第一章──素人《ビギナー》

 ──昔々の、更に大昔。

 神霊種オールドデウスは、唯一神の覇権をかけ、その眷属・被造物達と共に争った。

 それはそれは、気の遠くなるほどの永きにわたって、戦は続いた。

 流血の染みない大地はなく、悲鳴の響かぬ空はなかった。

 知性あるもの達は憎み合い、互いを滅ぼさんと凄惨な殺し合いを繰り返した。

 森精種エルフ達は小さな集落を拠点に、魔法を駆り、敵を狩り。

 龍精種ドラゴニアは本能のままに殺戮に身をゆだね、獣人種ワービーストたちは獣同然に獲物を喰らった。

 荒野と化し黄昏にまれた大地は、さらに神々の戦乱によってなお深い闇に吞まれ。

 幻想種フアンタズマの突然変異である『魔王』、そしてその同胞たる怪物どもは世に跋扈した。

 そんな世に、いくたの王家も、あまたのも、まして勇者など、いやしなかった。

 人類種イマニテイは、ただのはかなき存在で。

 国を作り徒党を組み、にそのすべてをした。

 吟遊詩人たちが謡うべきえいゆうたんも未だない──そんな、血塗られた時代。

 この空と海と大地が──『ディスボード』と名付けられる、はるか以前の話……。

 だが、そんな永久とも思われた戦乱は、唐突にその幕を閉じる。

 空が、海が、大地が──星そのものが。

 しようすいし疲弊しきり、共倒れ同然に争いの継続を断念させられた。

 かくして──その時点で、最も力を残していた一柱の神が、唯一神の座についた。

 それは、

 傍観を貫いた、神だった。


 唯一神の座についた神は、地上の有様を見回し。

 地上をうろつき回る全てのものたちに語りかけた。


──腕力と暴力と武力と死力の限りを尽くし、

  しかばねの塔を築く、なんじら証明せよ。

  汝らと『に?


 全ての種族が、口々におのれの知性を証明せんとした。

 だが荒れ果てた世界を前にその言葉はあまりにむなしく響き。

 ついぞ、神に納得いく解を示せたものはいなかった。

 神は言った。

──この天地における一切の殺傷・略奪を禁ずる。


 言葉は『盟約』となり、絶対不変のとなった。

 かくしてその日、世界から『』はなくなった。

 しかし知性ありしモノ達は、口々に神に訴えた。

』はなくなっても、『』はなくなりませぬ──と。

 ならばと、神は言った。


──知性ありしモノと主張する『十六種族イクシード』達よ。

  の限りを尽くし

  を築きあげ、なんじら自らの知性を証明せよ。


 神は十六個のコマを取り出し──悪戯いたずら気に笑った。

 かくして『』が生まれ、世界から『』はなくなり。

 あらゆるいさかいは『ゲーム』で解決するものとなった。


 唯一神となった神の名は──テト。

 かつては『遊戯の神』と呼ばれたものだった……


   ■■■


 ルーシア大陸、エルキア王国──首都エルキア。

 赤道を南におき、北東へと広がる大陸、その最西端の小さな国のまた小さな都市。

 神話の時代においては、大陸の半分をもその領土とした国も、今や見る影もなく。

 現在、最後の都──その首都を残すのみとなっている小国であり。

 ──もっと正確にいえば。

 人類種イマニテイの最後の国でもある。


 そんな都市の、中央から少し外れた郊外。

 酒場を兼ねている宿屋という、にもRPGにありそうな建物の一階。

 多くの観衆に囲まれ、テーブルを挟みゲームをしている一組の少女達がいた。

 一人は十代なかごろおぼしき赤い髪の毛の、仕草や服装に上品さを感じられる少女。

 そしてもう一人は──。

 赤毛の少女と同い年ほどだろうが、その雰囲気と服装から随分年上に感じられた。

 葬式のような黒いベールとケープに身を包んだ──黒髪の少女。

 行われているゲームは……ポーカーらしい。

 二人の表情は対照的で、赤毛の少女は焦りからか、真剣そのもの。

 一方、黒髪の少女は死人を思わせるほどの無表情の中にも、余裕が窺えた。

 理由は明白──黒髪の少女の前には大量の、赤毛の少女の前には、わずかな、

 つまり──赤毛の少女がかんぺきに負け込んでいるのだろう。

「……ねぇ、早くしてくれない?」

「や、やかましいですわね。今考えてるんですのよっ」

 ──そこは酒場、昼間っからんだくれている観衆達が下品にはやし立て。

 赤毛の少女の表情は更に苦悩の色に染まっていく。

 だが何はともあれ──随分盛り上がっている様子だった。


 ………───。

 その勝負が行われている酒場の、外。

 テラス席のテーブルに座り、窓から中をのぞきこむフード姿の幼い少女が言う。

「……もり、あがってる……なに?」

「あ? 知らないのか、あんたら異国人──って、人間の異国なんてもうねぇか」

 窓を覗きこむ少女の隣の席には、同じくテーブルを挟んでゲームをしている一組がいた。

 幼い少女と同じフードを被った青年と、ヒゲを生やしてビールっ腹の中年の男。

 青年が答える。

「あー。ちと田舎から出て来たとこでな、都会の事情に詳しくないんだわ」

 しくもやっているゲームは、中と同じ……『ポーカー』。

 ──ただし、こっちはビンのキャップを使って。

 青年の言葉に、いぶかしげに中年の男性が答える。

人類種イマニテイに残されてる領土で田舎って……そりゃもう世捨人じゃねぇのか」

「はは、そうだな。で、こりゃ何の騒ぎ?」

 適当にはぐらかすように言う青年に、ヒゲの男は言う。

「今、エルキアでは『次期国王選出』の大ギャンブル大会が行われてんだよ」

 酒場の中の様子を眺めながら、フードの少女が更に問う。

「……次期国王…選出?」

「おうよ。前国王崩御の際の遺言でな」


『次期国王は余の血縁からでなく〝〟にたいかんさせよ』


 なおもヒゲの男、ビンのキャップを上乗せしながらいう。

くにりギャンブルで人類種イマニテイは負けが込んで、いまやこのエルキア、しかもその首都を残すだけだからな──なりふり構わなくもなるさぁなぁ」

「ふーん、『』ねぇ……面白そうなことやってんな、こっち」

 そう答えたのはフードの青年。

 フードの少女に倣って、青年も酒場の中が気になる様子でのぞき込む。

「──んじゃ、何、あの子達も次期国王候補?」

「んー?『候補』ってのは違うかもな、参加資格は人類種イマニテイならだれにでもあるからな」

 ただ──と付け加えて、酒場の中に視線を移す男。

 ──ポーカーをやっているのに〝ポーカーフェイス〟という言葉を知らないのか。

 むぅぅぅと声が聞こえて来そうな顔で手札をにらむ赤毛の少女をいちべつして、男が言う。

「あの赤毛のほう〝ステファニー・ドーラ〟──前国王の血族だ。遺言の通り、王族の血筋じゃないやつが国王になったら何もかも失うから自分が次の国王に、ってねらいさな」

 ここまで人類を負けこませた奴の血族が、全く必死なこって……と。

 付け加えて、男はため息ひとつ。中の盛り上がりを端的に語る。

「……ふぅ、ん……」

「ふむ……『くにりギャンブル』──、か」

 フードの少女と、青年が互いに感想をこぼす。

 少女は感心そうに。

 青年は面白そうに。

「ま、そんなわけで総当たりのギャンブル大会が開催中なのさ」

「……?」

「次期国王に立候補するやつは、人類種イマニテイならだれでもよく、名乗り上げてどんな方法でもいい、ゲームで勝負し、負ければ資格はくだつ、最後まで勝ち残った奴が国王って寸法だ」

