死のうと思っていた聖女ですが、生きることにしました

神田なつみ

私は、この世界で生きる

 17歳のとき、私は聖女として日本から異世界へ召喚された。

 正直なところ、あまり混乱はなかった。

 なぜって、元の世界が私にはあまりにも苦痛だったからだ。


 元の世界での私は、七橋ななはし美生みお。昔から内向的な性格で、うまく人と話したり、笑ったりすることが苦手だった。


 表情が乏しく口数も少ない私は、両親からすれば「不気味で可愛げがない」そうだ。


 だから両親は、一つ下の妹ばかり可愛がって、私のことはぞんざいに扱っていた。

 妹こそが大切に可愛がる「娘」であり、私の存在は「ストレスの捌け口」だった。


 両親は私がまだ幼い頃から、私に家事を押しつけ、上手にできないと私を怒鳴りつけたり、食事を抜いたりして楽しんでいた。私が泣きそうな顔になると、愉快な見世物でも見ているようにニヤニヤと笑った。


 だから私は家が嫌いだった。でも、学校にも私の居場所はなかった。


 口下手な私はクラスでもやっぱり不気味扱いされて、宿題や掃除を押しつけられ、断ると集団で無視された。担任の先生は「みんなと仲よくできないあなたが悪い」と冷たい視線を向けるばかりだった。


 そんな日々は、中学、高校になっても変わらなかった。


 私はいつも独りで、「あいつには何を言ってもいい、何をしても構わない」ものとして扱われ、ストレス発散の道具にされていた。いっそ死んでしまいたいと思うことすらあった。


 ――そんな私がある日、異世界に召喚されたのだ。


 驚きはした。だけど友達のいない私は、図書館で本を読むことが唯一の楽しみだったので、異世界召喚ものの本も読んだことがあり、なんとなくどういうものかはわかっていた。


 それに、元の世界での暮らしが、毎日本当に苦痛だったから。どんな世界だったとしても、あの生活よりはマシなんかじゃないか、と希望を抱いた。


 正直、召喚されたときの私は――やっと別の世界に逃れられた、もう二度と戻りたくない、とすら思っていたのだった。


 最低限の衣食住さえあればどんな暮らしでもいい、と思っていたのだけど。

 この世界での日々は――想像よりも、遥かに幸せだった。


 私は「異世界の聖女」として魔王を倒し人々を救うべく、「勇者」「剣士」「魔法使い」と共に旅に出ることになったのだ。そのみんなが、すごく優しかった。


 私と違って他のみんなは元々この世界……アガルシアの住人で。

 だからこそ、異世界から来た私にすごく気を配ってくれた。

 この世界の問題に巻き込んでしまってごめん、君のことは絶対に俺達が守るから、と言ってくれ、本当にいつも私を大事にしてくれた。


 私は回復役だから直接戦闘に参加することはないとはいえ、戦闘場面を見ることに慣れていなくてビクビクしてしまっていたし、最初の頃は足手まといだっただろうに。みんなは私を庇うように前に出て、戦闘後には「怖くなかったか?」「大丈夫だったか?」と聞いてくれた。


 この世界のことでわからないことは丁寧に教えてくれたし、街ではおいしいお菓子のお店を教えてくれたりもした。砂糖のあまり使われてない素朴な焼き菓子でも、みんなと一緒に焼き立てを食べると本当においしかった。


 みんながあまりにも優しいから、こんなに優しくしてもらっていいのだろうか、と不安になったりもした。私は、みんなに何か返せているのだろうか。この優しさに報いることができているのだろうか?


 ある日、たまらなくなって、勇者であるジェイドさんに直球で聞いてしまった。


「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?」


(私に優しくしても、いいことなんて、ないのに。回復ならちゃんとやるし、なんなら、もっとこうしてほしいとか、命令してくれたっていいくらいなのに……)


 するとジェイドさんは、まっすぐに私の目を見て答えてくれた。


「どうしても何も、当たり前に接しているだけだよ」

「……こんなに優しくしてもらえるのが、当たり前なんですか?」

「そうだ。もちろん、君は異世界人なのにこの世界の問題に巻き込まれてしまったから、特に守りたいという気持ちはあるが。それを抜きにしたって、共に旅する大事な仲間だし、叶うことなら、いつだって笑っていてほしいと思う」


 ジェイドさんの言葉に私が目を見開いていると、彼はじっと私を見たまま尋ねた。


「……君にとって俺達の接し方は、そんなに不思議なものか?」

「……はい。元の世界では、こんなに優しくされたことなんて、なかったので」


 そう答えると、ジェイドさんは私の今までの人生を労わってくれるように眉根を寄せた。


「君は、元の世界では、とても理不尽で酷い目に遭ってきたんだな」

「いえ。この世界の人々は、魔王や魔獣による被害に苦しんでいるでしょう。私程度で酷い目に遭ってきただなんて……」

「君が味わってきた苦しみと、この世界の苦しみは、まったく別のものだ。比べるようなものじゃない。この世界がどうであろうと、君は今まで辛い思いをしてきた……そうなんだろう?」


