第41話 突く、引く、戻る

 昼食を終えてからは、先生が寝ると言って横になった。

「つまり今度は私が体術について教えてやろう」

「わかった」

 こっちへ来いと言われ、大きな木の傍にまで移動する。

「このナイフを貸してやろう」

「うん。……これ、大きいの? 小さいの?」

「私の感覚では標準だな。刃渡り十五センチ、直線型なので突く方が良い。では今から手順を説明する――まずは、右手でナイフを持て」

「こう?」

「それでいい」

 グリップの部分はゴムのようになっていて、丸いので握りやすい。ただ、私の手には少しだけ大きく感じた。

「ゆっくり動け。この木に向かって、つま先が触れるくらいの位置まで、左足で踏み込む」

 足元を見ると、根が地表にほとんど出ていないので、障害物はないようなもの。位置を調整するよう、左足を一歩前へ。

「上半身を少し倒し、手首から肘の間を木に当てろ。軽くでいいぞ」

「こう?」

「顔は前だ、下を見るな」

「あ、うん」

「まあ下を見てもいいが、前を見ることは決して忘れるな。その状態で、右手のナイフで突け」

 簡単に言うなあ……とりあえず、勢いをつけずにゆっくりめで。木に刺さると思ってなかったのだが、ずぶりと、まるで柔らかいもののようナイフが刺さった。

「あれ?」

「気にするな。突いたら、抜け」

 抜く。

「左腕を離しながら、一歩ないし二歩、下がる」

「――こう」

「そう。手順はわかったな?」

「動いて、腕を当てて、刺して、抜いて、戻る」

「よしよし、間抜けが少し賢くなったな? では同じ動作を百回くらい返せ。数字を宣言してからやるように」

「百回?」

「そうだ、優しい私はまず百回に設定してやった。褒めるのは終えた後でいいぞ」

 多くないか? ……多くないんだろうなあ。

 まあいい、躰を動かすのも嫌いじゃないし、とにかくやろう。

 最初の十回くらいは、確認を含めて。五十回くらいになると息も上がるのだが、テンポを掴んでリズムよくできるようになる。

 それもそうだ、同じ作業の繰り返しなのだから。

「ひゃく!」

「よし、この水を飲め」

 だいぶ汗が出ていたし、少し冷たいくらいの水は気持ちいい。

「ふいー」

「では左手に変えて百回だ。始めろ」

 この人は鬼だろうか。

「え?」

「始めろと言ったぞ?」

 くそう。

 百という数字は、初めてしまえば到達は容易い――なんて思っていたが、右手でやったあとだと、五十を過ぎてからが地獄だった。

 とにかく躰が思い通りに動かない。踏み込みの右足がしっかり意識しないと動かないし、突き刺す力が弱くなってきたり。

「ひ、ひゃく……」

 最後の一回は、とてもじゃないが良い姿勢とは言えなかったが、それを終えてへたり込む。すると中尉殿は水をくれて、それを飲んで。

「よし、準備運動は済んだな?」

 鬼というより悪魔だった。

「ちょ、ちゅーいどの、もう」

「なんだ、もう動けないなどと情けないことを言うなら、ここで私と組手でもしてみるか? なあに、六回くらい蹴り飛ばされれば、本当に動けなくなるからハッピーだぞ? どうした、選ばせてやる」

