7月 金沢 「臨河氷清」
日陰の板間では、浮舟白魚が新作の衣装に着替え始める。
石川県金沢市、東山地区の片隅にある元商店だった住宅の四畳間だ。
総二階建て、築数十年の民家は修繕と改装を施されている。新築当時は、個人経営の小規模な商店だったらしい。店舗の部分を、工房として使用しており、板の上り框とガラス戸で四畳間と隔てられていた。框を降りた作業場は、土間に緩衝マットを敷き、二台のミシンと移動式のラック、高脚のアイロン台が小島のようにあちこちに配置してある。
改装後に、所有者の老夫婦が亡くなったのだろう。
実家を相続した、東京在住の息子夫婦が賃借に出したのだ。
専門学校の先輩から、地元の金沢にある「知人の空き家」を紹介された。
薄暗い四畳間に、浮舟の姿がぼんやりと浮かび上がる。改装前は、畳張りだったという小部屋も板間に換えてある。奥には、霞ガラスの戸を挟み、ダイニングキッチンが続いている。手狭な板間には、予備の姿見と古着物を畳んだ収納ボックスを置いているだけだ。
部屋の右手は、直線的に伸びる板張りの廊下になっていた。
板間も、店舗だった工房も、夏場は遮光を心掛けているおかげで涼しい。
七月の初頭、東京の即売会から二週間も経っていない。無理難題ながら、三週間の納期で浮舟の衣装をイチから仕上げる必要があった。交際相手の浮舟が、大阪でモデルの仕事を依頼されたのがきっかけだ。先方から、氷見の指名で、レセプションに参加する衣装を求められた。
愛用品らしい、生成の開襟シャツと麻混のスラックス。
昨年の夏、京都の画廊を訪れた時に来ていたものにちがいない。
隣を見れば、無造作に梳いたままの黒髪から片耳が覗く。七日間、間近に浮舟と接して、見慣れた耳のかたちが小綺麗なことを知った。丸首のTシャツと、麻混のサルエルパンツがラフな印象だ。五分袖のシャツが脱がれ、贅肉のまるでない滑らかな両腕に目を奪われる。
肩から高い腰、踝の目立つ足首へと絞られたラインも綺麗だ。
氷見は、開襟シャツを受け取った。畳みながら、左腕に垂らすように掛ける。
板間の隅には、作業場から持ち込んだトルソが立ててある。新作を着せたトルソの前で、浮舟が釘付けになったように動きを止めていた。新作の衣装は、縫製を終えた黒地のセットアップだ。この七日間、浮舟が献身的に作業や家事を担ってくれたおかげで形になった。
「今回の新作、略礼服がモチーフなんですよね」
まさに狙い通りやないですか、との感想に安堵の息を吐く。
制作にあたり、金沢に伺いましょうかと打診したのは浮舟のほうだった。
展示即売会から五日後、登録済みのチャットアプリに通知がついた。三週間以内の期限で、レセプションに参加する衣装の制作は可能でしょうか。突然の翻意に驚き、事情や経緯を返信で訊ねれば、大阪の知人にモデルの代役を頼まれたとの回答があった。
今回の滞在は、採寸から縫製までを含めて七日間。
七日間、つまり六泊七日で、氷見の自宅に浮舟が泊まり込んでいた。
洗濯と裁断、古着物の選定とほどきの作業を終えてから縫製の工程に移った。浮舟から、最終日には市内の石引地区に寄って帰路につくと聞いていた。取材を兼ねて、本屋やシェアハウスなどを見学するらしい。石引は、浅野川の西側、金沢城や兼六園の南西にあたる地区だ。
大学も多くあり、学生街のような金沢の文化拠点としても知られる。
もっとも、それが半分は方便であると理解している。
金沢を訪れたのも、氷見の近況を心配してのことにちがいない。
実親、両親が儲けた異妹弟。氷見とは、何の親交もない血縁上の子供。
