1章

賢者の館1

赤竜、青竜、黒竜、そして人間の争いは人間の勝利となった。

人間が3頭の竜と対峙し、これを撃退したのは人間史上初だ。

ちょうど10年前、東の大国で起きたこの偉業を称え、今日は記念日として毎年、討竜祭が行われている。


「仕留めた2頭は人間の味方のはずなんだけどね…。」


揺り籠の中で寝ている2人の赤子を見ながら、私はそう呟いた。


「ちょっと換気した方が良いかな。」


この部屋は長いこと使っていなかったため、換気をしようと思って部屋の窓を開けた。

窓を開けると、もう深夜近くだというのに、街からは祭りの喧騒が微かに聞こえてくる。

賑やかな音とともに、冷たい夜風が私の長い黒髪をなびかせながら部屋の中に入って来た。


「…この子らを起こしちゃうかな。」


私が開けた窓を閉めると、部屋の扉がノックされた。


「お、来たか。入っていいよ。」

「失礼致します。」


扉が開くと、修道服を着た妙齢の女性が姿を現した。


「お帰りなさいませ、御館様。」

「うん、ただいま。変わりはないか?」

「えぇ、皆元気に過ごしております。今日は討竜祭でしたので、特に子供達は元気がありましたね。」

「あぁ…。」


祭りではしゃぎ回る子供の世話は大変だったことだろう。


「疲れているところに呼び出してすまない。」

「いえいえ、大丈夫でございます。それで、そちらは赤子でございますか?」

「あぁ、そうだよ。」

「こちらでお預かり致しますか?」

「うん、そのつもりで連れてきた。」


言いながら、赤子をアルマに預ける。


「男の子のカリア。女の子のセラフィだ。兄妹ではない。そしてこの子らの親は死んでいる。」

「…承知しました。御館様が赤子を連れていらっしゃるのは久しぶりですね。」

「そうだね。大変かもしれないが、任せても大丈夫かい?」

「えぇ、お任せ下さい。今日はこちらで休んで行かれますか?」

「いや、研究室に戻るよ。その後はまた旅に出るつもりだ。あとはよろしくね。」

「承りました。」

「…あっそうそう。」


研究室に帰る前に一応言っておくか。


「その子たちはちょっと特別だから、変なことをしても驚かないでやってくれ。」



───────────────



目が覚めた。


最初に目に付いたのは人間の子供の顔だ。それも複数。

俺はどうやら仰向けで寝ているらしい。


「あ!起きた!」


子供の1人が声を上げると、周りの子供もこちらに視線を落とした。


「おー!」「かわいい!」「柔らかーい!」と言いながら顔や手足をつつかれる。


「こらこら、赤ちゃんびっくりしちゃうでしょう。大人しく見るだけにしなさい。」

「「「「はーい」」」」


子供たちは先程の明るさが消えたような返事をした。


「シスターアルマ、この子たちの名前は?」

「こっちはカリア。男の子よ。隣で寝ているのはセラフィ。女の子よ。」

「カリアにセラフィ…。ねぇシスターアルマ、もうちょっとこの子たち触っちゃダメ?」

「この子たちはまだ体が弱いの。あんまり触ってたら病気になっちゃうかもしれないからダメ。」

「はーい…。」


子供たちは面白くなくなったのか、この場から去って行った。


俺はカリアという名前の赤子か。

何か大事な事を忘れているような気がするが、酷く眠い。

今はこの眠気に身を委ねよう…。


────────────


それから1年間、俺はほとんど寝て過ごしたため、よく夢を見た。

自分がドラゴンになって、空を飛び回る夢だ。


それから更に1年が経つ頃には立って歩けるようになり、体の動かし方もだんだん掴めてきた。

同い年のセラフィとの交流が主だが、他の人間との交流も増えてきた。

身の回りの世話をしてくれる大人や、俺に話しかけてくる子供たちと比べるとまだ舌足らずだが、話せるようにもなってきた。


「おはよう、しすたーあるま。」

「おはようございます、しすたーあるま。」


いつも身の回りの世話をしてくれるシスターアルマに、俺とセラフィが朝の挨拶をした時は驚かれた。


「お…おはようございます。その挨拶は誰かから教えてもらったの?」

「ううん。みんなやってるからやってみた。」

「わたしも。」


