3:バッド・トリップ

四月二八日 一〇〇〇時(日本標準時)

東京上空 JAL九〇三便



 機内放送のマイクを置くと、機長は後ろをりかえった。

 そうじゆうしつとびらの前で、レーザーしようじゆん付きのけんじゆうを手にした男がにんまりと笑っていた。

「それでいい。客を不安にしちゃいけないからな」

 スーツ姿すがたのその男は、かけていたがねをほうりてた。黒髪に、しようひげせこけた顔。前髪にかくれたひたいには、大きなきずあとが見える。

「機内でばくはつぶつを使うなど、正気か!?」

「使った爆薬はほんのちょっとさ。操縦室のかぎを吹き飛ばすくらいの、な」

をしたら、君も死ぬことになるぞ」

「俺が? 死ぬだって? そうだな。あんたの言う通りだ」

 男はそこえのする笑い声をあげた。青ざめた顔でけいるいに目を走らせる機長を見て、

「で、どこに帰る気かな?」

 相手の考えをかしたように、男は言った。

「いまの爆発で、電気系統がおかしくなったかもしれん。きんきゆうちやくりくしないとけんだ」

「ほほう。こしようかね?」

 テロリストは目を細め、機長席のコンソールをしげしげとながめた。

「そうだ。君のようきゆうはきちんと伝えるから、羽田空港に引き返させて欲しい」

「故障したのは、ここか?」

 男は機長の頭にレーザー照準器をポイントすると、ぞうに引き金を引いた。肉と骨のはじけるいやな音がひびき、機長はそくした。

「本当だ。故障した」

 男はけたたましく笑うと、緊急ブザーの音をくちした。

「なんてことを……!」

 返り血をびた副機長が、うめき声をあげた。その副機長に、男は赤いレーザーをちらちらと向ける。実戦ではたいして使い道のないレーザー照準器を使っているのは、銃を向けた相手の恐怖を楽しむためなのだろう。

「あんたも故障?」

「や、やめろ。操縦する人間がいなくなるぞ!」

「そうかい? でも俺、一度こういうヒコーキを運転してみたかったんだよな。楽しそうじゃないか、なあ? どうなんだ? じつさいのところ」

 にやにや笑いを浮かべたまま、鼻息がかかるところまで顔を近づける。

「こ、殺さないで……」

「楽しいかって聞いてるんだよ、バカ」

 男が引き金を引こうとすると──

「ガウルンっ!」

 新たな声が、それを止めた。操縦室に、おおがらな男が入ってくる。たけは二メートル近い。スーツ姿で眼鏡をかけているが、とてもしゆつちようちゆうのビジネスマンには見えなかった。

「おう。コーか」

「どういうつもりだ? なぜパイロットを殺した!?」

うそをついたからだ。こいつよ、俺を鹿にしたんだぜ」

 死体をつついてみせる。コーと呼ばれたきよかんは、ガウルンの銃をひったくり、

「操縦はどうするつもりだ」

「俺がやる。そうだったら飛ばしたことはあるしな」

りよかくぐんよういつしよにするな。それに万一のさつしようには、ナイフを使うはずだったろう!?」

「ナイフだって?……ばんだなぁ。俺、そんなぶつそうな武器、さわったこともないよ」

 せせら笑うガウルンのむなぐらを、コーはつかみ上げた。

さまが殺人を楽しむのはかつだ。だが忘れるなよ。お前たちにかいを与えているのは私のこくだ。作戦の危険を増やすことはやめてもらおう」

「そう言うなって。相手が言うことを聞けば、俺はしんだ。なあ?」

 ガウルンは、恐怖にこおりついた副機長の肩をたたいた。

「副機長さん。名前は?」

「も、もう……」

「毛利さん。聞いての通りだ。仲間のほうしんで、君はなるべく殺さない。君がさからったら、別の人を殺すことにするよ。いいかね?」

「やめてくれ。だれも殺さないでくれ」

「うん、うん。じゃあこれから、ちゃんとしたがってくれるかい?」

「わかった。従う」

「そこの死体さんには言わなかったんだが、乗客の中には、まだまだ俺のお仲間が隠れてるんだ。みんな物騒な武器を持ってる。覚えておいて欲しいな」

「そんなに武器を、いったいどうやって……」

「機のせいそうがかりの一人にね、協力をつのったんだ。俺たちって、しっかりものだろう?」

「ば、ばいしゆうを?」

「いいや。彼の家族としんぼくを深めただけさ。今ごろは、一家そろって水入らずってところかな。いや違った、水の中だ。ははっ」

 清掃係の家族を誘拐し、きようはくする。仕事が済んだら、あとくされのないようまつする。そういう単純なやり方だった。

「ひどい。どうしてそんな……」

ごうてきだからだよ。それでは……と。このルートで飛んでもらおうか」

 ガウルンはコーからこうくうを受け取り、副機長に見せた。彼は青くなった。

「MIMODから……北に? 最終目的地……スンアン! きたちようせんじゃないか!?」

「そう。びんぼうで有名な国だ。知ってるだろ?」

げきついされるぞ」

「心配ない。話は通してあるから。こちらのにきちんと従えば、エスコートまでしてくれる。あんな国だからせいは悪いが、一応はILS方式だよ。いいかね? この地点を過ぎたら、しきべつを……」

 ガウルンはくわしい指示を出しはじめた。


 関係するかくしようちようが、ことの重大さを理解するのには時間がかかった。

 一度はFIR(飛行情報区)に入った機が、北に転針して、韓国のーグFIRに飛び込んだのだ。

 まず、うんゆしようの航空局がおおさわぎになった。九〇三便からは、何のおうとうもなかったので、これがハイジャックなのか、それとも単なる事故なのかでろんが長引いた。

 運輸省が大もめにもめている間、かんこく空軍のせんとうきんきゆうはつしんした。韓国空軍機は、九〇三便から『ハイジャックだ』とのかんけつれんらくを受けた。

 いろいろとふくざつけいをへて、運輸省にその知らせが入ったのは二〇分後だった。

 ようやく問題のしゆどうけんは、ないかくの安全保障室に引きがれた。

 そうこうしているうちに、九〇三便は北朝鮮のりようくうに入ってしまった。韓国空軍はついせきをあきらめ、に引き返した。きみようなことに、北朝鮮軍のげいげきはなかった。

 けいちようには『SAT』などと呼ばれる対テロとくしゆたいがあったが、外国の、しかも北朝鮮などのりようどに逃げられてしまっては、手も足も出せなかった。

 そうだいじんゆうぜいさきで、NHKの記者に聞かれてはじめて事件を知った。しゆしようは『コメントはくわしい情報が入ってから』と答え、遊説を続けるきよに出た。とうやマスコミは新しい攻撃材料を見付け、それを喜んだ。

 はんこうせいめいはまったくなかった。

 在韓米軍のは、九〇三便がピヨンヤンの北・約二〇キロにあるスンアン航空基地(国際空港)に降りたことを知らせた。

 そうした事情を、当の人質たちはまったく知らなかった。



四月二八日 一一五五時(日本標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 スンアン航空基地



 どうもおかしい。

 ほとんどの乗客がそう思っていた。なにしろおきなわに近付いているはずなのに、がんしきは行けども行けども山ばかりだったのだ。

 スチュワーデスにたずねても、どうにもようりようを得ない。

『ご心配なく』、『じきにとうちやくします』、『天候のごうです』。

 やがてたいちやくりくたいせいに入ってしまった。かつそうの右手にがいが見えたが、ひどくかんさんとして、うすよごれた街だった。ふるくさい工場が立ち並び、えんとつから黒いけむりがまばらに立ち上っている。公害病にでもなりそうな町並み。四〇年前の日本にでもタイムスリップしたような景色だった。

「やっぱり変だ」

 窓の外を見て、風間信二が言った。

「ここ、沖縄じゃないよ。それどころか、日本でもない」

「そのようだ」

 宗介が答える。並んですわるこの二人は、いちはやくへんに気付いていた。海の上を飛んでいた時、窓から韓国空軍のF─16せんとうが見えたのだ。沖縄行きの太平洋上に、韓国空軍がいるわけがない。

 ほどなくジャンボ機は着陸した。滑走路から数十メートル離れたかくのうの前に、古臭い軍用機が鼻先を並べていた。こいのぼりにつばさを付けたような、銀色の機体。

さがくん、あれ、MiG─21……っていうか、J7だ」

 戦車の姿も見えた。にりようほど、ように古い型のものがあった。

「あれ見てよ……! T─34だ!? 五〇年前のポンコツだよ?」

 その一方で、アーム・スレイブもあった。ここから見えるだけでも三機はかくにんできる。

「で、いきなりしんえいのRk─92か。なんだかギャップがはげしいねえ」

 それはりよううでの長い、ソ連製のASだった。カーキ色のそうこうで、東側共通のAS用ライフルを持っている。西側の軍関係者からは〈サベージ〉と呼ばれ、ソ連が武器をきようよしている国にはよく見られる機種だった。宗介もあのASのことはよく知っていて、乗ったこともあれば── こうせんしたこともある。

 滑走路をとりまく兵器の数々を見て、宗介はかくしんした。

 まちがいなく、ここは北朝鮮の基地だ。

(どうなっている?)

