第5話 敵
突然現れた女性を前にノエルはまるで極寒の地に降り立ったかのような震えを起こしている。顔色はとても悪く、真っ青だ。
(まさか、こうも早くお目にかかれるとは……)
マイヤード・フォン伯爵令嬢、それがノエルにマナーを教えている講師の名前だ。
ユクーシルの王宮で古くから王族のマナーを教えるフォン伯爵家として幅を利かせている。王族に近しい存在ゆえに、こうも態度が横柄になるのかもしれない――現に、今も……。
「サボるのは下賤な者のすることです。さぁ、ノエル様……」
「ねぇ」
マイヤードがノエルに命令口調で話しかけるのを遮るように、私は声をあげた。するとようやっと私の存在に気が付いたのか、視線を向けて大げさにうやうやしく話すように。
「あらぁ~、ごめんあそばせ。王妃様がおられるとは、全く気づきませんでしたわぁ」
「……」
王妃を目の前にしても、彼女はノエルと同様に侮ってくる態度を変えない。
昨日は使用人ゆえに、権力に縋る必要があったが……フォン伯爵家ともなるとユクーシル王族の後ろ盾があるということ、なにより盤石な身分があることによって、こうも強気に出れるのだろう。
もちろんユクーシル王族の中に、私……レイラは含まれていない。あくまで外部の妖精が見えない弱者として、見下しているのだ。
「王妃様、もうしわけないのですがぁ~、挨拶をするよりも――私は大切なことがありましてぇ~」
「……」
こうも露骨に無礼な態度を出されたら、正直腹が立つ。しかしこの女は自身の身分の使い方を良く知っているため、安易に怒りを露わにすると分が悪くなるのだ。
(そうよ、小説でもノエルがマイヤードに暴力を受け、怪我をしても“躾”として大事にされなかった)
マイヤード伯爵令嬢と正面から戦うのはかなり不利だ。それほどまでにユクーシルの貴族内では、彼女や彼女の家の意見を尊重するものばかりなのだから。
「はぁ……しかしあなた様の息子は手がかかりますわねぇ。こんなにのんびりとお茶を楽しむなんて……あら……?」
私が言い返さないことをいいことに、彼女は温室内を悠々と歩き――テーブルのティーカップに目を向けた。そしてカップに入った紅茶の色を見てから。
「まぁ……! ノエル様、どうして紅茶にミルクをいれてらっしゃるのですか? 優美な貴族マナーとしていけないことだと教えたではありませんか!」
「……っ!」
「本当に不出来で、物覚えが悪いんですから……こうしてる暇はないんですよ、だから早く立って……」
マイヤードが、強引にノエルを立ち上がらせようとした時。彼女の言葉を聞いた私は、すかさず遮るように言葉を紡いだ。
「あなたの発言、見過ごせないわね」
「……え?」
「紅茶にミルクを入れたら、マナーに欠けるなんて……ねぇ、どうして?」
「はい……?」
「なぜ、ミルクを入れたらマナーが損なわれてしまうの?」
私の言葉を聞いたマイヤードが、焦ったような表情を浮かべた。おそらく彼女は、私は何も言い返さないと踏んでいたのだろう。ゆえに、予想外といった気持ちを露わにしている。
「な、なぜって申されましても……ミルクは紅茶本来の味を損ねる行い、立派な貴族なら紅茶の味を楽しむのがマナーですから」
「なぜ紅茶にミルクを入れると味が損なわれると思うの?」
「で、ですから……っ。紅茶が持つ渋みや深みをミルクが……薄めてしまうのです……!」
「へぇ、じゃあ紅茶は渋みや深みがないと味わえないものということ?」
「い、いえ……香りや見た目も楽しめるものですが……」
「え? それならば、紅茶は味だけを楽しむものじゃないわよね? ミルクがどうしてそこまでダメなのかしら」
「……ぐ、そ、それは……ミルクは子供っぽいからです!」
何度も質問をされたマイヤードは、切れ気味に言い放った。
その内容を聞いて、私はニヤリと笑う。
「そう、ミルクは子供っぽいからダメ。それならば、マナーとは全く関係ないわよね?」
「で、ですが、気品に関わりまして……!」
「ふーん、じゃあ私たちが生まれたころ――赤子の時は下品だったと、あなたはおっしゃりたいのかしら?」
「なっ……!」
私の言葉をきいたマイヤードは、明らかに顔色が悪くなる。
自分で口にした内容に、取り返しがつかないものが含まれていることに気が付いたのだろう。マナーや気品にミルクの有無は全く関係がないこと。