 優しい口調で問われ、私は、なんだか泣いてしまいそうになった。


 今まで、辛いなんて言ったら「甘えるな」とか「もっと辛い人がいる」と言われて、余計に傷を負うことになりそうで、言えなくて。


 私の辛さを、受け止めてもらえるなんて、思っていなかった。


 すると、目から涙がこぼれ落ちそうなのを必死に堪えている私を見て、彼は言った。


「……頭を撫でてもいいか?」


 直後、彼ははっと我に返ったように、かあっと目元を染めた。

 ジェイドさんのそんな表情は初めて見たので、私は思わず顔を見つめてしまい……それが更に、彼を慌てさせたみたいだった。


「違う、その……変な意味ではなくて。今の君は、なんだか泣き出してしまいそうで……励ましたくなったというか、少しでも力になりたくなったというか……」


 いつもは冷静で凛々しい彼があわあわと言葉を絞り出しているのが、なんだか微笑ましくて……私は頷き、彼に頭を向けた。


 大きな掌がそっと頭の上に乗せられ、ゆっくりと頭を撫でてくれる。

 私は、幼いときすら、家族にこんなふうにされたことはなかった。

 こうして心に寄り添ってくれることが……こんなにも、温かくて嬉しいものだなんて。今まで、知らなかった。


「ミオ。君は、とても優しくて努力家だ。異世界人である君が、この世界で魔王討伐の旅をしなければならないのは、理不尽ではあるが……俺は君が仲間でいてくれることを、誇りに思うよ」

「努力家、なんて……。私は、聖女って役目以外には、何もないし……頑張らないと、見捨てられるかもしれないと思ったから……」


 この世界のことなんて何もわからないのに捨てられるのは怖くて、必死で魔法について勉強・練習し、聖女の力を強めてきた。


 だけど「努力家」なんて言ってもらうと、そんないいものじゃない、と罪悪感にも似た感情が湧く。


 私は誇りに思ってもらえるような人間じゃない。弱くて、後ろ向きで。聖女の力がなければ、ただのモブでしかない地味女だ。


「どんな理由であれ、俺も他の仲間達も、君の治癒魔法に何度も助けられてきた。魔法のことを抜きにしたって、君は、異世界なんて環境でもめげずに、いつも注意深く周囲を観察し、さりげなく気遣いしてくれている。君は優しいよ。君を見捨てるなんてこと、絶対にない」


 彼は私の頭を撫でたまま、温かく、心に沁みるような言葉をくれた。


「君は、自分を卑下することも、自分を抑える必要もない」


 ――結局私はその日、彼に頭を撫でられながら、ぽろぽろと大粒の涙を零してしまったけれど。


 その日以降、私は次第に仲間達にちゃんと自分を出して、心を開けるようになっていった。


 冷静で心優しい、皆の中心でありカリスマ的存在の勇者、ジェイド。

 明るく陽気、ムードメーカー的存在の剣士、カイル。

 頼りになるお姉さん的存在の魔法使い、メリッサ。

 それぞれ個性はバラバラなのに、不思議と衝突することなく、お互い尊重し合っていた。


 私は最初、みんなとどう接すればいいのかわからずにいたけれど。ジェイドの言葉に勇気をもらって、私の方から話しかけてみると、カイルもメリッサも笑顔で受け入れてくれて。


 次第に、カイルが冗談を言ってメリッサがそれに突っ込み、ジェイドと私がそれを笑って見ている……といった構図が定番となって。魔王討伐という目的を忘れたわけではないけれど、殺伐とは程遠い、和やかで笑い声の絶えないパーティーとなった。


 家族ってこんな感じなのかな、なんて。一応、元の世界で家族はみんな存命だったにもかかわらず、いつしか私はそう思うようになっていた。そういえば元の世界の家族達はどうしているだろう。家事を私に押しつけてばかりの人達だったし、今頃家はゴミ屋敷になって、まともな食事もとれていないと思う。まあ、もう一生会うことはないし、どうだっていい。


 カイルとメリッサは、私を妹のように可愛がってくれた。メリッサなんて、「こーんな可愛い妹ほしかったの~!」といつも私をぎゅっと抱きしめてくれたくらいだ。


 ジェイドも……頼りになるお兄ちゃんみたいに、いつも私を守ってくれたけれど。

 ジェイドには「妹」じゃなく、一人の女の子として接してほしい……なんて淡い願いを抱くようになっていた。


 もし、もしも、私の自意識過剰でなければ。ジェイドも同じ想いを抱いてくれているように感じた。彼の、深海のような青い瞳は、普段は冷静なのに、私を見つめてくれるときは、とびきり優しく甘い熱を宿す。カイルやメリッサに、「まーったく、2人はラブラブで羨ましいな~」なんてからかわれることもあった。


 ただ、私達は、魔王討伐という大義を抱える身。想いを伝えるのは、この旅が無事に終わり、世界が平和になったら……というのが、私とジェイドの共通認識だったように思う。


 いずれにせよ……楽なだけの旅ではなかったけれど、幸せな日々だった。


 私の居場所はここだったのだと。元の世界では何のために生きていたのかわからなかった私でも、この世界では前向きになれた。


 せっかく聖女の力があるのだから、困っている人を助けたくて、旅の途中で立ち寄った村では、怪我や呪いに苦しむ人々に自分から声をかけるようにした。


 アガルシアの人々は、若い人ばかりだ。……地球より医療が発展していないし、大人は戦闘員として駆り出され、魔獣と戦わなくてはいけないからだろう。多くの人々が命を落としているのだと思うと胸が痛んだし、いっそう聖女の力を磨こうと決意した。


 私は、ジェイドやメリッサ、カイルの生まれたこの世界を好きになったし。

 みんなのいるこの世界を、守りたいと思った。

 そしてこの世界で、私もみんなと一緒に生きたい。


 ――1年後。とうとう、私達は魔王城に辿り着いた。


 「本当に、長い旅だった……」


 聳え立つ魔王城を見て、ジェイドはこの1年間を振り返るようにそう呟いた。

 カイルとメリッサも、ジェイドの呟きに呼応するように、重々しく頷いた。


(長い旅だった……か)


