白黒の番29

『…クソっ。鎧は暑くて敵わん。』


トールにバンデンと呼ばれた騎士は、その鎧の兜を脱いで素顔を顕にした。


「バンデン…!」


くせっ毛の強い、濃い緑色の髪。今ほど肥えては無いようだが、ガイウスの反応を見るに、あれはバンデンで間違いないようだ。


『…そこの女は殺さないんですか?』

『それは後だ。どうせ腹に子を抱えたままでは逃げられん。それよりもトール。お前は詰めが甘いぞ。最初に奇襲した護衛の騎士と御者は気を失っているだけではないか。…このように、しっかりとどめを刺せ。』


そう言いながら、バンデンは無防備に倒れて気絶している騎士と御者に近づき、その二人の首をはねた。


『トール。兜を取れ。』

『兜を?…はい。』


バンデンは兜を取り外したトールに近づき、トールの顔を両手で抑えた。


『私の目を見ろ。』

『…はい。』

『良いか?お前が護衛の騎士と御者を殺したのだ。私は一切手を出していない。…わかったか?』


…何を言っているんだ?

トールに殺人の罪を被れと、そう言っているのか?


『…俺が、護衛の騎士と御者を殺した…。バンデンさんは…見てただけ…。…俺が、護衛の騎士と御者を殺した…。バンデンさんは───』


俺の思考を他所にして、トールは目を虚ろにしながらバンデンが言ったことを繰り返し呟いていた。


『よし。これでいいだろう。』

『…何が、どうなってるの…?』


俺と同様、状況を飲み込めないミリィがそう呟いたのを聞き、バンデンはミリィに向けて冷たく言葉を放った。


『貴様もどうせ死ぬのだ。知る必要は無い。』

『…こんなことをして、許されると思ってるの?』

『当たり前だろう?私は神の寵愛を受けているのだからな。』

『…神の寵愛?あなた…狂ってるの?』

『狂ってなどおらん!私は神から信託を賜っておるのだぞ!』


ミリィの言葉に、バンデンは怒りを顕にした。


『…何を言って───』

『神は私に、王になれと仰られたのだ!そしてその時、私は神から特別な魔法を授かったのだ!』


バンデンは、怒りの表情から一変して歓喜の表情になり、話を続けた。


『その魔法こそ!先程トールに使った魔法…他者の記憶を改ざんする魔法だ!』

『記憶を…改ざん?』

『しかしこの魔法は魔力の無い人間にしか使うことができない上に、致命的な矛盾を自覚すれば元の記憶は戻るが…私としたことが、少し熱くなってしまったな。まぁ冥土の土産としては上々過ぎるものをくれてやったのだ。ありがたく思え。』

『…。』


そう言って、バンデンは理解が追いついていないミリィを置いてトールに視線を戻し、自分が持っている剣とトールが持っている剣を交換した。


『これで良し。…トール!いつまで寝ておるのだ!起きろ!』


バンデンはトールの肩を揺すり、トールを起こした。

剣を交換したのは、トールが持っている剣に、首をはねた時の血痕が付着してないと矛盾を生んでしまうからだろうか。


『…ん。…あ?俺は…何を。』

『トール!ボサっとするでない!護衛の騎士と御者を殺しただけでは、私の腹心にはなれんぞ。本命の女も、しっかりお前の手で殺すのだぞ。』


バンデンはそう言いながら、馬車に繋がれた馬を回収しに行った。

恐らく、ナイト王国に戻るための足にするつもりだろう。


『…はい。わかってますよ。』


トールは片手で頭を抱えながら、ゆっくりとした足取りでミリィに近づき、手に持っている剣を振り上げた。


『…あなた、トールと言うのね?』


ミリィがトールに話しかけると、トールは剣を振り上げたまま静止した。


『トール。その女の言葉には耳を貸すな。』

『トール…あなたはあの人に騙されてる。信じてくれるかわからないけど…そこで倒れてる騎士たちは、あの人が殺したのよ?あなたは…あの人に間違った記憶を植え付けられてるの!』