 マオの話では、かなめがねらわれる理由はなくなったはずだった。

 しかし、現にこうしてハイジャックが行われている。

 これが単なるぐうぜんとは思えない。名も知らない敵は、いちばんかくじつゆうかい方法を選んだのだ。数百名の人質をとられたら、さすがに〈ミスリル〉でも、うかつに手を出せない。

 かてて加えて、降りた先が北朝鮮である。日本、韓国、米国、ソ連、中国のおもわくふくざつにからんで、きゆうしゆつさぎようの足並みは、それこそ乱れに乱れるだろう。使い古されたテロのしゆだんであるハイジャックを、ここまでうまくかつようするとは──

ごとだ」

「え?」

「いや」

 彼にはほとんど打つ手がなかった。いまはじゆういつちようもない。よしんば銃があったとしても、できることなどたかがしれている。

 乗客たちが異変をさつし、ざわめきはじめたところで、機内放送が入った。

『機内のみなさん。本日は当機をご利用いただき、まことにありがとうございました』

 出発の時とは違う男の声だった。

『私は機長に代わり、この機のせきにんしやとなった者です。……さて、大多数の方がお察しかとは思いますが、ここは空港ではありません。当機はやむをえぬじじようから、朝鮮民主主義人民共和国の、スンアン航空基地に着陸いたしました』

「な……なぁんですってぇっ!?」

 ひときわ大きなさけび声をあげたのは、担任の神楽坂教諭だった。

「気付いてよ、センセー……」

 信二が頭をかかえた。

『ごぞんの方も多いでしょうが、ていこくしゆしやの米国軍と、そのかいらいたる韓国軍は、来週に合同演習をひかえております。ゆうかんな人民軍をどうかつせんとする、かれらのじやあくは明らかであります。私はべいていぼうをくじくべく、人民軍の同志たちへ、ここにれんたいあいさつを送るものです。……などと、言ってる私もせきめんものなのですが、要するに、みなさんには人質になっていただきます。窓の外をごらんください』

 見ると、そうこうしやとアーム・スレイブ、戦闘服の兵士たちが飛行機を取り囲んでいた。

『彼らはみなさんをかんげいするそうです。ただし、指示には従ってください。とうぼうこころみたり、おんな動きを見せた場合、われわれはようしやなくみなさんをしやさついたします』

 乗客たちがどよめいた。

『……なお、当空港にはみなさんをしゆうようするだけの満足なせつがありません。かいほうが立つまで、そのまま機内にてたいしてください。ごりようしようを』



四月二八日 〇四〇五時(グリニッジ標準時)

対馬つしまかいきよう せんぼうきようしん 〈トゥアハー・デ・ダナン〉 中央はつれいじよ



 発令所の正面スクリーンは、目まぐるしいほどの情報のうずだった。各国の軍のどうこうかつぱつし、ぼうじゆできる交信もげきぞうしたのだ。赤と、緑と、黄色の文字がおどり、ふくざつな図形がおり重なる。

「完全にしてやられたわ。情報部も当てになりませんね」

 テッサ──テレサ・テスタロッサはカリーニンに言った。彼女はかんちようようのスクリーンに映った、数十パターンの地図情報に目を通しているところだった。

「いつもに回ってばかり。情けないわ」

「われわれの仕事はもぐら叩きのようなものです。こんぽんてきぼうさくはありません」

 カリーニンは答えた。

 わざわざそうすけを旅行にいかせたのだから、のうせいはあると見ていたのだろう。しかしそのカリーニンですら、これほどだいたんな手を使ってくることにははんしんはんだったようだ。

「どうもKGBとはことなるくろまくがいるようですな」

「北朝鮮……というわけでもなさそうね」

「はい。どちらも乗せられているだけです。その何者かに」

 研究の情報は完全にまつさつしたはずだった。しかし、それをひそかに持ち出していた者がいたのだ。その何者かは、北朝鮮軍部に強いコネがあるとみえる。そして敵は、どりかなめを──〈ウィスパード〉を使うせつを持っているのだ。

「その『ミスター・Xと仲間たち』のけんとうはつきます?」

「まったくめいです。現段階では」

「……北朝鮮政府は、『今回のハイジャック事件はわれわれとは無関係』と表明しています。たまたまハイジャック犯が転がり込んできた、というたいですね。でも、人質グループのそくへんかんにはなんしよくを示しています。予定されている米韓合同の軍事演習にからめて」

 テッサは画面に映った、スウェーデンけいの外交文書を読みながら言った。ほとんどそくどくじゆつに近いペースでページをめくっていながら、まったく別の話題をよどみなく話す。並ののうでは出来ないげいとうだった。

「で、少佐。人質がおん便びんに解放される見通しは、どのていだと思います?」

「チドリ抜きで、ですか」

 テッサはすこしもちゆうちよせずにうなずいた。

「そうよ。わたしたちがに動かなければ、チドリ・カナメ以外の四〇〇人は安全かもしれないわ」

「……たしかに、北朝鮮の政府もこれ以上、たいきんちようするのを望んではいないでしょう。去年は豊作で、パラジウム・リアクターどうをはじめ、悪化していた経済も立ち直りはじめたところです。数百人の日本人を死なせたところで、彼らにはなんのえきもありません」

「でしょう? ここは相手にしゆどうけんを渡しておいて、がいこうこうしようで人質が戻ってきたら、チドリを探して救出するべきです」

 仮にうまくいったとしても、その救出までに千鳥かなめがどんなあつかいを受けるか──それを知った上で、二人は話をしていた。カリーニンは、少女の顔にけんの色がかすかに浮かぶのをのがさなかったが、あえて気付かないふりをした。

せいろんですな。ですが──」

「見守ります、とりあえずは」

 テッサはさえぎり、せんげんした。

「いいでしょう。まだゆうはあります。せんとうたいはどうしますか」

「メリダ島基地のそうを待機させます。C─17を三機。それから中給10を二時間以内にりくさせて。飛行計画は追って指示します」

「はい」

 通信担当の仕官が応じて、さぎようをはじめた。

「少佐はマオとウェーバーを呼び戻してください。ガーンズバツク六機とスーパー・ハリア三機を、〇七〇〇時までにホットにして。それと……〈アーバレスト〉も使えるじようたいにしておきます」

りようかいしました」

「気にむのは来週にしましょう。わたしたちは、こういうたいにもそなえてるんだから」

 カリーニンはうなずき、

「しかも敵は、体内に猛毒をかかえています」

 もうどく。こうしたきよくめんでは、彼はまちがいなく猛毒だった。

「そうね。彼の連絡を待ちましょう」

 テッサはかんを潜望鏡深度に保つことを決めた。



四月二八日 一七一八時(日本=北朝鮮標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 スンアン航空基地 JAL九〇三便



 機内はハイジャック中とは思えないほどにぎやかだった。

 四分の一ほどをめる一般乗客は、不安げな顔でおのおのの席に身を落ち着けていたのだが、残る四分の三──じんだい高校の生徒たちが、退たいくつしきってさわぎはじめたからだった。

 トランプ、花札、カードマージヤンはもとより、だれが持ってきたのか、人生ゲームやモノポリーまでもが客席のあちこちで広げられていた。

 ほかにもマメカラで歌ってり上がる生徒や、早めに修学旅行のていばん・『夜中のわいだん』をはじめる生徒、機内のつうでミニよんを走らせる生徒までもが出てきて、スチュワーデスたちはほとほと困り果てたようだった。いくらしかっても、目を離すとすぐ遊びはじめるので、教師たちもさじを投げている。

「ねえねえ、カナちゃん。おなかすかない?」

 きようこが言った。いっしょにババ抜きをしていたかなめは、となりの友達にカードを一枚ひかせながら、

「うん? そうねえ……食事とか、どうするのかな?」

「この近所にコンビニとかないのかな。お金ははらうから買ってきて欲しいな……」

「ねーってば。でも、本当にコンビニとかあったらヤだよね。ローソンじゃなくてイルソンとか……ぷっ」

「なにそれ?」

「わかんないの? まったく近ごろの若いモンは。ところで……」

 かなめははいをうかがった。さがそうすけがなに食わぬ顔で、すぐそばの席に座っていた。

(こんなひじようまで? いったいナニ考えてるのかしら……)

 あきれながら、恭子の手からカードをひくと、それはジョーカーだった。

「あっ、くそっ」

「やったー! ふふふ、ごしゆうしようさま」

 そのとき、機内が水を打ったように静かになった。……というより、機の出入り口からもんが広がるように、生徒たちが次々とだまりこんでいった。見ると、サブマシンガンを持ったスーツ姿すがたの男が三人、機の客室に入ってきたところだった。

 先頭の男は手ぶらで、にやにや笑いを浮かべている。高級そうなスーツ──たぶんイタリア製だ──のえりもとを直してから、男はおうように両手を広げて見せた。

「かまわんよ、続けてくれ。さあ」

 そう言われたところで、ふたたびゆうにふける者などほとんどいなかった(ふてぶてしく遊んでいる者も中にはいた)。男が部下とおぼしき者になにかをささやき、こちらの方を指さす。

「なんだろ?」

 恭子が不安そうな顔をした。ほかの生徒たちも、ひそひそとささやきあう。スーツ姿の男は、そのままこちらに向かってきた。

「そこの君」

 男は立ち止まり、おだやかに言った。近くで声を聞いて、あのないほうそうをした男だとわかった。それより、『そこの君』とは……だれのことだろう?

