12話:若月「千堂さん、話があるんだ」

 昨日、病院から家に帰ってからネットでくも膜下出血について夜通し調べた。気がつくと、窓の向こうが仄かに白くなっていた。

 眠気に耐えながら登校する準備をして、頭が呆けたまま学校へと向かう。

 学校に到着し、昇降口で上履きに履き替える。階段を上り教室のドアの前で立ち止まった。

 いつもは何も思うことなくドアを開いて中に入る。だけど今日は緊張で胸が張り裂けそうなくらい、鼓動が激しい。そのおかげか、呆けた頭に血が巡り、眠気が無くなった。

 一度、二度、深呼吸をする。ポケットに手を入れて、ちゃんとアレを持ってきてるか確認して、ドアを開いた。

 クラスメイトの何人かがこちらに目を向けた。僕だとわかるとすぐに視線を戻した。

 一旦自分の席へと向かい鞄を置く。一人の女子を探す。

 その女子は園田さんと特に仲の良い千堂さんだ。普段僕は、千堂さんと話したりしない。でも今日は用事があって話しかけないといけない。それが僕が緊張している理由だった。

 黒髪をポニーテールに結った千堂さんを教室の後ろで見つける。園田さんはいないから、他の女子と楽しそうに話をしていた。その姿を見て、千堂さんはまだ園田さんの現状を知らないということがわかった。

 僕は短く息を吐き、気合を入れて一歩踏み出す。

 園田さんと僕が付き合ってるという事実を知っている生徒はほとんどいない。それは付き合った後、僕が園田さんにあまり人には言わないで欲しいとお願いしたからだ。人の注目を浴びるのは苦手だからと。

 園田さんは千堂さんだけには言っておきたい。秘密は無しにしたいからとお願いをしてきた。だから彼女だけが僕と園田さんの仲を知っている。

 それから、千堂さんはやたらと僕を睨んでくるようになった。それも仕方ないのかもしれない。千堂さんにとって大切な友達が、学校でいつも一人でいて浮いている僕なんかと付き合うなんて良い気はしないだろうからだ。

 はっきり言って、自分のことが嫌いな人間に声をかけるなんて緊張するに決まってる。

 でも僕は千堂さんにお願いがある。だから勇気を出して声をかけなくちゃいけない。

 大丈夫、園田さんはもっと辛い戦いに勝ったんだから。

 千堂さんのすぐ近くにまで行くと、楽しそうに会話をしていた千堂さんと話し相手の女子が僕の方に顔を向けた。

 近くに来たのが僕だと気付いた千堂さんは、嫌そうに眉間に皺を寄せた。正直、怖い。僕は拳をグッと固めて、口を開く。


「千堂さん、話があるんだ」


 緊張のせいか声のボリュームの調整がうまくいかなった。そのうえ少し声が裏返って教室内に僕の声が響く。クラスメイトのほとんどがこちらに視線を向けたのがわかった。


「は? なに?」


 千堂さんは切れ長の目を鋭くさせて、冷たい視線と口調で言葉を返してくる。泣きボクロが鋭い視線をより冷淡に見せている気がした。


「ここではちょっと話し辛いことだから。ちょっと外で、いいかな?」


 その言葉に教室内がざわついた。「告白かな?」という声が聞こえたけど、無視をする。

 そんな筈はない。僕は園田さんと付き合ってるんだから。とは言っても、その事実は知らないだろうから告白と思われても仕方ないか。

 千堂さんは大きな溜息をついた。そして、今まで話をしていた女子に「ごめんねー、ちょっと行ってくる」と僕に向けた口調とは正反対の明るい口調で謝罪した後、睨みつけるような視線をこちらに向けて教室から出て行った。僕も後を追って教室を出る。

