この世の全ての週刊誌の記者になって

 私は人生で一番緊張していた。

これは、今の私にとって一番大切で、そして寂しい交渉だから。



「笑わせてくれるわね。彼まで巻き込んで私をこんな所に連れて来るなんて。それに、どうして暑い中わざわざ外で話さなくちゃいけないのよ」


甘川恵子はつばの広い帽子を被りで、私の向かいに座った。

パラソルがついたテーブル席で、遊園地を背景に不機嫌そうにしている。


「すみません。アイスコーヒー用意しておいたのいで、飲んで下さい。その・・・暑いから、みんな涼しい室内に行ってるので、ここなら会話を聞かれる事もないと思いまして・・・顔バレもしなくて済みそうですし・・・それで、甘川さん。ここに来てみてどうですか?日常から少し離れたような、素敵な世界観ですよね?」


「私は彼に無理やり連れて来られただけよ。こんな所、ただ騒がしいだけじゃない」


「甘川さん・・・」


「何が還暦記念公演よ。ちっともめでたくないわ。めでたいにしても、どうして遊園地なんかで歌わなくちゃならないの?あり得ない。彼も何を考えてるのか」


甘川恵子がさっきから言っている“彼”とは、15歳年下の彼女の恋人だ。


「プロポーズ、断ったそうじゃないですか・・・」


「そんな事まで聞いたの?まったく、あなたには口が軽いんだから・・・」


 彼女が会話の中で恋人を登場させる時、名前で呼ばずに“彼”と言うのが、どこかセリフっぽく響く。

だけどそれは、彼女なりの配慮だ。

甘川恵子は、ある時代を一世風靡した、かつての歌姫だ。

そして、彼女の恋人は、今でもシーンの最前線で活躍するシンガーソングライター。

彼女は決して自分との交際がバレてはいけないと、マネージャーの私の配慮なんか配慮ではないかのような配慮を、彼の為に続けてきた。

徹底した秘密の交際。

それを一番近くで見てきた唯一の存在が私だ。


「彼がどうしてもって言うからついて来たけど、私、そんな公演、こんな所でやらないわよ。絶対に」


「甘川さん・・・」


「大体、誰なの?こんなオファーをしてきたのは」


「この遊園地の社長さんです」


「私のファンだったとか、そういうのね?」


「はい。この遊園地では過去にも何度かオファーをした事があるそうなのですが」


「どうせ、人気絶頂だった時の話よ。今はこんなだから来てくれるだろうって、魂胆が見え見えなのよ」


「はい。確かにそういう魂胆だと思いますけど・・・」


「ちょっと、たまにあなた失礼よね。正直過ぎて」


「あっ、すみません」


「まあ、それもあなたをそばに置いてる理由なんだけど。私の前ではやたら正直なんだから」


「じゃあ、還暦記念公演・・・」


「やらないわよ。いい?絶対に気持ちは変わらない。これは本当に変わらないの。今、ラストシーンを盛り上げる為に断ってるわけじゃないの。あなた、すぐ人に期待するから最初に言っておく」


もの凄い勢いで返されたけれど、そんなのにはもう慣れっこだ。

それに私は最初から、彼女が絶対にこのオファーを受けてくれない事を分かっている。


「会場が遊園地なのが嫌なんですか?」


「そうに決まってるでしょ。乗り物も叫び声もとにかくうるさいじゃない。私の持ち歌なんてほとんどバラードなのよ?その社長、戦隊モノのショーと勘違いしてるんじゃない?」


「それはないと思いますけど」


「それは私も分かってるわよ。ちょっと冗談言っただけなのに」


甘川恵子は腕時計を確認した。

これは、早く話を終わらせたい時のアピールだ。


「さっき、公演を企画した方の話を聞いてきました。私としては当然、公演の最中は全てのアトラクションを止めると思ってたんですけど、公演中でも、ジェットコースターも、バイキングも、なんかこうビュンビュン回って怖い乗り物も、あの上から下に一気に落ちるのも、全部止めないそうなんです」


「あなたは、落ちぶれた私なんかの為に、遊園地のアトラクションを全部止めて、公演させてくれるとでも思ってたの?」


「はい。一応、甘川恵子ですから」


「一応って。とにかく私はやらない。はい、以上。帰っていい?せっかく久しぶりに彼の休みなのに。彼もあなたなんかに協力して」


彼女は立ちあがろうとする。

私は、本当の交渉への流れに入ろうとした。


「プライドの問題ですか?」


彼女は立ちあがろうとするのをやめ、私を見つめる。


「プライド?ええ、そうよ。かつて売れっ子だった、私のプライドの問題」


「嘘ですよね」


「嘘じゃないに決まってるでしょ?」


「全部、何もかも、あの人の為じゃないですか」


私が甘川恵子の恋人を、“あの人”と言うのも、会話の中ではそう呼べと彼女に言われたからだ。


「彼の為?私の性格が分かるでしょ?私が嫌なのよ。例えば万が一、彼との事がバレた時。落ちぶれのかつての歌姫が、遊園地で公演してる映像を流されるのが目に見えてるでしょ?」