「聞こえないかな? ロングヘアの、きれいなおじようさん」

「……?」

「君のことだよ」

 男はさらに近付いてきて、かなめを見下ろした。ひたいたて一文字の大きな傷。どこか人形のような目付きで、気味が悪かった。

「……なんです?」

「マスコミに送る映像を作りたくてね。出演してくれる人を探していたところなんだ」

「はあ、そうですか。それはごくろーさまです」

「君に出て欲しいんだが。いいざいだと思ってね」

 かなめは小さく手を振り、

「いえいえ。わたしなんかは……もう。見ての通り、ケチなコムスメですから。しちようしやのみなさんがかいになるだけですって。ホント」

「いいから来いって、なあ。えんりよせずに」

「あの、ちょっと、えーと……」

 男の部下たちがりようわきから、かなめを引っ立てた。

「おすすめできませんよ、あたしなんか……ねえ、はなして。イヤだったら……。どうしてあたしなの!?」

「カナちゃん!」

 恭子の声はめいに近かった。その場に神楽坂恵里がけつけてきて、男にもうこうする。

「ちょっと、私の生徒をどうする気です!?」

「なに、すこしばかり協力してもらうだけですよ。すぐにお返しします」

「いいえ、許しません! 連れていくなら私になさい!」

「あなたではがないんでね。これはマスコミへの──」

「そんな口実は通りませんよ、このひきようもの!」

 男の顔が冷たくゆがんだ。だが恵里はそれにもかまわず、まくしたてた。

「なんて人たちかしら!? ハイジャックなんてさいていなことをして、しかも子供を利用するなんて! あなたたちのしゆちようなんて、紙クズどうぜんね! どれだけの理由があろうと、こんなことは神が絶対に──」

「やれやれ」

 男は部下たちと、なにかを示し合わすように笑った。かなめが見ている目の前で、スーツの下からけんじゆうを抜く。

 レーザーしようじゆん付きの自動拳銃。その銃先が、恵里の頭にすうっと向けられ、

「あんた、うるさいな」

「? なにを──」

 いぶかしがる彼女のひたいに、赤いレーザー光がポイントされた。テロリストの指に力が入り、引き金が──

 客室にけたたましい音がひびき、かなめはかたをびくりとふるわせた。

「っ……」

 銃声ではなかった。なにかの金属が打ち鳴らされた音だ。

 音のした方を、その場の全員が注目する。見ると男子生徒の一人が、通路のゆかに落ちた食器類を、ゆっくりとひろい上げているところだった。

「……失礼」

 その生徒──さがそうすけは何事もなかったかのように、通路脇の席に座り直す。

 男が宗介をぎようしする。注意深く、射るようなまなざし。宗介は顔をうつむかせ、手の中のコップに目を落とし、ちんもくを保っていた。

 生徒たちは、宗介と男を見比べるように首をめぐらす。

「……ふん」

 気をがれた様子で鼻を鳴らすと、男は拳銃を服の下にもどす。いまさらしよけいを再開するのも、どこかきようざめで間が抜けていると感じたようだった。

「いくぞ。この連中にもう用はない」

 部下とかなめを引き連れて、テロリストは機の出口へと向かった。置き去りにされた恵里は、ただぽかんとしているだけだった。


 神楽坂恵里は、自分が九死に一生を得たらしいことをかいすると、めまいを起こして倒れてしまった。

『医者を呼べ』だのと生徒たちがさわいでいるのをしりに、宗介はすずしげな顔で客室を横切っていった。そのまま人気のない調理室まで来ると、ようやく肩で息をして、流しに手をつき、小さなうめき声をもらした。

(俺はなんて鹿だ)

 わざわざ敵の注意を引くなど、自分でも正気とは思えなかった。だが、恵里を救うにはああするしかなかったのだ。あのしゆんかん、行動を起こす寸前の一秒間、彼の頭の中では二つのせんたくがはげしくぶつかりあっていた。

『見捨てろ。彼女を守るのはにんではない』

『救え。こんきよはないが、救え』

 けっきょく彼は後者をえらんだ。理由はいまでもわからなかった。

 そしてコップを落とした後の、敵に凝視された数秒間。彼にとっては永遠だった。みじんも殺気を出さず、どんかんに、へいせいに、だがすこし不安げに……。きようじんな意志とせいしんを持つ宗介も、この数秒間のえんで気力をしようもうくしてしまった。

 危なかった。本当に。

 奴が俺に気付かなかったのはせきかもしれない。

 宗介は一分ほどその場にしたあと、一度大きく息をつくと、すじをのばした。いつまでもこうしてはいられない。いまや千鳥かなめは連れ去られた。

 こちらも行動を起こす時期だ。

 機内にかんの兵士はいない。外に出ない限り、人質たちは自由な行動を許されていた。飛行機はねんりようがないので飛び立つことはできないし、ちようきよりようの通信そうこわしておけば、外部との連絡も不可能だ。まったく、このジャンボ機はそうてきろうごくだった。

 だが、宗介は表に出る必要があった。

 まずはもつしつで自分のもつを探す。それからていさつ、味方との連絡。次にかなめを探さねばならない。

 彼はだれも見ていないのをかくにんしてから、調理室のエレベーターにもぐり込むと、シャフトを伝って貨物室に降りていった。

 貨物室は真っ暗で、人のたけほどのコンテナが数十個、ぎようぎよく並んでいた。

 宗介はポケットからペンライトを取り出すと、手当たりしだいにコンテナを開け、中の荷物をさぐっていった。

 一三個めのコンテナを開けたところで、宗介は自分のバッグを見付けた。着替えや洗面セットに用はない。用があるのは──

(あった)

 強力なあんごうのう付きの、えいせいつうしんだった。それと二〇万ボルトの強力スタンガン。並みの男ならいちげきぜつさせることができるしろものだ。かくしゆやくぶつけいたいセットと、サバイバル・キットのかんも、ポケットにねじこむ。あいにく銃やナイフなどはなかった。

 そうを肩にかけ、コンテナを閉じようとした時──

 貨物室がかんだかい音につつまれた。

 すぐそばの、貨物のはんにゆうドアが開きはじめたのだ……!

「っ……」

 彼はコンテナを急いで閉じると、しのび足でその場を離れようとした。だが、それでもすぐそばの、バラみにされたバッグの山のかげに飛び込むのがせいいつぱいだった。

 開ききった搬入口から、数人の男がどやどやと入ってきた。

 自分の姿がきちんと隠れているか、宗介は確信が持てなかった。しかし、もう動くことさえできない。バッグの山に身をうずめ、息をひそめているしかなかった。

 男たちはまっすぐこちらに向かってくる。だんのない足音。銃器とベルトの金具がぶつかりあう。人数は、ひとり、ふたり……三人。いずれもせんとうくんれんを受けている。

 もし発見されたら、戦うしかないだろう。

 だが、で? 外には何人いるかもわからないのに?



 かなめはジープで基地内の一角に運ばれた。

 そこはもともとちゆうきじようだったようで、アスファルトの上に大型のトレーラー二台と、トラック一台が並んでいた。

 トラックにははつでんかなにかがんであるらしく、やかましいどうおんが駐機場にひびいている。あたりはまぶしいすいぎんとうらされ、マシンガンを持ったスーツ姿の男が三、四人、トレーラーを守るようにして立っていた。

 そのトレーラーはテレビ局のちゆうけいしやのようにも見えたが、パラボラ・アンテナのたぐいは見当たらなかった。

「あのー……。なんです、これ?」

 リーダー格の男はうすわらいを浮かべただけで、なにも答えない。

 彼女はジープから降ろされ、黒りのトレーラーへと連れていかれた。

 ドアを抜けると、車内には電子機器といりよう機器がひしめいていた。人間一人がすっぽりと収まるようなドラムや、無数のコードがせつぞくされたモジュール、ばんがむき出しのコンピュータ。それらのそうの使い道など、かなめにはまったく見当がつかなかった。

 作りつけのせいぎよたくの前に、白衣を着た女が待っていた。

「この子ね?」

「そうだ。さっさとテストしてくれ」

 リーダー格の男は答えた。

「テスト? いったい何の──」

「これに着替えて」

 かなめが問うのをさえぎって、女は入院かんじやが着るようなブルーのガウンを手渡した。

「そりゃまた、どうして?」

「その制服には、金具が付いてるからよ。ホック式のブラジャーだったら、それも外してちょうだい。とにかく金属類は全部はずして」

 女の日本語はかんぺきだった。リーダー格の男もふくめて、テロリスト連中はほとんど日本人のように見える。これはいったい……?