 ──なるほど、単純なルールだ。わかりやすくて結構だ。

 だが、フードの青年がいぶかしげに言う。

「……ずいぶん適当だな。いいのかそれで」

「『』に従い、相互が対等と判断すればけるもの、勝負方法は問わない──誰と、何で、どのタイミングで戦うかまで込みで、くにりギャンブルだからな」

「……いや、別にそのことを言ってるんじゃないんだがな」

 そう、意味深につぶやくフードの青年が再び酒場の中をのぞき込む。

 その青年に、少女が呟く。

「……負け込むの、当然」

「ああ、全く同感だわ」

 お互いに言い合う二人、青年がポケットから四角いものを取り出し。

 酒場の中に向け、ナニかを操作すると、、と。音が鳴った。

 ──と、中年男性がにやりと笑う。

「で、兄ちゃん? 他人の勝負気にしてる場合なのか?」

 言って、さっと札をオープンする、男。

「フルハウス。悪ぃな」

 勝利を確信し──その先のを思い、た笑みを浮かべる男。

 ──が、フードの青年。

 最初から興味がなかったかのように。

 たった今、思い出したかのように応じる。

「え? あー、うん、すまん、そうだったな」

 そう言って、無造作に札を開く青年に、中年男の目が見開く。


「ロ、だぁ──ッ!?」


 最強の手札を、おくびに出すこともなくそろえた青年に、男が立ち上がりえる。

「て、てめぇ、イカサマじゃねぇかっ!?」

「えーおいおい失敬な……何を根拠に?」

 ヘラヘラと、を引いて立ち上がる青年に、なおも追いすがる男。

「ロイヤルストレートフラッシュなんて、65万分の1の確率、そうそう出るかっ!」

「今日がたまたまその65万回目のアタリ日だったんだろ、運が悪かったね、おっさん」

 ひようひようと言いはなって、手を差し出す青年。

「じゃ、約束通り〝賭けた〟もの頂こっか?」

「───くそっ」

 舌打ちして男が財布、そしてきんちやくを差し出す。

「『』その六、──はい、ごっそさん」

「……ありがと……おじさん」

 言って悠々とを立つフードの青年と。

 ペコリと頭を下げて青年の背中を追う少女。

 そうして酒場に入っていく二人を見送るヒゲの男に、友人らしき人物が近づく。

「ヨォ、一部始終見てたけど、なにおまえ〝手持ち全部〟けてたのかよ」

「あァ……やれやれ、生活費どうしたもんかねぇ」

「いや、それより。生活費まで賭けて……相手は一体何を賭けてたんだ?」

 ためいきついて、つまらなそうな顔で答えるヒゲ男。


「〝自分達二人を自由にしていい〟だとよ」


「なっ──」

「話がウマすぎるとは思ったが……田舎もんっぽかったし行けるかと……どした?」

「いや……つか、おまえ、どっちだ?」

「──はん?」

「いや……、どっちもアウトだな……」

「な、お、おいちょっと待て!」

「なーに安心しろ、カミさんには黙っててやるよ。そのかわりおごりな♪」

「ち、ちげぇ! しかも今、有り金巻き上げられただろうが! それより──」


「あの条件だと、連れの女の子の貞操どころか『しながら、平然とロイヤルストレートフラッシュだぁ? なにもんだあいつら……」


 ───………。

「……にぃ…ズルい」

「あ? おまえまで、なんだよ」

「……あんな、わかりやすいイカサマ……わざと、使った」

 ──そう、男の言った通り。

 ロイヤルストレートフラッシュなんて手札

 あんな手札を出すのは、イカサマを使ったと公言しているに等しい。

 だが──

「『』その八、──」

 ついさっき覚えた、この世界のルールを確認するようにつぶやく青年。

「──つまり、発覚さえしなきゃ使っていいわけだ。確認出来たのはいいことだろ」

 そんな軽い実験をしてみたとでも言いたげに、伸びをする。

「うし、これで多少の軍資金が手に入ったな」

「……にぃ……こっちのお金、わかる?」

「わかるわけねーだろ? でもまあ、任せとけ、こういうのは兄ちゃんの領分だ」


 ヒゲ男とその友人らしき人物には聞こえないようそう言いながら。

 二人は酒場兼宿屋の中へと入っていった。


   ■■■



 なおも勝負に盛り上がる中央のテーブルをに、カウンターへ向かう二人。

 カウンターにドサッと、きんちやくと財布を開いて、フードの青年がおもむろに問う。

「なあ。これで二人一部屋、ベッドは一つでいい。何泊出来るよ?」

 マスターらしき人物。ちらりといちべつして。

 一瞬のしゆんじゆんのあと。

「………一泊食事つきだな」

 が、その言葉にヘラヘラと──、フードの青年が答える。

「あはは~あのさ、五徹した後で久しぶりに死ぬほど歩かされてもうヘットヘトなんだよねぇ~──『本当は何泊か』、さっさと教えてくんないかな?」

「──なに?」

「貨幣価値が分からない田舎もんと踏んでぼったくろうとするのは勝手だけどさ、うそつく時は、とアドバイスしておくよ♪」

 ──と、すべてを見透かすように視線を鋭くして、青年が笑って言う。

 冷や汗一筋、舌打ちして、マスターが答える。

「……ちっ。二泊だよ」

「ほらま~た噓つく……じゃ間をとって十泊三食つきで手を打とうぜ」

「なっ! 何の間をとった!? わ、わかった、三泊食事つきだ、本当だ!」

「あっ、そ。じゃあ五泊食事つきに割引して」

「な──」

「客からぼったくってピンハネしてポケット入れてる金ありゃ奢れるっしょ?」

「なっ、ちょ、なんで──」

「おたく、で、宿? 告げ口するよ?」

 ヘラヘラと笑いながら。

 しかしえげつない交渉をする青年に、引きつった顔でマスターが答える。

「もの知らない顔してえげつねぇな兄ちゃん……わかった四泊で三食つき、それでどうだ」

「ほい、ごっそさ~ん♪」

 そう笑って、部屋のかぎを受け取る青年。

「三階にあがって一番奥、左の部屋だ。はぁ……名前は?」

 不機嫌そうに、宿帳を取り出すマスターに、答えるフードの青年。


「ん~……空白でいいよ」


 受け取った鍵を手でくるくる回してそら

 勝負で盛り上がっているテーブルを眺める妹の背中をぽんとたたいて。

「ほれ、四泊取り付けてやったぞ。お兄様をあがたてまつり──何してんの?」

 しろが見つめる先には、ステファ……なんとか言う、ヒゲの男が言っていた赤毛の少女。

 相変わらず苦悩の表情がありありと顔に出ている。

 もはや勝つ気があるとは到底思えない程に。

「……あのひと──負ける」

「そりゃそうだろ。それがどうした?」

 あんな露骨に感情を顔に出しちゃ勝てるもんも勝てやしない。

