クロハ編
第17話 カナタとマヨイ1
まだシルレアとキーメルがシルファの街に来て、それほど時間が経っていない頃だ。
ボス、と呼んでいて、顔を見たこともない人物、リミは貧民街で知らぬ者はいない。そんな人に声をかけられれば、嫌だと否定することもなく、むしろ喜ばしいことだった。
ただ、この時点ではまだ、それを良かったと思うほどではない。
スキルを使える相手でも勝てるようになると、そういう前提の訓練らしい。カナタもマヨイも、それは望むところだった。
しかし、相手は自分より年下に見える少女だった。
「ふむ、結構。では話をするために移動しよう」
合図はなかった。
カナタはまず、風を感じた。マヨイは匂いからそれに気づき、すぐに周囲を見渡す。
「ほう、なかなか、悪くないな。最初に視覚情報ではないところを評価してやろう。見ての通り、山奥だ。そこの湖はなかなか深いから、落ちないよう気を付けろ。貴様らにはしばらくここで過ごしてもらうが――さて」
どうしたものかと、キーメルは腕を組んで。
「よし、私のことは教官と呼べ。敬語と殿を付けるのを忘れるな」
言いながら、ナイフを組み立てて、二人に渡す。
「言っておくが、私はスキルが使えない。注意事項だ、死にたくなければ覚えておけ。まず、水を飲む時は必ず一度沸騰させろ」
今度は足元に大小の鍋を二つ、長めの束ねたロープを二つ。
「木の実を除いて、食べるものにも火を通せ。ああ、キノコは駄目だ。どれほど目利きができようとも、手を出すな。それと――ん」
10メートルはあるだろう湖のそば、やや離れた位置から魔物が茂みをかき分けて顔を出した瞬間、二人が身構えるよりも早く、キーメルがナイフを投げた。
それは、首に刺さる。
「このように、水場というのは魔物たちも寄ってくる。この場を守ろうとは考えるな、共存して使えるようにする――そういう考えを持っておけ。あれは初日のサービスだ、足を吊って血抜きを……まあ、やってやるか」
仕方ないなと言いながら、イノシシ型の魔物の足を引っ張って持ってくると、先ほど出したロープを使って足を縛り、手ごろな木を通して固定。ナイフを引き抜けば、血が落ちる。
「ちなみに、この血も魔物を引き寄せる。穴を掘って埋めるか、水で流しておくのが正攻法だろう。サバイバルの知識はあるか?」
「いえ……」
「そうか、それは素晴らしい」
キーメルの笑った顔を、この時はまだ、それほど怖いとは思わなかった。
「実践でいろいろと覚えられるぞ、喜べ。期限は区切らないが、この場所からは大きく離れるな。この近辺の魔物は一通り調査済みだが、まあナイフ一本あれば死ぬことはあるまい」
それを本気で言っていると気づくのはもっと後になるし、死ぬことはないなんて言葉を真に受けるべきではなかったと、後悔するのは翌日くらいになる。
「大前提だ、生き残るために二人で協力しろ。考えることをやめた連中から死んでいくのが世の常だ。しかし、考え過ぎた人間もまた、死ぬ。ほどほどにしろ。さて、今までのは生活の話だが、これより訓練内容を伝える」
そう難しいことではない。
「目を瞑った状態での片足立ち、これを可能な限り長い時間、維持ができるようにしろ。これは重心を意識する訓練だ。最初は背骨を意識して、その直線がどうなるのか、どうすればいいのか、考えてみろ。また、それと同時に、目を閉じた状態を利用して、視覚情報以外の感覚を鍛えろ。肌で感じて、耳で聞いて、周囲の情報を拾う。この感覚を養え。そうでないと、あっさり暗殺されるからな」
「――暗殺?」
「いいか、貴様らは知らんだろうが、人は簡単に死ぬ。剣を抜く前に、スキルを使う前に、あっさりくたばる。それを防ぐためには、目で見てからでは遅い。剣を抜くのも遅い――これはまずい、と思った瞬間にはもう死んでいる。それを回避できなくては、訓練もクソもない。わかったなら、やれ」
最後にこれを渡しておくと、宝石を二人に渡した。
「火の
では生き残れと、そう言い残して、キーメルは姿を消した。
正直に言って、カナタもマヨイも、お互いのことをほとんど知らない。
名前も知らなかったし、ただ、同じ貧民街で暮らしていたこともあり、グループは違ったけれど、顔を見たことはある、それくらいには年齢が近い。
ただ。
「皮を剥いだ方が良さそうだ」
カナタは現状を優先し、ナイフを取る。
「やったことはないが、ぼくがやっても?」
「どうぞ。火を熾す前に、余計なものを処分する穴を掘っておくから」
「頼んだ。これからの予定、どう考えてる?」
「ううん……やることはたくさんあるけど、様子見からにしましょ? わたし、サバイバルとかやったことないもの」
「ぼくもだ。あの人――教官殿のおかげで、今日の食事はできそうだから、焦らずゆっくりやろう。まずは、ロープを使って周辺の様子見から」
貧民街では、死ぬことも珍しくない。だから誰もが、死なないような生活を心がける。
だから、そういう慎重さは、プラスに働いたといえよう。
ただ、周囲は山だった。
何もない、同じ光景が続くだけの山だ。木が多く、崖もあったが、山であることに違いはない。