むしろミルクの存在自体を否定してしまっていること。これによって、ミルクを口にしたことがある者を否定してしまうことにつながると、ようやっとわかったようだ。
(社畜時代のスキルが意外と役に立ったわね……)
人は自分が言ったことに何度も問いかけをされ続けると、言った本心が見えてくる。しかもその本心は論理的ではなく支離滅裂なものがほとんどだ。
こうしたやり方は、主に企業間トラブルで対処に当たっていた際の私の処世術だったが、存外貴族社会でも通用するのかもしれない。
「ちなみに私もミルクが好きで、紅茶に入れましたの……マナーが悪いなんて思いませんでしたわ」
「そ、それは……」
マイヤードの顔色がサーっと青ざめていくのが分かった。そんな彼女へトドメと言わんばかりに、私は毅然とした態度で声を出して。
「そういえば――今日のノエルのスケジュールについては、事前に執事……そして陛下に確認済みで進んでいたの」
「……へ?」
「まさかこうしてスケジュールをかき乱されてしまうなんて……ユクーシル国法の王族に関する記述に、恣意的な行いで王族の時間を奪ってはならない……と書いてありましたわね?」
そういった後、マイヤードへニコリと笑顔を向けてから。
「こうして決められていたスケジュールにおいて、勝手に王妃と私の息子の時間を奪うなんて……」
「……っ!」
「さて、マナー談義と法律違反……どちらが重要かしら?」
そう、マイヤードへ語り掛ければ、具合を悪くしたとばかりに彼女は手で顔を隠す。一連のやり取りは、間違いなく高いプライドを持つ彼女を刺激したはずだ。
しかし現状、これ以上横柄な態度を振り続けることは彼女にとって分が悪いことを理解したのだろう。いで立ちを震えながら正してから、マイヤードは口を開いた。
「国の太陽の側におられる高貴な王妃様へ、この度は無礼を行い大変失礼いたしました」
「……私よりも、一番に謝るべき人物はいるはずよ?」
「そ、それは……ぐ……国の幼き太陽であらせられるノエル様、この度は過ぎた真似を行ってしまい……申し訳ございません」
「え……あ……」
「大変恐縮ではございますが、本日は体調が優れませんのでお休みとさせていただこうと思いますわ」
「そう、無理せずに……すぐに屋敷へ帰って休んだ方がいいわ」
「お、お心遣い感謝いたします……わ」
マイヤードは、言葉はなんとか丁寧さを取り繕っていたが、表情ではこちらに対する嫌悪が全く隠しきれていなかった。体調が悪いと言うよりも、機嫌が優れないから帰るのもバレバレだ。
この件によって、間違いなく彼女の標的はノエルだけではなく私も入っただろう。
(でも、これでいいの。すべての標的がノエルに向き過ぎていたのだから――むしろ親として、ノエルの安全を守らねば……)
マイヤードがこれから邪魔をしてきそうなのは言わずとも分かったが、こちとら人生2周目なのだ。しかも飽きるほど読んでいた小説の世界のことならば――負けてはいられない。
マイヤードから視線をそらさずにじっと見つめていれば、居心地が悪くなったのか彼女は「では……」と言ってそそくさに温室から出て行った。
「お、お母様……」
「なに、ノエ……」
マイヤードがいなくなってから、ノエルが私を呼び掛けてくるので喜々として振り向こうと思ってからハッと気が付いた。
(や、ヤバい……もしかして、この態度でノエルを怖がらせてしまった……!?)
レイラはすました顔をしていると、前のイメージの通りキツイ雰囲気になる。間違いなく、マイヤードと相対していた時は、無表情かつ怒りをにじませた表情になっていた。
大好きなノエルに嫌われてしまったら……それは――。
(も、もう生きていけなくなってしまうわ……!)
結果を知るのに、なんだか振り向くのに億劫になってしまうが……呼ばれたノエルを無視することなんて私にはできない。
さっきのはあくまで演技だった……など言い訳を頭にいっぱい浮かべながら、おそるおそるノエルの方へ顔を向けると――。
「お母様、すっごくカッコよかったです!」
「へ……?」
満遍な笑みを浮かべ、興奮した様子のノエルがそこにいた。
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