東京で、氷見は面識のない異母弟と対面した。離婚の直後、実父の不倫相手が子供を出産していたらしい。祖父の話から、実の父親に愛人がいることを察していた。まさか、自分以外にも息子がいるとは思わなかったが。十五歳なら、氷見が家出をした頃に生まれた子供だ。
ほんま、お疲れさまでした、と浮舟が見返りながら労うように言う。
滞在中は、浮舟に随分と世話になってしまっていた。意見を聞けば、料理や掃除などの家事全般は得意だと答えたのだ。どうやら、作業の邪魔になる居候の立場だから、家事くらいは手伝いたいとの主張らしい。浮舟の場合、氷見に対して気を遣い過ぎる可能性もあった。
結局、問答を経て、浮舟が食事の支度を担うことを受け入れた。
七日間でも、作業日数はぎりぎりだ。浮舟の衣装にかかりきりになる。
普通なら、労うべき立場であることも自覚していた。作業の間は、食事が手抜きになることもしばしばだ。浮舟は、渡した費用の範囲で、食事の献立を立ててくれていた。素麺、茄子の煮浸しやトマトの白だし漬け。旬の夏野菜まで、副菜などに使い分ける生真面目さだった。
浮舟の職業柄、仕事の場所を問わないからと手助けを買って出てくれた。
こちらこそありがとう、と紛れもない感謝の気持ちを伝える。
「氷見さん、試着は持参のブラウスもですか」
「ああ、うん、そうだね。出来れば全体の確認がしたいから」
氷見は、浮舟に応じながら、トルソに着せた衣装を脱がしていく。
費用を抑えるかわり、作品は譲渡せずにレンタルとして扱う条件だった。
制作した新作は、高級な着物地を用いた略礼装に寄せたセットアップだ。古着物の中でも、御召と呼ばれる和布を仕立て直している。従来の作品は、銘仙や紬などの普段着向きの素材を使うことが多かった。上物の古着から、レセプションの場にも適う洋服を仕上げた。
以前、試作品を製作していたことも決め手になった。
着物と違い、洋装であれば型崩れなどの心配も格段に下がる。
和布を、より手軽に楽しめて親しみやすくなるはずだ。主に、貴重な和布は、呉服店で着尺の反物として取引されている。素人や若者では、とても手が出せないような価格だ。加えて、仕立ての料金や、帯や半襟などの小物まで揃えるとなると費用も嵩んでしまう。
古着物なら、プレタポルテほどの値段にはならないだろう。
実地で採寸を済ませ、試作品の型紙を微修正しながら裁断と縫製を行った。
今回は、秋物の指定のため、選んだ生地も絹の古着物に絞った。特に、男物の正絹、羽織と着物がセットのものが多い。綸子、あるいは本繻子、高級な緞子まで絹地を中心に選んでいる。他にも、銘仙や毛織のウール地も似合うだろう。だが、TPOの都合、普段着の銘仙などはレセプションには向かない。実際には、和装ではないし厳守する必要もないのだろう。
それでも、浮舟の体面が傷つく仕事はしたくなかった。
高身長の浮舟は、八頭身あるためか使用する生地の量も増えがちだ。男着物は、女性の物と比較すると地味な柄が多い。例外として、襦袢や着物の裏地には派手な柄物も見かける。あくまでも、古着物となると、裏地が汗染みで黄ばんでいることがほとんどだった。
「相変わらず、僕が着るにはもったいないくらいやな」
浮舟が、丸首のTシャツを脱いで手早く畳む。
純白の襦袢で誂えた、中華風の詰襟のブラウスに袖を通した。
袖は、細めのビショップスリーブ。袖口も、ゆったりしながらも広がり過ぎない。
七宝紋の、紋綸子のシャツの胸元は生地を二重にして装飾を加える。特徴的な、中国の釈迦結びは用いていない。詰襟の意匠や、正面のデザインに中華風の印象を残しながらも洋装に合わせてある。袖と、身頃のボタンには、光沢のある白蝶貝の小粒のシェルを選んだ。
