5:ブラック・テクノロジー

四月二八日 二三三二時(日本=北朝鮮標準時間)

黄海 西朝鮮湾 海上 〈トゥアハー・デ・ダナン〉



 ヘリがこうかんぱんちやつかんすると、カリーニンははつれいじよへの道を急いだ。艦の二重せんかくへいをはじめ、くぐもったかんおんが通路にひびきわたった。

 第二甲板の通路を早足で歩いていると、操縦服姿のメリッサ・マオが追い付いてきた。

「マオそうちよう。君はかくのうたいのはずだ」

 ほち調ようをゆるめることなく、カリーニンは告げた。マオはそれには答えずに、

「このままてつ退たいするんですか?」

「そうだ」

「クルツと同じに、ソースケも見捨てて?」

「入隊けいやくはんちゆうだ」

 それでもマオは食い下がった。

「彼らは私の部下です。私に責任があります。私をいかせてください。二時間……いえ、一時間でけつこうです。それまでに見つけて戻ります。お願いです」

「五〇億ドルのかんと、二五〇名の乗員を、一時間危険にさらすのかね。『お願いです』の一言で」

ちやはわかってます。ですが、ECSをモードで使えば……」

きしようはんほうこくでは、これから雨が降るそうだ。二日は続くらしい」

 きゆうきよくのステルスそうともいえる磁迷にも、弱点はあった。まず、とくゆうのオゾンしゆうが発生する。さらに多量の水分──たとえば雨──などにさらされると、小さなスパークが起きて青白い火花が無数に生じるのだ。とうめいどころか、こうこくとうのようになってしまう。カリーニンが救出作戦の実行を急いだ理由のひとつだった。

「ただの天気予報でしょう? そんなのが当てになるわけないわ」

 彼はがんじようぼうすいとびらの前で立ち止まり、りかえった。

「ここから先は発令所よういんかくだ」

「いつもそうなのね……。どうしてそこまでれいたんでいられるんです?」

「そうなることが必要だからだ」

 カリーニンはマオに背中を向けた。

 いくつかの扉をくぐり抜け、発令所に入る。かんちようせきのテレサ・テスタロッサは、潜航の命令をくだし終えたところだった。彼女はカリーニンをいちべつもせずに、

「どれだけ待てるか聞きにきたんでしょう?」

 当然のように言った。この少女にはかなわん、とカリーニンは本気で思った。

「いまは一分たりとも待てません。敵のそうしようかいていが三隻、らいまんさいしてせつきんしています。このあたりの海は浅いし、ろくに隠れる場所もないの。大至急、ここから五〇キロ以上は離れなければ」

「ごもっともです」

 テッサは左肩にらした三つ編みの髪を、きゅっとにぎって自分の口元に押しあてた。毛先で鼻をくすぐりながら、正面スクリーンをまっすぐにらむ。強いストレスを感じている時の、彼女のあくへきだった。つめむのと同じたぐいのものだ。

「でも、サガラさんたちは助けたいわ」

「はい。まだウェーバーぐんそうにも生存の可能性はあります」

 あれで死ぬていの男ならば、カリーニンはクルツをの一員などに選んではいない。

「わたしが、夜明け前に、沿えんがんで、数分間だけふじよう時間をひねり出せたら……あなたはどんな手を発案できます?」

 テッサの個人ディスプレイに海図が映った。一度、中国のりようかい近くまで大きく離れてから、中国海軍のけいかいをかすめててんしん、全速力で現在のかいいきまで戻るプランだった。

 カリーニンはせんすいかんの戦術については門外漢だったが、その目から見てものある作戦に思えた。

「可能なのですか」

「普通の潜水艦なら無理でしょうね」

 テッサは強気な笑みを見せた。まるで自分の息子をほこる母親のような顔だった。

 おそらく、可能なのだろう。彼は艦長を信じることにした。

「……ウェーバーのM9がげきされた件が気になります。私の考えが正しければ、あれを使う必要が出てくるかもしれません」

「あれ? どのあれですか?」

「ARX─7。〈アーバレスト〉です」

 カリーニンはその言葉を口にした時、この艦内のどこかにつながれたきようぼうけものが、よろこびのうなり声をあげたような気がした。



四月二九日 〇二二六時(日本=北朝鮮標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 ピヨンアンナム デードン郡の山中



 けたたましい音をたてて、こうげきヘリが彼らの頭上をつうしていった。

 まばゆいライトの光がいつしゆん、宗介の頭をかすめたが、さいわいにしてヘリのパイロットは気付かなかったようだった。やがてヘリは、山頂をかすめて南の空に姿すがたを消した。

 あたりにせいじやくが戻ってくる。

 しとしとと雨が振り、風がえだらしていた。

「いった……?」

 かなめがたずねた。三人は低木の根元にうがたれた、小さなくぼみにかくれていた。

「そのようだ」

 宗介は答え、クルツを窪みから引っ張り出した。

 クルツはモルヒネでしきを失っていた。右腕をこつせつしていて、だいたいと左腕に深いれつしようがある。なみの人間だったら、このであそこまで動くことはできなかっただろう。出血は止まったが、おうきゆうてだけではしようもうしていく一方だ。

どり、まだ歩けるか」

「歩かないと、はじまらないんでしょ?」

 きじように答えるが、彼女もずいぶんしようすいして見えた。

 そうすけとかなめは両側からクルツを支え、よろよろとひきずるようにして山道を歩いた。

「俺は怪我人だぜ? ていねいに歩いてくれよ……」

 いつのまにか目を覚ましていたクルツが、苦しそうにつぶやいた。

「よくあそこまで歩けたな」

「……あの川を伝ってな。おかげでにおいが消せたよ。……っ。しかし少佐もひでえぜ。たいからだつしゆつするのが三〇秒おくれてたら、俺もじんだった。……まあ、あの場でくたばってた方がラクだったけどな」

 そう言ってクルツはじぎやくてきに笑った。

「銀色のASにやられたのか?」

「ああ。……っ。まるでわけがわからねえ」

「なにがあったんだ」

きんきよさそいこんで……、五七ミリをぶちこんでやったんだ。ところが……めたと思ったら、次のしゆんかんにはこっちがバラバラになってた」

こうせいさんだんらいでも使われたのか?」

「いや……そういうモンとは思えねえ。見えないハンマーで……くっ……ぶんなぐられたみたいな感じだった。……っ……うっ……!」

「もういい。しゃべるな」

 やがて彼らは、上りのしやめんえた。じゆれいが一〇〇〇年以上はありそうな巨木の下までくると、

「上り坂はここまでだ」

 下り斜面の先には、平野が広がっていた。星のない夜空の下、あぜ道を走る軍用しやりようのヘッドライトがまばらに見えた。手前には集団農場。その先は水田地帯だ。

 かなめが目を細める。

「あんな見晴らしのいいとこ、ノコノコ歩いてたら……」

「ああ。敵に発見される危険が大きいな」

 宗介はクルツのらだを地面に横たえた。彼はうめき、聞き取れないほどの声であくたいをつく。かなめはその横にしゃがみ込み、むせぶようにきこんだ。不平は一言ももらさないが、どうも気分が悪いようだった。

 モルヒネがふたたびいてきたらしく、クルツはやがて寝息をたてる。

 真夜中のあくを歩き続けて、ここまで三時間。よくがんったとは思うが──

(この三人で、海岸まで歩くのは不可能だ)

 彼はけつろんした。

 敵のけいかいをすり抜け、あの平野を進むことは、よくくんれんされた健康な兵士でさえむずかしいだろう。ましてや、この三人では……。

 仮に〈デ・ダナン〉が自分たちを救助したいと考えていたとしても、ここで連絡をとる方法はなかった。クルツの持っていた小型のつうしんはあるが、交信可能なはんはわずか数キロだ。ここから海岸までは、まだ二〇キロはある。

 自分の身体も疲れている。頭ははっきりとせず、傷の痛みはひどくなってきた。

 動けない。連絡はとれない。ほうもうせばまる。

(出口なし、か……)

 れ親しんだ死神の手が、彼の肩をたたいた気がした。

「千鳥」

「……なに?」

「よく聞いてくれ」

 宗介はじじようを話した。味方と連絡がとれないこと、敵の包囲網、てんこう、クルツの体力、自分の体力……。彼女はこんよく、だまって耳をかたむけた。

「そう……」

「だから……こうしようと思う。俺とクルツがこの場に残り、に暴れて敵の注意をひく。のうな限り時間をかせぐつもりだ。その間に、君は一人で西へ走れ」

「……なんですって?」

「西へ逃げるんだ。この通信機を持って、海岸へ向かえ。もし味方がむかえに来ていれば、そのチャンネルに呼びかけてくるはずだ」

 敵に見付からず、彼女が海岸までたどり着けるかどうかは、けるしかない。味方が救助に来るほしようも、まったくない。だがここで手をこまねいているよりは……。

「だって、そしたらさがくんたちは──」

「気にする必要はない。俺たちの仕事は、君を守ることだ。それに三人そろって捕まるよりは、一人でも生きびた方がましだ」

「そんな……」

 自分はいい、と宗介は思った。なつとくずくの運命だ。自分の人生は、こんなけつまつだろうと前から予想していた。クルツもそうだ。彼がここでぬのは、彼自身がせんたくした結果だ。だが、彼女は──