 僕達は無言のまま、朝日が射し込んで明るい廊下を歩いて階段を上る。

 階段を最後まで上りきって屋上前の踊り場で立ち止まった。明るかった廊下とはうってかわって、じとりとして暗く、埃っぽい。


「で、なに?」


 千堂さんは結った後ろ髪を揺らし、胸の前で腕を組んで威圧するように尋ねてきた。


「園田さんのことで伝えたいことと頼みたいことがあるんだ」

「ナコのことで? あんたが? あたしに?」


 意外そうに目を少し見開いたのがわかった。

 その気持ちはわかる。千堂さんは僕のことを敵視してるんだから。そんな僕から、園田さんのことで伝えたいことがあるなんてありえないと思ったんだろう。


「へえ、それでナコがどうしたの? そういえば、あの子今日休み?」


 千堂さんはそう口にした後、「って、あんたに聞くのも癪だわ。後でLINEしよ」と呟いた。それに対し、僕は言葉を返す。


「園田さんはしばらく休むことになる。LINEを送っても返ってこない」

「は? なに言ってんの?」


 千堂さんが、より怪訝な表情で僕に鋭い視線を向けてきた。


「落ち着いて聞いて欲しいんだ」

「はあ。まあいいや。早くしてよ、あんたと長々会話する気なんてないから」


 言葉の節々から嫌いだという感情が伝わる。でも、そんなことには怖気つかない。僕は、ちゃんと伝わるように、はっきりとした口調で事実を伝えた。


「園田さんは昨日、くも膜下出血で病院に運ばれて手術をしたんだ」

「……え」


 か細い声が口から漏れたのが聞こえた。千堂さんが大きく動揺している。屋上前の暗い踊り場に一瞬、静寂が訪れる。それを僕がすぐに破る。


「今はまだ目を覚ましてない。しばらく入院することになると思う。でも安心して欲しいのは、手術はちゃんと成功して命は助かってるから」

「ちょ、ちょっと待ってよ。は? あんた、なに言ってんの?」


 千堂さんは不安が滲む表情を浮かべ、声を震わせながら尋ねてきた。


「そのままの意味だよ。昨日、園田さんは脳の血管が破れて出血したんだ。それで手術をした。でも安心して欲しい。手術はちゃんと成功して、命は助かったから」


 僕はもう一度、昨日あったことを簡潔に伝える。

 千堂さんは「嘘」と呟いた後、スカートのポケットからスマホをとりだして、それを耳にあてる。たぶん、僕の言葉が信じられなくて園田さんに電話をしてるのだろう。

 やがて千堂さんは誰も出ない着信を切って、真っ赤にさせた目をこちらに向けた。その表情は教室にいたときのような勝ち気な表情ではなくて、眉をハの字に下げて、いまにも泣き出しそうな気弱な女の子の表情だった。


「どこの病院なの」

「幹線道路沿いの、十心病院じゅうしんびょういん。今はHCUっていう病室に入ってる」


 その言葉を受けて、千堂さんは体を翻して階段を下りていこうとする。僕は、ポニーテールが揺れる千堂さんの後姿に声をかけた。


「待って!」


 千堂さんが階段途中で足を止めて、こちらに振り返った。その目から涙が流れて、泣きボクロの上を通り、頬を伝っているのが見えた。すぐに階段を下って千堂さんの近くに寄った。


「病院に行くのなら止めない。でも、お願いがあるんだ」

「あたしに?」


 僕は、その場で頭を深く下げた。


「園田さんは手術で髪の毛を全部剃ったんだ。だから、千堂さんに園田さんのためにウィッグを買ってあげて欲しい」


 僕は学生服のポケットの中から茶封筒を取り出して、頭を上げてそれを突き出した。


「できるだけ本物に見えるやつが良い。お金はこれを使って欲しい。ウィッグがどれくらいの値段かわからないから、僕が集められるだけ集めたんだけど」


 茶封筒の中には、お年玉や画材を買う用に置いていたお金、十万強入っている。


「なんであんたが買ってあげないんだよ。あんた、ナコの彼氏じゃんか」


 千堂さんは怒気を含んだ冷たい口調でそう言った。彼氏なんだからそれくらいは自分でしろよ。そう言いたいんだろうってことがひしひしと伝わってくる。


「僕には無理だから」


 僕の返答に、千堂さんは余計にいらついたのか、また鋭く刺すような視線で睨みつけてきた。静かな口調だけど、さっきよりもより怒りを込めて、こう呟いたのが聞こえた。


「逃げんなよ」


 それを耳にした僕も、千堂さんの視線に負けないように真っ直ぐ目を見る。


「僕にはそういうセンスが無いし、女の子の髪型とかわからない。千堂さんなら、きっと園田さんに一番似合うウィッグ選んでくれると思ったんだ。だから千堂さんに頼みたい。お願い、これで買ってあげて欲しい」


 どうして千堂さんにそれを頼んだのか理由を告げる。

 それを聞いた千堂さんは何も言わず、僕の手からお金の入った封筒を少し荒く受け取ってくれた。


「わかった。それと、まあ、その、キツイこと言って、ごめん」


 千堂さんはそう謝罪をして、そのまま階段を下りていった。

 僕はその場にへたりこむ。一つ、大きな溜息をついた。正直に怖かった。

 まだ強く鼓動する心臓が落ち着くのを待ってから教室に戻る。千堂さんは鞄と共に姿を消していた。本当にあのまま病院に向かったらしい。

 クラスメイトが好奇心に満ちた視線をこちらに向けているのに気付く。僕が千堂さんに告白したのだと勘違いされてることを思い出して、苦笑いを浮かべた。

 だけど、それを否定するほど気力は残っていない。気付いていないフリをしながら、礼子さんに「今から園田さんの友達が病院に行くと思います」とLINEを送っておいた。送ってから、まだ朝早いけど面会時間は大丈夫なのかという疑問が思い浮かんだ。

 だけど、千堂さんならウィッグを選んでから病院に向かってくれそうな気がしたから、大丈夫かなと勝手に決め付ける。

 朝のホームルームで、担任が園田さんが入院してしばらく休むということを告げた。教室に動揺が広がったのを感じた。

 それに反して、僕の心は教室の窓から射す太陽の光のように割と穏やかだった。

 それは、園田さんがただ生きていてくれて良かったという安堵の気持ちで胸がいっぱいだったからだ。

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