 1年という時間は確かに短くはないかもしれないけれど、私にはあっという間だった。


 私にとってこの世界は何もかもが新鮮だったし、毎日自分にできることに必死に打ち込んでいたから、時間の流れが早く感じたのかもしれない。


 魔王との戦闘は、凄まじい激戦だった。


 みんな傷ついて、回復しても回復しても血が流れて、それでも絶対に誰も死なせたくなくて、必死で治癒し続けた。


 一歩間違えば自分達の命を失い、世界も滅びてしまうという緊迫した戦闘の末――最後はジェイドの攻撃によって、魔王は倒れ、塵となった。


 その瞬間、各地を覆っていた黒い瘴気が晴れ、毒に侵されていた湖が澄み渡り、魔王の呪いによって石化していた人々が元に戻ったのだという。


 私達4人は、涙を流して抱きしめ合った。普段は涙を見せないジェイドやメリッサも、この日ばかりは歓喜の声を上げて大粒の涙を零していた。


 ひとしきり喜びを分かち合った後、私達はあらためて、これからについての話をした。


 まず口を開いたのは、カイルだ。


「俺は昔から、魔王討伐のために訓練を積んでてなぁ……。人生の大部分を、剣技を習得するために使っちまった。だがお前らとの旅は楽しかったし、若者達の未来を切り拓けただけでも十分だ。後はもう、のんびり余生を過ごすとするさ。ははっ」


 続けて、メリッサも言った。


「私もよ。もう人生も残り少ないけど……生きているうちに魔王を倒せて、平和な世界を見られただけでも夢みたいだわ。あとは若い人達に魔法の知識を残せるよう、魔法の本でも書こうかしらね。ミオはジェイドと2人きりの日々を満喫するんだろうけど、私のところにもたまには遊びに来てよ? 私、ミオのことが大好きだから、会えなくなるのは寂しいもの!」


 2人とも全然若いのに、まるで自分達がお年寄りみたいな言い方をする。カイルやメリッサにはこういうところがあった。2人とも私よりは年上だろうし、自虐的な冗談みたいなものだろうか。


「ふふ。もう、2人ってば。私達の人生、まだまだこれからでしょ?」


 私は、世界が平和になったこれからの人生、みんなとやりたいことがまだまだたくさんある。


 綺麗な景色を見て、おいしいものを食べて、たくさんの人達と出会って。また思い出を積み重ねて行って……そんなふうに、未来を過ごしていきたい。


「人生、まだまだこれから……か。ミオは素敵なことを言うわね」


「そうだな。残り1年くらいの人生だけど、1日1日、大事に生きようぜ!」



 ――え?



「待……って。残り1年くらいの人生って、どういうこと……?」


 何それ。なんでそんなこと、当たり前みたいに、さらっと話すの。

 そんな大事なこと、私は、何も聞いていないのに。


「病気とかだったってこと? どうしてそんな大事なこと、教えてくれなかったの……!?」


 そこまで言って、はっと気付く。


「大丈夫だよ、私、聖女だもん! 病気なんて、私の治癒魔法があれば治せるでしょ!?」


 そうだ。聖女で本当によかった。

 これまで、どんな怪我だって治してきたんだから。

 たとえまだ治癒方法が見つかっていない難病だって、必ず治療できる魔法を開発してみせる。


 そんな希望に縋るように両手を握りしめて言ったのに、みんなは不思議そうな顔をしていた。


「何を言ってるんだ、ミオ? 俺は病気じゃない。残り1年しか生きられないのは、普通に寿命さ」

「そうよ。私達はもう成体なんだから、寿命が残り少ないのは当然でしょう?」

「な……に、言ってるの?」


 わけがわからず、混乱で足が震えるのを感じていると、ジェイドが私を落ち着けるように前に出た。


「落ち着くんだ、ミオ。俺達の間には、何かすれ違いがあるみたいだ。一度、話を整理しよう」


 私は頷き、みんなの話を聞いたけれど――

 判明したのは、ただただ絶望的な事実だった。


 ――この世界の人々、アガルシア人は、もともと10年しか生きない存在らしい。


 アガルシア人は、最初は地球の人間のように赤子として生まれてくるけれど、生まれてからすぐに幼児体へと成長し、それからも地球人より遥かに早い速度で成長してゆく。


 アガルシア人の最終形態が、地球人でいえば20代くらいの外見の「成体」であり、それ以上は老いることなく、成人のような見た目のまま寿命を迎えるそうだ。


(そういえば、旅の途中で会う人もみんな若くて、お年寄りに全然会わなかった……)


 この世界は医療が発達していないし魔獣が跋扈しているから、平均寿命が短いのかなとは思っていたけれど。もっと、おかしいと思うべきだったのだ。


 目の前が真っ暗になり、白い顔で立ち尽くす私を、ジェイド達は心配そうに問う。


「同じような外見だから、てっきり異世界人の寿命も、俺達と同じなのだと思っていたが。……ミオの寿命は、俺達とは違うのか?」

「異世界……日本の人間は、80年とか……長い人なら、100歳まで生きるよ」


 私の答えに、ジェイド達は絶句していた。

 当然だろう。彼らからしたら、私は自分の寿命の何倍も長く生きる長命種。姿形だけが同じの、化け物のようなものだ。


 私も、元の世界で読んだ本では、人間とそっくりだけど何百年も生きるエルフの物語とか、読んだことはあったけど――


 まさか自分が、長命種の側になるだなんて、思いもしなかった。



 ……それからしばらくは、泣いて暮らした。


 聖女として治癒や解呪はできたって、不死や不老をもたらすことはできない。

 魔王を倒した報奨金として王様から莫大な額のお金を貰ったけれど、虚しいだけだった。


 宿を借りて、1日中ベッドに潜って泣きじゃくった。ジェイド達がやってきて何度もドアをノックしてくれたけど、どうしても心の整理ができなかった。


 だけど――こうして私が1人で泣いている間にも、ジェイドやカイル、メリッサ達の残りの人生は短くなっていくのだ。そう考えると恐ろしかった。本当に悲しいけれど、悲しんでいる時間すらなかった。