「君には生き延びるかくがある。いくんだ」

 にん。作戦目的。そんな名目はどうでもいい。彼女をに帰したい。こわがられようがきらわれようが、この少女を、あの明るいこうしやへ戻してやりたい。

 そう。彼女が帰れなかったら──自分はたぶん──悲しい。

「逃げる……わたしだけ……」

 長いちんもく

 かなめは宗介とクルツをこうに見た。明らかに、まよっているようだった。実際には迷うことなど、なにひとつなかったのだが。

 一人でも助かる可能性があるのなら、その方法を選ぶ。だれにでも納得できるどうだった。ふしようしやを置いて逃げても、だれも彼女を責めはしない。当然、彼女は逃げる道を選んでくれるだろう──宗介はそう思っていた。

 一分以上は黙っていただろうか。やがてかなめが答えた。

「いやよ」

「……なんだと?」

「いやだ、って言ったの。ここから一人で逃げるなんて、まっぴらよ。ほかの手を考えればいいじゃない。みんなで知恵をしぼりましょうよ」

 そう告げる彼女の声は、これまでとは明らかに違っていた。静かで冷ややかだったが、その奥底には──確かに力強いひびきがあった。

 それでも宗介はしんぼう強く、

「いいか、千鳥。俺は専門家だ。このじようきようでは、三人がそろってだつしゆつする方法はない。君一人だけ逃がすのさえ難しい。これは事実なんだ」

「事実? あなたが一人で決めつけた事実じゃない」

 彼女の声に、わずかながこもった。

「しかし──」

「黙んなさい!」

 目の覚めるようないつかつびて、宗介はぼうぜんとした。

「この山の中を歩きながら、ずっと考えてたけど……ようやく気持ちがまとまったわ」

 前置きしてから、彼女は大きく息をいこんで、

「相良くん。あんたはやっぱり大バカよ」

 きっぱりとてきした。

「あたしを助けようって気持ちはありがたいけどね。なんか忘れてない? なにか、っっっじよ~~~っに、大切なことを見落としてると思うんだけど。わかる? わかんないでしょ。なんでわかんないかって言ったら、あんたはネクラのバカだからよ。それでもって、あたしはそーいうネクラのバカに助けられても、ちっともうれしくないのよ」

「なっ……」

 彼の目の前にいるのは、それまでのおびえきった少女ではなかった。にぎやかな学校で、力いっぱい宗介をりつける千鳥かなめが、そこにおうちしていた。

「なんでなのか、教えてあげる。あんたはね、『自分はいつ死んでもかまわない』だとか、そーいうナメたこと考えてるからよ。あたしの気持ちなんか考えもせずに、ぜんを押し付けてまんぞくしてるわけ。かつにあたしに思いがれて。勝手に死ぬ、と。もしかして、そーいうのカッコいいと思ってるわけ? だからネクラのバカなのよ。

 だれかのためにせいになるのはりつだけどね、それは、自分自身を大切にしてる人がそうするから立派なの。あんたのはただの『ぼう』っていうのよ。自分のことを大切に思ってたら、もーすこし悪あがきするわよ、普通? けっきょく、実はやる気ないんでしょ。すこし考えてみたら? あたしを助けるのはだれのためなの!? 『任務』はなしよ。あと、あたしのためとか言ったらブッ殺すわよ!?」

 いつにまくしたてられて、宗介の頭はひどくこんらんした。

 むっときて、がくぜんとして、ずかしくなって、あきれて、思いなやむ。彼女の言葉の意味がわからない。ただ、それが自分のかかえている重大なけつかんに関することで、しかも正しい……それだけはぼんやりとかいできた。

 彼が口を開けたり閉じたりしていると、かなめはうるさげに手を振って、

「もういい。あたしがみんなを救ってあげる」

「な、なんだと?」

「さっき『ほかに手はない』って言ったでしょう? ようするに、あんたはギブアップしたわけじゃない。だったらあたしがやるしかないでしょ。ライター持ってる?」

「持っているが、どうする気だ」

「この山に火をけるの。山火事を起こして、おおさわぎにするのよ。それでもって、けつけたしようぼうしやとか、軍隊のジープとかをドサクサでぬすんで、飛行場にいくの。そこでもドサクサにまぎれて、飛行機を盗むわ。心配しないで。あたしがそうじゆうしてやるから」

「飛行機だと。君は操縦経験が──」

「ンなモン、あるわけないでしょ? でもゲーセンでそういうゲームやったことあるから、なんとかなるわよ。で、飛行機をうばったら、韓国か日本に逃げるの。南に行けばいいんでしょ? 簡単よ。あんたたちは黙って付いてきなさいよ」

 ぼうを通り越してめつれつな計画だったが、かなめの声はあくまでしんけんだった。ふんべつな少女の思いつき──そんな表現では片付けられない、確かなそうかんが、いまでは見え隠れしていた。

「あたしはぜつたいあきらめないわ」

 彼女は自分の胸に手をあてた。

「みんなで助かる方法がないなんて、絶対にみとめない。なんとかするの。あなたもクルツくんも見捨てずに、ここを抜け出して、キョーコやみんなが待ってる所に帰る。そうして、これからもずっと生きるの。あたしが、選ぶのよ。もんある!?」

こんじようきりよくでは、どうにもならないことはあるんだ。俺の言う通りにしろ」

「何回言わせるの!? あたしは『いやだ』って言ったのよ!」

「だめだ、いけ。君ひとりで逃げるんだ」

 とうとう宗介は、サブマシンガンのじゆうこうをかなめに向けた。

 彼女はいつしゆんいきんだが、すぐにきんちようき、まっすぐに彼を見つめた。それまでのはげしい口調とはうって変わって、おだやかな声で、

「いかないと、つの?」

 なぜか、あわれむように言った。

「……そうだ。敵に捕まってはいじんにされるより、ここで死んだ方がましだからな」

「そんな。苦しいくつ

 かなめはほほんで、宗介に一歩、近付いた。

 なぜ脅えない? 宗介はひどくあせった。そしてばくぜんと、もはや彼女を従わせるしゆだんがないことを感じ取り、ぜつぼうてきな気分になった。

「どうしてこわがらないんだろう、って思ってるんでしょ?」

「うっ……」

「理由はかんたんだよ」

 彼女は優しく言うと、銃を押しのけ、ゆっくりと、宗介をきしめた。固くも強くもない、やわらかなほうようりよううでを彼の背中に回し、血のにじむ肩にほおを寄せる。

「あたしはね、もう、あなたを信じたの。さっき、あなたが望んだ通りに……」

 胸から彼女の体温が伝わってくる。怪我の痛みなど吹き飛んで、頭の中が真っ白になった。全身の血がぎやくりゆうし、体中の筋肉がひきつった。手にした銃を取り落としたことさえ、彼は気付かなかった。

「だから……だからこそ、あたしがあなたを見捨てるのはいやなの」

 彼女のれた前髪が、宗介の鼻先をくすぐった。

「千鳥……」

「あたしね……たしかに、さっきまで相良くんのことが怖かった。ただのクラスメートが、別のだれかに変わっちゃったみたいに思えて。すごく強くて、あんな風に……」

 彼女はしばし口ごもったが、迷いをはらうように、

「でも……あなた、『信じてくれ』って言ったでしょう? だから自分に言い聞かせたの。彼は一生懸命なんだ、あたしを助けようとしてくれてるんだ、って。だから恐れずに、彼を信じよう……って。立派だと思わない?」

「……思う。立派だ」

「でしょう? ただの高校生が、ここまでじようほしてあげてるんだよ? だから、あなたももうすこしがんって。『自分は死んでもかまわない』なんて、そんなさびしいこと、考えないで。いつしよに帰ろうよ……」

 一緒に帰る。彼女と。

 それはとてもみりよくてきに聞こえた。そんな方法があるのなら、ぜひとも試してみたい、と思った。朝の光の中で、彼女を見るのはどれだけすばらしいだろう、と思った。

 なぜ自分は、彼女を助けるのか。だれのために助けようとしているのか。

 それがはっきりとわかった。

 俺自身のためだ。俺は彼女と一緒に帰りたい。この子とずっと──

 もっと、生きたい。

 自分がこれほど強く、なにかを望んだことがなかったのに彼は気付いた。そして、傷つき疲れきった身体の奥から、新しいあつとうてきな力がきあがるのを感じた。

「千鳥……」

「相良くん……」

 二人がぎこちなく見つめあったところで──

「……あー。ん。ごほん」

 そばに横たわっていたクルツが、もうわけなさそうにせきばらいをした。宗介とかなめははっとして、飛びすさるようにたがいからはなれた。

「お……起きていたのか?」

「そりゃ、起きるだろーが……。あんな大声で言い合いしてたら」

「ひどい。なんで黙ってたのよ!?」

「そりゃ、黙ってるしかないだろーが……」

 クルツはこめかみのあたりをポリポリといた。それからの悪い声で、

「いや。でも、もうすこし黙ってた方が良かったかな? 悪いことしちまったな。しっかし、まあ……ふぅん。君らがねえ……。へえー」

 かなめは耳まで真っ赤になって、

「ち、違うわよ!? ちょっとふんに流されてただけで、あたしは別に、彼となにかする気とか、そーいう気は全然なくって、その……本当よ!?」

(そ、そういうものなのか……?)