白蝶貝は、京都の手芸用品店で浮舟のために買った。
綸子を仕立てた、光沢のあるブラウスは誕生日に贈ったものだ。
制作期間の都合で、内側に着るトップスだけは既作で済ませることにした。浮舟に頼み、確認のために自宅から持参してもらっていた。まだ新品同然で、真珠のような綺麗な光沢を留めたままだ。私服ではあるが、レセプションのような場でなければ着る機会がないらしい。
五月の初旬、京都で会った際に纏ったきりだとの話だった。
紋綸子のブラウスは洒落着に向く。デートや、よそ行きの場にはいい。
京都では、大島紬の濃紺のセットアップも贈っていた。当日に着てきてほしい、と発払いの宅配便で送りつけたのだ。春生まれだとの話から独断で決めたことだった。白魚の名前は、春の季語である白魚舟にちなんだものだ。後から、本当は二月十九日が誕生日だと知らされた。
だから、せめて服だけでも、きちんと愛用してもらいたいのが本音だ。
「そんなことないよ。本当は、もっと着てあげてほしい」
「そら、せっかくやけど。僕なんか、そないお洒落でもないし」
着替える浮舟から、そっと目を逸らすように顔を背ける。
新作についても、略礼装のような扱いの和布を用いて制作している。
御召は、墨黒の地色が美しい絹地だ。黒地の、縮緬で仕立てたセットアップ。
奇跡的に、美品として保管されていた御召を再利用した。正確には古着物ではなく、着道楽だった故人の遺品に紛れていた質のよい生地だった。なかには、未使用の着物や、仕立てる前の着尺の反物が含まれていることもある。この御召も、仕付け糸がついたままの状態だった。
揃いの羽織に加え、夫婦で買ったのか同じ柄の着尺まで残っていたのが幸いだ。
洗濯を済ませ、今回のために書き下ろした自作の型紙で製作した。
黒紋付とは異なり、鋳物や墨染めのような黒の風合いが美しい。生地は、まるで箔押しのように黒い糸を用いて織り出してある。織柄の光沢が、丸い魚鱗を重ねた青海波を鞣していた。華奢な浮舟が、骨細の骨格に纏うと未亡人の喪服めいてしまう。
そもそも、浮舟には、手弱女のような風情がある。
盛夏ならば、薄墨の芭蕉布がいい。漆黒よりも、濃墨の色が似合うのだ。
御召の袷と羽織は、和裁特有の手縫いをほどく必要があった。裏地がない単衣だと、縫製並みの緻密さで縫われており時間と手間がかかる。袷は縫い目が緩く、生地を扱う際も単衣ほど神経質にならずに済む。仕付け糸も残り、未使用の着物なら生地としても都合がいい。
とはいえ、長年にわたり箪笥の肥やしだったことは否めない。
これ、綺麗になるんですか、と手洗いの際には浮舟もたじろいでいた。
御召の生地は、洗面台に収まるよう折り畳んで洗った。御召とは、最上級の着物として知られる正絹の縮緬だ。氷見の経験則で、洗濯機の使用は安物や綿などの生地に限っていた。揉み洗いでは、和布が傷んで縮みやヨレの原因になる。生地を揉む、もしくは捻じるような手つきは駄目だ。裏返しながら、何度も押し洗いして頑固な汚れを落とすしかない。
二度、三度は、水を替えなければ匂いも取れないほどだ。
数日前の光景を、氷見は驚くほど鮮明に憶えていた。腹を括った浮舟が、神妙な顔つきで押し洗いを始める。和布が濁った水を含み、体重を掛けると畳んだ生地の合間から泡が溢れる。ごぼっ、と音を立てて、濡れた布地が水中でぬめるように滑る。
濁った水は、薄墨色から、墨汁か灰汁のような色味に変わっていく。
浮舟の手元では、御召の残骸が墨色どころか涅色に濡れていた。潰れた布地は、脱ぎ落とされた抜け殻のようにも見えた。未亡人の喪服、空蝉みたいな薄汚れた濡れ衣。羽織の両袖は、生臭い汚水に漬かり重たげだった。和布の端から、黒髪めいた糸屑となった繊維がほつれる。