二日目は、寝不足との闘いだった。
食事の確保、ベースの設営、やることはあるのに、お互いに夜間警戒を交代でやったものの、魔物が通り過ぎる気配で起きること六回。ろくに寝れてはいなかった。
しかもその日中、昨日食べたイノシシ型の魔物と遭遇し、戦闘。結果的には討伐して食料となったが、マヨイは出血が多いけがをし、カナタは左腕を骨折した。応急処置はしたが、痛みでなかなか動けず、ベースの設営はできずに一日を終えた。
三日目。
怪我もそうだし、夜間の警戒も必要で、言われていた訓練はほとんどやれず、水場が近くにあることが救いで――そして、竹を発見し、それを利用できることにマヨイが気づいたことが、最大の前進だっただろう。
簡単に水を入れる容器にもできたし、ベースの設営も細工が簡単に済む。
開けた場所に設営しようと動いていたが、魔物に発見されやすいという理由から、場所を移動する。
四日目は雨だった。
痛みには慣れて、少しはまともに動けるようになったが、雨を遮るものがなく、急遽設営はしたものの、火を熾すための燃料となる木がすべて濡れていて、苦労する。
今度は雨の時のために、どうにか保存しておこうと話していたが、途中から魔物が近づいてくる音が、雨で消されて危険だと気づき、警戒度合いを上げた。
五日目、晴れていることに、これほど安堵したことはなかったかもしれない。
この日からは、時間が許す限り、言われた通りの訓練を中心にやることにした。とはいえ、食料の確保やベースの設営など、生活に関連するものはやらなくてはならない――が、慣れもあったのか、思ったよりも時間が余った。
重心の意識が、これほど難しいとは思わなかった。
片足どころか、両足で立った状態で目を閉じていると、五分と立たずに躰が揺れてしまう。
そして、六日目。
その音が、あまりにも場違いで、それでいて聞きなれていたはずのものだったため、二人は迷わずナイフを手に取り、その音から離れた。
ゆっくりと。
ただ、歩きながら姿を見せた少女を、二人は知っていた。
「ふうん……反応は、できるようになったのね」
「確か、教官殿と一緒にいた……」
「――そう。中尉とは名乗らなかったのね」
シルレアは少し考えて。
「まだ私の出番じゃないけれど、まあ、先生とでも呼びなさい。状況に慣れてはきたようだけれど、まだ、慣れている危険性には気づいていなさそうね」
ゆっくり、彼女が両手を前へ出した。
掌が見える。
そして、次の瞬間には、その手が自分たちの顔を掴んでいた。
「距離が近すぎたわね? ああ、私との距離じゃなく、お互いの距離よ。それと、目線を手に向けたのがいけなかった」
視線誘導の利用だと、そう言いながら手を離してやる。
「速い、なんて言わないように。――反応できない方が遅すぎるのよ」
けれど。
「一ヶ月くらいで、あんたたちも、このくらいはできるようになる」
「一ヶ月で?」
「あら、マヨイは信じられない? 安心なさい――できるようにするのは、あんたたちの努力じゃなく、私とあいつの仕事よ」
「……」
「良い顔ね」
カナタもきっと、似たような顔をしていただろう。
嫌な顔だ。
「ただ、問題はね? たかだか一ヶ月くらいで、スキルを使う連中なんてのは、ごくごく簡単に倒せるようになるってことなの。――で、あんたたちはそこに満足して、それ以上は求めないの?」
それは。
「満足したら、そこで終わりよ。それが目的であったり、理由を持つことの欠点でもある。だからって、あんたたちの選択にまで、干渉しないつもりではあるけれどね」
――物言いが、少女のそれではない。
とても年下とは思えないほど、その言葉には実感が詰まっている。
「ぼくたちは、そんな短時間で強くなれますか?」
「――強く?」
呆れたようなため息が落ちる。
「カナタ、そうじゃないの。むしろそれは逆で、スキルを使ってる連中が弱すぎるのよ」
「――」
「あんたたちもそうだけど、連中だって、本物の戦闘を知らないし、戦場を知らない。使えるものは何でも使って生き残ろうとするヤツは、そもそも、スキルなんて不要だと考えてるでしょうね。……ま、私もあいつも、本気で戦える相手なんて、そういないんだけど」
ともかく、慣れに気を付けなさいと、シルレアは言う。
「基礎の段階で私が口出しはあまりしないけれど、予想外はどんな時も起きる。今の怪我が、軽い方だったと悔やみたくはないなら、ね」
「わかりました」
「よろしい。こっちはまだ、ちょっと時間がかかりそうだし、一応は学生だから、あまり顔を見せないとは思うけれど、やれるだけやってみなさい。目を閉じて感覚を養うのなら、たまに、外側だけじゃなく、自分の内側も意識するといいわよ? 特に、外と内との境界線が見えてくると、面白くなるから」
そうして、彼女もまた、たったそれだけを言って、姿を消した。
今日を終えれば、また、次の日がやってくる。
何日目かを数えるのをやめた。
だって、やることは基本的に、昨日と同じなのだから。
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