 彼女がやつになってていするのを見て、宗介は内心でがくぜんとした。一方、クルツはこらえきれなくなった様子で、くぐもった笑いをらし、

「くっくっく。って、痛え。おまえの負けだよ、ソースケ。とにかく彼女が『いやだ』って言ってるんだ。おまえのプランはきやつかだね。むしろ、カナメちゃんの言ってた作戦の方がいいかもしれないぜ」

「……と、いうと?」

「山火事とかさ。いい考えだ。このままクタばるよりは、ずっとマシだな。まあ、この雨じゃあ、ほうなんて無理だが。ガソリンでも調ちようたつするか? いや、それでもボヤで終わりだな」

「そうだ。敵にこちらの位置を知らせるだけだ」

「わかんないわよ。味方の飛行機がこの辺を飛んでて、空から見つけてくれるかも」

「ここは敵のせいくうけんだ。味方が飛んでいるわけがない」

「……じゃあ、もっと上は? ハリソン・フォードの映画で見たことあるわ。スパイえいせいが、宇宙から見てるのよ。あなたのしきって、そういうのないの?」

 宗介は〈ミスリル〉のていさつ衛星〈スティング〉のそんざいを、部外者に話していいものかどうかまよった。だがすぐに思い直して、

「ある。しかし、ごうよくここの上を飛んでいるわけがない。偵察衛星のどうみつこうだ。俺たちのような下士官には知らされていない」

「……いや」

 クルツがぽつりとつぶやいた。

「俺はしゆつげきまえ、ブリーフィングで衛星写真を見させられた。昨日の一五三〇時の、あの基地の映像だ。……いまの時間は?」

 宗介はなにかに打たれたようになって、腕時計を見た。

「〇二四八時。あとすこしで半日がたつ。……ということは」

 と、いうことは。

 つうじよう、偵察衛星は九〇分で地球を一周する。地球の自転を計算すると、偵察衛星が同じ場所の上空にやってくるのは、約一二時間おきだ。昨日の一五三〇時にこの地域の上空を通ったのならば──

〈スティング〉が、もうすぐ上空をつうする……!

 ほぼ正確な時間がわかっているのだから、地上から火文字で存在を知らせれば……?

 宗介とクルツは顔を見合わせた。『ねつげんの目印』と『偵察衛星』。この二つのキーワード、生死を分けるほど重要なヒントが、はからずもしろうとの彼女の口から出てきたのだ。

「どうしたの?」

 そうたずねるかなめの声は、天の調べのようだった。

「こんなもうてんがあったとは……」

「カナメちゃん、君ってサイコーだ……!」

「な、なによ、いきなり……」

 ただし、そのプランは分のいいけとはいえなかった。火をけば、味方だけでなく敵の注目も集めてしまう。衛星が、かくじつにこちらを見つけてくれるとも限らない。そして味方が発見してくれても、きゆうじよたいが間に合うかどうかは──神のみぞ知る、だ。

 やはり、かなめ一人を逃がす方が、まだかくじつだろう。しかし、彼女は望んだのだ。一緒に帰りたい、と。

 やってみるはある。

 宗介は立ち上がり、サブマシンガンを肩にかけた。

「さっそく実行してくる。ここにいてくれ」

「……わかった。無茶は……いや、どうせだから無茶してこい」

「そうだな」

「相良くん。一人でいくの? 怪我は?」

しのび歩く程度なら、なんとかなる。それに……」

 心配顔のかなめの肩を、宗介はぽん、と軽く叩いた。

だ。力が湧いてきた」

 それだけ言って、彼はやみの中に消えた。


 宗介が立ち去ってから、かなめはあまった布切れで、よごれたクルツの顔をいてやった。

「はは……すまないね、カナメちゃん」

「どういたしまして。ところで……あなたは聞いてないの? あたしが……なんで、ねらわれてるのか……」

「俺もあんまり知らねえんだよ。俺たちの上司が、君を守るように命令した。俺たちはそれにしたがった。それだけなんだ」

「そう……」

 うなだれてから、かなめは小さく咳きこんだ。

 さっきから、どうも頭が重い。宗介と話していた時は、まだ気にするほどではなかったが、だんだんと、いやなかんかくが寄せては返すようになってきた。

 きみようゆうかん

 あのいりようトレーラーで見た不思議な夢が、だんぞくてきおそってくる。それが夢と呼べるものかどうかも、はっきりとはしなかったが。

 クルツはかなめの様子に気付いたらしく、

あいが悪いのか? 連中に捕まってた時に、なにか薬物を?」

「……うん。なんの薬かは知らないけど、えいようざいだとか言ってた。別になんともなかったんだけど、さっきから……どうも頭がヘンな感じで……」

「ほかには? なにかされなかったか?」

「あと……なんだかヘンな映画を見させられたの」

「映画?」

「いろんな文字がね……どんどん入れわって。知らない言葉のはずなのに、あたしはそれを知ってるの。……ついかんばんダンパーのほんざいだとか、パラジウム・リアクターのはんのうざいだとか。ECSの不可視モードとかも全然未完成でね、レーザー・スクリーンのはつしんシステムにたんばっかりかかって、オゾンしゆうがたくさん──」

 クルツが真顔になって、目を丸くした。

「なんでそんな言葉を知ってるんだ」

「え。……あれ? あたし、いまなにか言った……?」

「『椎間板ダンパー』って言ったぞ」

「ツイカン……なにそれ?」

「ASの部品の呼び名だよ。君はいま、たしかに専門的な話をした。それにECSの弱点なんて、軍事関係者しか知らないはずだ」

「ちょっ……待って……」

 かなめはこめかみに手をやり、固く目を閉じた。クルツはややこうふんに、

「ただの高校生が、そんな言葉を知ってるわけがない。いったい君は……どこでそんな知識を得たんだ?」

「そ、そんなこと言われても……」

 自分ののうに、なにかのみつが?

 かなめはトレーラーでの女医との会話を思い出した。

「そういえば、連中の一人がみようなことを言ってたわ。そういうぎじゆつようとかを、生まれる前から知ってるって……。ブラック・テクノロジーとかいうのを持っていて、それで……ゆくゆくは自由にその知識を……知識を……」

 言いながら、彼女はあのぼんやりとした感覚がよみがえってくるのを感じた。はじめてはつてきに、自分の未知の知識を意識した。

「知識……ちし……ききき……。あ……」

 なにも浮かんでこない。だが、なにかがしずんでいる。ばくぜんとしたけんかん

 ジヤビユという感覚がある。はじめて来た場所なのに、前に来たことがあるようなさつかくを感じることだ。彼女がいま味わっているのは、その既視感に似ていた。ただしこれは、もっとようで、暗く、重たい感覚だった。

 ひどくあいまいで、それなのに存在感だけが色く……。

「思い出せ……せせ? ない。なない」

 心の奥にひそかいぶつ。彼女はそれをせいできなかった。そうしようとすればするほど、自分のどこか、たましいのどこかがけいれんした。天と地がさかさまになりそうで、それ以上は考えられない。無理だ。無理。ムリ。むり。むむぅりむムむ……

「無理……ムリぃ……な、ななに、これ……?」

 ヒステリックなさけびが出そうになるのを、おさえるだけでせいいつぱいだった。

「おい、やめろ。こっちを見ろ。……おい、カナメ!」

 クルツの声で引き戻される。いつのまにか、着ていたガウンの胸元を、自分の手で引きいていた。

「あ……あたしなにを……。あ、アブない人だね、これじゃ。はは……」

 半分あらわになった胸元をかくしながら、かるくちたたこうとする。だが、死人のような声しか出なかった。

「いいか、カナメ。もうその件は考えるのはよそう。全部忘れちまえ。絶対に……うっ」

 どこかが痛んだらしく、彼は顔をゆがめた。

「だ……だいじょぶ?」

「……あんまり大丈夫じゃねえな」

 クルツは顔をあげようとしたが、それで精一杯だった。

「ああ、くやしいぜ。ちくしょう。なんでこんなときに身動きできないんだ」

 彼は、我が身のふがいなさをなげき悲しんだ。しまいには、青いひとみなみださえためる。かなめはさらに身体をかたむけ、クルツの涙を拭いてやった。

「仕方がないよ。そんな怪我してるんだから」

「でも、本当に……くやしい。もうすこし……あともうすこし元気だったら、じっくりとかんしようできるのに……」

「なにを?」

「君の胸の谷間」


 宗介が山を降りると、集団農場が見えた。

 彼はそこに忍び込み、古ぼけたトラクターからエンジンオイルを抜き取った。

 本当はガソリンが欲しかったが、けいざいのためか、どのガソリンタンクも空っぽだった。トラクターなどといったしやりようがあるだけ、このあたりはまだ豊かないきのようだった。

 オイルのまったポリタンクをかかえ、農場のきゆうこうちへと走る。わきばらの傷が痛んだが、まんできないほどではなかった。

 荒れた農地に、オイルをどぼどぼとりまいていく。時計を見ると〇三二八時だった。

(よし……)

 ポケットからサバイバル・キットを取り出し、しようどくように使うマンガンさんじようざいくだく。それをオイルの上にばらまき、ジッポーライターで火をけた。

 やがてオイルが引火して、ゆっくりと炎が広がっていった。

 偵察衛星〈スティング〉のかいぞうは非常に高い。晴れた日の昼間ならば、新聞の見出し文字さえ楽に読める。しかし、こんなきりさめの夜では、現地の兵士と彼らとをしきべつするのはこんなんだ。だから彼は火文字を作った。

