に歩いて向かった。

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