「……レ、レントゲンでもるの?」

「似たようなものだけど、もっと高級な機械よ。PETとMRI、SQUIDによるMEG……。そしてNILSの反応測定。これはその下準備」

 まるで知らない言葉のれつだった。

「でもさっき、宣伝用の撮影だって」

「いいから。着替えなさい」

「やーよ。なんだってあたしが──」

 次の瞬間、首筋にするどい痛みが走って、かなめはしきを失った。


「この方が早い。さっさといちまえ」

 スタンガンでぜつしたかなめを片手で支えて、ガウルンが言った。

らんぼうなことはしないで! テストに変なえいきようが出たらどうするのよ」

「細かいことは気にするなって。本物だとわかればいいんだからな」

 女はガウルンにけいべつもあらわな目を向ける。

「ふん、気楽なものね。あんたたちには〈ウィスパード〉のなんたるか、その重要さがわかっていないのよ」

「わかってるさ」

「どうだか。みつの高い〈コダール〉まで持ってきておいて、よく言えるわね?」

「未完成でも、あれ一機あれば一個大隊を相手にできる。この国の連中の心変わりにそなえた、念のための用心さ」

「意外とおくびようなのね。めいいくばくもないくせに」

 ガウルンはかなめのらだを床の上に放り出すと、いきなり女の首をわしづかみにした。

「う……」

に乗ってんなよ、めすぶた

 その声は冷ややかだが、どこか楽しげにも聞こえる。

「おまえはだまって、言われた通りの仕事をしてればいいんだよ。それともなにか? わざわざ俺を怒らせて、こうされるのが好きなのか? え?」

 ぎりぎりと女の首をめつける。女はひとみうるませ、苦痛とこうこつの入りじったあえぎ声を出した。ガウルンは舌打ちして手首の力をゆるめ、女の身体を制御卓にたたき付けた。

「結果はいつわかる」

 はげしくきこむ相手を見下ろし、彼はたずねた。

「……明朝」

「長いな。なんとかならねえのか」

「……薬物をとうしても……き目が出てくるのは六時間以上先なのよ。その前の手続きや検査もあるし……ごほっ」

「だったら急ぎな。急がなければ、おまえも殺す」

 言いてて、ガウルンはトレーラーを出ていった。


 ありがたいことに三人の男は、バッグの山にひそんでいる宗介には気付いていないようだった。

 手をのばせばとどくほどのきよを、男たちが通りぎていく。かいすみに、スーツ姿の背中が見えた。この基地の兵士ではなく、乗客の中にじっていたテロリストだろう。

「どの辺だ?」

 一人が言った。日本語で。

「このあたりだ。そのコンテナだけ黄色いから……あったぞ」

 テロリストたちはこの機の積み荷に用があるようだ。床にめられたボール・ベアリングの上で、コンテナの一つをごろごろと動かす音が聞こえる。

「いきなりどうしたりしねえだろうな」

「それはない。マニュアルでかいどうしない限り、こいつは安全だ」

 コンテナを開ける音がした。中身を見た男の一人が、口笛を吹いた。

「たまげたね。こんなにデカいとは思わなかった」

「地上で作動させる場合も考えてな。これだけの量ならかくじつだ。……そちら側に回れ。奥に赤いコードがあるだろう。ジャックのぜつえんようテープを外して、『3』と書いてあるソケットにそうにゆうするんだ」

「あった。……入れるぞ」

「待て。こっちのじゆんびが……よし。入れろ」

 かちっと音がしてから、小さな電子音が三回鳴った。

「これでいいのか?」

「OKだ。もうどこにもさわるなよ。三〇メートル以内では、けいたいせんきんだ」

 男たちはコンテナを閉じると、ふたたび元の位置に戻した。用は済んだとみえ、三人はスーツのすそをはらって、はんにゆうぐちへと戻り出した。

「……このことを知ってるのは?」

「俺とおまえとサカモト、あとはボスだけだ。この国の連中は一人も知らん」

「ふん。……まったく、もったいねえな。上には生きのいい女子高生がわんさといるのに。一人ぐらい連れ出して楽しみてえよ。どうせ死体のかんじようなんか──」

鹿を言うな。基地の連中に計画が気付かれる。ボスに殺されるぞ」

「バレなきゃ平気さ」

「私がほうこくする。私はボスに殺されたくない」

「……もちろんじようだんだよ」

 テロリストたちが出ていくと、ほどなく搬入口のドアがしまった。貨物室はふたたびやみつつまれる。

 連中はなにをしていたのだろうか? それに『死体の勘定』だと?

 宗介はテロリストたちがいじっていた、その黄色いコンテナを引っ張り出し、すこしためらってから開けた。

 ペンライトにらされたコンテナの中身を見て、宗介は息を飲んだ。

(連中め……)

 そこにはばくだんが──巨大な爆弾が──詰まっていた。

 爆薬が詰まった高さ一・五メートルのタンクが二つ。ASのライフルに使われているのと同じけいとうの、リー式の液体さくやくだろう。タンクの脇には小型の電子かいが入ったケースと、の回路がおそらくは二系統。そして、いつでもこの爆弾が作動できるじようたいにあることを示す赤ランプ……。

 これだけの高性能爆薬が爆発したら、機体はじんだ。この基地のどこかにいるテロリストが、手元のスイッチを入れるだけで、四百数十名の乗客はぜんめつする。

 かいたいむりよくは──ほとんど不可能だ。

 普通の兵士に比べれば、彼は爆弾にはくわしい方だったが、それでも決して専門家ではない。しかもこの場には、解体のための専用器具も検査装置もない。この爆弾は、下手にいじれば間違いなくどうする。

(乗客を皆殺しにして、千鳥のを隠すつもりか……?)

 おん便びんに人質グループを日本に帰らせれば、その中にかなめがふくまれていないことが必ず問題になるだろう。日本政府は千鳥かなめのへんかんを求めるだろうし、北朝鮮もそれをするわけにはいかないはずだ。それが敵にとってはごうが悪い。

 だからジャンボ機が日本に向かって飛び立ったら、どこかの海上で空中爆発させる。たいの確認など不可能なので、千鳥かなめも死亡したとみなされる。

 だれも誘拐作戦だったなどとは思わない。

 北朝鮮政府は苦しい立場になるだろうが、ぶりよくしようとつにまでは発展しないだろう。あのテロリストは、そこまで計算しているのだ。

 そこまでして彼女を拉致し、その事実をかくしたい理由とはいったいなにか? 数百人の民間人を平気で殺せるほどのみつが、彼女にあるというのか……?

「いや……」

 あの男は、に殺すのが好きなのだ。そうでなければ、こんななど考え付くはずがない。

 宗介はコンテナを閉じて元の位置に戻すと、しゆの方へと足早に向かった。

 貨物室の奥には、ぜんりんしゆうのうスペースに通じる扉がある。そこからきやくちゆうを伝ってりれば、機体の外に出られるはずだった。

 とにかく〈デ・ダナン〉とれんらくをとらなければ……。


 えんとうけいかんおけ

 かなめが横たわっているのは、そんなけいようがふさわしい機械の中だった。アクリル製のへきめんはまっさらだ。ときおり機械のだいが動き、ぶぶん、と低い音がする。

 頭はベルトでしっかりと固定され、ゴーグル式のヘッド・マウント・ディスプレイが取り付けられていた。目に映る画面には、きみような記号や図形が次々と映されている。

 星形、丸、四角、樹、ボトル、棒。

 たまに、なんだかいやらしいふんの絵も映し出された。

「……ふ……あぁ」

 おもわずあくびが出た。なにしろ、一時間近くはこうしているのだ。

『眠らないように』

 女医の声がした。

「はいはい……」

 かなめはうんざりした声でこたえた。

 気絶させられてから目をますと、彼女は青のガウン一枚だけの姿すがたになって、この機械にしばり付けられていた。ごていねいにブラまで外されている。あの男の前でがされたのかもしれないと思うと、さけんであばれ出したい気分だったが、女医が言うには『私しか見ていないから安心なさい』とのことだった。

 じようしきてきに考えれば、自分はもっとおびえていいはずだ、と彼女は思った。

 なにしろいまはひじようだし、自分はみんなから引きはなされてしまった。それにあのテロリストは、本気で神楽坂先生をとうとした。相良宗介があそこでぐうぜんコップを落とさなければ、恐ろしいことになっていたかもしれない。