『A67ALIVE』

『A』はかなめの暗号名『天使エンジエル』を表わす。『6』はクルツの『ウルズ6』、『7』は宗介の『ウルズ7』。

 千鳥かなめ、クルツ・ウェーバー、相良宗介の三名はけんざいなり。

 宗介はあしあとに用心しながら、かなめとクルツの待つ場所に引き返した。

 かなめたちの待っている位置を知らせる必要はない。〈スティング〉があの火文字をとらえることができれば、あとは火を点けた宗介自身のシルエットを、宇宙からついせきしていくだけでいいはずだった。

 オイルの火は、数分もしないうちに消えてしまうだろう。それに敵が気付くか、味方が気付くかはわからない。これはあくまで、けなのだ。



四月二九日 〇三四五時(日本=北朝鮮標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 スンアン航空基地



しん?」

 部下のほうこくを受け取り、ガウルンはまゆをひそめた。彼はの一角、せいトレーラーの前で、〈コダール〉の修理をかんしていたところだった。

「はい。ここから西一五キロの集団農場で、何者かが畑に火をけたとの連絡が……」

「ふん……」

 ようどうだろうか? いや、ただの不審火が陽動とは思えない。いずれにしても、その放火をしたのはカシムだろう。はわからないが、その付近に隠れているはずだ。

「軍の連中は、すでにそうさくせばめています。とうそうしやの発見は時間の問題でしょう」

「男は殺せ。娘は──手足を折ろうがおかそうがかまわんが、殺すなと念を押しておけ」

「はい」

「俺もこれから出発する」

「〈コダール〉に乗って、ですか?」

 ガウルンは部下をめつけた。

もんあるのか? あ?」

「め、めつそうもありません。しかしカネヤマ先生は、あまり現地の兵の前で使ってはならないと……」

きんじてるわけじゃねえだろ。それに相手は〈ミスリル〉……いや、カリーニンだ。まだひとさわぎあるかもしれん」

 海軍からの報告では、連中のせんすいかんはすでに沿えんがんを遠くはなれ、中国のりようかいきんにまで逃げているという。あのきんきゆうてんかいブースターを使っても、救出部隊をけんすることなどのうなはずだが──

ねんのためだよ。念の、な」

 整備用のハッチを閉じた技術者が、修理がんだことを叫んで知らせた。



四月二九日 〇三五五時(日本=北朝鮮標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 ピヨンアンナム デードン郡の山中



 宗介が戻ると、かなめがほっとした様子でむかえた。なぜか、はだけた胸元を両手でぎゅっと隠している。クルツは眠っているようだった。

「クルツの具合は?」

「意外と大丈夫なんじゃない? 長生きするわよ、こういうタイプ」

「…………?」

 じじようもわからず、宗介は木の根に腰かけた。

「どう? うまくいきそう?」

「わからん。もともと分の悪い賭けだ。君が一人で逃げた方が、まだ見込みはあっただろうな」

「もうおくれよ。考え直す気もないから」

「それはよく分かった。もう君にさしはしない」

「ありがと」

 遠くから、ヘリのローター音が聞こえてきた。近付いてくる様子はなく、その音は十数秒もすると遠ざかっていった。

 暗い林はいんで、さむざむしく、出口のないめいきゆうのようだった。

「ねえ。もし……もしに帰れたら、相良くんはどうするの?」

 ただ待ち続けるのにえられなくなったのか、かなめが口を開いた。

「次のにんくだけだ」

「どこか、別のところにいっちゃうわけ? 学校には、もう来ないの?」

「そうなるだろうな。あの学校の生徒という立場は、あくまで仮のものだ。別の任務ではじやになる。俺はただ、君たちの前から消え去るだけだ」

「そう……」

 そこで宗介は足音に気付いた。

「…………?」

 人ではない。もっとすばやく、静かな音。荒い息。なにかの動物?

 これは、犬だ。

 さらにその遠くから、人の足音も聞こえてきた。三人、四人……もっといる。

 彼は息を殺した。小枝をむ音が、だいに近付いてくる。きようぼうなうなり声。

「どうし──」

「来る。せてろ」

 彼が言うのとほとんど同時に、岩のかげから二匹の犬が飛び出してきた。黒くて大きい。それ以外は、やみのせいでわからなかった。だんがんのようにまっしぐらに、こちらに向かって──

 宗介はためらわずにはつぽうした。軍用犬はめいをあげた。うち一匹は、いきおいあまってかなめのらだにどすんと当たり、身もだえしてからぜつめいした。

「きゃっ……!」

 ついせきたいがこちらの発砲に気付いて、松林の奥からライフルをってきた。白いせんね回り、岩がくだけ、えだがぱらぱらと振り注いだ。

けられたな? このバカ!」

 すでに目を覚ましていたクルツがののしった。宗介は追跡隊に射ち返しながら、

「時間の問題だった。かたがない」

 この怪我で、このそうでは、血のにおいなど消しようもなかった。

 巨木の蔭から様子をうかがうと、敵の兵士が一人見えた。足を狙って一発撃つ。たがわず命中。倒れたところを、わざと周りに二、三発射ち込んでやる。兵士は悲鳴をあげ、仲間に助けを求める。たぶん友人なのだろう、もう一人の兵士がけつかくで負傷者にけ寄り、松のかげへとひきずっていく。

「これで二人」

「殺しちまえよ。ったく……」

 敵のじゆうげきは増す一方だった。後から後へと、ぞうえんが駆けつけているのだろう。

「この調ちようしだと、もうすぐ敵のASも来るな」

「いよいよかい。くはは……」

 クルツはとうとう笑い出す。宗介の銃には、あと一〇発ほどしかたまがなかった。

「やっぱり、だったみたいね……」

 かなめがつぶやいた。

「そのようだな。……すまない」

 応戦しながら宗介は言った。かなめは努めて明るい声で、

「あたし、こうかいしてないよ」

「そうか」

「相良くんと会えて、良かった」

「……ああ」

 暗い声でこたえた時、弾が切れた。いまや彼に残された武器は、単なるどんと化した銃だけだった。クルツがうなり、

「おわりか」

「いや」

 空を見上げ、宗介は言った。

「天からえんぐんだ」


 彼らの上空一〇〇メートルで、パラシュート付きのカプセルがはじけた。

 ばくはつボルトの火花がり──黒い空に、白いASがおどり出す。その機体は空中でバランスをとるように両腕を振りあげて、まっしぐらにこうしてきた。

「来るぞ……」

 三人が見守る中、ASは彼らのわずか五メートル先のしやめんに着地した。ずしゃりと重たいどうけいの音がひびき、どろと小石が盛大に跳ね上がる。機体のあちこちから白いじようき──じようはつしたしようげききゆうしゆうざい──が噴き出し、あたりにかりそめののうをつくりあげた。

 そのAS──雪のように白いASを見て、三人はぽかんとした。

「これは……?」

 それは宗介たちが、まったく見たことのない機体だった。こつかくの造りはM9に似ていたが、そうこうの形がかなりことなる。

 ASというのはもともとこうくうてきなフォルムを持つ兵器なのだが、この機体はそのけいこうがよりけんちよだった。シャープで力強いシルエットが、もうきんるいきようぼうさをれんそうさせる。そのつらがまえはナイフのようにするどく、研ぎ澄まされた緊張感がただよっていた。

 獲物を見つけたら絶対に逃がさない──そういった冷たいどうもうさ。

『陸戦兵器』と呼ぶよりも、むしろ『世界一危険な美術品』とでも呼んだ方がしっくりくるイメージだった。

 腰のパイロン──へいそう取付け具には短銃身のシヨツト・キヤノンが固定してあり、わきの下のパイロンにはだんそうたんぶんカッターがそうしてある。

「……だれが乗ってるんだ? マオか?」

 それに、他の味方は? 一機だけ?