他の子供たちが大人たちに挨拶している姿は幾度となく見てきたから、これが礼儀というものだと思った。


「言われなくても挨拶できるなんて、あなたたちは賢いのねぇ。偉いですよ。」


と言いながら微笑み、俺たちの頭を撫でた。

それからシスターアルマや他の大人たちの驚く顔をよく見るようになった気がする。



俺とセラフィが言葉を理解できるようになってしばらく経った頃、シスターアルマが俺とセラフィに絵本を読んでくれるようになった。


「今日も寝る前に絵本を読みましょうか。」


就寝前にシスターアルマが読み聞かせてくれる絵本だが、俺とセラフィはとても楽しみにしていた。


「今日は少し難しい絵本かもしれないけれど、あなたたちは賢いから理解できると思うわ。」


それは楽しみだ。


「この絵本は昔起こった実際の出来事を書いたお話です。」


そう言いながら、俺たちに絵本の表紙を見せてきた。

表紙には絵が描かれていた。

人間の騎士と相対している生物の絵。

その生物は───


「ドラゴンだ。」

「…カリア、ドラゴンを知ってるのですか?」

「うん。大きくて、空を自由に飛び回るんだよ。」

「私も知ってる。魔法も使えるんだよ。」

「セラフィまで…。はぁ…誰に聞いたのかしら…。」


誰に聞いたわけではないが元々知っている。

生まれつき知っているものでは無いのか?


「カリアも魔法については知っていますか?」

「うん。」

「そうですか…。」


シスターアルマは少し考え事をしていたようだが、すぐに口を開いた。


「…分かりました。知っているのであれば話は早いですね。この本は今からおよそ12年前、もうすぐ13年前になるお話です。」


本の最初のページを開きながら話を続ける。


「もしかするとあなたたちは誰かに聞いている話かもしれませんね…。

12年前、私たちが暮らすこの国──ナイト王国にドラゴンがやって来ました。

このページに描かれている黒いドラゴンです。」


黒いドラゴン…。

夢に出てきたような…。


「黒いドラゴンは怒り狂っており、人間に攻撃してきました。そこで、人間はドラゴンに対抗する魔法を使って、黒いドラゴンと戦ったのです。」


対竜魔法のことだ。


「黒いドラゴンと戦っていると、空から2頭のドラゴンがやって来ました。赤いドラゴンと青いドラゴンです。」


…おかしい。

俺はこの話を聞いたことがないのに、知っているような気がする。


「その2頭のドラゴンは、黒いドラゴンと仲間割れをしているようです。1人の勇敢な騎士がその隙を突いて、ドラゴンたちに強力な魔法を放ちました。」


何故か、その光景が鮮明に脳裏を駆ける。


「その魔法で3頭のドラゴンを倒し、ナイト王国を救うことができました。」


いや、違う。

黒竜は倒れていないはずだ。

青竜は俺を庇って死んだ。

俺は黒竜の咆哮魔法で死ん…だ?


…なんだ?なんだこれは?

どうして俺に…赤竜の記憶がある?


途端に、赤竜の様々な記憶が流れ込んで来た。


頭が熱く、痛い。

でも、思考を止めたくない。

この記憶の海に、何か大切なものがある。

それを探せ、と自分に急かされているみたいだ。


手がかりも何も無い。膨大な記憶を全て洗い出すのは途方もない。

ましてや、自分が何を探しているのか分からないのだ。

今まで感じたことの無い恐怖を覚えた。

人の身で、終わりの見えない航海の旅に出るような恐怖を感じた。


『どうして人間を助けるの?』


記憶の中で声が聞こえた。

その声を聞くだけで、心強いと感じるのは何故だろう。

恐怖が和らぐ。


もっと、その声を聞きたい。


『黒竜が人間を滅ぼすと言っていた。』

『世界最強のドラゴンに勝てるの?』

『どうして死にに行くの?』


記憶に新しい、あの日の会話がフラッシュバックする。


『どうして人間になりたいの?』


それは人間が…羨ましくて…。


…あぁ。思い出した。


俺は赤竜だったんだ。


人間に生まれ変わったんだ。


転生魔法は成功したのだ。


良かった。酷く安心した。

それと同時に俺の意識は遠のき、深い眠りに落ちた。

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