謎の魔物、現る

 いくつもの複眼がわたしたちを見つめる。

草陰に、木陰に、毒牙や毒針が鈍く輝く。

耳障りな羽音が辺りに響き渡り、カチカチと顎を鳴らす音が背筋に嫌な感触を残した。


「ちょっと・・・・・・こんなに居るものなの!?」

「確かに、この数は・・・・・・ちょっと異様かも・・・・・・」


 ラヴィと言葉を交わしながら、顎を伝う汗を拭う。

最初の方こそ無駄話をする余裕もあったが、今は一瞬も気を緩められない。

どうやら大きめの群れにかち合ってしまったみたいだ。


 ガーが弓を引き絞りながら顔を顰める。


「蜂だな、蜂ばっかだ。こりゃどっかの巣が丸ごとやられたみてェだな・・・・・・」

「皆の者、大事ないでござるか? 刺されたら正直に申すでござるよ!」


 そういうプレコに一番魔物が群がっていた。

まぁあの体じゃ刺されようがないだろうけど。


 魔物の毒。

まぁ冒険者なら一度は食らったことがあるだろうけれど、あれはかなり強烈だ。

色々な魔物の毒を食らうのが趣味の変わり者も居るらしいけど、そういう人の気が知れない。


 ダンパーティでは見事に全員が刺されてしまったことがあるのだけど、その時はシュルームが解毒剤に麻痺毒キノコを混ぜて痛みを鈍らせるというパワープレイで乗り切った。

それでも尚その晩は寝られないくらい痛んだけど。


「しかしのぉ、ちと流石にキリがないのぉ。ワシらばっかり戦っとるような気ぃするが、あいつらちゃんとやっとるんやろな?」


 ラニアが群れの中を舞うように戦いながら、最初のところで分かれたあのもう一つのパーティに思いを馳せる。

こっちも大変だけど、虫系の魔物はまぁ数が多いものなので、実際のところは向こうも同じような目に遭ってるだろう。


「・・・・・・!? 待つでござる!」


 プレコが周囲の魔物を腕で切り裂き一掃し、突然その声を張り上げた。


「そ、そんな待つって言ったって・・・・・・」


 そんな悠長なことをしていれば、あっという間に魔物の毒牙にやられてしまう。

そう続けようとした。

しかし・・・・・・。


 空気が、変わる。

冷たく嫌な空気が足元を這う。


 あれだけ攻撃的だった魔物も何かを感じ取ったようで、流れ込んできた異様な空気に押し流されるように散っていった。


「・・・・・・」


 ラヴィは黙ったまま、森の木々の奥の一点を見つめて身構える。

他のみんなも、鈍感なわたしでさえも“何か”を感じ取っていた。


 さっきまで羽音が嫌な不協和音を奏でていた森は、それが嘘だったかのように静寂に包まれる。


 森の暗がりから冷気の如く染み出してくる、威圧感。

まだその正体も分からないのに、空気が張り詰める。


 やがて響き渡る、ミシミシという生木が軋む音。

草葉を踏み締める足音。


「・・・・・・来る」


 ラヴィが静かに告げる。

その声に応じるように薄い闇の中から、それはとうとう現れた。


「・・・・・・! これは・・・・・・!」


 プレコが真っ先に反応し、一歩後ずさる。

ガーとラニアも、同じように数歩下がった。


 現れたのは、巨大なオオカミ。

真っ白な体毛に鋭い目。

目の周りだけ、それを縁取るように毛が朱に染まっていた。


「ンだよ・・・・・・ンな魔物見たことねェぞ・・・・・・」


 ガーがそのオオカミと睨み合いながら愚痴る。

わたしはその鋭い眼光に射すくめられたかのように、身動きが取れなかった。


 オオカミは獲物を吟味するかのように鼻を鳴らし、熱い息を吐く。

ガーはゆっくりと後ろに振り向き、わたしたちに向かって小さな声で言った。


「いいか? 最初に言ったこたァ覚えてンな。ましてや今は相手の得体が知れねェ。逃げるぞ」


 オオカミは後ろ脚を屈める。

跳躍に繋がる予備動作だ。


 マズい、と直感が告げる。

慌てて逃げ出すように駆け出すと、さっきまでガーが立って居た場所にオオカミの前脚が振り下ろされていた。


 しかしガーは無事回避していたようで、違う位置から叫ぶ。


「ダメだッ、クソッ! 散れッ! 散れッ!! 今ァ逃げることだけ考えろッ!」


 ガーはそう自分で言いながら、茂みの方へ駆け込んで行く。

ラニアもラヴィも、咄嗟のことだったのにきちんと指示通りに逃げていった。


 それぞれ別々の方向に逃げていくメンバーに、オオカミは視線を定められずにあちこちを向く。


「コーラルどのも! 早くっ!」


 プレコだけは時間を稼ぐようにオオカミの前に立ち塞がり、わたしに逃げるよう促した。


 プレコならすぐにやられてしまうことはないだろうけれど、あの魔物と一対一で長いこと持ち堪えられるようには思えない。

だから、彼の安全のためにも素直に木々の入り組んでいる方に逃げ込んで行った。


「みんな・・・・・・大丈夫かな・・・・・・」


 今はとにかく、ただ走る。

逃げる。

離れる。


 あの巨躯なら樹木を薙ぎ倒しながら追跡することも可能なはずだ。

だからプレコはああやって注意を引いていたのだろうけれど、本人はあそこからどうするつもりなのだろう。

そしてわたしも・・・・・・。


「・・・・・・どうしよう」


 もちろん森の中には他の魔物だって居る。

緊急事態のため散らばるしかなかったが、こういった危険地帯で一人になることは望ましいことではない。


 なんとか他のみんなと合流したいけれど、あのオオカミの魔物も居るし・・・・・・。


「コーラル」

「うひゃあ!? 何!?!?」


 慌ててどうしようどうしようと逃げ惑っていると、突然耳元ですっかり聞き慣れた声が響く。


「ラ、ラヴィーーーッ!!」


 一家に一台ラヴィである。

頼もしさが違う。


 ラヴィの腰に縋り付くようにして“安心”を摂取する。


「ちょ、ちょっと・・・・・・走りづらい! 今は・・・・・・とにかく今はあの魔物から離れないと」


 それはまったくもってその通りなので、体を離して並んで走る。

今のところ魔物の群れの気配もないし、あのオオカミもわたしを追ってきてはいないみたいだ。


「ラヴィ、ね・・・・・・これ、一旦街戻った方がいいかな? ガーたちも見たことない魔物だったみたいだし、ギルドに救援を・・・・・・」

「いや、そんな時間は無い・・・・・・から、とにかく仲間を探さないと」


 ラヴィの言う通り、街まで戻る程の余裕は確かにないだろう。

やっぱり個別に撒いて、そのあと何とか合流して帰るしかない。


 あのオオカミの魔物、サイズだけで言えば中型の範疇だけど・・・・・・あの圧はただの中型じゃない。

プレコ、無事だといいけれど・・・・・・。

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