 ひょっとしてヒゲの男が言うように、王家の血筋は鹿なんじゃなかろうか。

 そう思った空が──ふと、気づく。


「──あ」

 そして妹が言った言葉の真意に気づいて、こぼす。

「うわ、そういうことか……こえぇ……」

「……ん」

 黒髪の少女の方を見て、そうこぼす空に、うなずく白。

「さっすが……はすげぇな。相手にしたくねぇ……」

「……にぃ、顔負け……」

 その言葉にカチンと来たのか、ムキになって反論する空。

「ぬ、馬鹿言うな。イカサマはどんだけすごいかじゃなく、どう使うかだ」

「……にぃ、アレに、勝てる?」

「──しっかしやっぱここ本当にファンタジー世界なんだなぁ……実感かないどころか妙にしっくり来るのはなんだろな……やっぱゲームのやりすぎか?」

 妹の質問にはあえて答えず、そう言って三階へ向かって歩き出す空に。

「………愚問、だった」

 と、白が謝る。

 ────そう、『 くうはく』にはあり得ない。


 と……途中、すれ違いざまに。

 ステ……なんとかと呼ばれていた赤毛の少女に──だろう。

 気まぐれに、ぼそっと──そらつぶやく。

「……おたく、イカサマされてるよ?」

「────へ?」

 赤い髪とは対比的に、青いひとみを丸くしてきょとんとする少女に。

 そう言うだけ言って、三階に上っていく自分達の背中をぼうぜんと見送る少女の視線を感じながら……だがあえてそれ以上何も言わず、振り返らず部屋へ向かった──。


   ■■■


 かぎを回し、こころもとない金具がきしむ音をたてて開かれた扉の奥。

 部屋は──オブ●ビオンやスカイ●ムで見たような、安っぽい木造の部屋だった。

 キシキシ足音がなる床に、小さな部屋。隅には申し訳程度のとテーブル。

 あとはベッドが一つと、窓があるだけという、なんとも簡素な内装。


 部屋に入り、鍵をかけて、ようやくフードを取る二人。


 Tシャツ一枚にジーンズ、スニーカーだけの、ボサボサの黒髪の青年──空。

 純白でくせっ毛の長い髪に隠れた、赤い瞳にセーラー服の小さな少女──しろ

 この世界では見受けられない格好を、目立たせないように拝借していたローブを脱ぎ捨て、やっとすっきりした様子で一つしかないベッドに突っ伏して空。

 ポケットからケータイを取り出し──を入れる。

「──『』宿の確保……『達成』──と。もう言ってもいいよな?」

「……ん。いいと、おもう」

 確認してから、心から一言、万感のおもいを込めて、こぼす。


「ああああああっつっかれたああああああああああああああああああ……………」


 それはもう……。

 ここまではけして言うまいと決めていたセリフ。

 そして、一度せきを切ったらもう止まらないとばかりに愚痴をこぼし始める空。

「ないわーありえないわー、久しぶりに外に出てこんな距離歩かされるとかないわぁ」

 同じく白、ようやく脱げたローブに、セーラー服のシワを整え。

 窓を開けて、景色を確認する。

 開けた窓から、自分達がいたがけが──はるか遠くにかろうじて見えた。


「……にんげん、やれば、出来る、ね」

「ああ、──おれらという現実を的確に表すいい言葉だ」

 そんな後ろ向きな解釈に──しかしこくりと、肯定の意思を示す妹。

「しっかし、もっと足腰弱ってると思ってたが。結構歩けるもんだな」

「……両足で、マウス、つかってた、から?」

「おーなるほど! 一芸も極めれば万事に通ずってホントだな!」

「……ほんらい、想定されてない……通じ、方」


 そんな掛け合い漫才も、さすがに限界なのか。

 しろの目が半分以上閉じ始めている。

 フラフラと、倒れこむようにそらの突っ伏したベッドに横たわる妹。

 表情にこそ出さないが、明らかに疲労から来るつらさが呼吸から感じられた。

 ──それも当然だろう。

 いかに天才少女などと言ったところで、わずか十一歳の女の子だ。

 五日徹夜からのチェス対決、気絶だけ挟んでの強行軍──空ですら辛い大移動に(途中から空がおぶったとはいえ)文句一つこぼさずついて来れただけで、驚嘆に値する。

 だからこそ、ここまでけして愚痴は言うまいと空も決めていたわけだが。

「頑張ったな。偉いぞーさすが兄ちゃん自慢の妹」

 そう、妹の髪を梳くようにでて言う。

「………ん。寝るとこ、確保……できた」

「ああ、盗賊に襲われた時は全くどうなるかと思ったがな」

 ──と、思考を数時間前へ。

 つまり……この世界に放置されてすぐのところへ思考を飛ばす空。


   ■■■


「──さぁて、どうするよ」

「……ふるふる」

 二度目の気絶から復活し。

 人生の理不尽をのろってひと通り叫び散らして疲れた空と。

 ひたすら放心して、ため息をつき続けた白。

 それにもついに飽きたのか、二人とも疲労の中に、冷静さを取り戻していた。

 がけから離れ、舗装もされていない道の脇に座り込む。

「……にぃ、どうして、ここ?」

「いや、RPGだとこういう道って『街道』だろ? だれか通り掛かるかなって……」

 ゲームでの知識がまで通用するかは、わからないが。ともあれ。

「──さて、こういう時はまず、所持品の確認からだな」

 サバイバルものの作品では、いつもそうしていた気がしてそらが言う。

 その程度の認識から、ポケットから所有品を取り出して行く二人。

 出てきたのは──

 空、しろ、それぞれのスマートフォンケータイ、二台。

 ポータブルゲーム機DSP、二台。

 マルチスペアバッテリー二つ、太陽光発電充電器ソーラーチヤージヤー二つ、充電用のマルチケーブル。

 そして、結局白が手に持ったままだった、タブレットPC──

 ……とても遭難者とは思えない充実した装備。

 ただし──そのすべてがゲーム用であり。

 トイレでもでも──停電時もゲーム出来るよう肌身離さず持っていたもので。

 ──ついでに言えば、本当に遭難した時に役立つか、微妙な充実ぶりだった。

「……ま、ファンタジー世界で、電波なんて立つわけないしな」

 圏外表示のケータイを手に空が言う。

 ──だが、夜はバックライトが懐中電灯代わりになるし、写真も撮影出来る。

 マップ機能は──当然機能しないが、コンパスとしては使える。

 最近のケータイの高性能さに感謝しながら、空は言う。

「……よし、白のケータイとタブPCは電源切って陽が出てる今のうちに太陽光発電充電器ソーラーチヤージヤーをタブPCと白のケータイにつないで充電しとけ。タブPCにはクイズゲームの勉強用に入れといた電子書籍も入ってるし、最悪サバイバルマニュアルが必要になるかもしれん」

