七夕の約束

 私は死ぬ前に、彼と約束した。

約束をさせた自分が酷いと思う。

本当に申し訳なかったと思う。

それを守り続けた彼を可哀想だとも思う。

そして・・・

本当は守らないでほしかったもう一つの約束さえも、彼は忠実に守った。

私はそんな彼を、心の底から偉いと褒めてあげなければならない。

そうしてあげないと、彼は幸せになれないから。



 一年に一度だけ会える、織姫と彦星の物語。

その物語にロマンを感じた私の原点は、私の終点・・・命の終わりの近くで、最後の力を振り絞って自己主張を始めた。

最後の最後の、強めの自己主張。

それが、彼との約束になった。


「初デートの場所、覚えてる?」


「もちろん、覚えてるよ」


「私達が一番よく行ったデートの場所は分かる?」


「もちろん、分かるよ」


「死んで幽霊になったら、乗り放題なのかな?好きなだけジェットコースターに乗ってもバレないよね?観覧車に永遠に乗ってても、誰も気付かないよね」


ベッドに横になる私の手を彼が握っていた。

強く、強く。

優しい人の強さは、私に勇気を与えてしまった。

こんな状態で、彼と約束を交わそうとする勇気を。


「お願いがあるの。私が死んでも遊園地でデートしよう」


「死ぬとか・・・言わないでよ」


「七夕の日に私とデートして・・・一年に一度の待ち合わせ。一年に一度でいいから、私に構って」


「一年に一度だけ?」


「十分でしょ。いつか、多いくらいになる。一年に一度も?って、そう思うよ」


「そんな事ない」


「そう言ってくれるだけで嬉しい」


私の手を握る彼の手はさらに、強く強く。

痛みなんて感じない。

伝わる強さだけが、その時の私達を繋ぐ印だった。

約束する時の指切りみたいなもの。



 私が死んで最初の七夕。

彼は本当に遊園地にやって来た。

もちろん、彼には私が見えない。

私だけに彼が見えている。

可哀想な彼。

ずるい私。

 彼は私が隣にいるのを想像しながら、私達のいつものコースを一人で辿る。

私はそんな彼の隣で、私を失った彼を見つめ続けた。

こんな事なら、一年に一度のデートの場所は遊園地でなくても良かった。

カフェとか、彼の部屋とか、彼をただ見つめる事に集中できる場所にすれば良かった。

そうしたら彼に、一人で遊園地に来るなんて面倒な事をさせずに済んだのに。

選択ミスだったかなと思いながらも、わざわざここまで来させる事に意味があるというのも、何となく分かっていた。


 彼はこれまで来た時と同じように、レベルの低いジェットコースターから、徐々にレベルを上げてスリル度が増すものへと移動する。

その全てに一人ぼっちで寂しく乗る彼。

本当は幽霊の私も乗っているけれど、そんなのは見えない彼。

 恨んでるかな・・・

こんな事させられて怒ってるかな・・・

約束を守らなかったら、幽霊になった私に呪われそうで、怖いから仕方なく実行しているだけかな・・・

お化け屋敷とか、ホラー映画とか、心霊特集の番組とか、全部嫌いだったもんね・・・

ごめんね・・・


 ついに、この遊園地で一番怖いと言われているジェットコースターまでやって来た。

この日の中で一番長い列に彼は並ぶ。

 彼が長い列とか、何かを待ち続ける事とか、そういう事に対して文句を言っているのを聞いた事がない。

何も考えていないだけなのかと最初は思った。

でも、付き合い続けているうちに分かったのは、彼はむしろ、そんな待ち時間さえも、特別な時間だと考えているという事。

何かを待つその何かが楽しい事なら、待てる事への喜び、そんな期待に溢れる心自体に幸せを感じる。

何かを待つその何かが、期待を感じさるようなものじゃないとしても。

悲しい待機時間だとしても。

彼はその時間を・・・その貴重な時間としっかり向き合う人だった。

私の死までのタイムリミットだってそうだ。

彼は貴重なその時間を、ちゃんと生きてくれた。

正直、私の見ていないところでは分からない。

でも、見えてないからいい。

私の見えるところでは、ちゃんと向き合ってくれたから。

 

 次の次くらいで私達の番になると思った時。

彼は突然、列から外れて歩き出した。

 どうしたの?

今さら馬鹿らしくなった?

帰っちゃうの?