 彼らのもんに答えるように、白いASはひざまずき、首の後ろのコックピット・ハッチを開放した。

 だが、だれも出てこない。

 白いASはそのままの姿せいでじっとしている。何秒待っても、それは変わらなかった。敵の銃撃がそうこうばんのあちこちをたたくが、それでも機体は身じろぎもしない。

「おい、ひょっとして、これ……」

 クルツの言葉を待たずに、宗介は白いASに向かって飛び出していた。機体に駆け寄ると、すばやい身のこなしでコックピット・ハッチへと登る。敵の弾丸がかすめるが、気にしている場合ではない。中をのぞくと──

「無人か」

 その機体には、だれも乗っていなかった。コックピットはM9や他のASとほとんど同じこうぞうで、人間ひとりがぴったりと収まるだけの空間しかなかった。とにかく機内にすべりこむ。正面のもくてきスクリーンはてんとうしたままで、いつでも動けるじようたいだった。

せいもんチェック開始。姓名、かいきゆうにんしき番号を》

 低い男の声で、機体のAIがようきゆうした。

「相良宗介ぐんそう。B─3128」

しようごうかんりようサージエントサガラとかくにん。命令を》

「ハッチへい。モード4に調整開始。バイラテラル角、3・5」

《ラジャー。ラン、モード4。BMSA、3・5。コンプリート》

 ふくしよう。すぐさまコックピット・ハッチが閉鎖され、セミ・マスター・スレイブのそうじゆうシステムがどうした。いまやこの機体は、宗介の手足も同然だった。

 いける。この白いASは、M9とまったく同じシステムだ。

 宗介は機体を立ち上がらせた。

「チェーンガン、いりよくこう使

《ラジャー》

 頭部の二基のきかんじゆうえた。秒間一〇〇発のすさまじい銃撃がき出される。周囲の松林は、見る間にずたずたになった。倒れる木々と、逃げる敵兵。

 あっけないほどのけいせいぎやくてんだった。かなめとクルツが足下でぽかんとして、宗介の乗った機体を見上げている。

 そこで宗介は、スクリーンのすみの赤文字に気付いた。

『データ・レコーダーの予備ファイル/A─Iをえつらんせよ──最優先』

 宗介はAIにデータの再生を命じた。コックピット内にひびいたのは、カリーニン少佐の声だった。

『サガラ軍曹。君がこのろくおんを聞いているのなら、このASとの合流に成功したということだろう。以後はそのぜんていで話を進める。

 偵察衛星〈スティング〉でしよくんを発見した時、〈デ・ダナン〉は沿えんがんから六〇キロ離れた海域にいた。通常の救出隊をけんするにはきよが遠すぎるため、かいぞうしただんどうミサイルにこのASをとうさいしてしやしゆつした。無人なのはそのためだ』

「そうか……」

 弾道ミサイルなら、その距離でも数分で着く。ただし、人を乗せるわけにはいかない。射出時のGは人体にはこくすぎるからだ。

『現在〈デ・ダナン〉は、せんふうで西朝鮮湾の沿岸へ急行している。海岸をかすめ、諸君らをかいしゆうしてから全速でだつしゆつする予定だ。〇四三〇時から一分間、〈デ・ダナン〉は沿岸にふじようする。その時間までに、指定した地点へなんとかとうちやくしていろ』

 デジタル・マップに回収地点の表示。『Hasanbuk』とかいう、読み方もわからない村の南に位置する海岸。いまの場所から、およそ二〇キロはなれている。

 現在のこくは〇四一三時。味方が海岸に来るまで、あと一七分しかない。

『──なお、このASは〝ARX─7〈アーバレスト〉〟と呼ばれている。AIのコールサインは〝アル〟だ。高価な実験機なので、必ず持ち帰るように。以上。幸運を』

 ARX─7〈アーバレスト〉。それがこのたいの呼び名か……。

 宗介は機体の具合を確かめてみた。パラジウム・リアクタからエネルギーがほとばしり、でんきんにくに力がみなぎる。すこし動かしてみただけで、このASのたくえつしたパワーがはっきりと感じ取れた。

《敵AS、すいてい五機、接近中》

〈アル〉がけいこくする。スクリーン内の窓に、敵機の推定位置と距離がとうえいされる。正面と右、左前方。〈アーバレスト〉を押しつつむように、高速で移動、接近中。

 ちようかくセンサーが、敵機のうなり声をかんした。低くかくするような、ガスタービン・エンジンのほうこう

 やみを見通す光学センサーも、てきえいとらえた。カーキ色の装甲。赤い二つ目。

 Rk─92〈サベージ〉だ。

 真夜中のさんりようをすべるように、ライフルをかまえてせまってくる。

 なおに逃がしてはくれないようだ。敵は五機。対するこちらは一機。しかし──

 これから先は、自分だいだ。彼女を連れて、必ず帰る。傷の痛みに、むしろきみようここよさを感じながら、宗介はつぶやいた。

「アル……といったな」

イエス、サージエ殿ント

「一分で片付けるぞ」

《ラジャー》

 次のしゆんかん、〈アーバレスト〉はちようやくした。


「うわっぷ……」

 宗介のASがてたどろを、かなめとクルツはまともにかぶった。

 次に顔を上げると、白いASは山のむこうに着地して、迫りくる敵へと突進しているところだった。

 いつしゆんで、あんな遠くまで? かなめの目から見ても、あの機体がケタ外れの跳躍力を持っていることはすぐに理解できた。なしのさいしんえい。あの基地で乗ったASなど、問題にならないパワー。

「すごい」

 ここから見える限りでは、敵機の数は二機くらいか。カーキ色のASが、暗い斜面を飛び跳ねながら、宗介の機体へと襲いかかった。

 敵機がライフルをかまえ、発砲する。

「あ……」

 次の瞬間、吹き飛んでいたのは敵の方だった。なにをどうしたのかもわからない。

 さらに白いASは、地をい飛ぶつばめのように、別の一機に高速で近付き、すれ違いざまにせんこうを放った。たぶん、宗介が発砲したのだ。たれた敵は空中できりもみして、地面にげきとつし、ばくはつする。

 それ以上は、彼女の目にはとらえられなかった。

 白いASは矢のように谷間をけ抜け、ちゆうう。敵とぶつかりあった次の瞬間には、はじかれたように飛びすさる。白い影を追って、いくつもの火の玉が夜空をがす。

 闇の中で、ひとつの火花がたけだけしく、じゆうおうじんに跳ね回っているようなこうけいだった。

にんじやマンガみたい……」

 敵が何機いたのかもわからない。たぶん、四機以上だ。そのことごとくが、宗介によってかれ、たたせられ、ばらばらにされていく。

 でんこうせつ

 宗介の駆る白いASは、最後の一機へとさつとうした。


 ショット・キャノンを二連射して、

「五機……!」

 肩で息して、宗介はつぶやいた。だんした敵機は地面に叩き付けられ、煙を噴き出し動かなくなる。

 きっかり五八秒。追っ手のAS部隊は、これで完全にちんもくした。猫のようなしなやかさで、ふくへいを警戒する。一〇秒たっても、ほかの敵機は見当たらなかった。

(よし、いまのうちに……)

 かなめたちを拾って逃げるべく、宗介は元の場所に引き返そうとした。

 そこで──

 左のやまかげからとつぜん、銀色のASが姿を現わした。

 きんきよだ。きようぼうてきをむき出しにして、カービン・ライフルをれんしやしてきた。

「っ……!」

 宗介は機体を前転させ、あやういところでしやせんけると、ショット・キャノンではんげきした。敵はそれを予想していたように伏せ、次に跳躍した。空中から三回ほど三点射。〈アーバレスト〉は前転を続けて、なんとかしのぐ。

 みみざわりな笑い声をあげ、銀色のASは着地した。何のつもりか、外部スピーカーを入れっぱなしにしているのだ。

『よくかわしたなっ、カシムっ!』

 ガウルンはかんはつれず、さらにライフルを射ってきた。宗介も射ち返す。いずれも外れ、木々を大地からむしり取る。

 AS同士の戦闘は普通、二、三度射ちあうだけで勝負が決まる。

 ていしてせいみつしやげきするか、動きながらけんせい射撃するか、かい運動にせんねんするか──最良のせんたくをしなければならない。それもすばやく、りんおうへんに。そしてその選択をあやまった方が、一瞬でめいてきそんがいこうむるのだ。

 しかし、この二機の戦闘は違った。

 両者がまったくゆずらない。休むことなく走り、び、伏せ、転がり、何度も何度も発砲する。そうした砲弾のことごとくが外れる。どれだけはげしく動いても、機械の手足は疲れない。どちらかの機体が倒れるまで──もしくはオペレーターの神経がまいるまで──この闘いは続くのだ。

 それはまるで、地上でり広げられるれつドツグ・フアイトだった。


「あの銀色、さっきのやつだ……」

 そのようを山頂から見ていたかなめは、おもわずつぶやいた。

 白と銀色の人影が、闇の中に浮かんでは消える。山のむこうに去ったかと思うと、ばくえんと共に、反対側の岩蔭から現われる。宙に舞い、樹木をなぎ倒し、暗い谷間を赤く染める。

「身を低くしてな。流れ弾のへんひとつが、めいしようになる」

 クルツのじよげんを彼女はした。遠くの打ち上げ花火でも見るように立ちつくし、

「どっちがゆうせいなの?」

「普通の戦闘なら、かくのはずだ。だが……」

「だが?」

「あの銀色のASは、普通じゃない。たいのしれない奥の手を持ってる」

「あなたがやられたやつ?」

 彼女は戦いから目を放さず、なにかに取りかれたようにたずねた。

「ああ。こっちの砲弾が、空中ではじけ飛んだんだぜ? どんな手品やら……」

「手品。そうかな。そうじゃないわ」

 頭が重い。

 いつのまにか、あの奇妙な浮遊感が彼女をつつんでいた。

 ささやき声。

 ぼんやりと、がいの中をはんきようする。そうではなく、クルツが言っているのは、そうではなく、あのASに積まれているのは、そうではなく……。

「手品……じゃない。ギジュツ……」

 敵にはある。だが、彼の機体には……?