「……らじゃー」

 兄に言われ素直に両方の電源を切り、ソーラーチャージャーに接続する。

 ──想定外の事態に陥った時、兄に従うのがベストと、白は経験から理解していた。

 ……さて、科学のチカラ(空のケータイ)で方角こそわかるものの。

 海図なしで羅針盤だけ持たされ、大海原に投げ出された現状に、変化なし。

 最先端科学の産物を手に、人生に迷って路端に座り込んでいると。

「──お?」

 複数の人間が街道(らしき道)を歩いてくるのが見えた。

「おーっ! よっしゃえわたるぜおれのRPG歴ッ!」

「……にぃ、様子、へん」

 と、現れた集団が突然足を速め、二人を囲むようにして広がる。

 緑色の装束に、走りやすそうな靴に──

「……うっわ、盗賊じゃねぇか」

 思わず天を仰ぎこぼす空。

 路頭に迷って最初に遭遇したものが『我こそファンタジー世界の盗賊でござい』と。

 テンプレートな、人相の悪い一団──いよいよもって本気で天をのろいたくなってきた。

 と、身の危険を感じしろの身をかばうそら

 ──だが、盗賊が口にした言葉。


「へへ……ココを通りたきゃ──おれらとゲームしな」


 …………。

 それは、兄妹に顔を見合わせさせるものだった──が。

「──そうか、『』って言ってたな──あのガキ」

「……コレが、こっちの、盗賊?」

 すぐに納得した二人は、の窃盗団などと比べれば。

 あまりに微笑ほほえましく、可愛かわいくすら見えるその光景に、思わず笑ってしまう。

「てめぇら、何笑ってやがる! ゲームに応じない限りココから先いけねぇぞ!」

 何を笑われているか、わからず叫ぶ盗賊達に。

 しかし、盗賊達にはかろうじて聞こえない声で、兄妹二人が打ち合わせる。

「大人数で一人をカモにする、イカサマでぐるみを巻き上げる──そんなとこか?」

「……ちょうど……いい、ね」

 そう言い合って、パンパンと手をたたく空。

「オッケー、いいよ、勝負しよう。だがあいにく持ち合わせが全くなくてな」

「はん、構わねぇぜ、なら──」

 だが盗賊の言葉を遮って、構わず空は続ける。

。どこかに売るなりなんなり」

「──あ?」

 言わんとしていたことを先回りで提案されたことにいぶかしむ盗賊に。

「その代わり、俺らが勝ったら──」

 背筋が凍るような笑顔をたたえて──兄が、言う。


「一番近い街まで案内して♪ あとそこの二人が着てるローブくれよ。異世界人の格好は街で目立つっての、定番だし。あとこの世界のゲームルール、色々教えてくれな☆」

 と、ゲーム脳ならではの順応性を発揮し。

 既に勝利を確信し要求を重ねていった。


   ■■■


 と、思考を現在に戻し、空がつぶやく。

「『』──か。白、ちゃんと覚えてるか?」

「……ん。おもしろい……ルール」

 うつらうつらと、今にも寝そうな声で妹が答える。

 完膚なきまでに負かした盗賊達から訊きだした、

 ケータイに入力したソレを取り出し、読み返す。


】──。

 どうやらそれは、この世界の『神』が定めた絶対のルールらしい。

 妹はあっさりと暗記したようだったが、兄がケータイに入力した内容は、以下。


【一つ】この世界におけるあらゆる殺傷、戦争、略奪を禁ずる

【二つ】争いはすべてゲームによる勝敗で解決するものとする

【三つ】ゲームには、相互が対等と判断したものをけて行われる

【四つ】〝三〟に反しない限り、ゲーム内容、賭けるものは一切を問わない

【五つ】ゲーム内容は、挑まれたほうが決定権を有する

【六つ】〝盟約に誓って〟行われた賭けは、絶対遵守される

【七つ】集団における争いは、全権代理者をたてるものとする

【八つ】ゲーム中の不正発覚は、敗北と見なす

【九つ】以上をもって神の名のもと絶対不変のルールとする


「そして【十】──『』、と」


 ──……。

「九で『以上をもって』って締めくくっといて、十って……」

 つまり、仲良くすることまでは強制しない、とでも言いたげな。

 もしくは、『』と。

 皮肉を感じる【十の盟約ルール】に、ひどく楽しそうな『神』とやらの顔が浮かんだ。

おれらをこっちに引っ張ってきたガキ──アレが『神様』なら、いい性格してんな」

 ケータイをしまって、兄が苦笑気味に言う。

 と、ベッドで横になって考えていると。

 一気に疲れが来たのか、意識にもやがかかり、思考が散漫になり始める。

「……考えてみたら当たり前か。五日徹夜した後いきなりコレだもんな……」

「…………すぅ……」

 そうつぶやく兄の横では、兄の腕にしがみついて、早くも寝息を立て始める妹。

 横になり前髪に隠れた顔が現れると、陶器のように白い肌、芸術品のように整った顔。

 これがとは、悪い冗談のような、その人形のような少女に。

「──毛布くらいかけろっていつも言ってんだろ……風邪引くぞ」

「……ん」

 そう声をかけるに、うつろな返事で「かけて」と要求する

 ほこりにおいがする毛布を妹にかぶせるのを躊躇ためらったが、ないよりマシだろう。

 寝息を立てる妹の寝顔を眺めながら、兄は考える。

(──さて、これからどうしたもんか……)

 と、ケータイを取り出していじるそら

 何か役に立つようなアプリを入れていないかと探ってみて、ふと思う。

(──こういう異世界漂流ものの作品だと、まず帰る方法を気にするとこだが……)


