氷象(4)

 十五歳になっても、他人行儀な生真面目さは変わらぬままだった。

 慇懃な挙措は、高校生らしからぬ堅苦しい態度とも思える。年若い見目と裏腹に、筋金入りの頑固者に違いない。無聊じみた寂寥を感じさせるよそよそしさだ。厚顔にも、年齢の差を顧みず心の距離を縮めたいと願う。懸隔を覚える度、猜疑心を拭いきれぬ無力さを痛感した。

 正面を見遣れば、両腿の上で拳骨を握り締めた孫と目が合った。

「お願いがあるんだけど。何着か、曾祖父ちゃんの着物を譲ってくれませんか」

 唐突な発言に、清嗣郎は思わず「着物を?」と尋ね返していた。

 清之介も、珍しく引き下がることなく首肯する。傾聴してみれば、曾祖父の着物に憧れていたと明かした。だが、和装がしたいわけではないと言う。古い着物をリメイクして楽に身に着けたいとは賢明だ。清嗣郎の父も、高齢になってからは長着に袖を通していなかった。

 なるほど、と頷けば丁重な口調で店員に声を掛けられた。

 現れた店員が、二段重ねのホットケーキをテーブルに置いていく。

 孫の頼みで、取り分けるための皿も用意してある。清之介は、陶器の皿に分厚いホットケーキを乗せると、切ったバターのを重ねてから差し出した。利発なだけでなく、気立てのよい孫に育ったものだ。慣れた手際で、銀色の蓋付きのポットから琥珀色のシロップを垂らす。

 清之介が、率先して取り分けた「おやつ」が不味いわけはない。

 完食する間に、清之介にも父の遺品整理に携わるよう言い添えておく。

 喫茶店での会話通り、お茶を終えて帰宅すると父の部屋を訪ねた。八十歳を過ぎ、終の住処と定めた庭に面する八畳間だ。和箪笥は中板を外した押入れに収めたままだった。脇には、掛軸を詰めた軸箱が積み上げてある。掛軸のほか、絵画も黴や紙魚を避けて額に入れ替えながら飾っていたものだ。数寄者らしく、新版画や美人画の掛軸などの絵画も好んだ。

 額には、清之介の写生にも通じる名所絵の新版画を飾る。

 清志郎の生業も、亡き父の趣味に端を発していたのかもしれない。

 戦後、税理士として勤め上げた父は教育にも熱心だった。啓蒙や薫陶のためか、芸術にも興味を持てと説かれた。十代の頃、文学全集や画集を授けられたこともある。反面、利他や奉仕の精神を玉条と尊んでいた。父親の薫陶を受け、弁護士の道を選んだことは否定できまい。

 皮肉にも、画家という職業は清嗣郎の望むところではなかった。

 息子の熱意が、崇高な利他精神に劣るとでも思ったか。

「これ、曾祖父ちゃんの大事にしてた掛軸だよね」

「虫干ししないとな。着物と同じで、手入れをしないとすぐに傷む」

 清嗣郎は、和箪笥の抽斗を開けながら孫の問いに応じる。

 桐箱じみた抽斗には、畳紙に包まれた長着が寝かされていた。付箋を見るに、着物の生地に応じての分類だ。畳紙を開けば、樟脳の小袋と折り畳まれた銘仙が現れた。薫物のように焚き染められた樟脳の残り香が瀰漫する。あたかも薫習のようだと思いながら瞼を伏せた。

 箪笥の上段から、順繰りに抽斗を開けては付箋を確認していく。

「清之介、気になる着物があれば出してみるといい」

「ありがとうございます。抽斗の中身、見させてもらってもいい?」

 もちろん、と清之介と立ち位置を入れ替えながら頷く。

 贖罪せねばならぬ、との発奮は息子の進路を拒んだ罪悪感に由来した。

 長男の子を、清嗣郎の養子とするため老骨に鞭を打った。父親を説得する間、嫡男の進路に口を挟んだことを自省した。最後には、清之介を預かる前提で、夫婦仲の破綻した長男夫婦の離婚の仲介をした。妻による虐待と、長男の風俗通いを理由に勘当を申し渡したのだ。

 清之介の身元は、成人するまで責任を持つと誓った。

 音楽も、また絵画も、清之介が好むと思えぬのはそのためだ。

 清嗣郎の妻は、孫が望むことをとも助言していた。家出をした日、荷物には学習ノートと衣服だけが詰め込まれていた。鍵盤を弾く指で書き留められた愚行。孫の覚悟は、如何ほどのものだったであろう。母譲りの手指が、ピアノの鍵盤を求めることはついぞなかった。

「着物が羨ましい。自分以外の何かになれるんだから」

 清之介の手が、元結に似た畳紙の紐の結び目を拙くほどく。

 リメイクされる着物が羨ましい、との言葉が胸を鏃のように突く。

 畳紙の中身は、鮫小紋の上等な濃紺色の御召であった。鮫紋といえば、着流しに羽織を重ねた父の略礼の衣装である。大事に保管されていたものだろう。鮫肌に触れると、三つ指の腹を鑢にかけるように孫の指が滑る。御召を捲り、物珍しげに鼻先を寄せて覗き込んでいた。

 齢十五で、よもや「自分以外の何者かになりたい」と望むとは。

 清嗣郎には、孫の負った傷の深さを推し量る術がなかった。時世が変われど、理不尽は形態を変えて付き従うのである。実の息子の進路を否定したのと同じことだ。芸術でも、勉学でなくとも構わない。何か関心を寄せるものがあれば、と願わずにはいられなかった。 

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2024年11月3日 18:00
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2024年11月3日 18:00

氷見清之介の肖像 蘆 蕭雪 @antiantactica

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