「負ける」

「え?」

「彼は……負けちゃうわ、あのままだと」


 ガウルンの投げたグレネードが、至近距離で爆発した。

〈アーバレスト〉は腰を落とし、破片と爆風をしのぐ。立ち上がりざま、倒れた樹木をつかんで投げつけた。

 投げた木は、二機の間を落ちていく。互いの姿すがたが、互いにかくれて見えなくなった。その瞬間、ろくなしようじゆんもせずに、両者が同時に発砲した。

 しんようじゆは空中で消し飛んだ。

〈アーバレスト〉は、頭部の右上にだんした。機銃のだんやくゆうばくして、メイン・センサー類の半分がかいされた。一方、ガウルンのASは、ライフルの機関部に被弾した。リー式の液体さくやくタンクが割れて、完全にこしようした。

 機体そのものの損害からいえば、〈アーバレスト〉の方がしんこくだった。しかし──

(勝った)

 こちらは武器が生きている。距離はわずかで、外しはしない。

 被弾によろめくガウルンの機に、宗介はショット・キャノンを射ちこんだ。砲身から飛び出し、八個に分かれた小弾頭は、敵ASの上半身に──

 そこで目を疑うことが起きた。

 ガウルンのASに当たるはずの砲弾が、すべて空中ではじけ飛んだ。火花を散らして、粉々になったのだ。まるで、見えないかべに当たったかのように。

「…………!?」

 すこし遅れて、もうれつしようげきが〈アーバレスト〉を襲った。一度、おもいきり前へ引き寄せられたかと思うと、次には後ろに跳ね飛ばされた。

〈アーバレスト〉は空中にを描き、きりもみし、山肌にかたからげきとつした。

 ガウルンのこうしようが、暗い谷間にひびきわたった。


「ちくしょう、あれだ……!」

 クルツがうめいた。

 こうして遠くから見ても、まるでかいのできないげんしようだった。

 さんだんらいでもない。爆発式のはんのうそうこうでもない。見えない壁。なにかのしようげき……そうとしか表現できなかった。

 白いASは動かない。彼らの位置からはよく見えないが、おそらくはたいしたはずだ。実用性一点張りのM9でさえばらばらにされたのだから、得体のしれない実験機では、とうてい助かるはずもないだろう。

 かなめは今までと同じ様子で、ただ突っ立ったまま、

「なんてこと……」

 せいのない声をらした。


「…………っ」

 宗介はあえぎ、頭を振ろうとした。

 視界が赤い。ついらくのGによるレツドアウトだろう。全身の感覚がしていて、指先を動かすのがやっとだった。脇腹がぬるりとれている。かりめしていた傷口が開いたらしく、気の遠くなるようなげきつうが戻ってきた。

 クルツの言葉を思い出す。

『ハンマーにぶんなぐられたみたいな……』

 これのことだ。

 そして機体はばらばらに──クルツはそう言っていた。きっと自分の機体も、同じありさまだろう。あんな衝撃を受けて、機体がでいられるはずがない。ASを失い、ガウルンには敗れ──

(今度こそおしまいか)

 赤かったかいが元に戻った。スクリーンの表示にしようてんが合う。

 青い文字。

 予想に反し、それは──

《ダメージけい──戦闘にししようなし》


 今度はガウルンが目をうたがった。

 白いASが、身を起こし、ゆっくりと立ち上がったのだ。

 頭部がはんかいしているものの、ほかの部分はほとんど正常に見えた。前の戦闘で倒した〈ミスリル〉のASは、手足がちぎれ飛んだのに……。

「ああ、なぜかん?」

 ハイになった頭を振って、どうりよくけいをチェックする。今度は『ラムダ・ドライバ』を、ゆうをもって──専用のコンデンサーにちくでんをして──使ったので、出力には問題なかった。

はつか? どうも……」

 なにしろ未完成ののうだ。思う通りに作用しないこともある。

 ガウルンは機体の背中にまった、使い捨ての専用コンデンサーをこうかんさせた。シリンダーが回転し、新しいコンデンサーがせつぞくされる。それはちょうど、リボルバーけんじゆうのような仕組みだった。

「よぉし……くっく」

 もう一度、『ラムダ・ドライバ』のせきりよくをぶつけてやるつもりだった。それで今度こそめられるだろう。


「どうなってる……?」

 スクリーン中のそんがいほうこくながめ、宗介はつぶやいた。

 さっき被弾した頭部をのぞけば、ほとんどきずだ。これはいったい……?

〈アーバレスト〉の背中で、なにかの部品──たぶん、シリンダーだろう──が回転する音がした。そして、するどいせつぞくおん

「なにをした。いまの動作はなんだ?」

 AIはそれには答えず、

《ラムダ・ドライバ、イニシャライズかんりよう

「なに? なんのことだ?」

かいとうのう。戦闘の続行を》

「答えろ、アル」

《回答不能》

 スクリーンに映るガウルンのASが、ナイフ型のたんぶんカッターを抜き放った。


 クルツはぜんとした。

「生きてる。あいつ、いったい……!?」

 なぜ? 宗介は無事なのか? 自分の時は、機体がばらばらになったのに。

「……なるほど。な……なんとなく……わかる」

 右手をこめかみにあてて、かなめが重たげにつぶやいた。

「カナメ……? だいじようぶか、おい」

 彼女は木のみきにもたれかかり、何度かきこんだ。そして遠くの白いASを眺め、

「気持ち悪い……。TAROS……。彼は……使い方をわかってない。せ……せいぜい相手の……そうさいするくく、くらい……? つつつ、強いぼうえいしようどうが……」

 肩を上下させ、ぶつぶつと弱々しい声を出す。さっきのしようじようとよく似ていた。彼女の目は、とても正気には見えない。

「やめろ、カナメ。正気に戻れ」

「戻……らない。ヒントを……。わ……たしぃが……」

「ヒントだと? なにを言って──」

「わたし……助けられてばかり……ちが……今度は……ヒント」

 クルツはそのとき、理解した。かなめはなにかを知っている。敵に打ち勝つヒントのような、きちような情報を持っているのだ。それを頭の奥から引っ張り出すために、自分の中でかくとうしている……?

「ぎぎてきなちち……ノらむ……きょ、きょきょ。い、いそウかんしようハこーしあ、たタたろス……、ん……あぁ……。だめぇ……。だだ。でもない」

 えつもんの入りじった声。それがどこかかんのうてきにさえ聞こえる。彼女は乱れた髪をわしづかみにして、背中をらせた。

 きようはつの当たりにして、クルツは背筋が寒くなった。

「おい……!!」

 かなめは答えず、

「ま……っけるもんかぁっ!!」

 いきなり寄りかかった樹木の幹に思いきり頭を打ちつけると、そのまま反動で背中から倒れ、勢いあまって二転三転した。身体をくの字に曲げ、うらがえった泣き声を出して、意味のわからない言葉をらす。

「か……カナメ……!」

 こちらの頭までおかしくなりそうだった。

 なんてこった。俺は兵隊だぞ。せいしんびよういんかんじゃない。こんな時はどうすりゃいいんだ……!?

「はあ……はぁ……。くくる……っつ、くく?」

 うろたえるクルツの目の前で、かなめは身を起こした。なにかを言おうとするが、したがうまく回らないようだ。せまる目で彼をにらみつけ、大きく息をいこむと、

「くぃ……クルツくん。つ……つうしんして……!」

 これまでとはガラリと変わった、せつぱくした口調だった。

「構わねえけど、いったい……」

「はやく彼に教えないと……!」

「教える? なにを」

「いいから、はやく!」


〈アーバレスト〉のAIは、どうあっても宗介の質問に答えなかった。

 敵が迫ってくる。押しもんどうの時間はない。宗介は機体のわきの下から単分子カッターを引き抜いた。ショット・キャノンはさっきの衝撃で取り落としている。

(しかし、もう一度あれをやられては……)

 機体は無事でも、こちらの身がたない。そう思うと、体中がじんわりとあせばんだ。

 そこに新たな声が入る。外部からの短距離通信。

『相良くん、聞こえる!?』

「千鳥か?」

『よく聞いて! あなたの敵は、特別なそうんでるの。とうじようしやこうげきしようどうを、物理的な力にへんかんする機械よ。それで、これが重要なんだけど……ど』

 しぼり出すようなかすれた声。怪我でもしたのだろうか? 彼女は無事なのか?

「ちど……」

『き……キキなさぃ! それっ……でぇ! 理由は知らないけど、あなたのASにも、それが──〝ラムダ・ドライバ〟が積んであるの! だから無事だったのよ!』

 同じ装置が? この〈アーバレスト〉に?