 みんなのことが本当に大好きだから、せめて残り僅かな時間でも、一緒にいたかった。


 私は、みんなから優しさや、心の温もりや、たくさんのものをもらったから。


 私も、みんなのために何かしたかった。みんなの残りの人生を幸せにするため、少しでも自分にできることをしようと思った。



 みんなで話し合った結果、私達は4人で、街から近い森の中に家を買い、一緒に暮らすことにした。


 カイルとメリッサは、私とジェイドは結婚して余生を2人で過ごすのだと思っていたそうで。だから魔王討伐直後は、4人で暮らすという願いを口にしなかったらしいけど……カイルもメリッサも、最後までみんなで一緒にいたいという気持ちは、同じだったそうだ。


 私も、みんなの寿命のことを知る前は、ジェイドと結婚できたら……なんて淡い夢を抱いていたこともある。


 だけど私にとってはカイルもメリッサも家族同然の存在で、2人の人生が残り少ないとわかっているのに、離れたくなんてなかった。


 それにジェイドも、私に告白も何も、することはなかった。


 私達はお互いに淡い恋愛感情を抱いていたはずだというのは、私の勘違いではない……と思うけど。


 彼は私との寿命の差について、苦悩しているようだった。

 ジェイドは優しいから、これ以上私を悲しませないため、一定の距離を置こうとしているような。


 だってどうあがいても、ジェイドは私を置いていってしまう。もし私達が結ばれたとしても、一緒にいた時間よりもずっと長く、その後、私は独りぼっちになってしまう。


 幸せな時間を積み重ねるほど、彼がいなくなった後の喪失感は生半可なものではなくなるだろう。……だから私も、彼への恋心は忘れることにした。それでも、残された時間は私にとって短いからこそ、「仲間」としてできるかぎりのことはしたかった。


 4人で一緒に暮らし、私はみんなにおいしいものをたくさん食べてほしくて、いろんな料理を作った。旅の最中で野営のときは食材や設備がなくてあまり凝った料理を作れなかったけど、せっかくなので地球の料理を披露したりもした。


 生姜焼き、からあげ、コロッケ……どれもこの世界にはない料理なので、みんなすごく喜んでくれた。おいしい、おいしいと笑顔で食べてくれ、「人生でこんなうまいものが食べられるなんて思わなかった」なんて言ってくれた。


 私も、久々に食べる地球の料理も、おいしいと思ったけど。

 食事の内容よりも、みんなで食べるということが、やっぱりすごく嬉しかった。

 4人でワイワイと温かな食卓を囲む、それ自体が何よりの幸福だ。


 料理以外でも、私にできること全部で、みんなを楽しませたくて。

 私の好きな小説のストーリーを語って聞かせれば、みんな夢中になって聞いてくれた。

 私がこちらの世界に来る前、日本で流行っていた歌を聴かせたりもした。みんなすぐに覚えて、一緒に歌った。

 そして、私がみんなを幸せにしたいと思うのと同じかそれ以上に、みんなも私にいろんなことをしてくれた。


 カイルは剣技の他に、ルヴィールというこの世界の弦楽器を弾きながら歌う特技があって。私が鼻歌で日本の歌を歌ったら、すぐにルヴィールで弾いてくれたし、この世界の音楽もたくさん聴かせてくれた。私は料理中やふとした瞬間に、彼が教えてくれた歌を口ずさむのが癖になっていた。


 メリッサは魔法で、たくさんの景色を見せてくれた。火の魔法を使って花火のような光景を見せてくれたり、空に水魔法を放って虹を見せてくれたり、美しく煌めく氷の花を咲かせてくれたり……。どれも本当に美しくて、忘れられない記憶として私の中に刻まれた。


 ジェイドは……私との接し方に、悩んでいるようだったけれど。

 それでも日常の端々から、私に気を配ってくれていることは、すごく伝わってきた。

 私の好きな料理を作ってくれたり、食卓やリビングに、いつの間にか私の好きな花が入った花瓶が置かれていたり……そんなひとつひとつから、口下手だけど誰より優しい彼の想いが伝わってくるみたいだった。


 4人でいれば、毎日楽しくて。笑いの絶えない幸せな日々だった。


 だけどみんな、私より先にいなくなってしまうから、必死で私に何かを遺そうとしてくれているようでもあった。


 幸せなのに――幸せだからこそ、胸が締め付けられる。この幸福は永遠には続かないとわかっているから。毎日、毎日、少しずつ縮んでいく蝋燭の灯りを見守っているみたいだった。


