第47話 お別れの日

 一年という時間が短いってことを、私は初めて知った。

「ということでクロ、そろそろ一人立ちして生きろ」

「え? あーそっか、ちゅーいどのも先生も、一年くらいが目途めどとか言ってたっけ」

 戦闘後の柔軟をしながら、もう一年なんだなあと。尻尾も四本になったし、術式も一通り大丈夫だし、まだ殴れてないけどそれは仕方がない。

「一人立ちかあ」

「目的がないなら、外の街にでも行って、金を稼ぎながら学校にでも通え」

「そうね。冒険者として動ければ、金は稼げるでしょ」

「二人はどうすんの?」

「私たちは渡り鳥よ。次に逢うことはないと思っておきなさい。本当の別れくらい、告げるつもりではいるけれどね」

「そっか。悲しいけど、まあ、しょうがないよね」

「なあに、悲しむ必要はないとも。お前の動き一つさえ、私たちが教えたものだ」

「まだまだ未熟なんだから、経験して成長なさい――そうね、尻尾が八本になるくらいに」

「最終的には九本だぞクロ、嬉しいだろう?」

「それはその時に喜ぶけど、今のところ寝る時の安心感しかない」

 今じゃ尻尾がベッドのようなものだ。手入れの面倒は増えたけど、それ自体は嫌じゃないし。

「サバイバルしながらでも生きて行けるけど、街かあ……面倒そう」

「ははは、そう嫌な顔をするな。今のお前なら、どうとでもなる。それこそ、全てを敵に回してもな」

「それは言い過ぎじゃない?」

「そうでもないわよ? 人間を敵に回したら、亜人を味方にしたらいい。あるいは魔族を。というか、魔王でも殺しておけば、人間は敵にならないわよ」

「世の中、なるようになる。そう楽観しておけ」

「はあい」

 立ち上がり、大きく伸びをする。

「まだ成長期ね。そう無茶な育成はしなかったから、躰も大きくなるでしょ」

「――え?」

 無茶じゃない? あれが?

「これでも気を遣っていたんだがな? まあその結果は数年後にわかるだろう。生きていればな」

「えー……?」

 ほんとかなあ。気分で殴られてた気もするし、気を失った回数なんて数えるのも馬鹿らしいほどだったのに。

 お陰で、限界というのが結構な身近にあるものだと知った。

 二人が相手の時以外は、限界なんて見えないけど。

「先生との戦闘訓練がなくなるのは嬉しいなあ」

「なによ」

「だって先生、ちゅーいどのより容赦ないからね? ずっと退屈そうだし」

「退屈だもの」

「くそー……」

 化け物なんだよなあ。

 夕方だったので、食事の準備をする。

「私が感謝するのも、もうちょっと先になると思うよ?」

「ほう、言うではないか」

「だって、一年の成果とかよくわからないし。何か貰ったわけでもないから」

 それが中尉殿、朝霧あさぎり芽衣めいの手法であったことを、私はずっと先に知る。

 中尉殿は徹底して、成長を実感させない。成長したぶんだけ中尉殿は対応策を変え、未熟であることを教える。つまり、まだ敵わないのだと、それを一年間、ずっと教え続けられた。

 目の前にいる人を越えられず、そして殴ることもできない私は、試行錯誤をしながらも、まだ殴れないのだと落ち込むことが日常になり――自分の成長に気付かないのだ。

 逆に先生は、いちいち教えてくれる。

 術式はこう使う、こう学ぶ。完成したらそれで良いと認め、その先を示す。

 どちらが良いかではなくて。

「一年かあ……大変だったなあ」

「よく諦めず訓練について来たものだな?」

「諦めるのはなかった。辛かったし大変だったけど、虫を見つけて腹を紛らわすような生活は嫌だったし――それは」

 きっと。

「私が欲しかったものだったから」

「知っている」

「知ってたわよ。だから教えたの」

「ぬう……」

 勝てないなあ。

「だがまあ、安心しろ。きっとこの世には、お前よりも強いヤツもいるだろう。楽しめ」

「私そんなに戦闘好きじゃないんだけど」

「そう言ってられるのは今のうちよ」

 何故だ。

 いや本当に、そんなに好きじゃないよ? 楽しんで戦闘しないし。

 ……あれ。

 じゃあ楽しいことって何かある? それを探せばいいのかな?

「なんとかなるかー」

「その呑気な性格は変わらんな……」

「え、そうかな?」

 せめて余裕があると言って欲しい。無計画だけど。

「忠告はしておくけれど、術式を教える相手は選びなさい」

「うん、わかった。というかたぶん、教えられないと思うけど」

 面倒だし。

 まだ教えられるほどじゃないと思うし。

「だがまあ」

「そうね」

「……なんでにやにや笑ってるの?」

「クロ、お前はこれから苦労するぞう」

 なんでそういうことを嬉しそうに言うんだろ……嫌なんだけど。

「一つ教えてあげるわ。おそらく今のクロは、人間のSランク冒険者に

「へー」

 それは凄いのかな?