 ガウルンのASは、いまや数十メートルの距離にまで迫っていた。

『あなたはさっき、自分の身を守ろうと思ったでしょう? それに装置が反応したの。あなたの心の中の、強いイメージがカタチになるのよ!』

「イメージ? 心? そんな兵器があるわけ──」

 ガウルンのASは〈アーバレスト〉の手前で立ち止まり、赤い一つ目でこちらをにらみつけた。まえれもなく、しゆういの大気がぐらりとゆがんだ。

 木や草や泥や石が、強風を受けたように飛び散った。例の衝撃波だ。どうしようもない。またたく間に、それは〈アーバレスト〉に襲いかかった。

「うぉっ……!」

 機体の上体がのけぞった。しかし──

 今度は、かくしていたほどではなかった。〈アーバレスト〉は数歩後ずさっただけで、すぐに姿せいを立て直した。

「……これは!?」

『そうよ。相手はいま、あなたをバラバラにしてやるつもりだった。だけど、できなかったの。ぎやくしゆうだってできるわ。強く念じて!』

「念じる、なにを」

『相手をやっつけてやる、って思うの! いを入れて、いつしゆんに込めて! カメハメとか、そーいうのみたいに!』

「カメハ……なんだと?」

せつきんけいほう!》

 銀色のASが一気にみ込み、ナイフを突き出してきた。〈アーバレスト〉は、あやういところでそれをしのぐ。ガウルンの機から笑い声が聞こえた。

『はっはっ! なるほど、そりゃあ、そうかもしれんっ!』

 言って、ナイフで切りかかる。目まぐるしいナイフ・コンバットが始まった。

『ウィスパードを守っていたお前らだ! 持っていてもはない。なあ……!?』

「なにを……」

『で、俺のとくぶんは知ってたか!? そう、ナイフだぁ!』

 突き、はらい、ぎ、打ち、さそいをかけて、それをしのぐ。単分子カッターが装甲をかすめるたびに、白い光があたりをらす。

『そら、どうした? モタモタするなよ』

 ガウルンの攻撃はすさまじかった。この男の技能の前では、並の操縦兵とASなら三秒と立っていられないことだろう。機体のメイン・センサーがはんかいしていることもあって、宗介は次第にあつとうされていった。

『覚えてるか、カシム!? あの村の連中も切りきざんでやったぞ! こんな風にな……!』

 ガウルンのナイフが、〈アーバレスト〉の胸部装甲を切りいた。

『ナニやってるの! 気合いよ、気合い!!』

 無線機ごしに、かなめがさけぶ。

「さっきからやってる……! りきなど出んぞ」

『こう使うんだっ!』

 ガウルンが叫ぶと、またしてもはげしい衝撃が宗介を襲った。

〈アーバレスト〉は背中から倒れ、二回、三回と地面を転がった。目の前が暗くなり、頭の中で星がちらつく。それでもすぐさま身を起こし、迫りくる敵機にがまえる。

 サディスティックな笑い声。敵は宗介をほんろうするのを楽しんでいるようだった。

『はは……! 馬鹿げた戦いだよ。大の男二人が、ロクに使い方も知らないオモチャで殺し合ってるんだぜぇ? なあ……!?』

 さきほど取り落としたショット・キャノンが、三〇メートルほど離れた地面にほうされていた。宗介は機体をうように走らせ、ショット・キャノンを拾い上げた。

『ほお? それで、どうする気だい? 撃つのか、俺を?』

「くっ……」

なのは知ってるだろ? しかもてめえは、装置の使い方がまるでわかってない』

 敵の言う通りだった。ここでショット・キャノンをっても、敵は例の力場でなんなくほうだんはじいてしまうだろう。ガウルンはシステムの原理をある程度理解し、使いこなすくんれんもしていると見える。だが、こちらは──

 なんとか敵の攻撃をしのぐことはできても、それ以上のことはなにもできない。

 銀色のASはようにナイフをくるくる回し、ゆうをもって〈アーバレスト〉に近付いてくる。

 次に踏み込まれたら、支えきれないだろう。コックピットをつらぬかれ、あの世いきだ。

『いい、相良くん? 大切なのは、しゆんかんてきな集中力なの!』

 かなめのせつぱくした声が告げた。

『ゆっくりと息をって、一気にく。その瞬間、砲弾に、自分の気合いをそそぎ込むイメージで!』

「そうは言っても……」

 できない。彼女の説明の意味が、宗介にはどうしてもわからなかった。

『じゃあ、想像して。あなたが負けたら、あたしは捕まって、はだかにひんかれて、さんざん身体中をいじり回されて、殺されちゃうのよ。その光景を思い浮かべて……!』

「なんだと」

『いいから! さあ、想像する!』

「…………」

 じっくり想像するまでもなく、それは最悪の光景だった。

『イヤでしょう?』

「ああ」

『頭にくる?』

「そうだな……」

『あいつは、そうしようとしてるのよ? そんなことが許せるの、あんたは!?』

 これまで彼をはいしていたかんが、だいふつふつとした怒りに取って代わっていった。

「許せん」

『そうよ。じゃあ、あいつにじゆうを向けて!』

 宗介は言われるままに、ショット・キャノンを敵機に向けた。それがこうだと、考えるのはやめた。こんなことをして何になるのか、彼女がなにを知っているのかなど、どうでもいい。

 自分を信じてくれた彼女──それを、今度は俺が信じるだけだ。

『とうとう、ヤケクソか? がっかりだぜ。そろそろ死んじまいな』

 ガウルンはナイフを振りかぶり、〈アーバレスト〉めがけてとつしんしてきた。いよいよケリをつけるつもりだ。

『大丈夫。目を閉じなさい。それから、イメージを頭に描いて。あなたはこれから、あいつをでブンなぐるの』

 落ち着いた声で、かなめが告げる。

 敵の前で目を閉じるなど、ぼうの極みだ。だが宗介は、彼女の言う通りにした。敵機の接近をAIが警告したが、彼の耳にはとどかなかった。

 あのASにこぶしを振るう自分の姿すがたを、頭の中で思い浮かべる。

『そうしたら、目を開けて──』

 至近距離まで迫った敵機の姿が、スクリーンに大映しになっていた。ショット・キャノンの銃先に、荒れくるう銀色の機体。

『くたばっちまいなっ!!』

 どうもうなガウルンの叫び声。その一方、かなめの声はあくまで静かで──

『吸って──』

 大きく息を吸いこみ、

『イメージを──』

 砲弾に、意志を注ぎ込むイメージで、

『いまっ!!』

「っ!」

 至近距離でのいちげき

 砲弾を防ごうと、ガウルン機が例の衝撃波を発生させた。そして同時に──宗介のイメージが形になり、〈アーバレスト〉の未知の機能がどうした。

 なにが起きたか、宗介にははっきりとあくできなかった。

 互いのなにかがぶつかり合って、大気がいびつにゆがみ、よじれ、めいをあげた。重力の方向がでたらめになって、右へ左へと暴れまわった。

 そして──結果として、ショット・キャノンの弾は、止まることなく銀色のASに命中した。

『なにっ……』

 八つに分かれたダブルオー・ヘツシユをくらって、ガウルンのASはおもいきりのけぞった。ちぎれたわんが地面に落ちるよりはやく、爆発。

 爆風にあおられ、〈アーバレスト〉は地面の上を二回半ほど転がった。まき散らされた部品が装甲板を叩き、乾いた音が響く。

「…………」

 雨と炎と風の中、宗介は機体を起こした。

 ガウルンのASは、完全にたいしていた。両腕と頭部を失い、胸部の大部分が吹き飛ばされている。つい数秒前まできようぼうな生命力に満ちあふれていた巨人は、いまではただのてつくずだった。

 ガウルンは──そくだろう。

『相良くん。無事……!?』

「……こうていだ」

 宗介はざんがいに背を向け、かなめたちの待つ場所へと機体を走らせた。

「いまそちらにいく。逃げるぞ」

 急がねばならない。戦闘に五分近くついやしてしまった。


 かなめとクルツのところに戻るなり、宗介は機体をひざまずかせた。

「気分は大丈夫なのか、千鳥」

「うん……前よりは……。ほとんど──なに言ってたか忘れちゃったけど……」

 そうとうな無理をして、助言をしてくれたのだろう。彼女の力がなければ、いったいどうなっていたことか……。

 東の方から、ヘリのローター音が響いてきた。ついせきたいぞうえんが向かっているのだ。

「いくぞ、時間がない」

 ショット・キャノンは腰に固定する。空いた両腕でクルツとかなめをかかえ、〈アーバレスト〉は走り出した。二〇キロを、一〇分で。この機体なら、まだ間にあう。

 二人を抱えた〈アーバレスト〉は、たちまち山のしやめんを踏み越えた。じやりたて、低木をたたき折り、一気にへいたんな農地へと飛び出す。

「ぐぅっ……!」

 クルツののどから苦痛の声が洩れた。相当なげきつうのはずだ。

 宗介は操縦にさいしんの注意を払った。速度も一二〇キロ前後におさえる。しかし、それでもはげしいたてれは消しようがなかった。まったくASというしろものは、怪我人を運ぶのには世界一不向きな乗り物だ。

 水田の作物をつぶし、〈アーバレスト〉は西に向かって走り続けた。そうこうしやに数台そうぐうしたが、すべて無視。発砲もされるが、スピードで振り切る。

 だが、海岸まであと数キロというところで、

《七時方向、距離八、攻撃ヘリ、一機》

 AIが警告。後方警戒センサーにねつげん。攻撃ヘリが、こちらを狙っている。

「来たか……!」

《ロケット警報! 二、一……》

 きんきゆうどう。右に大きく機体を振り、らいした対地ロケット弾をよける。

「がっ……!」

 ぜつきように近いクルツの声と、ロケットの爆発が重なった。

《敵ヘリ、そうたいそく一三〇で接近中。応戦の必要、大》

「わかっているが、くそっ」

 敵ヘリはさらにロケットを射ってきた。きわどいところでそれをかい。しかし、これ以上近付かれたら、けられない。

(どうする……?)

 わずか毎時一二〇キロでは、あっというまにヘリに追い付かれる。しかし、ショット・キャノンが使えない。こちらは両手がふさがっている。右手にかなめ、左手にクルツ。地面に降ろしているひまはない。ヘリはすぐそこまで迫っている。

 さあ、どうする……!?