 4人で一緒に暮らと決めた日から、ずっと、我慢していたけれど。

 ある日私は――とうとう、泣いてしまった。


「いや……っ。みんな、お願い。私を、置いていかないで……」


 みんなのことが、大好きだから。いなくなってほしくない。ひとりにしないでほしい。


 私が自分を受け入れて前向きになれたのも、この世界を好きになれたのも。全部、みんながいたからなのに。


「ミオ……俺達、空の上から、ずっとミオのこと見守ってるよ。だから、泣くなって」

「そうよ。ミオには、笑っていてほしい。ミオは笑顔が一番素敵だもの」


 カイルは、優しく微笑みながら背中をぽんぽんと叩いてくれて。

 メリッサは、私が泣き止むまで、抱きしめてくれた。

 ジェイドは……心配そうに私を見つめてくれていたけれど。

 この世界に来たばかりの頃、私の心を解いてくれたときのように、頭を撫でてくれることはなかった。


 わかっている。いくら泣いても悲しんでも、みんなの寿命のことはどうにもできないし。

 私が泣いてばかりいたら、みんな安らかな気持ちのまま逝くことができない。困らせてしまうだけだ。


 それでも――みんなと二度と話せなくなる、笑顔を見られなくなる、一緒に生きられなくなるということを。辛いと思わずにいるなんて、無理だ。


 無駄とわかっていながら、何度も癒しの魔法をかけた。何度も、何度も、何度も。

 ……そんな私のことを、見ていられなかったのだろうか。

 ある朝、ジェイドは「しばらく家を離れる」という手紙を置いて、いなくなってしまった。


 私は呆然とした。だけど、当然だという気持ちも、心のどこかにはあった。

 ジェイドなら、他の素敵な女性と結婚したり、いくらでも幸せになれるはずだ。

 彼だって残りの人生を、自分の好きに過ごしたいだろう。

 ずっとメソメソしている私を慰め続けるより、笑顔で傍にいてくれる人の方がいいに決まっている。

 そういう人と一緒になった方が、ジェイドにとって幸せなはずだ。

 だから、私はただ、彼の幸福を願うことにした。


 ――もう二度と会えないのかと思うと、どうしようもなく、胸が軋んだけれど。



 だけど、1ヶ月後。ジェイドは、私達が暮らす家へ戻ってきた。


 帰ってきたときの彼はかなりボロボロだったから、驚いた。旅立つ際に回復薬は持って行ったけれど全て使い切ってしまい、それでも一刻も早く戻ってきたくて、なりふり構わず帰路を突き進んできたらしい。


 私はすぐに治癒魔法を使って……ひさしぶりに見る彼の顔に、泣きそうになって。思わず抱きついてしまいそうになるのを必死で我慢した。


「そんなにボロボロになって、一体どこへに行っていたの?」

「……これを、探していた」


 彼がとても大事そうに握りしめていたのは、とても小さな……種のようだった。


「これはアガルシアに伝わる幻の植物、ローゼリアの種。……これを飲めば、寿命が延びると言われている」


 この世界に来て1年半ほどしか経っていない私は、そんなものが存在することを知らなかったけれど。カイルとメリッサは、大きく目を見開いて驚いていた。


「ローゼリアの種……!? 100年に一度、天を貫く大樹の最上……そこに一輪だけ咲く、他と違う色の花にだけ宿ると言われてる、本当に幻の存在じゃねえか! 実在したのか……!?」

「私も、初めて見るわ。まさか生きているうちに、本物のローゼリアの種を拝めるなんて…!」


 ジェイドは種を壊さぬよう手で包みながら、メリッサに問う。


「メリッサ。この種の効果を失わないまま、3人で分けることはできないか?」


 メリッサはその言葉にまたしても目を見開き、だけどすぐに、眉根を寄せ厳しい顔をした。


「……無理よ。この小ささだもの。細かく砕いたら、そのぶん効果も失われてしまうはず。魔法薬だって、適切な量を飲まなければ効果を発揮できないものだもの」

「……そう、か」


 ジェイドは眉間に皺を寄せ、苦々しい顔をする。

 けれど対極的に、メリッサとカイルは柔らかな微笑を浮かべていた。


「それはあなたが飲みなさい、ジェイド。そのために採ってきたんでしょう」

「……だが。それじゃメリッサとカイルは……」

「私達はもう充分生きたわ。魔王を倒して、4人で幸せな日々を送って……これ以上望むことは何もないくらいだった。唯一の心残りは、ミオを遺して逝かなきゃならないことだったけど……ジェイドがこの先もミオと一緒にいてくれるなら、私達も安心できる。ね、カイル」