 彼は早歩きでどんどん進んで行く。

私は彼に必死になってついて行く。

 私が悪かった。

本当にごめん。

もう、来なくていいから。

来年からはもう、いいから・・・


 彼は観覧車の前で立ち止まった。

ジェットコースターとは違い、空いている観覧車。

彼は意を決したように、乗り場のゲートを潜り、私も一緒について行く・・・



「聞いてくれてる?」


扉が閉められ、観覧車が少し進んだところで、彼はそう言った。


「ごめん、いつものコースとは違う流れになっちゃって。でもさ、観覧車以外では話し掛けられないよ。一人でブツブツ喋って、変な人だと思われる」


 そうだよね。

ごめんね。

自分が変な人だと思われるのより、変な人だと思わせてしまったその相手の気持ちを気にする優しい人なのに。

こんな事させてごめんね。

それに、馬鹿らしくなったんじゃないかって不安に思ってごめんね。

そんな風に思わない優しい人なのに。


「いるよね?ちゃんと今、僕らは二人で観覧車に乗ってるよね?」


 うん。

ちゃんと向かいに座ってるよ。

真っ直ぐに、見つめてるよ。


「やっぱり、一年に一回って少ない。だから正直に言うと・・・引かないでね?映画館に行った時、チケットを二枚買って、隣にいてくれてるだろうなって思ってた。ごめん、許して。もちろん、隣の空席に話し掛けたりはしてないよ。他の人の気分を害したくないから」


 そんな事してたの?

私は一年に一回っていう約束を守って、会いに行かないで我慢してたのに。

でも、許すに決まってる。


「僕はジェットコースターも好きだけどさ、観覧車が一番好きなんだ。静かで、誰の目も気にしなくて良くて、二人だけの世界で」


 私は、一番と聞かれたら絶対にジェットコースターだな。

ねえ、これはあくまでも私の考えだけど。

観覧車が一番好きって言う人が一番優しい人だと思う。

でも、条件付きなの。

ただ、観覧車が好きって主張するんじゃなくて、その前に、「これも好きだけど・・・」って前置きするのが条件。

どう?

この考えは正しそうかな?


「初デートの時、ここでキスしようと思ってたんだ」


 そうなの?

知らなかった。

なんか、照れるね。

どうして今になって教えてくれたの?


「もしも、あの時に戻れるなら。僕は絶対に、勇気を振り絞って君にキスをするよ・・・そうすれば、生涯の君とのキスの回数が増えるから」


 そんな素敵な事を言ってくれるなんて。

実際に私がいたら、照れて言えないでしょ?

でも、嬉しい。

そんな事を言ってくれる人がいて、嬉しい。


「来年も、こんな僕に付き合ってね」


 それは私の台詞だよ。

私が言われるのは、違うよ。

そんなの悲し過ぎるよ・・・


 私達は見えない会話を、それぞれの気持ちで成り立たせた。

そんな一方通行なようで、ちゃんと通じ合っている私達の一年に一度のデート。

七夕のデートは、十年も続いた。

十年も続いてしまった・・・



 あの一つ目の約束の後。

彼の手の温もりを感じながら、私は彼にもう一つの約束をお願いした。


「もしも、好きな人ができたら。一緒に生きたい人に出会えたら。触れられるその人を大切にしたいと思ったら・・・その時はもう、七夕の約束を破って。来年からは来れないって言って、予告しないで。何も言わずに、遊園地に行くのをやめて。幽霊になった私がいると思い込んで、遊園地に一人で行った過去の自分を笑ってあげて。ごめんね。そのせいで、私達の通った遊園地には来れなくなるかもしれないけど。でも、他にも遊園地はあるから。そこに好きな人と行って。絶対に、七夕の約束を破って・・・いつか、必ず」


それを聞いた時、彼は初めて私の前で泣いた。

私の余命を知ってからの彼は、残された貴重な時間の為に、私の前で泣かなかったから。

二つ目の約束に対して、文句を言う事もなかった。

私の意志が固いと伝わっていたはずだし、文句を言う時間が勿体無いとも思ったはずだし、その約束が私なりの優しさだと気付いたはずだし、その約束がいつかの自分の為になると分かっていたはずだから。



 七夕の日。

彼はもう、待ち合わせの場所に来ない。

ようやく、二つの約束を守ってくれたのだ。

私はそんな彼を、心の底から偉いと褒めてあげなければならない。

 

 寂しいよ・・・

寂しいけど、ありがとうね。

一年に一度、私に構ってくれてありがとう。

ずっと、好きだったよ。


 見えない会話はもう、本当に、私だけの呟きになってしまった。

私は思い出だけを抱えて、彼のこれからとお別れをする。

 彼のくれた優しさがあって良かった。

彼の幸せを私は、願わなければならないから。

彼は貴重な自分の時間を、自分の幸せの為に生きなければならないから。

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