 死のざわり。

 母親のさいって以来、ひさしく忘れていたはずの感覚が、すこしずつ、だがかくじつよみがえろうとしていた。

 この世界では、だれひとりとしてめつではいられない。自分の番は、次かもしれない。

 そう。あたしは、帰れないかもしれない。


 ジャンボ機から五〇〇メートル離れた基地のかたすみ

 ざい置き場の一角で、宗介はいそいそとパラボラ・アンテナを開いた。コンパス付きの時計を見て、かんたんな計算をすると、アンテナを南の空に向ける。ヘッドセットを着け、つうしんのキーをたたいていくと──

 五秒と待たずに、三〇〇〇キロなたの〈ミスリル〉西太平洋基地につながった。

『はい』

 女の声。通信担当のかんで、何度も話したことがある。

「〈デ・ダナン〉のウルズ7だ。サージエントサガラ。B─3128」

『……かくにんしました。ソースケ、?』

こうていだ、シノハラ。いま〈トゥアハー・デ・ダナン〉にせつぞくできるか?」

『ええ。すこし待って』

 交信がとぎれた。えいせいつうしんはさらに折り返して、海のどこかにひそんでいる〈トゥアハー・デ・ダナン〉へとてんそうされた。

『サガラさん、無事ですか?』

 またしても女の声。彼の部隊の最高かん、テレサ・テスタロッサだった。

たい殿どの。肯定であります」

 同い年の少女に向かって、鹿ていねいに返事をする。下士官の宗介にとって、テスタロッサ大佐はほとんど雲の上の存在も同然だった。彼女が艦長──同時に部隊長である理由は知らなかったが、なにしろ、あのカリーニン少佐がひとかどのけいはらっている相手なのだ。きっとじようしきばなれの知性としどうりよくを持った女性に違いない。

『よかった。ちょっと待ってくださいね。……少佐?』

 男の声がり込んだ

『……サガラぐんそう、カリーニンだ。じようきようを説明したまえ』

「自分は現在、スンアンこうくうにいます。てきせいりよくは大きく分けて二つあり、一つはハイジャックを実行した日本人グループ、もう一つは現地のせいぐんかと思われます。がいかんした限りでは、基地のけい態勢は低レベルです。まずその戦力ですが……」

 宗介はジャンボ機を抜け出してから一時間半の間にていさつした、基地のようをくわしく説明していった。

 施設のどこがどうしているのか、警戒の態勢はどのていなのか、兵士の士気・りつはどうか……。機の位置とその状況についても、細かなところまで話した。

 二人の上官は冷静に彼の説明を聞き、ようしよ要所を押さえた質問をした。千鳥かなめが連れ去られたくだりでも、それは変わることがなかった。

 だが、貨物室の爆弾の件を話した時には、さすがにテッサの声がこわばるのがわかった。

『なんてこと』

「無力化はひじようこんなんです。自分のそうでは手がつけられません」

『……わかりました。たいさくはこちらでけんとうします』

「はっ」

『軍曹。チドリのいる場所はわかるかね?』

 カリーニンが質問した。

めいです。これからそうさくしますが、基地内にいるかさえわかりません」

『安全なはんで捜索しろ。君にはようどうの仕事がある』

 そう聞いて、〈デ・ダナン〉に救出作戦の用意があることを宗介は知った。しかも、かなめの問題よりも乗客の安全をゆうせんするほうしんらしい。

「……りようかい

『君の情報でかなり見通しが立った。これから作戦の立案をする。あとで、もう一度連絡しろ。時間は……』

『二二〇〇時にします。現地時間で』

 テッサが言った。

『サガラ軍曹、聞いての通りだ』

「了解。二二〇〇時に連絡します。それから、少佐殿──」

『なんだね?』

「ハイジャック犯のリーダーは、ガウルンです」

 衛星通信の向こう側で、少佐はだまりこんだ。

「われわれが戦った時とは、まるでいんしようことなりますが、間違いありません」

『われわれ』といっても、〈ミスリル〉は関係なかった。その戦いは、カリーニンと宗介が〈ミスリル〉に入る前の時代のことである。

『あの男は死んだはずだ』

「ですが、生きていました。自分がいたはずの額に、きずあとが残っています」

『もしそうだとして、やつはおまえに気付いたか?』

「いえ。自分のようぼうもかなり変わっていますので」

 当時の宗介は、髪をのばし放題にしていた。体格もひと回り小さかったし、もっと日焼けしていた。ガウルンが気付かなかったのは、そのおかげもあったのだろう。

『わかった。確かに爆弾の件といい、いかにも奴らしい手口だ。気を抜くな』

「了解。交信を終了します」

 宗介は通信機のスイッチを切ると、パラボラ・アンテナをたたんだ。そうを肩にかけ、どうしようとしたその時──

「動くな」

 やや、なまりのある日本語。背後で、けんじゆうげきてつが起きる音がした。



四月二八日 二〇三二時(日本=北朝鮮標準時)

こうかい 潜望鏡深度 〈トゥアハー・デ・ダナン〉 第三甲板B通路



「どういうことです?」

 作戦会議室への通路を歩きながら、テッサはカリーニンにたずねた。

「ガウルンの件でしょうか」

「説明してもらえるんでしょうね?」

 彼女は会議室のとびらの前で立ち止まり、カリーニンをりかえった。

「……危険なテロリストです」

 彼のくち調ようは重たげだった。

「〈ガウルン〉とは中国語で『九つの竜』という意味です。あの男が九つのこくせきを持つことがらいと言われています。これまで三〇人以上のようじんあんさつし、航空機の爆破も最低二度はじつこうしていますが、西側の対テロ組織ではほとんど知られていません」

 テッサは、カリーニンがかつてソ連のとくしゆたいしよぞくしていたことを思い出した。

ミスリルに入る前、私とサガラ軍曹はガウルンと対決しました。数年前のことです。当時、われわれはKGBから追われる身で、アフガニスタンのイスラムゲリラにかくまわれていました」

 その話はテッサも知っていた。アンドレイ・カリーニンは、ソ連軍部とKGBのんだいんぼうに巻き込まれ、いまも逃亡中の身なのだ。

「ガウルンはKGBにやとわれた追っ手でした。奴は私の中に、アーム・スレイブ二機をひきいてゲリラの村をしゆうげきしたのです。ゲリラ側はASを装備していなかったため、ほぼかいめつじようたいでした」

「…………」

 ASは現代最強の陸戦兵器だ。しかも戦車と異なり、行動する場所をまったく選ばない。みつりんだろうが高山だろうがおかまいなしだ。この兵器の前では、生身の歩兵はまったく無力な存在だった。

「たくさん死にました。無関係の女子供も、です。私がいれば、あんなことにはならなかったのですが」

「……それで?」

「私はほうふくを誓いました。かいが訪れたのは二週間後のことです。パキスタンの山中についせきしてきたガウルンを、われわれは待ちせしました。私がおとりになって、ソウスケがげきを。いろいろとありましたが、ソウスケはガウルンをめました」

「でも、違った」

「そのようです」

ざんぎやくな男なのね?」

「はい」

 ゆうかいかくすためだけに、無関係な数百名を殺すことができる人間がいるなどとは、彼女にはほとんど信じられなかった。だが敵は、まさしくそこにつけ込んできたのだ。宗介のけいこくがなかったら、最悪の結果になっていたかもしれない。

 のんきに人質のかいほうを待とうとしていた自分を、敵があざ笑っている気がした。

「上等よ」

 テッサは冷たいびしようを浮かべて、言った。

「そのガウルンという人には、高いツケをはらわせてやる必要がありますね」

「はい」

 日頃はおんこうでマイペースに見えるテッサだったが、こういうときに、その本質がひんやりと浮かび上がる。けっきょくのところ彼女も、カリーニンや宗介らと同じ側──いや、それどころか、ガウルンとさえも同じ側──で、生きる人間なのだ。

 理由は強調するまでもない。

 テレサ・テスタロッサは、人類がそうぞうしたもっともせいみつで強力な殺人マシーン──〈トゥアハー・デ・ダナン〉をはいしている。もし彼女がその気になれば、何百万人というの人々をさつりくすることもできるだろう。

「まずは作戦会議を済ませましょう、少佐。くわしい話は後で聞きます」

 二人は扉を開け、会議室に入った。青白いしようめい。円形のテーブルをかこんで、各部門の責任者が六名、すでに着席していた。

「では、はじめましょう」

 士官たちはうなずき、スクリーンの映像に目を向けた。



四月二八日 二〇三三時(日本=北朝鮮標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 スンアン航空基地



「こちらを向け。ゆっくりとな」

 そうすけしたがった。けんじゆうを向けていたのは、二メートル近い大男だった。たくましいりよううでと、はなれた細い目がいんしようてきで、しようこうの制服を着ている。

「あの機の高校生だな? 私の部下の目をぬすみ、よく抜け出したものだ」

 だんなくきよをとり、口のはしをゆるめる。その将校は一人きりで、あたりに兵士の姿は見えなかった。けいの状態を見回りしているところだったのだろう。

さま、どこと連絡を取っていた? 答えろ」

 将校はきつもんした。宗介はようやく口を開き、

「俺が交信していたのは──」

 言いかけ、自然な動作で通信機を投げつけた。しきに耳をかたむけていた将校は、わずかにはんのうおくれた。とっさに身をひねり、飛んできた箱を左手ではらう。

 そのすきに、宗介はいを一気につめると、相手の銃をり飛ばした。しゆよく拳銃は宙にい、倉庫のかべに当たって地面に落ちた。

「ふん……!」

 ところが相手はまったくひるまずに、大きなこぶしを振りかぶると、力任せに宗介をなぐり付けた。宗介はそれを片手でブロックした。重く、するどい。たまらずよろめく。息つく間もなく、回し蹴りが頭をおそう。