「ああ。俺達がいなくなった後も2人が笑って生きてってくれるなら、んな幸せなことはねえよ!」


 ジェイドは、感謝や親愛、それ以外の言葉にできない感情を全て伝えるようにメリッサとカイルを交互に見つめた後……まっすぐに、私と向き合った。


「ミオ。俺はこれを飲んで、寿命を延ばす。この先も、君を独りにしない。だから……」


 青い瞳が、私を見つめる。

 普段は、深い海の底のように涼やかな瞳なのに。

 今その瞳には、何より熱く強い想いが宿っているようだった。


「俺と、結婚してほしい」


「……っ」


 ぶわりと、言葉にできない感情が溢れ出すように。目の奥から熱いものが込み上げた。


「ジェイド……わ、わたし、うれ、しい……っ」


 今までみたいに、悲しみの涙じゃない。

 うれしくて、うれしくて、涙がぽろぽろと零れて止まらない。

 そんな私に、ジェイドは前みたいに、そっと頭を撫でてくれた。


「……ミオは本当に泣き虫だな。だけど、そんなところも好きだよ」


 甘やかな声が、私の心を溶かす。ずっと翳っていた心に、眩しい陽の光が注ぐみたいだった。


「旅をしているときから、君が好きだった。ずっと、この気持ちを伝えたくて……やっと、言えた」


 そうしてジェイドは、寿命を延ばすというローゼリアの種を、飲み込んだ。


「これからも、誰より傍で、君を守りたい。君を、愛している」


 たまらず、私は彼に抱きついていた。


「私も……私もずっと、ジェイドのこと、大好きだった……っ」


 傍で見ていたメリッサとカイルは、目に涙を溜めて祝福してくれた。


「おめでとう……本当におめでとう、ミオ、ジェイド!」

「くぅっ、泣かせてくれるぜ……! 俺らずっと、おまえらが幸せになれたらいいなって思ってたんだからな!?」


 4人で抱きしめ合い、幸せの涙を流し合った。


 その夜はみんなでそれぞれ得意料理を作って、私は大きなケーキを焼いて、4人で食べた。カイルがルヴィールを弾いてくれて、みんなで歌を歌った。


 間もなくして、私とジェイドは結婚式を挙げた。


 式にはメリッサとカイル以外にも、旅の途中で出会った、たくさんの人が集まってくれた。

 皆の前で愛を誓い合い、大勢の人々が、私とジェイドに無数の花びらを降らせてくれた。


 よく晴れた青空の下。色とりどりの花びらが舞う中で、ジェイドが優しい笑顔を向けてくれて。


 メリッサもカイルも、みんなみんな、笑顔でいてくれた、あの光景を。


 私は、一生忘れないだろう。



 ◇ ◇ ◇



 その後、メリッサとカイルは、私とジェイドが新婚だからと気を遣って家を出て行こうとしたけれど、私もジェイドも反対した。


 私達4人は、家族のようなものだ。最後まで4人で一緒に過ごしたい。その気持ちはみんな同じだった。


 メリッサとカイルの死期が迫り、2人は家の庭に、木を植えてくれた。


 シェリーブルムという植物で、その美しい花は、愛と祝福を象徴すると言い伝えられている。結婚式で、みんながフラワーシャワーとして花びらを降らせてくれたのも、この花だ。


「この木のこと、俺達だと思ってくれよな。いつでも、2人の幸せを願って花を降らすからさ!」

「まーったく、カイルってばキザね。ま、私もミオのためなら、花をバッサバッサ降らせちゃうけど!」

「バッサバッサはやりすぎだろ! メリッサはがさつなんだからよー」


 メリッサとカイルらしいやりとりに、私もジェイドも笑ってしまった。


 メリッサもカイルも、出会った頃と少しも変わらなくて、もうすぐ死んでしまうなんて嘘みたいだった。アガルシア人の寿命が10年しかないなんて、何かの間違いなんじゃないかと。



 ――だけど3ヶ月後、メリッサが亡くなって。


 更にひと月後に、カイルが亡くなった。



 2人とも、亡くなる前日までは、いつもと変わらず元気だった。それが、眠るように安らかな死を迎えた。アガルシア人とはそういうものらしい。


 メリッサもカイルも花いっぱいの棺桶に横たえられ、葬儀は行われた。心の準備をする時間は1年もあったのに、それでも泣いてしまった。


 ひとしきり泣いた後、私とジェイドは、また旅に出た。

 今度は、魔王を倒すという目的もない、何かと戦ったりもしない、平和な旅だ。

 この世界にはまだ行ったことのない場所があるから、2人でのんびり、いろんな場所を見て回ることにしたのだ。


 私もジェイドも、結婚式で交換した指輪をはめて。

 私は、メリッサがずっとつけていた腕輪をして。

 ジェイドは、カイルが大切にしていた首飾りをつけて。

 もう2人はいないのに、なんだか4人で一緒にいるように思えた。


 ジェイドと一緒に、いろんな場所へ行った。


 陽の光を浴びて黄金色に輝く湖。

 妖精さん達が踊る花畑。

 蛍のような虫が飛び交う夜の森。


 美しいものを見て、おいしいものを食べて、困っている人がいたら助けて……。

 いつでも笑い合って、愛も優しさも幸せも、二人で分け合った。


 そして寒さの厳しい冬には家に戻ってきて、暖炉の温かな火を見守りながら、2人でのんびり過ごす。


 毎日一緒に、2人で食事やお菓子を作った。私は彼の作ってくれる鶏肉と豆のスープが好きだったし、彼は私の作るコロッケが好きだった。それと、意外なことにこの世界にはクッキーがなくて、私が作ると、実は甘い物好きな彼はいつも喜んでくれた。


 ずっと、幸せな日々を送っていた。私達には魔王を倒した報奨金があるし、私が回復薬を作って売ることもできるので、お金には困らなかった。


 だけど結婚して、9年が経ってからのこと。


 ジェイドが、頻繁に体調を崩すようになった。


 最初は治癒魔法をかけていたのだけど、それでも咳が治らないし、身体も痛むようだったので、聖女の力で鑑定した結果……


 ローゼリアの種の副作用である、ということがわかった。


 アガルシア人の本来の寿命は、10年。本来ならもうジェイドはとうの昔に死を迎えているはずなのを、幻の種によって無理矢理延命し、19年目を迎えているのだ。反動が出るのも、当然といえば当然なのかもしれない。アガルシア人の、自然の摂理に反しているのだから。――禁忌を犯している、とも言う。


 それから、ジェイドは日に日に弱っていった。


 だけど、毎日苦しそうなのに、その身体に鞭打つように1人でどこかに行こうとしたり、書庫に閉じこもって本を読み漁っていたりした。


「ジェイド、ちゃんとベッドで休んでいて……っ」

「何か……何か、方法があるはずだ。もっと、寿命を延ばすための……」


 ジェイドが1人でどこかへ行こうとするのも、本を読み漁るのも。またローゼリアの種のような、寿命を延ばすアイテムを探すためだったのだ。


「だからって、そんなに苦しそうなのに無理したら、本当にどうにかなっちゃうよ……っ」

「だが、俺は……君を、独りにしないと約束した」


 ――私だって、独りは、嫌。

 でも、これ以上あなたが苦しむのを見ていられない。


 それでも、ジェイドは。この世界に留まろうとするように、ぎゅっと私の手を握った。


「ミオ、君を愛している。……愛しているんだ」


(……私だって、あなたを愛している)