「それが自分の為のプライドじゃない事くらい、私分かります」


「あなたに何が・・・」


「万が一、あの人との事がバレた時。落ちぶれの歌手と付き合ってるのが分かれば、彼の評価が下がると思ってるんですよね?それなのに、自分のプライドの為のフリする事ないですよ。甘川さんほど徹底して交際を隠す人、この世に存在しませんよ?長年の交際を結婚まで隠し通した好感度高い系の有名人カップルだって、甘川さんほどの努力はしてません。こことここが?って組み合わせの不倫関係の人だって、甘川さんほどの努力で隠してませんよ」


甘川恵子はため息を吐き、私を何も分かっていないお子ちゃまを見るような目で見てきた。


「最初の例は単に、万が一交際がバレても大丈夫って余裕があるから。不倫の例は単に、馬鹿なだけよ。どっちも私達とは違う。でもね、反省してるの。彼とはさっさと別れるべきだった。こんなに隠すくらいなら、付き合ったらダメだったのよ。私のミスね。彼にスターでいて欲しいなら、離れてあげるべきだった・・・」


それは悲しいセリフのはずなのに、彼女は強気を演じて言う。


「愛する人の為のプライドを、捨てられませんか?」


「だから、言ったでしょ?私は彼の為じゃないくて、自分本位で考えてるの。愛する人の為のプライド?そんなのないわよ。私は私のプライドの為にこんな所では歌わない。いい?分かった?」


 私は、本格的な交渉を進める。

遊園地での還暦記念公演のオファーはそもそも、受けさせようとも思っていない。


「甘川さん、本当に別れようとしてますよね?さっき言った事を本当に実行しようとしてますよね?スターでいて欲しい彼の為に、身を引こうとしてますよね?」


彼女は私を睨んだ。

睨む時の彼女は、自分の動揺を悟らせないようにしている。

それくらい、私には分かる。


「結婚・・・してあげて下さい。っていうか、したいんですよね?あの人と結婚したくてしたくてたまらないんですよね?」


さっきよりもキツく睨んでくる。


「結婚なんてしないわよ。年の差がありすぎるし、無理。無理無理」


「嘘つき」


「嘘じゃないわ」


「嘘つき!」


「ちょっと・・・子供じゃないんだから」


彼女は、駄々をこねる子供に困惑する母親のような目を向けた。


「甘川さん。私、甘川さんの前では正直です。だから、甘川さんも正直になって下さい」


「私はもう十分正直よ。自分勝手に生きてきた」


「甘川さん・・・お願いします」


 甘川恵子は傍から見たら、周りの人間に当たりの強い、扱いにくそうな女と思われる事が多い。

実際、事務所の人も彼女との関わり方を難しく感じている場合が多かった。

でも、私は知っている。

彼女がそうしたくてそうしているのではない事も、周りの人が気付けていないだけで、本当は彼女に助けられている事も。

秘密の交際だけじゃなく、彼女は自分の優しさも、秘密裏で進めるのだ。


「あなた、踏み込み過ぎよ」


甘川恵子は厳しく言った。


「それとも・・・もしかして彼に頼まれた?それで、結婚するように仕向けようとしてるの?それならあなた、下手くそよ」


「違います。あの人には、甘川さんをここに連れて来るようにお願いしただけです。これは、私のプライドです」


「あなたのプライド?」


「はい。甘川さんのマネージャーとしてのプライドです」


呆れるように、彼女は笑った。


「落ちぶれた歌手の為のプライド?そんなもの持たないで。痛々しくて見てられないから」


「甘川さん!」


私はこの日一番、いや、甘川恵子のマネージャーになってから一番大きな声を出した。

甘川恵子もさすがに驚きを隠せていない。


「愛する人の為のプライドを捨てましょう。だから・・・ここからは私の独断です」


ついに言ってしまうのか・・・と怖くなる。

声が震えてしまいそうだった。

寂しくて、泣いてしまいそうだった。

でも私は、彼女のマネージャーとして伝えなければならない。

事務所の人に指示されたのではない。

私の意思で、彼女に伝える。


「甘川さん。引退しましょう」


彼女は真っ直ぐに私を見つめる。


「甘川さんは歌手に、何の未練もないはずです。一つもないはずです。探しても探してもないはずです」


返す言葉が見つからないのか、まだ私を見つめたまま。

何かを必死に考えているのか、眉間に皺が寄った。


「甘川さんは、あの人の為に歌手を続けていただけです。あの人が甘川さんを好きになったきっかけが、ステージ上で歌う甘川さんの姿だったから。落ちぶれても何でも、諦めずに歌手を続ける事が、あの人との始まりの証になると思ったんじゃないですか?それは愛する人の為のプライドです。自分の為ならとっくに、甘川さんは引退してますよ。自分の為ならもう、プライドがズタボロでやってられませんよ・・・」