細い髪が、黒糸の房が、排水溝へと吸い込まれないよう手繰る指先を眺めた。
この御召は、浮舟の痩躯を包むのだ。まるで、手弱女のような青年を。
「どないですか。袖や裾なんかは問題ありませんか?」
氷見さん、と控えめに呼ぶ声にハッと目を瞬く。
気がつけば、浮舟がセットアップを身に着けて佇んでいた。
肩幅に合わせ、肩の継ぎ目を整えて袖口が皺にならないよう伸ばした。
御召の精緻な織柄と、薄手の紋綸子のとろみのある生地がよく合う。略礼装に相応しい上質な質感が際立つようだ。細身のボトム、シングルのジャケットも、横幅のない浮舟の体躯を魅力に変えていた。伝統的な青海波は、三角形の鱗模様と違い魚の鱗のようにも見える。
御召の黒、空蝉じみた絹が喪服のように痩躯を包む。
瞬く、黒蝶貝の円形のボタン。貝殻の光沢が、光の加減で妖艶にきらめく。
空蝉と喩えたが、陸に横たわる手弱魚でも構わなかった。ただ、瞠目した瞬間、浮舟が葬列に並ぶ白魚みたいに見えたのだ。手弱女の、白魚のような青年の空蝉。まるで離別を、死別を悼むために誂えたような喪服。足首までが、青海波の墨衣で覆われるのを見ていた。
ふと、虚を衝いて、鏡に映る浮舟を眺めながら呟きが漏れた。
「もし俺が、金沢から引っ越したいって言ったら」
白魚くんは止める、との言葉は質問にすらならない。
金沢に骨を埋めろとは言わない。以前、浮舟に言われた言葉を思い出す。
氷見の口から、突拍子もない疑問が自分の意思を離れたまま漏れる。この十日間、六月末から何度も脳裏を過ぎった選択肢。転居先を、金沢市内に限る必要はないのではないか。例えば、通い慣れた関西圏なら。年末が目途なら、県外移住を視野に入れてもまだ間に合うはずだ。
躊躇いがちに、浮舟が澄んだ眼差しを向けてくる。
「それは、異妹弟の。腹違いの、おとうとさんのせいですか」
「俺、京都で、両親について話したよね。離婚した頃、あの子が生まれていたんだと思う。あの日から、ずっと考え続けてたんだよ。俺にとって、家族は命綱ってわけじゃない。でも、俺の戸籍上の親族は両親なんだ。俺には、法律上の、血縁上の家族がいるんだって」
浮舟の言葉に、氷見は嘔吐のような吐露を続けた。
聡明で、そして冷徹な、他者の機微に繊細な人間だと思い知る。
指摘された通り、氷見はずっと自分の将来を思案していた。両親の離婚後、実親のどちらとも絶縁状態のままだった。中学生の頃、鎌倉に移ってから、弁護士の祖父にすべて交流を断らせるよう仕向けたからだ。実親の近況も、異父母の妹弟がいることも調べなかった。
柳瀬清澄は、父親との面識はほとんどないと言った。
実父、氷見清志郎は、かつて日本画家として名声を得た人間だ。
ネットで調べるうちに、氷見が「氷見清志郎」の息子だと知ったらしい。「清澄」という名前は、氷見と同じく父方の命名を遵守している。絶縁されながら、明確な親類であるとの証明のつもりか。養父だった祖父も、清澄のことまでは知らされていないのだろう。
柳瀬清澄も、自分の血縁に会ってみたかったと明かした。
「もし、俺が死んだら、どうなるんだろうって考えてた。白魚くんは、金沢には命綱があるって言ってくれたよね。でもそれは、生きている間の話なんだと思う。死んだ後、俺は誰にもなんの文句も言えない。だって、死者には語るための口なんてないんだから」
氷見の喉が、喉奥の声帯ごと引き攣れるような声で絞り出す。
つい最近まで、死後のことになどまるで興味がなかった。生前の、生きている間のことを考えていれば済んだ。氷見にとって、現在進行形で自分が生きる過程だけが課題だった。浮舟と出会い、氷見清之介が死んだ後のことを考えるようになった。