 ──もうこの世にいない両親。

 ──社会受け入れられない妹。

 ──社会受け入れられない自分。

 ──画面の中にしか居場所のない──


「……なぁ。異世界に投げ出された主人公達は何で、んだ?」

 寝ているのを承知で、そんな質問を投げかけてみるが、やはり答えはない。

 ここで四泊したその後を思って、どうするか。

 考えてはみたが──結論が出るより早く、睡魔が空の思考を絶ち切った。


   ■■■


 ──コンコン、という。

 その控えめなノック音で目覚めることが出来たのは──。

 見知らぬ土地に来て、神経が過敏になっているせいだろうか。

 全く寝足りないと絶叫する身体を黙らせ、脳が急激に活性化していく空。

「………むにぃ」

 ──が、別に妹はそうでもないらしかった。

 兄の右腕をつかんだまま、よだれを垂らして熟睡する妹の顔。

 それはなんとも安心しきり、羨ましくもイン・ザ・ドリームの様相を呈していた。

「そうか、考えてみたら、この世界、んだっけ……」

 つまり──は、この世界では必要ないということで。

 それを理解してか──いや、間違いなく理解したのだろう。

 早くもこの世界にし、気持ちのよさそうな顔で眠る妹に空は苦笑する。

「やっぱ頭の出来ではかなわないよなぁ……」

 ──コン、コンコン。

 再び聞こえた控えめな音に、空が答える。

「あー、はいはい、どちらさん?」

「ステファニー・ドーラという者ですわ。昼間の件で、お話をお伺いしたく……」

 ……すてふぁにー……あぁ。

 ケータイを取り出し、撮影した写真を確認するそら

 赤い髪と青い目の気品のある少女。

 そうだ、下の酒場でなんか──新国王を決めるゲームをしてた片割れだ。

「あー。はいよ、今開ける」

「……にゅ……」

「──妹よ、なついてくれるのは兄みように尽きるが、腕、放してくれ、ドア開けられん」

「……?……なに……?」

 半分以上寝ている様子の妹が、ようやく腕を放してくれる。

 重い体をベッドから引きがし、木の床をキシキシ鳴らせて、ドアを開ける空。

 扉の向こうには、ケータイの写真にあった表情からはずいぶんかけ離れた──打ちひしがれた様子の『ステファニー』が立っていた。

「──入らせて頂けます?」

「あ、はあ、どうぞ?」

 とりあえず、言われるままステファニーを部屋の中に通す。

 狭い部屋、その角の小さいテーブルとへ促して。

 そらは今なお寝ぼけて左右に揺れる妹が座るベッドに、腰を掛ける。

 話を切り出したのは、ステファニー。

「……どういう、ことですの?」

「──何が? あ、一応言っとくけどおれら兄妹だからな? これは別に──」

「……ぅぇ……にぃに、ふられたぁ……」

 ──訂正しよう。

 半分ではなく──八割寝ている妹が背中にのしかかってくる。

 この世界の世間体というものはよくわからなかったが、一応弁解しておく。

「えー、違いますよ? 俺、空。彼女いない歴=年齢、彼女募集中でっす♪」

「……どうでもいいですわそんなこと」

 だが、取り合う気力もないのか、力なさげにステファニーは続ける。

「それより、昼間のことですわよ」

 昼間──昼間。はて、なんのことだろう。

 そもそも、今は何時なのか。窓から陽の光は見えないが──。

 ちらりとのぞいたケータイは、寝てから四時間の経過を示していた──眠いはずだ。

「昼間、すれ違いざまに言いましたわよね。『イカサマされてる』って」

 むにゃむにゃ言いながら、話は聞こえていたのか、妹が目を閉じたまま言う。

「……やっぱり……まけた?」

 その妹の態度にカチンと来たのか。


「──ええ……ええ負けましたわよ! コレで何もかも終わりですわよっ!」

 立ち上がって叫ぶステファニーに、空が耳をふさぐ。

「あー、寝不足の頭に響くから、あんま叫ばないでくれると……」

 八つ当たり気味にカバンをテーブルにたたきつけて叫ぶステファニーに、しかしそんな空のささやかな要求も、どうやら聞こえない様子。なおも甲高い声が響く。

「イカサマしてたことがわかったなら、その内容まで教えてくれたっていいじゃないですのよっ! それをバラせば勝てましたのにっ!」

 寝る前眺めていたケータイのメモを思い出して、空が言う。

「ふむ……『』その八、ゲーム中の不正が発覚した場合、敗北と見なす、か」

 つまりいくらイカサマしているとわかっていても。

 発覚──すなわち、と。

「おかげで黒星ですわ! これで国王選定から外れましたわよっ!」

「……つま…り……」

 寝ぼけた口調で、もにゃもにゃとしろが言う。

「……まけて……くやしいから、やつあたりに……きた?」

 オブラートに包む気などない言葉に、図星を突かれたステファニーの歯がきしむ。

「あ~妹よ。寝ぼけたフリして、火に油を注ぐの、やめようか」

「……む……なぜ、バレたし」

おれが『彼女募集中』って言った瞬間目ぇ覚ましただろ……ただでさえ味方のいない地なんだからさ、もっとこう、友好的にだなぁ──」


 ──が。

 そこまで言って言葉を止めるそら


 ふと──その脳裏に

 その兄の表情の変化から何を読み取ったのか、しろはそれ以降、言葉を止める。

 一方、空は人が変わったような、いやな笑顔を浮かべて、言う。

「──ま、でも妹の言う通りだわな。人類が負け込むのも当然だわ」

「……なんですって?」

 ピクリと口の端を引きらせるステファニー。

 だが構わず空、わざとた目でステファニーの体を眺め回す。

 ファンタジー世界のお嬢様らしい、フリルの多いふわふわのドレス。

 その服でも隠し切れない、肉づきのいい豊満なスタイルをめるように眺め。

 ──言った。

「あの程度のイカサマも見破れず、挙句八つ当たり……しかも子供に図星を突かれていちいち怒りを顔に出す──まったく短絡的。コレが旧国王の血筋なら負け込むのも当然だ」

 ──と。


   ■■■


 知能の低い動物を哀れ見るような目で、そう言う空に。

 ステファニーの目が見開き、続いて怒りに表情を震わせてにらむ。

「………………撤回……しなさい」

「撤回? はは、なんで?」

わたくしはともかく──じいさままでろうするのは許しませんわっ!」

 食ってかかる形相のステファニーに、しかしせせら笑って、手振りまで交えて空。

「おまえがイカサマに気づけなかったのは、だ──リスクを背負い込むより安全に勝ちたい、そういうやつは身の安全に忙しくて、相手に気を配れないのさ」

 そして、あざけるように苦笑して、切り捨てる。

「単純、沸点が低い、感情制御も出来ず、保守的。ハッキリ言って『』だな」

「──黙って聞いていればあなた──っ!!」

 から立ち上がり、つかみかかるような形相のステファニーを遮って空が言う。


「じゃ、ゲームをしよう」

「……え、あ、はぁ?」

 戸惑い。だが警戒心むき出しで、そらの言葉を聞くステファニー。

「なに、難しく考えることはない。ただのジャンケンだ。知ってるか? ジャンケン」

「ジャンケン──? それは……まあ、知ってますわよ」

「うん、。じゃあそれで勝負。ただし──」

 と、指を立てて。

 言い含めるように、ゆっくりと、空はこう言う。


「普通のジャンケンじゃあない──いいか? 


「──は?」

おれがパー以外を出したら『俺の負け』……だが、パー以外の手を出しておまえに勝ったら、お前も負けだからこの場合『引き分け』──もちろん、パー以外を出してあいこになったら『俺の負け』だ」

「───」

 

 この男は何を言っているのか、ステファニーは更に警戒を深め。


「──?」

 話が早くて助かる──とでも言いたげに、にやぁと、空が笑って答える。

「おまえが勝ったら、おまえの要求をすべもう。おまえが負けた理由、イカサマの真相を教えてもいいし、を侮辱した罪で、死ねというならそれも仕方ない」

「…………このッ」

「──で! 俺が勝ったら。

 楽しそうな、だが氷より冷たい表情に、不気味に笑みを張り付かせて。

 下品にも、醜悪にも、そして──冷酷にも思える口調で、こう続ける。

「こっちは命をけるんだ──そっちも、、賭けてもいいだろ?」

 頭に上った血が、寒気に引いていくのを感じるステファニー。

 だが、そのぶん冷静になった頭で、慎重に──問う。

「──引き、分けたら?」

「俺はイカサマのヒントだけ教える……そのかわり」

 一転して、困ったように頭をかいて、笑う空。

さいな願いかなえてくれないかな。手持ちで数日はしのげそうなんだが──ぶっちゃけここで4泊した後、宿も食い物もないんだわ。そもそもこの先どうするか困っててな……」

「──つまり、宿を提供しろ、ということですの?」

 ステファニーの言葉に、ニッコリと笑顔で応じるそら

 ──なんてことはない。

 と言いたいわけだ、この男は。

「どうする~? やめとく~?」

「…………」

「まあ、相手のイカサマを今更知った所で、もう王の資格はないわけだし? 防戦大好きな人みたいですし、そんなリスク背負う必要ないしなぁ、断ってくれていいよ別に」

 あからさますぎる挑発。

 分りやすすぎるその挑発に──しかしステファニーはあえて、ノる。


「……いいですわ、やりますわよ───【盟約に誓ってアツシエンテ】ッ!」

 ──それは『十の盟約』に従ったゲームであるという誓いの言葉。

 十の盟約に従い──という、神に誓う意思表明の言文。

「オッケー、じゃあこっちも……【盟約に誓ってアツシエンテ】っと」

 ニヤニヤと──真意のつかめない感想を口に、誓いを立てる空。

 だが、ステファニーは頭の中で既に、猛然と思考を巡らせていた。

 ──パーしか出さない?

 そう言われて、ほいほいわたくしがチョキを出すとでも思ってるのかしら。

 提示した条件を見れば──あちらの意図は明らかですわ。

 ──コレしかないですわ。

 この男は、宿──そして

 こんなところが真相じゃないかしら。

 彼がパー以外、負けというなら、私が出す手の勝率は──

 グー:2勝1敗。 チョキ:2勝1分。 パー:1勝2分──となる。

 パーしか出さないと宣言し。

 私が素直にチョキを出したらグーを出して。

『はい予定通り~バカ正直乙』とでも笑う腹づもりなんでしょう。

 かといってパーを出せば──負けることはないけど。

 ほぼ確実に引き分けられて結局相手の思うつぼ

 ──この男、──っ。

 唯一、だからっ!

 ──バカにして──っ!

 グーでもチョキでも、私の勝率は『2:1』ですのよ。

 ねらい通り──引き分けになんてさせてやらないですわっ!

 キッ──と、空を射ぬくようににらむステファニー。

「──っ」

 ──だが、にらんだそらの顔に、息をむ。

 そこに憎たらしい軽薄な男がいたから──ではなく。

 冷徹に、の、薄い笑いだけがあったから。

 その空の表情に──冷水を掛けられたように、再び上った血が下がっていく。


 ──違う、落ち着け、冷静になるんですのよ。

 そう自分に言い聞かせ、ステファニーは思考を再度張り巡らせる。

 短絡的、感情的、単純と言う挑発を、みすみす露呈してどうするんですの。

 そうして自分に言い聞かせて、ステファニーはあることに気づく。


 ──そう。

 当たり前のことじゃないですの。

 こいつは──この男は──宣言通りパーを出す以外選択肢はないじゃないですの!

 それ以外の、どんな手を出そうと『っ。

 なら──こっちが何を出そうが、この男は宣言通り「パー」を出すしかない……。

 勝てばラッキー、──ですもの!

 ──ですものッ!!

「じゃ、そろそろいいかな?」

 既に勝利したように笑う空がそう言う──が。

「ええ、そちらこそ。盟約を遵守する心の準備は、よろしいですの?」

 同じく、勝ちを確信したステファニーが答える。

(手はもう見えているんですのよ──づらかくがいいですわっ!)

「んじゃ行くぞ、あほれ、じゃーんけーん──」

 ──ぽん、と。

『チョキ』を出したステフの目が。

「なっ───」


 ────『』空の手に、見開く。


「なっ、な──なん、で……そんなはず……」

「挑発にノッて正直にグーを出さなかったことは評価するけど──まだ浅い」

 と──冷酷な余裕も。軽薄な笑みも消して。

 淡々と空が、ベッドに座りなおして、ステファニーの心中を代弁する。

おれの挑発にノッて、

「………ッ」

「──だが俺の表情で冷静になり、俺がパー以外では【勝ち】がないのを理解した」

「──なっ……」

 読まれてた──つまりあの表情は………全部、!?

