残酷で愛しい人
期待がこの世で一番余計なものだと思っていた。
でも、南が僕なんかと付き合ってくれたことで、期待しても良いことだってあると思えた。
南と付き合い始めてから、仕事もうまくいくようになり、期待以上の現実が訪れたのだった。
正反対の僕ら。
外に出るのが好きな南に、家に閉じこもっているのが好きな僕。
友達の多い南に、友達の少ない僕。
激しいロックが好きな南に、しっとりバラードを無限リピートの僕。
分かりやすいアクション映画を好む南に、曖昧な結末を迎える静かな恋愛映画が好きな僕。
例を挙げればキリはないが、僕らの嗜好はなかなか一致しない。
だからこそ僕は南を好きになったとも言えるだろう。
だって、僕みたいなのがもう一人僕の隣にいたら、僕自身が疲れてしまうから。
僕は、僕とは違う南に沢山救われた。
南がいなければ、本当に家に閉じこもってばかりになっていたと思う。
それに、最初から違うと分かっていれば、期待もせずに済む。
あっ、まただ。
ここでも“期待”の話が出るというわけだ。
この場合の期待は、自分の気持ちに共感してほしい、という意味になるのだろうか。
僕らは互いに共感を求めてはいない。
共感してほしいという期待が、最初からないのだ。
僕はただ、僕という人間を理解してほしいだけ。
違う者として、受け入れてほしいだけ。
同情なんか、いらない。
違うという理由で遮断する人も多い中、僕ら二人は、違うからという理由でピッタリと嵌まったパズルのピースだった。
他にも、違うからこそ僕らは、互いの好きなものを認めることだって出来る。
同じものが好きだったら、競い合ってしまうかも知れない。
どっちの方がそれを好きで、どっちの方が知識が豊富かを比べてしまうかも知れない。
でも、そんな心配は無用。
好きなものが違うのは、気楽でもありながら、違う場所から互いに声を掛け合う、負担にならない、最高の応援団だった。
そんな僕らにとって、少し特別だったのが、遊園地。
南は遊園地が大好きで、しょっちゅう友達と遊びに行っていた。
そして、本当にたまに、僕を連れて行くこともあったのだ。
人の多い所が苦手という僕に配慮をし、地方の遊園地まで二人で遠出した。
南が好きなら僕も好きという風にはならないけれど、南が好きなら、遊園地という場所の魅力が増すというのは事実だ。
遊園地自体を楽しむというよりも、遊園地を楽しむ南を見ていたい、という表現の方が正しいのかも知れない。
僕は、少なくても一年に一回は必ず行く自然に囲まれた遊園地を、程よく気に入っていた。
南が好きならいつまでも、歳を取った未来だとしても、たまにはついて来たいという願いを抱きながら・・・
彼女との交際三年目。
そんな年の僕の誕生日。
南の希望で、僕らは遊園地に行った。
僕の誕生日に僕を外に連れ出すというのは、これまでにないことだった。
例年の誕生日なら家でのんびり映画でも観つつ、外食よりも家で食べるのが好きな僕に合わせて、南が手料理を作ってくれたり、デリバリーで贅沢に色んな店に注文したりという感じだった。
でもそれは、なんとなくそうなっていただけで、決まりというわけではない。
遊園地での南は、いつも通りの南だった。
この芝居が、一体誰に見抜けたというのだろう。
僕みたいに南と違う人ではなくて、南と似ている嗜好の持ち主なら、見抜けたのだろうか。
楽しむ南の隣で、呑気に最高の誕生日を過ごしていた僕。
三年目も変わらずに、南にぞっこんの僕。
南も同じだと思っていた。
いや、全く同じではないかも知れないが、同じ部分もあっただろう。
だって、南は僕を「嫌いになったわけじゃない」と言ったのだから・・・
観覧車に乗るため、短い列に並んでいた時。
次の次で僕らが乗れるというタイミングで、後ろから男に声を掛けられた。
「あの・・・同乗してもいいですか?」