「っ……」

 なんとかさばくが、大男のれんげきようしやない。突き、蹴り、ひじ打ちと、こうなんとりまぜて攻撃をり出す。かなりのぎじゆつだ。パワーもある。

「素手なら勝てるとでも思ったか!? ぞうっ」

 宗介は答えもせず、数歩下がると、コンクリート・ブロックをみ台にしてちようやくした。

「ふっ!」

 あごめがけて、もうれつな飛び蹴り。大男は背中をらしてひっくり返った。そのままアスファルトに後頭部を打ちつけ、大の字になる。すかさず宗介は馬乗りになって、ベルトから抜いたスタンガンを押し当てた。

「う……うぐぐぐ……。お、お、お、の、れ……れれれ」

 電撃を受けてけいれんし、将校はバタバタともがいた。

(なかなかかん……)

 宗介は首をかしげた。バッテリーが切れてるのだろうか?

「ききき……さま、ななな、にににもの、だだだだ?」

「ゴミ係だ」

「ごごご……?」

 ようやく将校はしゃべらなくなった。

 ざい置き場の針金でねんりに手足をしばると、投げつけた通信機の様子を見る。

 通信機は外板がけて、中身がろしゆつしていた。えきしようパネルも割れている。スイッチを入れても、まともにどうしない。

「まいった……」

〈デ・ダナン〉と、連絡がとれなくなってしまったのだ。

 宗介は男の拳銃を拾い上げると、あたりにほかの兵士がいないことを確認し、ポケットから各種薬物のけいたいセットを取り出した。手のひらサイズのケースの中には、消毒薬やりゆうさん、アスピリンやモルヒネ、ちゆうしやきなどと並んで──

 アルコールの入った小さなびんがあった。


 かなめがせまくるしいドラムの中に閉じ込められてから、すでに数時間がたっていた。

 こうそくで身動き一つできないために、かたしりが痛くてしょうがない。何度も休ませてくれとたのんだが、女医はまるでとりあってくれなかった。

 あいかわらず、めいの映像は流されたままだ。目を閉じると、それが相手にはわかるらしく、『ちゃんと前を見なさい』としかられた。画面に集中していなければ、それだけけんが終わるのがおそくなるのだという。

 その映像が、何のまえれもなくぷつりととぎれた。かいは真っ暗になる。

「……終わり?」

『まだよ』

 ほどなく、な音がした。ずん、ずずん……と、低く、遠く、重い音。サラウンド映画さながらのりんじようかんみような不安を感じさせる。

「なに、これ?」

 返事はなかった。目の前の画面にも、これまでとは違う映像が現われる。アルファベットの単語。二秒かんかくほどで、次々と切り替わっていく。

〈sea〉

〈campaniform sensillum〉

〈tree〉

〈intrinsic coercivity〉

〈decagonal phase〉

 意味どころか、読み方さえもわからない単語の合間に、だれでも知っている言葉が入る。そうしたれつが、えんえんと続いた。

 ペースはしだいに上がっていき、しまいには一秒に一〇回近く、でたらめな単語が映っては消えた。やがて単純な英単語の表示はとだえ、化学式や数式、なにかの専門用語がほとんどをめるようになる。

 いつのまにか、かなめはそれを食い入るようにながめていた。

(なにこれ?……知ってる。見たこと……ある?)

 彼女にはそれらの言葉の意味がわかった。一度も見たことがないはずなのに、それを深くかいしているのだ。この世界のだれよりも、どんな高名な学者よりも。

じげんじゆんけつしようこうぞうのの合金)

 頭のどこかがげた。

(ルゴンとニニッケ∩チタQタン。ノ゛ニンナα骨格の第I種構造材。部分ブ安定化ジルコニアろリヤ2グ希土類イオンにおける8結晶磁気異方性はΓノナにきトシクナに非線形キAブレEK。プラセオジム、テルビウム、ジスプδロシウム。NOチてYポリΦポリアルアミドゲルとみ∽アワ、じゅRGゼせちぷC柔軟なナなナのイシャル筋ニクを──)

 こうはとどまるところを知らなかった。

 …………。

(ΔD─TふDフェGPふパラジジジウム・リアクターは立方体クリルるつミゲ格子にYPヨる三重℃水素の封じ込めをGふさtGフJHI──。電磁ホロほ迷彩カモ。130百三十IIIIX□MGOeの最大磁気エネルギー積がつララP領域KイW元偏微分BBラ──。チタン酸バリウム、ペロヴスカイト型カタかRた、可逆的な相転移。カーボKKδUン・コンポジットの装甲、ナノなのナノコンポWPCJζ。鐘状感覚感覚子 による圧Ka検出でR∵ ビウまム、ジスプ。ピピピ平方mあたりに1〇0クの素子阻止ソシ──)

 火山のふんのように情報がき出し、彼女のしきをかき乱した。

 まったく聞いたこともない知識。それを彼女は知っていて、理解している。頭の奥で、別のだれかが、ささやき声を発しているようなかん

「あ……あっ」

 とつぜん、知識のだくりゆうはとぎれた。

 ディスプレイが真っ暗になって、あの、きみような低音も消えた。頭を押さえていたドラムが離れ、彼女の横たわるベッドが、機械の外に引き出された。

 ひどく疲れた気がした。顔がっている。息苦しい。

 自分はなにを見ていたのだろう? あれは夢だったのだろうか? なにか、とてもふくざつなコトを考えていたような……。

「気分はどう?」

 頭にかぶさったディスプレイそうを外して、女医が彼女の顔をのぞきこんだ。まぶしいてんじようしようめいに、おもわず目を細める。

「……最低」

「そう。気の毒だけど、まだ続けるわよ」

 女はいつぺんの同情も見せずに告げた。

「ねえ、帰らせて。こんなヘンなすいみんがくしゆうなんか……」

「学習? とんでもない。あなたが生まれる前から知っていることなのよ」

 女医はなぞめいた口ぶりで言うと、注射器を取り出した。



四月二八日 二二〇五時(日本=北朝鮮標準時)

黄海 潜望鏡深度 〈トゥアハー・デ・ダナン〉 第一状況説明室



「すべてをじんそくに進める」

 大型スクリーンを背にして、カリーニン少佐は言った。

 じようきよう説明室のは、ほとんどまっていた。

 ASオペレーター、そうヘリやこうげきヘリ、ブイせんとうのパイロット、へいせんとういんなど、そうぜいで三〇名以上の兵士たちが顔を並べる。その顔ぶれはまちまちで、人種や民族、年齢、性別も、ごったじようたいだった。

 その中にはメリッサ・マオとクルツ・ウェーバーの姿すがたじっていた。ハイジャックの知らせを受けて、あわてて東京から〈デ・ダナン〉へと戻ってきたのだ。

「これ以上に回れば、たいあつする一方だろう。〈ミスリル〉としては、こうした全世界の注目を集めている事件に関与するのはけたいところだ。しかし、この事態を防げなかった責任があるのも、かんながら事実だ。以上をまえた上で──」

 少佐は言葉を切り、一同を見渡した。

「われわれ〈トゥアハー・デ・ダナン〉が救出作戦をかんこうする。プランは次の通りだ」

 スクリーンに、スンアンえいせい写真が映し出された。本日一五三〇時の最新映像。その写真の上に記号と文字が重なり、敵兵力のくわしいはいが示される。

 そして、人質グループを乗せたジャンボ機の位置……。

強襲機兵チーム六機に先立って、まずかくしゆこうくうえんたいしゆつげきする。攻撃ヘリとそうヘリ、VTOL戦闘機の順だ。まず──」

 カリーニンはこと細かに作戦を説明していった。ヘリの着陸地点、ASの展開方法、びようきざみのタイム・テーブル──

「……ASはほんかんから直接、XL─2きんきゆう展開ブースターでしやしゆつする。八時間以内に、アルコールをせつしゆしたそうじゆうへいは申し出ろ」

『緊急展開ブースター』とは、AS一機を四〇キロ先まで飛ばす能力を持つ、片道オンリーの使いてロケットのことだった。とにかくすばやく、敵が反応するいとまを与えずに、作戦いきにASを送りこみたい場合に使われる。