 私も必死に、彼を癒やす方法を探したけれど。

 ローゼリアの種で寿命を延ばしたことと引き換えに、ジェイドの肉体には既に相当な負荷がかかっているのだ。

 これ以上無理な延命をするより、アガルシア人としての自然の定めに任せるのが一番ジェイドに負担をかけない、という結論にしか至らなかった。


 それでもジェイドは諦めず、藁にも縋るように、健康にいいとされる魔法薬を片っ端から飲んだり、奇跡を起こすと噂される品々を取り寄せたりしたけれど。

 やがて、ほとんどベッドから起き上がることもできなくなって。

 見た目は出会った頃と少しも変わらず若々しいままなのに、人生の終焉を迎えた者のように生気が衰えていた。


「ミオ……そんな顔、しないでくれ」


 泣くのを我慢しながら、ベッドに横たわる彼を見つめていると。ジェイドは無理矢理身体を起こし、前みたいに、頭を撫でてくれた。


 優しく私を励ましながら――だけど悔しそうに、死の運命を拒むように、呟いた。


「……俺が、君と同じ世界の人間だったら……」


 ――君と、ずっと共に生きられたなら。


(……それなら。そもそも私がアガルシア人だったら、ジェイドにこんな無理をさせずにすんだのに)


 私の寿命がみんなと同じだったら、メリッサやカイルとも同じ時期に天に昇れただろう。


 私は……結局、ジェイドを苦しめただけだったんじゃないのか。


 私と結婚しなければ、ジェイドはこんなふうに、無駄に苦しまずにすんだはずだ。メリッサやカイルのように、安らかに逝けたはずだ。



 ……それから少し後に、ジェイドは亡くなった。


 ローゼリアの種は、不老不死をもたらすものではない。むしろ、アガルシア人として考えれば、ジェイドは本来の寿命より倍も生きたのだ。種は充分に効果を発揮した。これ以上は……どうあがいても、無理だったのだ。


(……静か、だな)


 ジェイドの葬儀も終わり、1人になった家の中は、4人で暮らしていた頃とはまるで別の場所であるかのように物寂しかった。


(……もう、生きてる理由なんて、ない)


 世界が灰色になり、自分も何かの抜け殻になったみたいだった。涙さえ、流しつくして枯れてしまっている。


(私も、みんなのところへ、行きたい……)


 ジェイド、メリッサ、カイルの顔を思い浮かべ、今すぐみんなに会いたくなる。

 たまらなくなって、私は自分の部屋の棚の、引き出しを開けた。

 ジェイドが日に日に弱っていくのを見て、いずれ自分は彼を喪うのだとわかっていた。


 彼を看取ったら、自分の心はもう耐えられないと、わかっていたから。

 この引き出しの中に、毒の魔法薬を隠し持っていたのだ。


 ……だけど。引き出しの中から、魔法薬はなくなっていて――

 代わりに一通の手紙と、見たことのない、魔法道具らしきものが入っていた。


 手紙の封を開け、便箋を見ると……それは、ジェイドが遺した手紙だった。





『ミオへ。

 俺はもう長くは生きられないようだから、この手紙を遺しておく。

 ずっと共に生きると誓ったのに、約束を守れなくてごめん。

 君をひとりにしてしまうことが、本当に心残りだ。

 約束は守れなかったけれど、君と共に生きたいと願う気持ちは、最後まで少しも変わらなかったから。


 もうこの先、俺は君が泣いたとしても、傍で頭を撫でてあげることができない。

 おそらく、きっと今もこれを読みながら、君は泣いているのだろう。

 君は、そんな自分が嫌になっているのかもしれない。だけど言っておく、君が弱いんじゃない。


 君は、出会った頃は人と接することを恐れ、臆病だったかもしれない。だけど君は、俺達と旅をする中で、強くなった。笑顔を見せてくれるようになり、困っている人々に対し自分から声をかけるようになった。君は、とても優しく、心の強い人だ。


 仲間を全員自分より先に失うなんて、そんなの、耐えられなくて当然なんだ。

 だがこの世界にいるかぎり君は、この先誰と出会って親しくなっても、同じ運命を辿ってしまう。


 だから、同じ引き出しに、魔道具を入れておいた。

 その魔道具は、君が、元の世界へ戻れる道具だ。


 元の世界が、君にとって優しくない世界だったということはわかっている。

 それでも元の世界なら、君は周りと同じ命で生きられる。

 今の君なら、その優しさと強さで、元の世界に戻ってもきっと幸せに生きてゆけるはずだ。


 だから、ミオ。自ら命を絶つことはない。

 俺達と違って、君の命には、未来があるのだから。


 この魔道具について、もっと早く教えておくべきだったということは、わかっている。だが、教えたら君は元の世界に帰ってしまい二度と会えなくなるのだと思うと、怖かったんだ。本当にすまない。


 本当に勝手だとわかっているが、俺はどうしても、最期まで君と共にいたかった。君を、失いたくなかったんだ。


 君と見た世界はとても美しかった。魔王を倒す旅をしていた最中も、メリッサやカイルと4人で暮らしていた頃も、夫婦となり2人で世界を見て回っていたときも。


 残り少ない命で、ベッドに横たわりながら見た世界さえ。君がいたから、どうしようもなく美しく見えた。


 ミオ、君は俺にたくさんのものをくれた。

 君と出会う前、俺は、自分が伝説の剣を抜いたのだから、勇者として世界を守らなくてはという、責務だけを負っていた。


 だけど異世界から転移してきたという中で、毎日一生懸命に生きる君を見ていたら。君と、君が生きるこの世界を、なんとしてでも守りたいと思った。


 君がいたから、俺は心から何かを守りたいと思う気持ちを、知ることができた。


 同じ家で笑顔を交わしながら食卓を囲む温かさも。

 綺麗な花を見つけるたび、君にも見せたいと顔を思い浮かべる気持ちも。

 他の誰にも渡したくないと思うほど、深く人を愛することも。

 全部、君が俺に教えてくれた。

 君と過ごした時間の全てが、本当に幸せだった。


 だけど、そんなのは俺側の気持ちにすぎないとわかっている。

 結局俺は君をひとり遺し、今まで元の世界に戻る方法を教えなかった。

 君は、俺を許さなくていい。最低な男だったと、俺を憎んでいい。そうして、俺ではない誰かと幸せになっていい。


 ……君が、元の世界で別の男と結ばれるのかと思うと。正直に言えば、嫉妬でこの身が焦げてしまいそうではあるけれども。

 