「と、そこまではいいけど……おれを負かすつもりなら『パー』にしとくべきだったな……そうすりゃ


 ──すべて読まれ──いや、

「くっ──ぅ」

 唇をんで、ひざを折り、床に手をつくステファニー。

 冷静になる過程──それどころか、その上でステファニーがことまで。

 ──つまり、コレが。

 ステファニーが、昼間負けた理由だとでも言いたげに。

 だが、続けるそら

「それと、そもそもこの勝負、最初から俺の一人勝ちになるようになってる」

「わかってますわ。引き分けねらいだからでしょう。いいですわよ、宿くらい──」

 落ち込んで投げやりにそう答えるステファニー──だが。

「うん、そこ。そこそこ。──『』?」

「……はい?」

「よぉく思い出してみようか? 俺はよ?」


──さいな願いかなえてくれないかな。手持ちで数日はしのげそうなんだが──ぶっちゃけここで4泊した後、宿も食い物もないんだわ。そもそもこの先どうするか困っててな……


「はーいここで問題ですっ! 俺は──『些細な願い』の?」

「………………………はっ!?」

 慌てて立ち上がって、猛然と抗議するステファニー。

「え、だって、宿を提供しろってことか、って確認しましたわよっ!?」

「うん、でもそれ、肯定してないよ~俺」

 たったさっきのことを、映像音声まで思い出そうと脳をフル回転させるステファニー。

 宿がない、食い物、この先どうするか、などという言葉で飾られて。

 空は──この男は──ただ。

 

 ──勝手にタカらせろという意味だと、のは──

「あ──ぁ──」

「もうお分かりですねっ! では俺の『些細な願い』よーく聞いてくださいね♪」

 満面の笑みを浮かべ、ビシッ──とステファニーを指さし、空が言う。


おれれろっ!」


   ■■■


 ………………────


 ………長い、沈黙。

 それを破ったのは、ここまで口をつぐみ、状況を眺めていたしろ


「……えーと、にぃ?」

「ふふふ、どうした妹よ。兄のパーフェクトプランに感動して声も出ないか?」

 意図を把握しかねる妹に、しかしそらおのれかんぺきな要求に酔いしれていた。

『十の盟約』その六──〝

 そしてその九によれば──にすることは不可能な、神の力が働くと考えられる。

 ならば当然、そこに、と考えられるのだ!

 だが──。


「……えっと……どういう、こと……?」

 と、なおもわからない様子の妹に、今度は空が不思議そうな顔をする。

「おや、珍しいなマイリトルシスター。っていうだろ? 盟約を絶対遵守するのが世界の法則なら、当然『貢いでくれる』だろ? 宿もお金も、人材までゲット出来て一石三鳥じゃん♪」

 頭のいいおまえがわからない、と言いたげな空に。

 白が、ぼそりとつぶやく。

「……〝俺の所有物になれ〟……じゃ、ダメ…なの?」

「───────ん?」

「……そうすれば、、手に入った」

「──え、あ、あれ?」

 空、一瞬の混乱。そして高速で思考を巡らせはじめる。

 妹の言う通り『俺の所有物になれ』と命令すれば。

 わけで──。

「あ、あれ? そっちのほうが得じゃ……あれ?」

 何故思いつかなかった──?

 その通りではないか。

 駆け引きは自分の領分とし、そう主張するに足る実績も実力もある空が何故──?

「……………にぃ、願望、入った?」

「─────────────あ……」

 妹の──おそらく眠気から来るものではないだろう、冷たい半眼に。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 と、そらは頭を抱えて絶叫した。

「ま、まさか……まさかそうなのか!? このチャンスを逃せば一生彼女出来ないという、おれの浅ましいコンプレックスが、こんな土壇場において判断を曇らせたというかっ!? ば、鹿な……そんな、お、俺がそんなくだらないミスを──」

 ありえない。

くうはく』の参謀を担当する自分が、こんなミスを──と目眩めまいすら覚える空に。

 どこか不機嫌そうに、しろがなおも冷たい声で言う。

「……にぃ、彼女、いらないって……しろがいれば……いいって……言った」

「強がってましたああああスンマセンでしたあああああああ」

 ベッドでほおを膨らませる妹に、五体投地の勢いの土下座で謝る空。

「だ、だって妹には手ぇ出せないじゃん! ましてや十一歳じゃん! ポリスのお世話になっちゃうじゃん! 兄ちゃんだっておとしごろですしそういう願望はそりゃあ──」

 そう言い訳をまくし立てる兄。しかし冷たい目のままの妹。

 そして。

「─────」

 当の、要求されたステファニーは、置き去りにされうつむいて震えていた。


 そう、空の読み通り、。それは世界の絶対法則だ。

 だが──顔が熱く、心臓の鼓動が止まらない。

 先程から自分を無視して妹とやり取りしている空に胸が締めつけられる。

 ──それが世界の法則だとしても。

 まさか。

 こんな男に。

 

 ───〝〟──などとっ!


「認められるわけないでしょおおおおおおおっ!」

「うぉ! びっくりしたっ!」


 怒りから来る震えに、ようやくステファニーが叫び、立ち上がった。

 強制的に植えつけられた感情を、断固拒否する構えでそらを鋭くにらむ──が。

「──う、うぅっ!」

 当の空と目が合った瞬間、鼓動は跳ね上がり、顔が更に熱くなる。

「そ、そ、そそそれのが『さいな願い』なんですのよ! お、乙女の恋心をいったい何だと思ってるんですのっ!?」

 悟られまいと慌てて目をらし叫ぶが。

 意気込んで立ち上がったわりには、いささか威勢が欠けた。

「あ、えーと……それはですね……」

 ほおいて、空はバツの悪そうな顔で視線を泳がせる。

 本来、予定していた展開を、盛大なミスからカッコつかなくなり、思案する。

「な、なぁしろ、どうするか」

「……しら、ない……」

「うぅ、ぐぅ……っ」

 情けなく妹に助けをうも冷たく切り捨てられ──

「えぇいっ ──おほんっ!」

 ままよ、とついに腹をくくった空、せきばらい一つして。


 


