第2話 長期的には規則正しい生活


 偉大なる作曲家フィリグリーさまは、ルタルカ王都の大運河沿いに建つ煉瓦造りのアパートメントの一室にお住まいです。ぼくはそこに住み込みで働いている健気な使用人です。


 日ごろ、ご主人さまは部屋に引きこもって、ただひたすら小型ピアノに向かい、ああでもない、こうでもないと唸っては七線譜にペンを走らせ、作曲に行き詰まるとパーティーなどに出かけていき、きれいな女性に一目惚れして速攻で振られて再び引きこもるという、長期的に見たらきわめて規則正しい人生を送っていらっしゃいます。


 ぼくは、そんなご主人さまに対して、そろそろ散髪に行かれてはどうですかと提案したり、そんなくたびれた服を着ていたら淑女の皆さまからひんしゅくを買いますよと助言したりして、うるさがられるのが主な仕事です。


 手のあいたときには洗濯をしたり、食事をつくったりもします。


 でも、お部屋の片付けはしていません。ぼくが最初にここにきた一年前には、この埃っぽくてちょっと臭う、ゴブリンの巣穴みたいなお部屋を掃除しようと試みたんですが、ご主人さまが「勝手にものを動かすな」と怒ったので、すぐに諦めました。生きていく上では掃除とか整理整頓とかいったものなんてそんなに大事なことではないと割り切ることにしたんです。


 埃のたまった汚い部屋、だらしのない服装、伸び放題の髪。作曲に行き詰まったとき、ご主人さまは爪を噛む癖があるので、爪もがたがたでひどいものです。


 そんなご主人さまが作り出す音楽は、透き通った硝子細工のように繊細で美しいんですから、一体どういう魔法なんでしょうね。


 たまにルタルカ王宮で開かれる舞踏会なんかにご主人さまに同行し、楽団の演奏する優美な曲を耳にしたとき、「これが私のつくった曲だ」なんて言われると、もうビックリして腰が抜けそうになります。せっかくの音楽がほんと台無しですよ、教えてくれなくてよかったのにとすら思います。


 貴族令嬢たちがうっとりと曲に聞き入っているのを見ると、もはや詐欺みたいなもんだなと思います。


 ご主人さまは、見た目はあれですけど、こんなに綺麗な音楽をつくれるのですから、きっと心は綺麗な方なのでしょう。


「ああ、なんでこんなダメメイドを雇ってしまったのか。私は作曲家としては、あの女たらしのヴェルメイユなんかには決してひけをとらないというのに、人を見る目だけは神は授けてくださらなかったようだ。とりわけ女とメイドを見る目に関しては」


 短気で、気むずかしくて、壁越しにお隣さんと喧嘩するし、身なりに気を遣わないし、衛生観念が皆無な上に、メイドに嫌味を言うような人ですけど、心は綺麗なんでしょう、きっと。

 あーあ、こんなに素晴らしいご主人さまだというのに、どうして女性に振られてばかりなのか、ぼくには全然わかんないなあー。


 そのとき、ごんごんごん! と玄関のほうから大きな音がしました。誰かが遠慮がちにノックしているようです。早朝ですもんね。ドアが破壊されそうな勢いの慎ましいノックです。エレガントで礼儀作法にうるさいとかいう森の妖精エルフでもやってきたんでしょうか? あっ、今、ドアを蹴りましたね。いやあ、すごい妖精だなあ。ぼくはがさつな人間だから、お上品な妖精さんの相手なんてしたくないなあ。

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