「かなめ!」

「え、なに?」

「すまん!」

 しつそうを続け、〈アーバレスト〉は、かなめのらだを──空高く放り上げた。

「っ……」

 右手が空く。銃を抜く。振りかえり、二連射。

 銃をて、前を向き、もうダッシュ。

「っ……っきゃぁあああぁぁぁ─────!!」

 ほうぶつせんを描き、落ちる悲鳴。ぎりぎりで、前のめりに、彼女の身体をすくいあげる。てんとうしかけた機体のバランスを、ぜんしんぜんれいせいぎよする。

 ほとんど同時に、ばらばらになった攻撃ヘリが、畑に落ちて大爆発した。立ち止まらずに、そのまま疾走。

「かなめ!?」

 呼びかける。おうとうなし。

「ん……」

 気を失っているようだった。呼吸はしている。手当てやしやざいは後回しだ。とにかく機体を急がせる。時間はあと一分。

 やがて海岸が──

「見えた……!」

 黒々とした空の下に、やみよりも暗い海があった。右に砂浜、左にみさき。宗介は、機体のしんを岬へと向けた。

《一一時方向、距離六、AS、二機》

 正面、岬の手前に〈サベージ〉が二機。海岸でけいかいにあたっていた敵ASだ。さらに、砂浜の方からも敵部隊が。四機、五機、いや、それ以上だった。

 はさまれている。

 敵はASだ。さっきの攻撃ヘリとはわけが違う。しかも、こちらには攻撃しゆだんがまったくない。あのみようりきはつせいのうもあてにならない。

「くそっ……」

 正面の敵機が、こちらに向けてライフルをかまえた。そこで──

『ウルズ7、まっすぐ走れ』

 せんに女の声。

「マ……」

 相手の名前を言い終わる前に、正面の二機が火をいて倒れた。

 海からのげきだ。見ると、海岸から三〇〇メートルのなみに、大型ライフルを構えたASの姿があった。マオのM9だ。海面にひざまずいている。

 いや、その下に──

〈トゥアハー・デ・ダナン〉がふじようした。

 真っ暗な海を切り裂いて、巨大な船体が背中を見せた。海岸線と平行にこうそうしている。

『ソースケ? チャンスは一度よ。岬のとつたんから直接んで!』

〈デ・ダナン〉の背中で、M9がまねきした。

〈アーバレスト〉は砂浜から岩場に入った。背後には、敵のAS二個小隊。

 岩場の斜面をけ上がる。岬はまるでジャンプ台だった。

 岩と草をてる。追跡隊が後ろから発砲。右の一本松が粉々になる。それでもそく。振り向かない。

 たちまち岬の突端が迫り──その先はがけと、海だ。細心の注意を払い、二人を両手で大事にかかえ──

 ちようやく

 足の下から地面が消える。身体の重みがなくなる。眼下で、黒い波が流れていく。

 みるみる〈デ・ダナン〉の船体が迫った。

 そして、両手を広げたマオのASが──

『よしっ……!』

 ──着地した〈アーバレスト〉の機体を、ていねいに受け止めた。


『ウルズ7をかいしゆう! 第四ハッチからしゆうようを……完了!』

 はつれいじよのスピーカーから、マオの報告がひびいた。

「第四ハッチ、へいを開始。あと二秒。……閉鎖完了」

 担当士官が報告した。正面スクリーンが『みつかく』を表示した。

 テレサ・テスタロッサはうなずき、

おもかじいっぱい、針路二─〇─五、最大戦速。しように注意」

「アイ・アイ・マム。面舵いっぱい、針路二─〇─五、最大戦速」

 航海長がふくしようした。かんが右にかたむき、海面の波できざみに揺れた。敵の砲撃が、艦の周りで暴れまわった。

 スクリーンの速力表示は、たちまち五〇ノットをえた。時速にして九二キロ近い。どんなに速いせんすいかんでも、せいぜい四〇ノットがげんかいなのに、〈デ・ダナン〉はそのかべを楽に越えていた。スクリーンの速力表示はさらにじようしようを続け、

「現在の速力、六五ノット」

 時速一二〇キロ。

 遠くはなれたかいいきから、〈デ・ダナン〉がわずかな時間でけつけることができたのは、このいじようこうこうせいのうのおかげだった。

〈トゥアハー・デ・ダナン〉は、みるみる海岸から離れていく。

「深度五〇までせんこうします。メイン・バラストタンクにちゆうすい。潜航角度は五度。速度はこのまま」

「アイ。予定通り潜航を開始」

 航海長が命じ、そうかんが必要な操作を行った。テッサとマデューカス副長は、潜航作業をしっかりととどけた。

「ここまでこく使したのははじめてですな」

 マデューカス副長がぽつりと言った。

ちようでんどうすいしんのこと?」

 テッサがたずねた。副長はうなずき、

「はい。たいしたタフさです。試験の時は、もっとせんさいなシステムかと……」

「わたしもおどろいてるんです。設計した本人が言うのもヘンだけど」

 テッサはほほみ、スクリーンに向き直った。

 しようかいていの囲みをとつする仕事が、彼女らにはまだ残っていた。


 医務室で手当てを受けてから、宗介はかくのうへと戻ってきた。

 かなめとクルツは、いまも医務室で眠っている。

 格納庫は静かだった。艦内にそうおんせいかれているため、せいはん姿すがたも見えない。

 ほうたいだらけになった彼は、ひざまずいたままのARX─7〈アーバレスト〉を見上げた。白かった機体は泥まみれで、草のしるがあちこちにこびりついていた。装甲も傷だらけで、頭部は右の上半分がなくなっていた。

 こうして見るぶんには、ただのASだ。M9〈ガーンズバック〉をベースにした、風変わりなさく。しかし、いったいあれは……。

「ひどいさまだな」

 背後の声に振り向くと、カリーニン少佐が歩いてくるところだった。

「ガウルンはどうなった」

「死にました。今度は間違いなく」

「そうか。私もその場に立ち会いたかったものだ」

 カリーニンは感想を洩らし、

「それ以外に、なにか言いたそうな顔をしているな」

「はい。〝ラムダ・ドライバ〟とは、いったい?」

 たんとうちよくにゆうな質問だったが、カリーニンはそれを予想していたようだった。

「やはりガウルンが持っていたか」

「そうです。そしてこのASにもそうされていた。違いますか」

「そうだ。ウェーバーのM9がげきされたと聞いた時、『あるいは』と思った。だからこの〈アーバレスト〉を送りこんだ。あれを装備したASには、同様のASでしかたいこうできんからな」

 高価な実験機を、わざわざ危険なてきに無人で投げ込んだ理由がこれでわかった。

 しかし──

「最初の質問の答えを聞いていません。ラムダ・ドライバとは?」

「君には知る必要がない。今の段階では」

「少佐。俺だってしよてきな物理くらい知ってます。あんな力を作る装置など、聞いたことがない」

とうぜんだ。あれを考えた人間は、この世界には一人もいない」

「? どういう意味です」

「おまえの世代ではじつかんがないだろうが──」

 少佐の口は重たげだった。

「いまの兵器テクノロジーは、いじようなのだ。ASを始めとして、なにかがくるっている。あのラムダ・ドライバはもちろん、ECSやこの艦の推進システム、コンピュータやセンサーの性能など、どれをとっても発達しすぎている。どう考えてもおかしいのだ。あんな、SFもどきのロボット兵器が戦場ではばかせるなど……。不自然だと思ったことはないかね?」

 ごろとうぜんのようにきようしゆうきへいたいうんようしているカリーニンが、こんなことを言うのには驚きだった。

「自分は──今日、はじめてそう思いました」

「私はずいぶん前から、この疑問をいだいていた。そういう人間はたくさんいる。こんなものがあるはずない、と。しかし、それは現にあるのだ。だれが考えたのかはわからないが、ろんも技術も存在する。そして、それは社会に受け入れられた」

「…………」

「だが、り返しておこう。こんなものは、あるはずないのだ」


 少佐は目線で〈アーバレスト〉をさした。たよりになる味方だった〈アーバレスト〉が、いまではどこかグロテスクに見えた。

「ASなどの現用兵器を支える技術体系──〈ブラツクテクノロ〉は、いったいだれが生み出したのか? というより、どこから来たのか? それがわかるかね?」

「千鳥のような子ですか。あの〈ウィスパード〉とか呼ばれる……」

「それは私の口からは言えない。だが、頭の中にはとどめておけ」

 カリーニンは〈アーバレスト〉のそばまで歩き、バトルダメージを見渡した。

「チドリの件については、情報部がにせ情報を流すことでたいおうするだろう」

「偽情報」

「ガウルンたちはカナメ・チドリを調べたが、けっきょく彼女はウィスパードではなかった、と。それでも彼女をしたいというのであれば、その敵にはかくをしてもらうだけだ。何度でもアジトをつぶして、何度でも彼女をうばい返す」

 彼女が、これからも普通の生活を送れる。

 宗介はそれをかんげいしたが、同時にそうしつかんも覚えた。自分には、次の任務が待っている。かなめの生活の中には、自分のしよはもうないのだ。まどうばかりだったあの学校、あのまちみ、あの人々が、みるみると遠ざかっていく気がした。

「ただし」

 そのこうをさえぎり、カリーニンは付け加えた。

「保険はかけておく必要がある。今回の件がいい例だ」

「は?」

「ごろうだった。まずは休め」

 質問を打ち切り、少佐はその場を立ち去った。

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