第20話 あんな姿には成れない


2024年10月10日 木曜日。宣告された死まで残り25日。



袴田はかまだ慶三けいぞうさんは1939年の5月に、5人兄弟の次男としてこの浜松の地でせいを授かりました。戦後を生き抜き、晩年も商工会の重役として地域活性に取り組むかたわら、この三日原みっかばら教会の役員並びに教会学校の校長を務め、神の御前みまえいても多大なる献身をなされました。人々にも神にも愛された兄弟の為人ひととなりを、まずは皆様みなさまにも振り返っていただきたいと思います……」



 午後6時を回り、三日原みっかばら教会にて祖父の前夜式がおごそかに始められた。


 扇形の礼拝堂は100人程度が収容出来できる大きさだと一翔は聞き及んでいたが、急遽きゅうきょパイプ椅子を最後方に並べなければ足りない程に多くの参列者がつどっていた。

 祭壇に置かれた祖父のひつぎは白を基調とした供花に囲まれており、壁際でライトアップされたステンドグラスも相まってより一層の気品を感じた。


 そしてパイプオルガンの清らかな音色と、背後から波のように押し寄せる讃美歌は胸の奥を震撼しんかんさせた。数時間前に親族のみでり行われた納棺式のうかんしきでは簡易な機械音源を使用していたために、その衝撃は桁違いであった。

 祖父と共に過ごしたであろう教会員も多く参列し、うたい慣れない自分に代わって盛大な唱和を担ってくれているような気がした。



——凄いな。こんなにも祖父じいちゃんを送り出してくれる人がいるだなんて。



 佐伯牧師が説教に際して祖父のい立ちを語る最中さなか、一翔は高い天井をぼんやりと見上げながら感慨にふけった。

 天井には半円状の硝子がらすが差し込まれており、澄んだくらい空を切り取っていた。



——俺がもし1ヶ月後に死んだら…そのときはきっと、こうはならないよな。




 その先の暗闇を見つめながら、一翔は昨日と同じようにみずからに迫っているであろう死を——死んだ後のことを思い浮かべていた。


 そもそも一翔自身は無宗教であるがゆえに、必ずしも礼拝堂で葬儀がり行われるとは限らない。参列者も精々せいぜいが近しい親族と職場関係者程度で、学生時代の友人にまでぐに訃報ふほうが届くかも定かではなかった。


 

 一翔の右隣では父である相羽あいば賀津雄かずおが、左では歳が2つ下の妹である香純かずみ固唾かたずを呑んで式の展開を見守っていた。


 2人は父の運転する車で納棺式のうかんしき前に浜松へ到着しており、一翔とは祖父母宅で再会した。

 父は元より寡黙かもくであり、妹は母に似て舌が回る性分であったが、双方とも一翔とは二言三言交わした程度であり、祖父の遺体の前で静かに涙を流していた。


 今日も度々たびたび紅潮こうちょうした目元をぬぐっていた母とは違ってその後は比較的落ち着いているように見えたが、立て続けに自分が死んだとしたらどのような表情でそこに座っているのだろうかと、一翔は非情で残酷な想像をしていた。



「…キリスト教にける葬儀とは、実は大切な人の死をむものではありません。十字架による死から復活されたイエス・キリストはすなわち、死に勝利して永遠の生命いのちを獲得されて天に昇られたのです。父なる神を信じ、その右に座されたキリストのおしえを信じることで、我々もまた永遠の生命いのちを授かって天にされる…そのように信仰するものなのです」


「慈愛に満ち、献身を尽くされた兄弟は、必ずや天の国に迎え入れられたことでしょう。我々は深い悲しみのうちにあっても、その慰めに感謝を捧げて兄弟を送り出すべきなのです」



 牧師が壇上で死後の安寧あんねいを説き進めるのと引き換えに、一翔は瀬無せない思いがつのった。

 死に対する不安や恐れを和らげるためにすがる手段の1つが——そこに1つの答えを導き出すのが宗教であるならば、生き続けるための答えを授けてくれる存在は何なのだろうと思い悩んだ。