 開き直ってしまえば気が楽だった。空はへらっと笑い。

の基準は人それぞれだ。そのお菓子一口ちようだいつって、はい一口てな」

 調子を取り戻したのか、そんなセリフをスラスラと吐き始める空。

「ぺ……ペテンじゃないですの、そんなのっ!」

 だが、ステファニーはそれどころじゃなく反論する。

 ──耳に届く空の声がこそばゆいのだ。

 出来ればもうしやべって欲しくない、だがもっと声を聞きたいというかつとう

 それを『説明を求める』という口実で抑えこんで、なおも反論する。

 そんなステファニーの乙女的葛藤を知る由もない空(十八歳・どうてい)は冷静に。

 まるで教え子のミスを指摘するように、指をさす。

「そう、そこ。勝負の内容に気を取られて、『』をおろそかにしてる。ダメだねーそーゆー具体性のない発言を見逃しちゃぁ……それが、調、ねぇ~」


 ──つまるところこの勝負、引き分け狙い。

 ここまでは確かにステファニーの読み通り。

 だがまだ、まだ足りなかった。

 引き分けでも勝利でも──だったということ。

 それこそが、この勝負の本質であり──つまりそれは──


「こ、この──詐欺師っ」

 そう、つまりは『詐欺』なのである。

 ステファニーがそう叫びたくなるのも無理はない──だが。

「うえぇーひどい言いがかりだよぉ~だまされる方が悪いんだよぉ~」

「そ、その物言いも詐欺師のセリフですわよっ」

 なおも続くステファニーの抗議に、ねていた様子のしろがやっと口を挟む。

「……『十の盟約』……三……ゲームには……対等と判断したものを……ける」

 白がようやく味方に戻ったことに喜んで、そらが続ける。

「そう! ポイントは『判断したもの』というところ。そして同じくその四、〝──ってことは?」

 くねっくねっと動いて指差す空に、白が答える。

「……命、人権も──賭けの対象……」

「いえーすいぐざくとりー♪ わけだ」

 ステファニーへの説明のように見せて、実際には兄妹のやり取りに。

 しかし白。

「……でも、まで賭ける……必要、なかった」

「いいえ! コレは自由意志が介入しないと確認するためでく──」

「………………にぃ」

「すみませんでした」

 どうやら『ミスなどなかった』は、妹には通用しないらしい。


「で、でも──! こんなペテンで──」

 こんなペテンで、自分の初恋を──と。

 涙目で、なおも反論しようとするステファニーを、本来責めるのは酷だろう。

 だが。

「……『十の盟約』その六……盟約に誓った賭けは、絶対遵守……」

 十一歳の少女が──あわれむような目で、静かに。しかし的確にトドメを放つ。

「……そのいみ、重さ……わすれて、挑発に、のったの……そっち」


 ──そう、そもそも十の盟約に従うなら。

【五つ】──

 ステファニーにはゲームを拒否する権利も、ゲーム内容変更の権利もあった。

 その権利を棒に振って勝負にのったのは、他ならぬ──

「───うぅっ……」

 ──ステファニー自身だった。


 もはや言葉は尽きたのか、ステファニーはぺたりと、床に座り込む。

 事実、盟約は成立し──現在ステファニーはその影響を受けている。

 それこそ、

 ステファニーが何を言ったところで、自分は負け、けは成立したのだ。

「えーと、じゃあ納得して頂いたところで、ステファニー?」

「──くっ……このッ!」

 このクズ! と叫ぼうとするも。

 ──感情が、それを許さなかった。

 それどころか、名前を呼ばれたことに甘い感情すらいて来たことに──

「──うぅぅぅぅっ何でですのよぉぉぉぉっ」

 怒りすら湧き、そのまま土下座するように床に頭を打ち付けるステファニー。

「うぉっ──お、おま、大丈夫かっ!?」

「大丈夫に見えまして!?」

 赤くれたおでこでキッとそらをにらむステファニーに、たじろぐ空、だが。

「いえ、あまり。で、でも賭けに勝ったのおれだし、その──要求をですね?」

 要求────。

 そう、そもそも空の目的は『』ではなく、その先。

』だったのを思い出す。


 だが──待て、とステファニー。

 空の要求は『』であり。

』ではないではないかっ。

 つまり、ステファニーには、っ。

「ふ……ふふふ、ツメを誤りましたわね……」

 そうとわかれば話は早い。

 どんな要求にも『NO』と突き返せばいいだけである。

 それですべて片付く話なのだっ!

「じゃ、まずステファニーって長いから、ステフって愛称で呼んでいいか?」

「え? あ、はい、いいですわよ♪ ────はっ!」


 ──愛称を付けられたことに、笑顔でうなずいた『ステフ』。

 二秒前、『一切要求をまない』と決意した理性はそこにはなく。

 れた相手にニックネームで呼ばれたうれしさにほおを赤らめる乙女だけが──

「ちが──いや、な、名前なんて別に、どう呼ばれようが、き、気にする必要ないですもの! ええ、そうですわ、うん! 以後の要求を一切まなきゃいいだけですわっ」

 そう無理やり自分を納得させることにしたステフはしかし気づかない。

 

 つまり──空の側ここにいたいと、無意識に思ってしまっていることに……。

「ん、じゃおれのことも空って呼んでくれ。で、ステフ。王族の家系だったよな?」

 ──来た。

 そう、貢がせるのが目的なら、お金、宿、食事。

 そういったことを要求して来るつもりだ。

 だがその要求に、

 ふふ、と内心笑うステフ。

 空が出した要求に、真正面から『お断りしますわ!』と言って。

 このペテン師の失敗を自覚させる──その顔は、さぞ見物だろう。

 そのセリフを準備して、空の要求を待つステフに。


「だったら家、広いよな。しばらく一緒に住ませてくれないかな」

「────あ、はい、いいですわよ♥」


 ───……。


 あれ?