『アルコール』のくだりで、マオとクルツが顔を見合わせた。クルツが小声で『一〇時間前だもんな。セーフ、セーフ』とささやく。

 カリーニンは二人の様子をいちべつしたが、なにも言わずに説明を続けた。

「最大の問題は大型ばくだんだ」

 スクリーンにボーイング七四七型機のとうがCGで表示された。相良宗介の報告による、大型爆弾の位置が赤で示される。

「この爆弾は、VHF帯の電波によるえんかくばくほうしきと予想される。われわれの第一撃から立ち直り、テロリストがスイッチを押すよりもはやく、この爆弾を無力化しなければならない」

「しかし、どうやって?」

 攻撃ヘリのパイロットがたずねると、カリーニンは爆弾のしよ方法をおおざっぱに説明した。それを聞いた兵士たちは、ある者はかいそうに、またある者は不安げに顔を見合わせた。

「ですが、そうすると九〇三便は飛べなくなります」

「そうだ。だがジャンボ機には、もともとねんりようがない。戦火の中でのきようゆろんがいだ。人質は別の飛行機に移して運ぶしかないが、それでも問題が残る。人数だ」

 乗客・乗員名のリストが、画面の中をスクロールしていった。四二〇名強。現代テロ史上、最大の人質数だ。

「本艦のゆうする輸送ヘリすべてをとうにゆうしても、全員を運ぶことができない。そこで西太平洋のメリダ島基地から、C─17輸送機を二機飛ばした。すでに基地を出発しており、作戦開始の直前に黄海上で空中給油する」

「あれの定員は一五〇名くらいのはずでは?」

 隊員の一人が質問した。

「定員はあくまで定員だ。われわれの目的は、彼らにかいてきな空の旅をていきようすることではない。……このそうは作戦はつどうと同時に強行着陸を行い、五分以内にジャンボ機から人質グループをしゆうようりくする」

「たった五分? それはキツい」

 人質のゆうどうたんとうするちようがうめいた。そばのクルツはにがにがしげに、

「五分でも長いぜ。あのデカブツを守るのは……」

「それにも理由がある」

 言って、カリーニンは基地周辺の地図を映し出した。

「このスンアン基地は、こうそくどう沿いに位置している。首都のピョンヤンから近いこともあって、てきぞうえんたいとうちやくは、きわめて早いことが予想される。このしゆぼうえいたいせいえいだ。交戦は絶対にけねばならない。〈デ・ダナン〉から道路上にスマートらいさんする予定だが、足止めていしか期待できないだろう」

「着陸中、輸送機のどちらかがかいされた場合は? もしくは、離陸不可能になったり」

 マオがたずねた。

「それでも、もう片方は予定通り離陸する。席に余りがあっても、だ」

 少佐はれいぜんと言った。

「取り残された人質は、可能な限り輸送ヘリにむ。最終的にASの収容をほうしてもかまわんが、その場合はかくじつにASをかいしなければならない。これはしよくんの生命よりもゆうせんされる。もちろん、そうはならないことをいのっているが」

 室内が、重苦しいちんもくつつまれた。

 ASをあやつる第二小隊の操縦兵がきよしゆして、

「サガラぐんそうから連絡は?」

「ない。急ぐ理由の一つだ。作戦決行が遅れれば、状況はそれだけ不利に働く。てんこう、情報、敵のけいかい、人質の安全など、ようは様々だ。予行演習の時間はない」

 カリーニンは続いて、作戦のさらに細かい部分やてつしゆう方法、予想されるトラブルについて説明した。そしてスクリーンの画像をしようきよし、しめくくった。

「……すでに理解していると思うが、これはひじようリダンダンシーの低い作戦だ。わずかな失敗がめいてきそんがいをもたらすだろう。だが、この作戦を成功させることができるのは、全世界でわれわれだけだ。各員の能力に期待する。……他に質問は?」

〈ミスリル〉の兵士たちはちんもくを保った。

「では準備に入れ。そうおんせいじゆんしゆせよ。以上」

 一同はわらわらと立ち上がった。



四月二八日 二二二九時(日本=北朝鮮標準時)

朝鮮民主主義人民共和国 スンアン航空基地



 宗介はびついたコンテナのかげから、ちゆうきじようめられた三台のしやりようをうかがった。

(あれか)

 大型のトレーラーが二輛と、高出力の電源車が一台。

 らえたしようこうの話では、電源ケーブルのつながったトレーラーの中に、かなめがいるはずだった。アルコールをじようみやくちゆうしやしてぱらわせ、たくみにどころを聞き出したのだ。そのていじんもんでは信頼性がいまいちだったが、結果としては正しかったとみえる。

 用済みの将校は針金でしばってぜつさせて、手近なマンホールに放りこんであった。見つかるのはまだ先のことだろう。

 駐機場は見通しがよく、すいぎんとうがこうこうとめんらし出していた。

 けいは、サブマシンガンを手にした男が三人。トレーラーの運転席にも一人が休んでいるのが見える。いずれもスーツか私服姿で、この基地の者ではないようだった。

 時計を見ると、二二三〇時だった。〈デ・ダナン〉に連絡を入れるはずの時間は、とっくにぎている。

(どうしたものか……)

 宗介はあんした。

 もっともなんなのは、ここでじっと息をひそめていることだ。

 そして味方が救出作戦をはじめた時に、あのトレーラーからかなめを救い出す。それから味方とごうりゆうするのが、いちばんかくじつだろう。

 しかし、あのトレーラーの中でなにが行われているのか?

 宗介は二週間前、シベリアで救出した少女を思い出した。

 少女にとうされた薬物には、アルカロイドなどもふくまれていたという。はくざいにも使われるぶつしつだ。そうした薬物が人間のせいしんにどんなつめあとを残すか、宗介はよく知っていた。

 かなめの、まゆをひそめた怒り顔。

 あきれ顔と、ぼやき顔と、思案顔と──駅のホームでの、あの笑顔。雲ひとつない青空のようだった。

 それらがすべて、てつていてきかいされる。二度と戻ってこない。

 目は落ちくぼみ、口はだらしなく開き、えきや鼻水はたれ流しになる。もうそうげんかくさいなまれ、皮がはがれるまで自分のはだをかきむしる。

 彼女は殺されない。だが、ずたずたにこわされる。

 そう思うと、宗介の中で焼けつくようなしようそうふくれあがった。

 いますぐ飛び出して、彼女を救いにいきたい──はじめてといっていいほどの、強いしようどう。彼はそれにおどろき、またこんわくした。

(あせるな……)

 自分に言い聞かせる。

 にんの最優先は人質グループの安全。かなめの問題はその次だ。

 それにいくら連中でも、苦労して手に入れた彼女を、たった一晩ではいじんにはしないはずだ。それがどんな実験にしても。おそらくは、ゆっくりと、綿わたで首をめるように……。

(くそっ)

 どうどうめぐりのこうの中で、彼がもんもんとしていると──

 トレーラーの中からじゆうせいがひびいた。

 銃声。

 おそらく中口径のけんじゆうだ。が、ここで出ていくのはとくさくとはいえない。プロの兵士としての彼の直感は、明らかにそう告げていた。

 に動けばじようきようは悪くなる。作戦開始のこくはわからないし、本当に救出作戦が行われるのかさえ、わからないのだ。ここはこらえて、様子を見守る。そうしなければ、味方の作戦にまでししようが出る。任務の優先順位を忘れてはいけない。

 そう。ここで出ていくようなやつは、大馬鹿のアマチュアだ。俺は違う。

 だが。しかし。

 あのトレーラーの中で、もし、かなめがたれたのだとしたら? ひどいをしていたら……? 俺がいって手当てしてやれば、まだ助かるかもしれない。おうきゆうしよちの技術なら、俺はなやぶ医者よりもたくさん持っている。それよりも、いま、あのトレーラーの中で、テロ屋がかなめに二発目をたたき込もうとしていたらどうするのだ……!? ゆかいつくばった彼女の頭に、あのガウルンが銃口を向けて──

(かなめ……かなめが……)

 ずっと昔に忘れていたはずの感覚が、彼のしんぞうわしづかみにする。あまりにもなつかしいかんかくだったので、彼はその呼び名をすぐには思い出せなかった。

 いまこのしゆんかん、宗介が感じているもの……それはただしく恐怖だった。

 それでも絶対、出ていってはいけない。死ぬだけだ。任務を忘れるな。

 理性が彼にげんめいする。しかし──

 二度目の銃声。

 次の瞬間、宗介はコンテナのかげから飛び出していた。考えなど、なにもない。

 彼ははじめて、任務の優先順位をした。


 宗介が銃声を聞く二分前──

 せまくるしいドラムの中で、かなめははげしくあばれていた。

『おとなしくしなさい! 目を開けて、映像を見るの!』

 女医の声がするが、かまわずに手足をばたつかせ、頭を動かそうともだえする。全身があせばみ、呼吸がみだれ、はげしい耳鳴りがした。

「うるさいっ! 出せ、このーっ!!」

 頭がおかしくなったわけではない。かなめは単純に、怒っていたのである。

 どんな事情があるのか知らないが──こんな場所に閉じ込めて、あんなうすの悪い夢を見せて、たいのしれない変なクスリを打って、エラそうにああしろこうしろとさしする相手に、いつまでも従っていられるだろうか?