——俺にはだ何も無い。他人に語ってもらえるくらいの財産が。大勢の人に送り出してもらえるくらいの価値が。


——そんなむなしい為体ていたらくで死んでしまえば、きっと家族にはどんな慰めも通用しないのだろう。




 一通りの式次第が終わり、祖父の遺体が収められたひつぎに献花が行われた。

 先行して遺族が祭壇に上がって白や淡い色合いの花を添えていき、続いて参列者がこれにならったのち、祭壇の隅に移動した遺族に一礼して席へと戻っていった。


 一翔はその応対の最中さなか、白い装束をまとう祖父の遺体が更に白く、尚且なおかはなやかにいろどられていく経過を見届けていた。

 身内の面々もその緩やかな変化を察したのか、祖母や母らがまた少しずつ鼻をすするようになっていた。


 一翔にも再び熱いものが込み上げてくるのがわかったが、この感情は他の身内の誰とも違うものであるような気がした。



——このまま死んだとしても、俺は姿成れない。俺はだ…


——そのために何をすべきかはわからないけど…それだけは確かだ。



 たとえこの結論が神の思惑おもわくだったとしても、あるいは『天使』の目論見もくろみ通りだったとしても、それ自体は恥ずべきものではないと内心に言い聞かせていた。




 前夜式が無事に終わると、礼拝堂の隣にある集会所のような部屋で軽食や飲み物が振る舞われた。プロテスタントの葬儀には通夜つやる舞いといった慣例もなく、牧師と遺族、ならびに参列者が自由に歓談するような時間が持たれていた。


 とはいえ一翔には家族共々挨拶あいさつをするような知人は限られており、慣れない施設で居座ることもはばかられたため、帰宅の許可が親から下るまで自家用車で待機しようと思い立った。


 日中は晴れていたが昨日と同じく夜は気温が下がっており、外に出るとオールシーズンのブラックスーツが少し肌寒く感じられた。



「ああ、いたいた。相羽君」



 だがその一翔をかたわらから呼び止めた人物がいた。オサカベコーポレーションの代表取締役社長である刑部おさかべ寿明としあきであった。


 ふくよかな体型で上背うわぜいのある老人だったが、独特な低い声音と力のある眼光は屡々しばしば相手に緊張感をもたらす、創業者としていまなお代表の座に就くに足り得る存在であった。


 とはいえ近年は義兄同様よわいを重ねてけつつあるともささやかれていたが、いずれにせよ一翔が委縮する理由には変わらなかった。

 その刑部おさかべ代表が予想通り祖父の葬儀に参列していたのだが、話し掛けられることはまるで想定していなかった。



「代表、本日はご参列いただきましてありがとうございました」



「いやいや私の方こそ、此度このたびはご冥福めいふくをお祈り…いやすまん、教会でそういう表現はご法度はっとだったな」



「ああ、別にお気になさらず…自分はクリスチャンではありませんので」



 ぎこちない挨拶あいさつを交わしてぐ対面が終わるかと一翔は思ったが、また予想に反して刑部おさかべ代表は語り掛けてきた。



「慶三さんには、俺が独立した時から本当に色んな事で世話になってな…勿論もちろんそれには相羽君の紹介も含まれてる。いつも匂坂こうさか社長が持って来てくれる資料は、本当に見易みやすくてわかやすい。君があらゆる工夫を施して作っているんだということがよくわかる。君の貢献にはとても感謝しているんだ」



「あ…はい、どうも、恐縮です」



「だがその一方で、君をあの事務所に詰め込んだままというのも勿体無もったいないとも考えているだよ。相羽君は何かこう、キャリアプランのようなものを考えているのかね。希望があれば、是非ぜひともこたえたいと思っているんだがね」

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