「はい動けます!」

 動くしかないんだけどね。

「では右手からだ、私に向かってやれ。きちんと刺せよ――避けるが」

 中尉殿は木じゃない。

 刺すことに抵抗がなかったのは、当たらないことが前提になっていたからだが、実際にやってみると、上手く踏み込みが合わない。

「どうした? 腕でも躰でも狙ってみろ。足元ばかり見ているからわからんのだ」

 左腕は当たる。けれど、突こうと動いても、そこにはもう中尉殿がいない。空振りをして、前のめりに倒れそうになる躰を戻せば、また最初から。

「さっきの動きを思い出せ」

 踏み込む、腕を当てる、突く、引く、戻る。

「確認などいらん、――

 息が上がる。苦しいし、躰が思い通りに動かない。

 突く、引く、戻る。

 意識できるのはこの三つで、だんだんと足が動いているのかどうかさえ、定かではなくなってくる。

 やがて。

 いつの間にか、私は仰向けに倒れていて、顔に水をかけられるまで、そうしていることに気付かなかった。

「わぷっ」

「よし、六十分の休憩をやろう。水だ」

「はあ、はあ、……あれ、なんで、あれ?」

「いいから休め」

 どうにか上半身を起こし、竹の筒に入った水を飲む。疲れが強すぎて、水の気持ちよさはまったく感じなかった。尻尾を動かすのも面倒だ。

「寝るなよクロ、まだ続くからな?」

 マジか。

 このまま寝そうなのに。

「実際に間合いというのは、考えているよりも近い。たとえば相手を殴る時、拳の先が当たる位置を考える」

「……うん」

 軽く拳を前に出すが、駄目だ、力が入らない。

「ナイフでも剣でも、それほど間合いは遠くならない。つまり顔が近づくほど接近し、攻撃を加える」

「斬るんじゃ駄目なの?」

「駄目ではないが、相手は食材ではないぞ? ナイフの先でちょんと切るのは指だけにしておけ。いずれにせよ、懐に入れないような間抜けはすぐ死ぬ。入れないのか、入らないのか、そこには大きく差があると覚えろ」

「覚える前にとにかく疲れた……」

「うむ、安心しろ。――覚える前にできるようになる」

 それは躰が覚えるという意味だ。

「違うな。覚えるまでやるという意味だ」

 私の思考を読むな。っていうか本当に動けないんだけど。

「ちゅーいどのが、でっかい狼の首を斬った時は?」

「ん? あれは普通にナイフで斬っただけだ。横からの飛来物に対し、普通は背後へ避けつつ目で見て攻撃するが、タイミングさえ合えば前へ踏み込みながら後ろに攻撃することもできる。それほど難しくはない」

 そうかなあ。

「竜とやってた時も、すごく速かったよね?」

「あの程度で何を言う。貴様もあれくらいはできるようになるぞ」

 なるんだ。

 ていうか目で追えない時点で速いだろうに。

「術式じゃないの?」

「槍やら何やらを作ったのは術式だが、移動に関しては純粋な体術だ。こっちの方が簡単だぞ? だがまあ焦るな、順次教えてやるとも」

「……ちょっと怖いんだけど、聞いてみたい」

「言ってみろ」

「どのくらい強くなれる?」

「ん? それは貴様次第だが、最低限、あの魔王とやらと遊べるくらいにはしてやろう。なあに、半年もあれば可能だ」

「半年って、ねえちゅーいどの、あの魔王だよ? たぶん世界で五指に入るよ?」

「だからどうした。お前もその五本に入って悪いことはあるまい」

 ああそうか、この人たち基準が違うんだ。

「――この世界の人じゃないんだ」

「うむ、そうとも。ゆえに、いつまでここにいられるかもわからん。なので速成だ、いろいろと大変だろうが、私はちっとも疲れないのでまあ構わんのだが、どうしようもないなら、泣きながらもうできませんと言え」

「言わないし。……言うとどうなるの?」

「まだ大丈夫だ、できると信じろ。――そう言って殴る」

 やめる選択ないじゃん。

「躰のあちこちを伸ばしながら、筋肉をほぐしておけ。そうすれば動けるようになる」

 竹を使ったバケツみたいなものから水を汲み、また渡されたのを飲む。

「あ、思い出した」

「なんだ」

「ちゅーいどのって、ステータスはどうなってるの?」

「ふむ? レベルは1だな」

「……1なんだ」

「うむ、もう上がらん」

 そうなんだ。

 異世界から来たからかな?

鷺城さぎしろも同じだろうな。HPは60前後だが、ステータスは全体的に35前後だろう」

「35!?」

「そうだが」

 マジか。感覚的に、200は越えてると思ってたのに。

 魔王はどれくらいだろ。500とか1000とか?

「え、でもなんで」

「逆に考えろクロ。いいか、その程度のステータスでも、私くらいには動けるのが現実だ。人なんてものは、首を斬られれば死ぬし、心臓を潰されても死ぬ。そこにステータスなんぞ指標にもならん」

 二人のいた世界は、どんなところだったんだろう。

 ステータスが指標にならないなら、実力差なんてどこに?

「実力差など、あってないようなものだ。一つの油断、一つのミス、人間はただそれだけで死ぬ。死ななかったのは実力か? ――違うな、運が良かったからだ。どれほど日頃の努力を積み重ねたところで、不運一つで死ぬ」

「そう、なの?」

「ははは、少なくとも私たちはそういう世界で過ごしてきた。とはいえ、死ぬと思って努力する馬鹿はいないだろう? 安心しろ、なんとかなる」

「うん」

「ということで、なんとかするために続けるぞ」

「まだ六十分経ってないよ!」

「はて、私はそんなことを言っただろうか」

「言った!」

「もう忘れた。ほれ、とっとと立て、蹴るぞ」

「――い、言う前に蹴ってるじゃん!」

「ほれ、かかって来い。楽しそうなので反撃してやろう」

「くそう……」

 むちゃくちゃだ。

 この人、本当にちゃんと考えて教えてくれてるのかなあ……。


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