観覧車の同乗なんてあるわけがない。
そのあり得ない発言を聞いて、最悪だ・・・という気持ちと、怖いという気持ちで、一気にテンションが下がってしまった。
僕の誕生日が台無しだ。
だから、外に出るのは嫌なんだ。
知らない人に、勝手に、嫌な気分にされるのが嫌なんだ。
特別な日にわざわざ、嫌な気分になる確率を高めるみたいに外に出るのは、本当は嫌なんだ。
安心、安全、自分の好きな人と好きなものだけに囲まれて家の中にいるのが、正解だった。
ものすごく、後悔・・・
そんな本音を心の中でぶちまけた後、僕はすぐさま男を断ろうと思った。
それか男を無視して、ここから離れるべきかも知れないとも思った。
南を守らなければならない・・・
返事を待つ男を見た。
細く、弱々しそうな男。
見た目は決して悪いとは言えないが、こういう男こそきっと危険なのだ。
すると、その時。
「いいですよ」
と、南が言った。
僕は驚きの表情で南を見た。
この時点で衝撃だったが、さらなる衝撃が僕を待っていた。
「私が呼んだの。彼のこと・・・」
そう言い、南はその男の腕にそっと触れた。
何も言えないままでいると、僕らが乗る番になり、僕は南と知らない男と一緒に観覧車の中に閉じ込められた。
しかも南は、僕の隣ではなく、その男の隣に座ったのだ。
「あのね、こうでもしないと話を聞いてくれないと思って。だって、自分に都合の悪い話になったらいつも逃げるから。『僕らは違う』って決まり文句で・・・」
南は僕を見つめ、その次に隣の男のことも見つめ、そう言った。
「ちゃんと説明して。一体何なの、この状況は」
とにかく、目の前の男の正体が知りたかった。
そして南は、何の迷いもなく、こう言ったのだ。
「彼は・・・私の好きな人なの」
僕は眉間にしわを寄せ、南の発言についてしっかり考えようとした。
言葉の意味は分かっても、よく分からないという謎の状態に陥る。
「ええと・・・今、僕とデートしてたよね?で、何?この人は、南の好きな人?ああ、そっか。南のことを一方的に好きな人って意味?」
「違う。私が好きな人なの」
「僕と付き合ってるのに?」
「だから、別れたいの・・・」
思考が停止する。
僕は男をまじまじと見た。
男は僕が逸らすまで、その目を逸さなかった。
「僕と別れて、この人と付き合いたいってこと?それともまさか、もう付き合ってる?二股?」
二股なんて言葉を、南に対して使うなんて。
「付き合ってません」
男がそう答えた。
「南さんと、付き合っていません。南さんは二股をかけるような女性ではないです。ただ、ちゃんと別れてから、俺と付き合おうとしてくれています」
カオスだ。
これは、カオスだ。
僕は、男の発言を無視した。
「南はもう、僕を好きじゃないってこと?気持ちは他の男に向かっていて、それでも仕方なく付き合ってたってこと?」
冷静でいようとした。
怒りをコントロールしようとした。
怒ることで良い方に向かう話とは思えなかったからだ。
「嫌いになったわけじゃない。でも私、彼といたいの。彼は私の支えが必要なの。彼、仕事もうまくいってないし、私がそばにいてあげないといけない」
「南は、何かの奉仕者のつもり?僕は南と付き合い始めてから仕事がうまくいってるし、もう助けがいらないみたいな言い方じゃないか。南の今のその気持ちは、好きって気持ちじゃないよ。この人のこと、助けてあげたいって、それだけだよ」
「助けてあげたいって気持ちが、好きって気持ちじゃダメなの?私たちは違うんだから、私の気持ちが分かるわけない。私たちが違うから良いっていうのは結局、相手のことを分からなくても当然だって、諦めてただけじゃない?私・・・違うのが良いって、都合よく使われるのがもう嫌なの」
先に怒りを露わにしたのは、僕ではなく南だった。
