ろくでなしと笑わない天使

吉高 樽

第1章 見えるようになる

第1話 君は神様に命を奪われることになる


『本日第1が生まれました! 男の子です! 今のところ母子ぼしともに健康です!!』



 2024年10月5日土曜日、時刻は朝の9時半頃を示す一翔かずとのスマホ画面上に、SNSグループチャットのメッセージが表示された。

 

 薄暗い1DKアパートに敷いた布団ふとんの上で惰眠だみんむさぼっていた一翔は、学生時代の友人から立て続けに送られてきた赤子の写真を漠然ばくぜんと眺めた。

 来月には三十路みそじを迎えるにもかかわらず淡泊で無気力な独身生活に浸っている一翔にとって、その画像はスマホが放つブルーライトよりもまぶしく、温かく感じた。


 そしてだ他のグループメンバーの誰も返信していないチャットらんに祝福を伝えるキャラクタースタンプを押すと、だいの字になるように寝返りを打ち、右手に持っていたスマホを半分床に放り出した。

 もうあまり眠気ねむけいだいてはいなかったが、小さな溜息を天井に噴き上げながら沈むようにまぶたを閉じた。



——朝方に生まれたってことは、あいつもその嫁さんも眠れず必死な一夜を過ごしていたってことだよな。


——だからどうというわけじゃないけど、それに引き換え俺は本当に、何をしてるんだか……。




「へぇー、可愛かわいいじゃない。」



 不意に聞き慣れない声が右耳に飛び込み、驚いた一翔は弾かれるように半身を起こした。


 そしてかたわらを振り向くと、そこには見知らぬ女性がフローリングの床に座り込んでおり、青白い大きな瞳と確かに視線が合致した。



「なっ…なんだよ、あんたは?」



 開口かいこう一番、狼狽うろたえた一翔が発した問いかけは何とも平凡で情けないものであった。面識のない不法侵入者にそんなことを尋ねたところで、大抵は何ら意味を成すとは思えなかった。


 だがそのような平凡な問いかけをせずにはいられないほど、目の前の女性は異質だった。



 流麗りゅうれいな金髪は床まで伸びており、絹のような淡い緑地のロングワンピースは肩から胸元近くまではだけ、豊満なバストが相まって息を呑むような美しい容姿をしていた。

 何よりも露出した背中からは大きな青白い翼がひとり暮らしの居間をおおうかのように広がっており、薄暗い室内でほのかに光をたたえているように見えた。


 明らかにコスプレの域を超えた迫力に、一翔は一様に不審者と呼称しがた畏怖いふを覚えていた。

 絵に描いたような端麗たんれいな顔立ちは日本人ではないように見えたが、外国人であるとも思えなかった。


 一方で当の女性はりんとした表情を浮かべながら、きょとんとした様子で一翔を見つめていた。



「…君、私が?」



 女性がぽつりと発した一言に、一翔は更なる混乱を覚えた。


 不法侵入者の欺罔ぎもうにしてはあまりにも稚拙ちせつで小馬鹿にされているようなものであったが、当然にと認めるにはあまりにも不可思議な存在であった。



「…見えているから、いているんだろ。」



「そう。じゃあ、何に見える?」



 一翔はらい付くように返事をしぼり出したが、その女性は透かさず質問を質問で返してきた。

 何ら動じることなく居座り、試すような態度を構える彼女に対して、一翔の混乱が徐々に苛立いらだちで上塗うわぬりされ始めていた。


 彼女が何に見えるか、それ自体に答えることは容易たやすかったが、口にすることで図にせるように思えて気が進まなかった。

 だがこれ見よがしに広がる翼に気圧けおされ、一翔は渋々しぶしぶ最適とおぼしき第一印象を答えた。



「……天使のように見える。」



 突如とつじょとして現れた女性は、よくある西洋絵画にえがかれるような天使であると本能が結論付けていた。


 ただし頭部に光輪こうりんは浮かんでおらず、代わりに蔓状つるじょうの植物のようなものが巻き付いてしげっていた。

 かんむりというよりは、そのように表するべきだと一翔は捉えていた。そして何の違和感も弊害へいがいもなく、日本語で会話が成立していた。



「…そう、君にそう見えているのなら、そういうことでいいよ。」



 だが『天使』は表情を変えることなく、すべてをにごすかのように話題を打ち切った。一向に判然としない事態に、一翔の苛立いらだちは更につのった。



「なんだよそれ。…大体、いつからここにたんだよ。」



 この場の主導権を奪われないよう、一翔は煮え切らない感情のままに平凡な質問を続けた。

 彼女の膝元に転がっているスマホの画面にはだグループチャットと赤子の写真が映し出されており、彼女が枕元にひそんで観察を続けていたことは明らかであった。


 その薄気味悪い感覚を払拭ふっしょくすることが、一翔にとっての最優先事項になっていた。



「いつからって、だよ。君がこの世に生まれたときからずっと。君がそれに今の今まで気付かなかっただけ。」



 だが『天使』の平然とした釈明は、薄気味悪さをより一層肥大化させる触媒しょくばいとなった。その答えを呑み込めず顔をしかめる一翔に対し、『天使』は台詞せりふを付け加えた。



「べつにそのこと自体は何も特別じゃないんだよ。この世に生きる人間には例外なく、私みたいな存在が付随ふずいしている。そうして生まれてから死ぬまでを見守っている…でも原則認識されることのない、私達はそういう存在なの。」



 さながら小鳥がさえずるように、耳障みみざわりの良い声音で『天使』は語り掛けたが、一翔の理解は何も進まなかった。

 抽象的な事柄を抽象的に説明されているようで思考がまとまらず、苛立いらだちは徐々に疲弊ひへいを生み出していた。



「…じゃあ、なんで俺にはあんたが見えているんだよ。」



 かろうじて解釈出来できた部分をつなげて、一翔は問い返した。


 するとそのとき初めて、『天使』の眼差まなざしが少しだけかげったように見えた。



「本来認識されるはずのない存在が見える唯一の例外…それは、付随ふずいする人間に神様からの宣告を伝える時なの。それが私達のもう1つの役割。」



 そうして『天使』は一息付くと、くらい視線で一翔を捉え直して躊躇ためらうことなく言い聞かせた。



相羽あいば一翔。君は、私がから数えて30日後に死ぬ。30日以内に君が『価値のある人間』になれなければ…君は神様に命を奪われることになる。」

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