死んだ後なら、文句を言う必要などないと思っていたのだ。
氷見の死後、遺産の相続はどうなるのか。遺体は、誰が始末するのだろう。
浮舟は、瞼の隙間から透徹に澄んだ瞳を覗かせる。伏せた睫毛が、瞼に青褪めた影を落として氷肌じみていた。薄氷にも似た、触れれば崩れそうな霜の降りた素肌。鏡の中では、阪神百貨店のモロゾフで、命綱にはなれないと断った浮舟白魚が黙っていた。
何故、都合のいい言葉だけを覚えていたのだろう。
確かに、あの時、浮舟は「頼みの綱にはなれない」と答えた。
今の言葉は忘れて、と氷見はばつの悪さに視線を逸らす。氷見の転居は、浮舟自身とはまったく関係のないことだ。交際相手でも、他者の人生の選択に干渉する義務はない。思えば、浮舟の傍に居たい、とは氷見の幼稚なわがままにすぎなかった。
僅かな間に、浮舟と暮らしてみたいと思ってしまったのだ。
食事の支度も、無言で作業場を掃いてくれる気遣いも嬉しかった。
柳瀬清澄の挨拶に、浮舟は機転を利かせ席を外してくれた。咄嗟の判断で、氷見の家庭の事情を推察した結果なのだろう。他者に対して、適切な線引きをしながら距離を置ける人間だ。傍で慰め合える、都合のいい人間でいる、との言葉を浮舟は守ろうとしてくれている。
その聡明さを、清冽な愛を、氷見は欲しがったのではなかったか。
隣に居続けなくてもいい、とは確かに愛の証明でもあった。
「氷見さん、もしかして泣いてはるんですか?」
隣に立つ浮舟が、動揺した声で尋ねるのをなかば呆然と聞く。
なにも、氷見の命綱として、浮舟を縛りつけておきたいわけじゃない。
氷見の頬を、垂れ目がちな目尻に溜まる涙が滑り落ちた。左目から溢れた水滴は、瞼の堰を越えて引き結んだ口端にゆっくりと滲む。咄嗟に口を開き、見苦しく言い訳を捻出しようとすれば海水の味がした。荒波のなか、濡れた顔面を打つ潮の飛沫のように塩辛い。
右手の指先で、皺の寄った眦を擦るようにして涙をぬぐい取る。
「たぶん、埃が目に入っただけだと思うから」
「何言うてはんの。目に埃やなんて、そないなわけあらへんやろ」
長身の浮舟は、覗き込むように背を屈めながら囁いた。
関西訛りの、荒っぽい言葉尻すらタオルをあてがうように優しい。間近に迫る、怜悧で端整な顔は稚いくらい無垢だった。落ち着いて、深呼吸しましょう、と肩に手を添えたまま柔らかく目元を緩める。髪を掠める耳打ちに、夏物のコロンらしい香りが淡く匂い立った。
お茶でも飲みましょう、とは浮舟なりの気遣いにちがいない。
踵を返すと、御召を着た背を向けた。板間を離れ、ガラスを嵌めた引戸を滑らせる。
奥の居間、霞ガラス越しにはダイニングキッチンが続く。北側の窓辺が台所で、変哲のないステンレス製のキッチンを設える。食卓には円形のテーブルを置き、和箪笥調の食器棚を片側の壁際に据えつけた造りだ。五年前の入居時から、生活に必要な家具類だけは残されていた。
浮舟が台所に立ち、二口コンロに薬缶をかけて湯を沸かし始める。
七日間、浮舟は氷見を支えてくれた。何度も、このダイニングで食事をしたのだ。
背中を追いかけ、コンロの前で薬缶を眺める浮舟に声を掛けた。服が汚れないようにね、とは身勝手な忠告でしかない。浮舟が、火元を離れて振り向きざまに袖を脱ぐ。御召の青海波は、鱗のように綸子のブラウスを滑る。濃墨の衣、空蝉じみた袖の抜け殻が宙に翻る。
氷見には、その袖に縋りつくだけの勇気はなかった。
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