「どうした喜べクロ」

「ちゅーいどのがそう言った時は、だいたい喜べない」

「貴様も成長したな……」

 どうしてそこで睨むんだ。成長したならいいじゃんか。

「だってまだ実感ないし」

「でしょうね。加えて――まだ成長するでしょ」

「うん、そうだけど」

 何を言っているのかよくわからない。

「わかんないけど、ともかく苦労するんだね……」

 面倒だけど、しょうがないか。

「うん。ここで暮らすより、普通の人間の常識とか覚えるよ」

「そうしろ」

「今気付いたけど、私そういうのぜんぜん知らないし」

「苦労するぞう」

「だからなんで嬉しそうなの?」

「それは貴様が苦労するからだが?」

 くそう、性格悪いなあもう。

「ゆっくり歩きなさいクロ。今までは私たちの都合で急がせたけれど、それは言葉通りの速成なの。ちゃんと躰に馴染ませなさい」

「え? 馴染んでない?」

「今はまだいいけれど、すぐわかるわよ。わからないなら、それはそれで良いし」

「賭けるか?」

「あんたの育て方なら、わからないままよ」

「どうだ聞いたかクロ、素直に人を褒められんヤツはこう言う。ツンデレという表現もあってだな?」

「つんでれ?」

「やめてよ違うから」

「普段から照れ隠しでつんつんした態度を取りながらも、その棘が抜けると途端にデレるやつをそう言う。まったく鷺城という女は、私を素直に認めようとせんからな!」

「うるさい! あんたをたまに認めると、頭の心配をするでしょうが!」

「そうだが?」

「この女は……!」

 あーあ、頭抱えちゃった。いつも通りの二人だ。

 なんだかんだ、実力差は先生の方があると、中尉殿も認めているけれど、態度とか口の悪さとかでは間違いなく中尉殿が優勢だ。

 友人。

 二人は簡単にお互いをそう称する。

 私にもいつか、こんな相手ができるのだろうか。

「私たちはね、もう死んでるのよ。でもクロはこれからがある。成長もするし発見もあるのだから、面倒であることを楽しみなさい」

「死んでるんだ」

「そうとも。これがまたクソ面倒な話でなあ……」

「聞いてもどうしようもないなら、聞きたい」

「何故貴様はそういう言い方をする……?」

「先生の真似――あだっ、なんでちゅーいどのが殴るの!?」

「鷺城を殴ろうとしても避けるからだ」

 理不尽だ。慣れたけど。

「原因は鷺城だ」

「先生が?」

 本人は頬杖をついて横になった。話す気はない、という態度だ。

「鷺城が死ぬ条件として、異世界への転移が必要だった。これ自体は良いし、死んだ後に私がいた、つまり元の世界に戻るよう手配したのも問題はない」

「うん。そんな手配ができること自体が問題な気もするけど、うん」

 ありえるか?

 転移なんて方法すら曖昧なのに、きちんと戻ろうとするだなんて。しかも死んだあとのことじゃないか。

「そして死後、まあ死後の世界みたいな場所で私たちは逢ったわけだが、本来死ぬとは、何もなくなることだ。消えると言って良い」

「そこはイメージ通りだね」

「しかし、それに必要な因子を、この間抜けは転移した異世界に置いてきてなあ……」

「あー……」

「ちょっとクロ、なにその、この人ならありえるって納得したような顔は」

「先生って賢いけど、なんかちょっとそういうとこ抜けてるよね」

「んがっ」

 のけぞった。頭を抱えた。戻ってこない。

「クロに言われてはなあ……」

 そして中尉殿が同情していた。珍しい。追い打ちをかけると思ってたのに。

「じゃあ二人は、その因子を持ち帰るために、先生が転移した世界を探してるんだ」

「そうだ。違う世界に入っても、じゃあさようならと、すぐには次に行けないのでな。こうしてお前を育てることもできた」

「うん、ありがとう」

「なあに、慣れているから問題はなかったとも。……これから起きる問題も知らんしな」

 いないもんね、中尉殿。


 ――次の日。

 起きたら、二人の姿はなかった。

 小屋の中には新しい服が置いてあり、私はそれに着替える。

 探そうとは思わなかった。

 見つけ出そうともしない。

 ただ私にとって、一年間を過ごした思い出は、泥と土にまみれたような記憶と共に、抱くことになる。

 感謝はもう伝えたから、私からは一つ。

 どうか。

 二人の探し物が見つかりますように。


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