『…何言ってんだ?命乞いのつもりか?もっとマシな話を用意して来いよ…。』


ミリィが事実を話しても、トールからすれば突飛な話だ。

致命的な矛盾を自覚するには至らない。


『…お願い。お腹の子だけでも…助けて。』

『…。』

『トール!何をうだうだしておるのだ!』

『…バンデンさん。あなたが王になるために、必要なこと…なんですよね?』

『そうだ!私が王になるために必要なことなのだ!…そして私が王になった暁には、お前の力を私の覇道に加えてやる。』

『…バンデンさんが王になることは、正しいこと…なんですよね?』

『もちろんだ。お前を救い出した私を、信じろ。』

『…はい。』


トールは遂に覚悟を決めたのか、振り上げた剣を躊躇なく振り下ろした。


『やめて…!お願い…!』


馬車を背にして地面に座り込んだミリィは、前方に魔力障壁を張り身を守った。

トールはその壁を破壊するために、何度も刃を突き立てていた。


「…母様!!」

「…っ!アリウス!…ミリィ!」


その光景を見て、アリウスは堪らずミリィの元へ駆け寄った。

何もできないことはわかっているはずだが、ガイウスもアリウスと同様に駆け寄って行った。


「やめて…!やめてよぉ!」

「…くっ!」


ミリィとトールの間に割り込み、トールに向かって泣き叫んでいるアリウス。

その隣で、何もできないもどかしさに打ちのめされ、歯を食いしばるガイウス。

俺はその光景を見て初めて、心が痛いという言葉の意味を知った。


『…白竜!』


そんな凄惨な雰囲気は、ミリィの発した言葉にかき消された。

俺たちはミリィの視線を追い、空を飛んでこちらに向かって来ているシャルの姿を捉えた。

シャルはミリィと感覚を共有して、ミリィの命が危険にさらされていることを知り、助けに来たのだ。

感覚を共有したままでも動くことができたのは知らなかったが…ここまで来ているのであれば、ミリィを助けることができるはずだ。

白竜の接近に気付いたトールは早く魔力障壁を突破しようと必死になっているが、その分ミリィも最後の力を振り絞って前方の魔力障壁を固めている。

シャルが到着するまでに突破することはできないだろう。

現状を考えると、トールはミリィを殺すことはできないはずだ。


「シャルさん…!」

「シャル…!」


シャルが助けに来たことを悟ったアリウスとガイウスは、一瞬だけ希望を抱いてしまったようだ。

しかし、過去に起こった出来事は変えられない。ミリィの死は確定しているのだ。

この状況で、ミリィを殺すことができるとすれば…。


「…お前しか居ないよな。」


俺は馬車の上に居る人影に…バンデンに向かってそう呟いた。

シャルがこちらに向かって来ていることに気付いたバンデンは、トールがミリィを殺す時間が無いと踏んだのだろう。バンデンはミリィに悟られないように馬車の上に登って剣を構え、魔力障壁が張られていないミリィの頭上から落下して…ミリィの胸元を貫いた。


『かはっ…!』


胸元を貫かれたミリィは吐血しながら、その顔を絶望に染めた。


「「…っ!!」」


後ろを振り向き、ミリィが殺されたことを悟ったアリウスと、隣でミリィが殺される瞬間を見てしまったガイウスは言葉を失い、その場に力なく座り込んだ。


『…クソっ。何故白竜がここに来るのだ。トールが人を殺せるかどうか確認したかったが…こうなっては仕方がない。トール!逃げるぞ!急いで馬に乗れ!』

『…あぁ…はい。』


バンデンはミリィの胸元に突き立てた剣を引き抜き鞘に収め、トールを馬に乗せてこの場から離脱してしまった。


『ミリィ!』


そしてシャルが到着した頃には、バンデンとトールの姿は見えなくなっていた。


『ごめんなさい…!ミリィ…!もっと早く気付くべきだった…!』


シャルはミリィに治癒魔法をかけながら話しかけているが…シャルの治癒魔法と言えども、ミリィのその傷を治すことはできない。

精々、多少延命できる程度だろう。


『白…竜…。』

『…ミリィ…!』

『おね…がい。この子を…。この子…だけでも…。』

『…何とかするわ。だから…無理して喋らないで、安静にしてて。』


そう言ってシャルは慎重にミリィを抱え、治癒魔法をかけ続けながら、白竜の村へと飛び立った。

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