 それでも、君が幸せになってくれた方がいい。君が、笑っていてくれた方がいい。

 たとえ君が俺を憎み、他の誰かと結ばれたとしても、俺は永遠に君を愛している。


 ミオ、俺と出会ってくれて、共に生きてくれて。

 本当に、ありがとう』





 気付けば、涙が溢れていた。


 言葉で言い表すことはできないけれど、悲しみの涙では、ないと思う。

 憎しみや、怒りでもない。もっと柔らかで、だけど熱い何か。


 ジェイドが、私と生きられて、幸せだと思っていてくれた。


 私は、ジェイドは同じアガルシアの人と結婚した方が幸せだったんじゃないか、なんて考えていたけれど。


 彼は、人生の最期まで私と一緒にいることを望み、幸せだと、思ってくれていたんだ。


「う……、うあああああああああああ」


 もう、泣いたときに頭を撫でてくれる人も、抱きしめてくれる人もいない。

 だけど心の中には、ジェイドやみんながくれた優しさや、温もりや、愛が溢れている。


 みんながいなくなっても、みんなとの思い出が消えるわけじゃない。私の記憶には、みんなの笑顔も、優しい声も、こんなにもたくさん刻まれている。


「ジェイド……私も、あなたを、愛してる。これからも、ずっと……」


 顔を上げ、窓の外を見れば、空は澄んでいて、陽の光はどこまでも眩しい。

 涙の膜を通して見る世界は、ぼやけ、だけど輝いて、途方もなく美しかった。


「メリッサも、カイルも、大好きだよぉ……っ!」


 ぼろぼろと涙が零れても、みんなへの気持ちは少しも零れ落ちることなく、この胸の中に溢れていた。




 ◇ ◇ ◇





 それから、たくさん考えたけれど――


 私は元の世界へ戻るための魔道具を、壊した。

 私には、必要ないものだと思ったから。


(ジェイド、メリッサ、カイル。私は、ずっと、ここにいる)


 ここが、あなた達が守り、あなた達が眠る世界だから。

 人が死んだらどうなるのかなんて、私にはわからないけれど。

 天上に昇るにしても、転生するにしても。私が元の世界に戻ってしまったら、本当にもう二度と、みんなに会えなくなってしまいそうな気がするから。


 いつかは私も、ジェイド達の場所へ辿り着く日は訪れるんだろう。

 そうして、もし空の上で再会できたら、よく頑張ったねって、たくさん頭を撫でてほしい。


 だけど、その日が訪れるのは、まだだいぶ先だろうから。

 それまで私は、この世界で生きていく。

 みんなが生きていたこの世界で、生きていくよ。




 今の私はかつて4人で住んでいた、森の中の家に1人で住んでいる。


 毎日庭の花の手入れや、読書、料理、回復薬を作ったりしながら気ままに過ごしていた。


 そんな私のもとに、聖女の力を頼って、この世界の人々がたびたび訪れる。


 怪我をしてしまったので回復薬をください、とか。娘が病気なので癒やしの魔法をかけてください、とか。そうして治癒魔法を使うと、「痛くなくなった!」「元気になった!」と笑ってもらえるのが嬉しくて、自分もつられて笑顔になってしまう。


 時折、近くの街から子ども達が遊びに来たり、今まで助けた人々が料理やお菓子をおすそわけに来てくれたりもする。


 そうしてお茶をしたり、私が異世界の料理をふるまったりすれば、みんなが笑ってくれる。そんなときは、ジェイドやメリッサ、カイルの笑顔を思い出す。


 今を生きるアガルシアの人々にとってはもう遠い昔のことだけど、「私は昔、勇者達と魔王を倒したんだよー」なんて話したりもする。すると子ども達は目を輝かせ、かっこいい勇者や、みんなとの旅の様子などを「もっと聞きたい!」と言ってくれる。


(ああ、やっぱり私はこの世界と、ここで生きる人達が大好きだ)


 私は、この世界に来られてよかった。

 この世界でみんなと出会えて――本当に、幸せだ。


 私は異世界人であり、アガルシアの人々からしたら、とんでもない長命種で。

 この世界の誰もが、私より先に逝ってしまう。

 それでも。みんなが守ったこの世界を、この世界に住まう愛しい人々を、私は見守ろう。


 ――そんなことを思いながら、目を閉じると。


 心地いい葉擦れの音に乗って、ジェイド達ならきっとこう言ってくれるんだろうな、という言葉が浮かんでくる。



『くぅっ、俺達の妹分だったミオが、こんなに立派になったなんて。お兄ちゃんみたいなもんとしては、感無量だぜ!』


『まーったく、カイルはいっつも熱苦しいんだから。ミオ~、こんなお兄ちゃんよりも、私みたいなお姉ちゃんの方がいいわよね~、ふふっ』


『……ミオ。この世界で生きると決めた君のことを、俺達はずっと見守ってる。君の幸せを願っているし……君を、ずっと愛しているよ』



 ――目を開け、見上げた空は、どこまでも青い。

 まるでジェイドと結婚式を挙げた、あの日みたいだ。


 私の左手には今でも彼がくれた指輪がある。それにこんな青空を眺めていると、今でもメリッサとカイルが、あの日のように花を降らせてくれる気がする。


「さ、今日も街から、子ども達が来るかな。おいしいクッキーでも焼いておこう!」



 笑顔で伸びをする私のもとに、美しいシェリーブルムの花が降り注いだ。

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死のうと思っていた聖女ですが、生きることにしました 神田なつみ @natsuno_kankitsurui

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