「え、あれ? なんで、あれ?」

 混乱し、自分の発言がわからなくなるステフ。

 だが、鼻血が出そうなほど熱くなっていく顔に。空の言葉に思い巡らす。

』──。

 つまりそれは、まあ、一緒に住むということであり。

 同居……するということであり。

 つまりずっと一緒にいるということであり。

 つまり……ベッドとか、おを共用──


「あ、あ、あああああああああ違う、違いますわ、コレは、違うんですのよっ!」

 木製の壁に、ゴンゴン頭を打ち付けるステフに、青ざめた顔で恐る恐る空。

「えーと、あの、なんか、すごいことになってるけど……ダメか?」

「ダメなっ!──あぁ~~……もう無駄なんですのね……」

 乾いた笑いで天井を仰ぐステフ。


 ──そう、確かにそらは盛大なミスをやらかした。

 何の『契約的拘束力もない』要求をしてしまったのだ。

 だが、彼女いない歴=年齢である空も。

 また、今まさに初恋を経験させられているステフも。


 歴史上、恋心一つで滅びた国すらあるという事実を。

 ──あまりに軽く見ていた。


   ■■■


「ふ、ふふ……もう……いいですわよ、どうにでもしてくれればいいですわ」

 木の床に突っ伏して、いじけたように泣きながらステフが言う。

 契約的拘束力はなくとも、自分に拒否権は、もはやない。

 そう悟ったステフは、光のない目で、半笑いでそう告げるしかなかった。

「──他に要求はないんですの? ふふ、もう何でも来やがれですわ」

 が──。

 ここへ来てまだ、ステフは思慮が欠けていると言わざるを得ない。

れろ』と要求された以上、を、想定していないのだから。

「あー……えっと、そうだな……」

 ちらりとしろを見る空。

 そのいちべつが何を意味するか、ステフには知る由もないが。

 白は、こくりとうなずいた。

「……いい、しろが十八に、なるまで待たせたら……にぃ…かわいそ」

「かわいそとか言わないでくれます? あと兄ちゃん妹には手ぇ出さないよ?」

「……だから」

 親指を人差し指と中指で挟んで、無表情に白。


「……にぃ、どーてー卒業、おめ」


「────────なっ」

 ──そう。

 育ちの良さか、単なる想像力の欠如か。

 、という当然の展開に。

 すべてをあきらめていたステフの目に再び光がともる。

「な、なな、なんですのっ? きき聞いてないですわよっ! そそ、そういうことはもっとムードというか、しかるべき状況で──ん? あれ?」

 だが、光が戻ったのはおのれの貞操の危機を恐れて──ではなく。

 ──、と気づいたステフは再び、壁を頭で掘る作業に戻ろうとしていた。

 そんなせわしないステフの心の機微なぞ気づく様子もなくそらはキッパリと告げる。


「駄目だ。しろが十八になるまでは十八禁展開は却下」


「──へ?」

 とつぶやくのはステフ。だが、やはり放置。

「……しろは、きにしない」

「兄ちゃんは気にするの! お子様はポルノダメ絶対!」

「……にぃ、、苦手だから…れろって、言ったと、思った……」

「いやあの、兄ちゃんなんで性癖把握されてますか?」

「……ゲームの箱……全部部屋に、おいといて…なんでも、なにも……」

 何のことかさっぱりわからないステフ。

 だが、当の本人である自分が無視されている事実と。

 ──か〝〟で話が進んでいることは、理解出来た。

「──あの、妹さんを部屋から出せばいいだけじゃないんですの?」

「ん? 期待してもらってうれしいけど、そうもいかない事情があるんだよ」

「──ちがっ! 違いますわよ鹿じゃないんですのアホですの!?」

 顔を真っ赤にして叫ぶステフをに。

 大いなる問題に突き当たって、その解法を探す学者のように。

 腕を組んで考えこむ二人に、ついにひらめきが舞い降りたらしく。

「……じゃあ」

 と、白がその無慈悲な解法を示す。


「……で……せめれば」


「おぉっ、それだっ! さすが我が妹っ天才少女め!」

「………え?」

 そう褒めちぎる空の言葉に、まんざらでもない様子の妹。

 そして──よくわからないが。

 どうやら妹同伴で〝〟ことにステフは警戒する。

「──しかし、どこまでやっていいものか」

「……にぃ、そういうの、得意……」

「〝そういう〟マンガやゲームに触れてることを言ってるなら、自分で実践するとなると話が違う、とだけ言っておこうかマイリトルシスター」

「……どーてー……だから、どうするか……わからな、いと?」

 適切な、だが不必要な翻訳に痛み入るそらに、しろはスマホをかざす。


「……しろが、カメラで撮影、しながら……指示」

「ふむ。指示するのはともかく、カメラが必要なのでしょうか妹よ」

「……にぃ、、いらない……の?」

「ふーむ。気の利きすぎる妹も考えものだが、その気遣いは有難く受け入れよう」

 複雑な気持ちで、ステフに向き直る空。

 一方、取り出されたスマホが何なのかわからず、ただぼうぜんとするステフ。

 動画撮影を開始し、白が最初の指示をだす。


「……ていく、わん。アクシデントからの、転倒……からの~?」

「お──そういう展開か。で……この状況でどう転倒しろと──」

 と周囲にを探す空の背中に、おもむろに。

「……んっ」

 白の軽いりが入る。

「うぉっ──なるほどっ おーっとたーおれぇるー(棒)」

「─────へ?」

 三文も惜しむ芝居でわざとらしく、ステフを巻き込み転倒する空。

 そのステフを組み伏せた両手は──。


 ──お約束通り、ステフの両乳房に置かれている。

 この状況を、〝ベタな展開〟の一言でステフに理解しろというのは──暴力だろう。


「……ていく、つー……不可抗力からの、乳もみ」

「いや……意図したら不可抗力でもなんでもないんじゃ……」

「……じゃ、やめる……」

「やりましょう監督。おれ、頑張りますっ!───せいや!」


 もみゅもみゅもみゅ。もみもみもみもみ。

 もみゅもみゅもみゅ。もみもみもみもみ。

 たゆんたゆん。たぷたぷたぷたぷ。

 たゆんたゆん。たぷたぷたぷたぷ。

 むにょむにょ。ぽよっほよっ。ぐに───にょ───ん。


「うわ……」

 予想通り、かなり豊満な感触に、感嘆詞以外の感想を上げられずにいるそら

 一方ステフは、目を丸くしてただ放心していた。

 事態に理解が追いつかない故──。

 それも、もちろんあったのだろうが。

 それ以上に──触れられた手の感触に、


「───ぁ……んっ」

 ステフからこぼれた声は口を押さえたおかげか、幸い二人の耳には届かない。

「──ぬ、ぬぅ……さ、三次元も捨てたもんじゃないな……えっと──あの、監督。このくらいはまだ『全年齢指定』でしょうか?」

「……ん……でも、にぃ……みすぎ」

 少しまゆ根を寄せて、自分のまっ平らな胸を見下ろして、しろが言う。

「おっと──そうだな。乳揉みはあくまでアクシデントだから、精々三コマくらいにしとくのがベターだよな──で、えっと、このあとどうしましょう、監督」

「……ていく、すりー。そこからの、ポロリ」

「え、それ健全か?」

 思わずつっこむ空に、真顔で言い切るかんとく

「……ジ●ンプ基準なら、全裸、だって……余裕」

「いやいや、裸はマズいだろ! 現実には乳首というものがあってだな?」

「……それは……単行本で、加筆、だから……」

「監督、ここは現場です。事件は現場で起きてます。ホワイト修正も加筆も無理です」

「……じゃ……下着?」

「……まあ、それくらいなら──でもこの状況から服が脱げるって相当無理あるな」

 現実とフィクションの違いを痛感するそらに、しろ

「……にぃ、上じゃなく……下、なら」

「あ、スカートのめくりからのパンチラか! 確かにそれなら余裕で健全ですね監督っ」

 と、ステフのスカートをめくろうと、空が手をかけた瞬間。

 溶かされていたステフの脳に、急速に火がともる。


 ──スカートの……めくり?

 下着を──つまりと言ったんですの?


 ──いや、それは困る。

 上はまだいい。

 いや、よくはないのだろうが。

 ステフのかろうじて残る理性でなく、本能が警告した。

 、と。

 それは駄目だ。どうしても駄目だ。少なくとも

 その、なんといえばいいのか。


 ──植え付けられた感情とはいえ。

 好きな人に押し倒され胸をもみしだかれたら。

 起こるべくして起こる──『』故にっ!


「──ひ──きゃぁぁぁあああッ!?」

 その本能が、溶けていたステフの脳を突き動かした。

 とつに自分を触っていた空の腕を振り払って、突き飛ばすステフ。

「うわ──っと!」

 スカートをめくるためひざ立ちになっていた空、女性の軽い一突きでバランスを崩す。

 何とか倒れまいと、立ち上がってこらえようするも、それがさらに災いする。

 倒れる距離を引き伸ばし、数歩後ろに歩ませ。

 ──すなわち扉まで。ステフの軽い一突きが、空を運ばせ、そして。

 ──ゴッ、と。鈍い音。


「いってぇ!」

 頭を強打し声を上げるそら

 ──だがことはそこで終わらず。


 ──、安宿よ。

 衝突で、安っぽい扉の金具はあっさりと開き、そのまま廊下へ倒れこむ空。

「……にぃっ」

「へっ──えっ、ちょっと──っ」

 そして、空を心配する二人の声を閉ざすように。

 キィィィィ……という安い金属音とともに。

 ──パタン、と。

 開かれた反動で、静かに──扉は閉まった。


   ■■■


 ───………。

 一瞬、何が起こったのかわからずぼうぜんたたずむステフ。

 だが、自分の一突きが空を宿の廊下まで突き飛ばした事実に。

「──はっ! そ、ソラ!?」

 初めて『男』の名前を呼んで、慌てて立ち上がる。

 ──胸を締め付けるような感覚と、強い不安感。

 自分の行いで人を傷つけた可能性による、ただの心配だと思うことにした。

『嫌われたかもしれない』という不安からだとは──断じて認めない構えで。

 そう自分に言い聞かせて、慌ててドアを開けて廊下へ飛び出す。


 そこには、廊下の隅で頭を抱えて震えている空がいた。

「な────っ!」

 あんなところまで転がるような力で突き飛ばしたつもりはない。

 だが、事実廊下の隅に。

「そ、ソラ!? だ、大丈夫ですの!?」

 〝頭を抱えている〟空がいたのだ。

 ドアに頭を強打していたがまさか──と青ざめるステフ。だが──


「すみませんすみませんすみませんごめんなさいごめんなさいゆるしてください」

 ──どうやら頭を打ったせいではなく。

 空はただ、うずくまって謝罪を連呼しているようだった。

「────はい?」

「すみませんすみませんだってもうこの機会逃したらもう一生おっぱい触るチャンスないと思ったんです僕だって男の子ですし彼女の一人くらい欲しいですし雑念も入るというかいやわかってますからそんなけいべつの目で見ないで下さいええ最低ですはい変態ですええわかってますすみませんホントすみません」

 ──あれだけのペテンとセクハラをして、そんたたずんでいたそらが。

 今更、生まれたての子羊のように震えながら謝っていた。

「……ど、どういうことですの?」

 事態が全くつかめないステフ。

 妹──しろに説明を求めようと、部屋をのぞき込むと。


「……………にぃ……にぃぃ……どこぉ……しろ、ひとりに、しない…でぇ……」

 ──こっちはこっちでベッドの上では、兄と同じように。

 ひざを抱えて体育座りでぷるぷる震えて無表情なまま涙をこぼしていた。

「───な、なんなんですの、この兄妹」

 もう、乳をまれていたことも忘れて、ただただぼうぜんとするステフ。


 ───……。


 そう、これが『 くうはく』──すなわち空と白。

 〝〟のプレイヤー。

 それは、単純なジャンルの得手不得手以上に。

 お互い一定以上離れると──つまり。

 ────

 一人では、救いようのないだからであった。

「……にぃ……にぃ、どこぉ……」

「すみませんすみませんすみませんすみません」


 そろそろお分かりいただけただろうか。

 かたやニート。

 かたやヒキコモリ。

 七歳離れた兄妹が、同じ場にいられるのは『』だった──。

 それが──そのすべての答えである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る