「あなた、私をどれだけ落ちぶれだと思ってたのよ」


どこかホッとした声のように、私には聞こえた。


「甘川さん。引退して、結婚して下さい。引退したって、甘川さんとあの人が結婚した事はバレちゃうと思いますし、引退したって記者に追われる事もあると思いますけど・・・でも、いいじゃないですか。だって、甘川さんはあの人と結婚したくてしたくてしょうがないんですから。それに、落ちぶれたかつての歌姫をそれでも捨てなかった15歳年下のシンガーソングライターなんてカッコ良過ぎますよ。むしろ、評価爆上がりですよ。そんな人が書いたラブソングなんて、聴きた過ぎますよ!だから、引退しましょ?ね?」


甘川恵子は目に涙を浮かべ、そして笑った。


「あなたって本当に正直ね。っていうか、あなたの言う事は嘘だとしても真実に思えてくる。私が馬鹿だったわ。あなたに、彼と付き合ってる事を話したのが馬鹿だった」


私は鞄からハンカチを取り出し、


「どうぞ、甘川さん」


と言って、渡そうとした。


「ハンカチくらい持ってるわよ。もうすぐ還暦よ?それに・・・もう、マネージャーじゃなくなるんだから、もっと気楽にしていても許してあげる。っていうか、あなた本当にいいの?こんなに長く続けてきた仕事を、自ら捨てるようなものじゃない。寂しくないの?いや、寂しくないわね。こんな扱いにくい人間のマネージャーなんて、やめたいくらいよね」


私はもう、涙を堪えられなかった。

彼女に渡そうとしたハンカチで、自分の涙を拭く。


「寂しいに決まってますよ!何言ってるんですか!私がどんな思いで引退なんて言ったと思ってるんですか!」


「泣かないでよ。どっちかと言えば、私が泣く場面でしょ?」


「すみません、気楽にしてもいいって言われたので」


甘川さんは、泣き続ける私をいつまでも見守ってくれた。


「引退して、結婚するから・・・もう泣き止んで」


そう言って、いつまでも見守ってくれた。




「引退を公表するかしないかはどっちでもいいです。バンッと発表しても良いですし、こっそりフェードアウトしてもいいですし。どっちにしても悪く言う人は言いますからね」


泣き止んだ私は、事務的な話をするみたいに淡々と話し始める。


「さっきの涙はどこにいったわけ?」


「もう出し切りました。あっ、それから。あの人は、甘川さんがプロポーズをOKしてくれたら、『歌手を続けてもやめてもどっちでもいい、君の選択に任せる』と言おうとしていたそうなので、引退の事に関しては特に気にしなくて大丈夫ですから」


「それって、あなたから聞いて良いセリフだったのかしら。本人から最初に聞きたかったような・・・」


「確かに、そうですね。すみません・・・」


「気楽になり過ぎみたいね」


「気を付けます。それから、事務所の人達には私がちゃんと説明するので、心配しないで下さい」


「それは私にさせて」


彼女は、緊張感を持った声でそう言った。

その後で、


「こんな落ちぼれを置いてくれたんだから、私が自分でちゃんと伝える。まあ、私が残した功績もあるけど、取り戻せなかった功績も多いし。あと、陰口を言われてたのも知ってるから、凄い人と結婚するのを発表して見返してやりたいし」


と、次は重くなり過ぎないように、明るいトーンで話す。


「格好良いですね。さすが、甘川恵子です」


甘川恵子は、誇らしげに微笑んだ。



「それで、どうして今日、わざわざここに来なくちゃいけなかったの?」


一件落着した後で、彼女は本当に不思議そうに聞いてきた。

確かに、遊園地で話す内容ではなかっただろう。

 私は、遊園地での公演のオファーが来た時、引退の交渉の場に相応しい、素晴らしい舞台を見つけたなと思った。

だって、事務所で話すのも、彼女の家で話すのも、緊張のせいで何も言えなくなってしまいそうだったから。

遊園地なら、世界観が違い過ぎて、話せると思ったからだった。

でも、違う言い訳を思いつく。


「デートの下見です」


「あなたの?」


「違いますよ。甘川さんのデートです。引退したら遊びに来て下さい。あの人と一緒に」


「私、還暦よ?」


「そんなの関係ありません。これまで隠してきた分、きっと楽しいですよ。まともに外でデートした事ないじゃないですか」


「どうする?外でデートできるようになって、急に不仲になったら」


「そうならない事、分かってるくせに~」


「本当に、困ったマネージャーね」


今さらながら、私は甘川恵子をからかうのが、相当好きだったのだと気付かされる。


「マネージャー・・・やめたらなんですけど・・・」


「何?もしかして、あなたも結婚するの?付き合ってる人いたの?ひどいわね。自分だけ隠してたの?」


「違いますよ。そうじゃなくて・・・引退した甘川恵子、一般人になった甘川恵子の・・・応援団長になりますから。ずっと、応援し続けます」


甘川恵子は優しく微笑んだ。

これなんだよなーと思う。

これが甘川恵子の本性なんだと、世界中の人に伝えたくなる。

私がこの世の全ての週刊誌の記者になって、甘川恵子の本性を、こんなに素敵な笑顔を暴いてやりたくなる。


「ありがとう」


甘川恵子からのお礼は、この世で一番甘かった。

疲れた体に染み渡る、甘い甘いスイーツだ。

そして私は、とても寂しい。

彼女のマネージャーでいられない事が、とてもとても寂しい。

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