君を拾ったんじゃない
水=雨へと繋がる回想をしやすい僕らは、簡単に切なくなることができた。
それでも、遊園地で切なくなるとは思っても見なかった。
「一番前だったら水かかっちゃうよ?平気?」
僕は、僕の可愛い恋人を心配した。
「平気。だって、こういうアトラクションって濡れるために乗るようなものでしょ?一番前がいいの」
そう言って、腕を引っ張ってくる強引さを持つようになった僕の恋人。
「何?もしかして怖いの?怖いならいいよ、一番後ろに乗ってあげても」
アトラクションのスピード感を見た僕が内心怖気づいたのを察してくれる、そんな優しさも持ち合わせるようになった僕の恋人。
「大丈夫。一番前にしよう」
望みを叶えてあげたい僕はそう言い、恋人の小さな手をぎゅっと握りしめ、先頭に向かった。
「今、後悔してる?一番前に乗ったこと」
間もなく降下するのではないかというタイミングで、恋人は怖がる僕を見つめた。
「後悔はしてない。ただ、怖いのはどうしようもないから」
恋人の方を見ると、僕とは違い余裕の表情だった。
「いつも私に合わせて無理させてる気がする」
そう言った後で恋人は、懐かしい表情をした。
それは、僕の胸が痛む表情だった。
「そんなこと・・・」
伝えようとしたところで、言葉を遮るように一気に降下していく。
恋人は、怖がっていないように見えたのに
「キャーッ!」
と叫んだ。
僕の方は叫ばなかったものの、一度落ちてしまえば緊張は解けるはずなのに、さっきの恋人の表情のせいでまだ緊張が続いていた。
そして、ようやく終わると思ったところで、水しぶきが上がる。
「うわっ」
さすがに、声を出さずにはいられなかった。
想像以上に水を浴びてしまったからだ。
恋人はびしょ濡れになった僕を笑った。
恋人もびしょ濡れだった。
濡れた黒のロングヘアが、降下直前に見た懐かしい表情をもう一度思い出させる。
「やっぱり後悔してるでしょ?私に合わせたこと」
僕の手に触れ、心配よりも不安がいっぱいの目を向けてきた。
「後悔はしてないよ。ただ・・・」
そのタイミングで、降りるようスタッフの人に言われる。
言いたいことが言いたい時に言えない日だな、と思った。
他の誰よりも濡れた僕らは、若干の視線を感じながらアトラクションから降りた。
少し離れたところまで歩き、
「はい、どうぞ」
と恋人はそう言って、鞄からハンカチよりも大きなタオルを取り出した。
「こんなこともあるかと思って」
そう言って僕の頭にタオルをかける。
「僕はいいから・・・」
恋人にタオルをかけてあげようとすると、それを制される。
そして、制したのに何も言わない恋人。
「風邪ひいちゃうよ?」
僕がそう言っても、まだ何も言ってくれない。
「どうして君は何度も後悔のことを聞いてくるの?今日だけじゃなくて、そういう時が多すぎるよ」
濡れた髪の恋人は、僕らの出会いの場面を彷彿とさせる。
出会いからこれまでの間で、恋人は少しずつ自分を見せてくれるようになった。
全てを見せろなんて、そんなあり得ない話は望んだことないけれど、恋人は自分を表現するテンポが人より遅かった。
遅いけれど、そこも愛しく思える僕だった。
「だって、あなたが私との出会いを後悔してそうで・・・私を見捨てられないから仕方なく一緒にいるだけなのよ」
恋人は、自分を表現するテンポを意図的に遅くしていたのだ。
恋人と出会った僕を可哀想だと思っているから。
「僕は何一つ後悔してないよ。君と出会ったあの雨の日は、今でも僕にとって大切な日だから」
僕の恋人は、僕らがまだ恋人でもなくて、知り合いでもなかったあの日、傘も差さず雨の中で濡れていた。
そして、その時の恋人の心情を何一つ知らなかったくせに僕は、その表情の切なさに胸を痛めたのだった。
「僕は君の望みを叶えたいといつも思ってる。小さなことから大きなことまで全てを。それは出会った日から変わらない気持ちだよ」
あの日、僕が恋人に傘を差すと
「結構です。濡れていたいんです」
と、今では考えられないような冷たい声色で言い、僕を睨んできた。
そして僕は、
「濡れたくないに決まってますよ。そんなに綺麗な洋服を着て、そんなに切ない顔をして、雨にまで濡れたら悲し過ぎます」
と言った。
恋人が一歩下がっても僕は諦めずに、傘を差し続けた。
「構わないで下さい」
震える声でそう言われた時、僕の中で望みが生まれた。
その望みは決して軽々しくないのに、あっさりと僕の口から出てしまった。
「天気の良い日、僕と一緒にどこかに出掛けませんか?」
恋人はただ驚いていた。
不審に見つめるとか、そういうことはせず、ただ驚いていたのだ。
「僕に望みを叶えさせてください」
言葉の意味はあの日、言っている僕でさえも分かっていなかった。
でも、今になって分かった。
こんなタイミングはおかしいかも知れないけれど、今、分かったのだ。
僕は制する恋人を制し、頭の上のタオルを恋人の頭の上に乗せる。
「僕の望みは君の望みを叶えること。そしてそれは、僕の為なんだ。君の笑顔を僕が見たいだけだった。君は、僕が君を救ったと思っているけど、僕も君に救われたんだ。君に出会えて、幸せになれたんだよ。君は、僕が無理していると思ってるようだけど、そんなことはない。一方的に救われたと思うのはもう、やめてほしい。優劣をつけられるのも嫌だし、君が劣等感を抱く必要はないんだ」
恋人も僕もあの日、互いの生きた環境について語ることはなかった。
ただ、雨の中で出会った二人として、まるであの時に雨の中で生まれた二人かのように、そこから全てを一緒に始めたのだ。
あの日の雨は、僕らをそうさせた。
それ以外の選択を、想像することもできないほどに。
今、目の前にいる恋人の姿は、出会った時と重なり過ぎていた。
そして、ずっと気に掛かっていた、拾われた犬みたいに不安そうにする恋人の態度を、許したくなくなった。
理解はするけれど、僕に拾われたみたいに存在しないでほしかったからだ。
「わがままでも何だっていいよ。不安なら不安だってはっきり言ってもいい。僕はあの日、君を拾ったんじゃない。君と出会ったんだから」
恋人は寂しく微笑んだ。
「私、拾われたの。あなたに」
恋人の過去に何があったのか。
聞きたくても、聞けない。
「違う。僕らは出会ったんだ。ほら、風邪ひいちゃう」
僕は恋人の髪をタオルで拭いてあげた。
「やっぱり拾われた犬みたいね、私・・・」
僕は頑張って微笑んで、恋人の頭を撫でる。
「お願いだから、僕と出会ったことを素直に喜べるようになって」
恋人は頷いた後で、僕の胸に顔を寄せてこう言った。
「私、あなたを幸せにしたい。そう思うのはいい?」
「もちろん、いいよ」
「もっと、好きって伝えてもいいの?」
「もちろん、いいよ」
「あの日の私は、雨の中で叫んでいた。でもそれは、さっき叫んでたのとは違って、声にならない声・・・それなのに、望み通りのあなたが現れたの。ねえ、本当に私たちは平等に出会ったと思ってもいいの?」
「ああ。僕たちは、平等に出会ったんだよ」
僕の恋人は、これまでのどの時よりも恋人らしく微笑んでくれた。
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