 考えるのも弱気になるのもき飽きしていた。大声を出して、らだを動かしてストレスをはつさんしないと、本当に頭がどうにかなってしまいそうだ。

「みんなのところに帰してよっ! じゃなきゃこんなかい、ブッ壊してやるんだから!!」

 あまりに強く暴れたために、ゴーグル式ディスプレイが頭からずれてしまった。

『まったく、いいげんにしてっ……!!』

 かなめを寝かせた台がドラムから引っ張り出された。その横にやってきた女医はいらちもあらわに彼女の頭を押さえつけ、

「なんてガキかしらっ! 優しくしてればつけあがって!」

「どこが優しいのよ、このオバン!」

「な、なんですって……!」

「あんた、だれかに似てると思ってたけど、やっとわかったわ! 中学ン時の理科の先生にそっくり! 実験一筋でこんのがして、やたら生徒に当たりらして、わるな宿題だして! 教育実習生がいる時期だけ、変にめかし込んでいろ使って──」

 バルカンほうのようにののしりながら、なおも彼女はじたばたと暴れた。うでこうそくがかなりゆるんでいたので、女医はそれをめ直そうとした。手首を押さえつけて、空いた片手でベルトを──

「きゃあっ!!」

 汗で手がすべり、かなめの右腕がいきおいよくね上がる。そのはずみで、彼女のひじが女医のあごをちよくげきした。女医はその場でよろめいて、やくひんだなに後頭部をぶつけ、そのまま棚にすがりつくように倒れた。

「あ。……生きてる?」

 るのをやめてたずねたが、返事はなかった。

 気付くと、右腕が自由になっていた。彼女は左腕を拘束しているナイロン製のベルトをそろそろとはずしてみた。

「お、これは意外と……」

 自由になった両手で頭と腰のベルトを外し、身を起こす。ここまでくると、あしを固定した拘束具を外すのは簡単だった。床を見ると、女医は小さな声をもらして身を起こそうとしているところだった。

(ど、どうしよう……?)

 逃げようか? でも、どこに?

 かなめは、一歩、また一歩とトレーラーの出入り口に向かった。そのままとびらの前まできたところで、

「どこへいく気?」

 苦しそうに立ち上がった女医が、小さなピストルを向けて言った。

「こっちに来なさい。従わなければ、ただではすまさないわよ」

「い、いやよ。もうこんなけん、絶対にごめんね。だいたい──」

 女がはつぽうし、トレーラーのかべだんがんが食い込んだ。

「な……ちょっ──」

 女医はもう一度発砲した。今度のたまは、かなめの後ろにあったえきしようスクリーンをたたき割った。よく見ると、女の顔は冷たい怒りで凍りついている。場合によっては本気でかなめをちかねないように思えた。

 目の前の扉がいきなり開いて、サブマシンガンをかまえた男が二人、入ってきた。

「なにごとだ!?」

 スーツ姿すがたの男はかなめの鼻先に銃口を突きつけ、車内をだんなく見渡す。たぶん、トレーラーの外でけいをしていた連中だろう。

「ちょっとしたトラブルよ。そこのガキにきゆうえてやろうと思っただけ」

「だからって銃を? あんた、このそうがいくらすると──」

「五億八〇〇〇万円よ。あんたたちに言われなくてもわかってるわ。……さあ、こっちに来なさい」

 拳銃をしまって、女はまねきした。男たちは鼻を鳴らし、かなめの背中を押した。女医は薬品棚からなにかのびんを出し、ちゆうしやきてきりようい出しながら、

「ちょっと、その子をベッドに押さえといてくれる?」

 男たちはを言わさず、かなめを台の上にねじせた。彼女の目の前で、注射針からとうめいえきたいがしたたった。

「な、なにを……」

「さっきのとは違うわ。これは人をじゆうじゆんにさせる薬よ。いろいろとらだに──特に女の子ののうしようがいが残るし、テストの段階では使わないつもりだったんだけど」

 相手の恐怖を楽しむように、女医は説明した。

「や、やめて……」

「あなたが悪いのよ。せっかく優しくしてあげたのに」

 今度はいくら暴れてもだった。男たちの力はすさまじく、一歩まちがえば骨が折れてしまうかと思えるほどだった。

「いや。お願い。もう暴れないから……!」

「ふふ……だめ」

 右腕に注射針が押し当てられた、そのしゆんかん──

 彼女を押さえつけていた男たちが、次々にうめき声をあげて倒れていった。

「え……?」

 いきなり自由になったことに驚き、彼女は顔を上げた。まずかいに入ったのは、うろたえながら後ずさる女医の姿。かなめではなく、その背後にいるなにかを見ている。しんに思って振り向くと──

「……さ、さがくん?」

 そこに立っていたのは、まさしくさがそうすけだった。右手の拳銃を女医に向け、左手にはスタンガンを握っている。首からはサブマシンガンをげて、前をはだけた学生服のベルトに、だんそうが二本、ねじこんであった。

はないか、どり

 驚くほど落ち着いた声で、宗介が言った。

「え……? そ……。な、ないけど……」

「そうか。では俺の後ろにいろ。はなれるなよ」

 彼はかなめを自分の背中に隠して、すきのない動きで女医に近付いていった。

「あ、あの飛行機の高校生ね? いったい、いつの間に──」

「質問するのは俺の方だ。言え。これは何のせつだ。なぜ彼女をさらう」

「そんなことが言えるわけが──」

 宗介は女のそばにあった電子機器に弾丸を二発ち込んだ。火花を散らして、たちまち装置は沈黙した。

「答えろ。次はさまを撃つ」

 女の頭に銃口をぴたりとポイントする。相手はあわてて両手をげた。

「やめて、話すわ! この設備は……彼女が本物の〈ウィスパード〉かどうかを調べるためのものなの」

「ウィスパード。何だ、それは」

「一言では説明できないわ。〈ウィスパード〉はブラック・テクノロジーのほうで、世界のパワー・バランスを動かすほどの知識をもたらす存在なの。自由にそれを引き出すのはまだむずかしいけど、ゆくゆくは生きたばんのうデータベースとして──」

 そこまで聞いたところで、いきなり宗介がかなめのうでをひいて、CTスキャナーの蔭に飛び込んだ。直後にかみなりのような銃声がひびき、二人の周りで火花とプラスチックのへんね回った。

「きゃっ……!!」

 かなめと女医が同時に悲鳴をあげた。宗介がすぐさま身をひるがえして、拳銃だけを蔭から突き出し、残りの全弾をトレーラーの出入り口に向かってらんしやした。

「ごぁっ」

 今度は知らない男の悲鳴が聞こえた。宗介は弾切れの拳銃を捨てて、サブマシンガンのレバーを前後させながら、立ち上がって出入り口の様子をうかがった。

 かなめは、女医がうつぶせに倒れているのを見て息を飲んだ。きっと流れ弾が当たったのだ。床に血の染みがみるみる広がっていき、弱々しいもんの声がもれる。

「逃げるぞ、千鳥」

「あ、あの人、死……」

「まだ生きてる。だが手当てする時間ももない」

 彼女の手を引き、空いた手でサブマシンガンをかまえると、宗介は出入り口へと走った。事情がまったく飲み込めないかなめは、

「ねえ、いったいあなた、どうして──」

「説明は後だ。敵が来る」

 トレーラーの出口には男が倒れていた。わきばらを手で押さえ、必死で身を起こそうとしている。ふるえる手でサブマシンガンを向けようとする男を、宗介はようしやなくり倒した。テロリストは銃を投げ出し、車外に転げ落ちていった。

「い、痛そー……」

「いくぞ」

「ま、待って。こんなカッコじゃ歩けないよ。着替えさせて」

 ひざうえ二〇センチのガウンだけでは、いくらなんでも心細い。ちょっと走ればパンツ丸見えじようたいだ。

「あきらめろ、時間がない」

「勝手なこと言わないで。ちょっとあんた、なにやらしい目でジロジロ見てんのよ!?」

「違う。そのかつこうのどこに問題があるのか、かんさつを──」

「ウソね! このドサクサで、なんか変なことするつもりでしょう!?」

「そんなわけがないだろう。こっちに来てくれ」

「やーよ! だいたいあんた何者なのよ!? ただの下着ドロじゃないわね!?」

「言うことを聞いてくれ。俺は君の身を案じてこんなちやを──」

 そこで、またしても外からじゆうげき

 トレーラーの出入り口で銃弾がはじけ、宗介はとっさにかなめの方へと身を投げ出した。真っ正面から二人はぶつかり、からみ合うように床に倒れた。

「きゃあぁ──っ! ど、どこさわってんのよ!?」

「だから違うと言ってるだろう」

「あっち行け! チカン! ヘンタイ! レイパーっ!!」

「いいげんにしてくれ!」

 見苦しいことこの上ない。敵の銃撃が続くのをよそに、二人はトレーラーの中でじたばたともつれ合い、もんどうをくりかえしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る