「だから、私と別れて下さい。彼と付き合いたいの。彼は見た目からも分かる通り、弱々しい感じがするでしょ?でも本当にそうなの。人の気持ちを分かろうとして、同情して、疲れちゃった人なの。でも私は、そこを好きになったの」
最悪だ。
本当に、最悪だ。
「何でわざわざ、こんな所で言うんだよ。それに、何でわざわざ、この人まで呼んだんだよ。こういうのは僕ら二人で話し合うべきじゃないの?」
「私たちは、こんなに違うんだよって見せつけようと思ったの。私とあなたはこんなにも違うって。私に思いつくことは、あなたには絶対に思いつかないって・・・」
「それにしても、わざわざ誕生日にこんな酷い仕打ちはないだろ・・・」
「誕生日?あっ・・・」
「まさか南、僕の誕生日忘れてたの?」
「ごめん・・・」
そうだ。
そうだった。
僕らは違うんだ。
記念日を細かく覚えている僕とは違って、南はそういう部分が大雑把なんだった。
その大雑把さは年々、あからさまになってきていたのだった。
それに加えて、他に好きな人が出来たなら、僕の誕生日なんか簡単に忘れてしまっても当然だ。
どうりで、誕生日おめでとうの一言もないわけだ。
敢えて言わずに、僕が生まれた時間まで待ってるんじゃないかと想像した自分が馬鹿だった。
その想像って結局、期待だ。
僕は本当は、南にいつも期待していたのだ。
違うからと言って、最初から期待しないわけじゃなくて、期待した後で、僕らは違うという都合の良い理由をつけていただけなのだ。
だから、期待を裏切られても、大きな失望を感じずに済んでいたのだ。
急に、南のことが嫌いになりそうだった。
なりそうなだけで、まだなってはいないけれど、なりそうだった。
南は、こうでもしないと僕は別れてくれないだろうと、そう考えたのだ。
それなら南は僕のことをやっぱり、ちゃんと理解している。
僕はこれくらいされないと、南を手放したりしないはずだから。
「別れるよ。この人、僕より弱そうだし、そばにいてあげればいいよ。僕はもう、十分だから。十分助けてもらったから」
「ありがとう・・・」
南は笑顔になって、喜びを隠そうとはしない。
その笑顔を見て僕はようやく、傷付いた。
突然の別れにようやく、気付いた。
南は僕を錯乱させ、あっという間に結論を出させたのだ。
観覧車一周分で至った結論だ。
南は、僕が結論を先延ばしにし、ダラダラと過ごす人間だと知っているから。
知りたくないことは、とことん知ろうとしない、そういうズルい男だと知っているから。
観覧車を降り、僕は
「帰るよ。僕のことなんか考えないで、二人で楽しんで行ったらいい」
と言い、去ろうとした。
その時、南がこの後、僕に言おうとしていることが分かってしまった。
僕と南は違う所ばかりだが、三年も交際したのだ。
それは、僕が今、南に言ってほしくない一言だった。
「お誕生日おめでとう。言うの遅れて、ごめんね」
僕は無理やり笑顔を見せ、二人から離れて行った。
何て、残酷な人だろう。
振った男に対して、誕生日を祝う言葉を残すなんて。
全く理解できない。
僕と違う南という人間を理解して、受け入れてきたはずなのに、理解できない。
この三年は、理解したつもりになって過ごしてきた三年だったのだろうか。
違うから好き・・・
理解できないからこそ・・・
理解できないからこそ、南は愛しい・・・
それが本当の、南を好きだった理由・・・
僕は、一瞬の寝落ちの中で見た夢を思い出すような感覚で、自分が南に振られた一瞬のカオスについて考えた。
そして、この結果に辿り着く。
やっぱり、期待がこの世で一番余計なものだ。
期待さえしなければ、虚しい思いをせずに済むのだから。
でも・・・
僕の仕事がうまくいかなくなったら、南は奉仕者のようにまた、戻って来てくれるかも知れない。
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