第4話 ここでの暮らし
「はっ! 出勤時間が……」
怒涛の一日を過ごした後、泥のように眠りについた翌日。
私はカーテンから漏れる朝日によって起こされた。社畜時代のくせで、つい起床時間をすぐにスマホで確認しようとするが手触りのいいシーツと、広々としたベッドの様子を目にとめて、「ああ、そっか……」と現状を理解した。
「やっぱり、レイラのままね」
昨日はたくさんノエルと話し、小説の世界を堪能していたはずなのに――まだまだ前世の習慣が抜けきっていないようだ。
ノエルを助けるべく、貴族っぽい振る舞いができたのだが、あくまで元はアラサーOLであり一般人。
これからレイラとして過ごすことに、不安はある……が、ノエルのために力を尽くそうと決めたからには、へこたれてはいられない。
なんとか小説で得た知識から、貴族っぽい振る舞いを行っていくしかない。勝手なイメージだが、舐められないようにすればいいのだろう。
だけどレイラのように、横暴な態度を取ると近くに控える人間に偏りが出てくる。昨日の不正を働いた使用人がいい例だろう。
(考えすぎても仕方ないけれど……まぁ、朝食とかは部屋でとってもいいのよね?)
小説の世界にいることをまざまざと感じていれば、脳を使ったためかお腹が空いてくる。本音の希望を言えば、ノエルと朝食を摂りたい。
一緒にご飯を食べたいと思うのだが……小説内で、レイラがノエルと食事を共にすることはなかったことを踏まえて……。
(ここで、私個人の希望を主張して悪目立ちするよりも――まずはこの王宮という環境を、ちゃんと見る必要があるわね)
自分の行動によって、ノエルに負担はかけられない。しかもこの王宮に来て日が浅すぎるのだ。まずはじっくりと観察――と思い、部屋内をぐるっと見回す。
そしてベッドのサイドテーブルに置いてあるベルを見つけた。きっとこれが使用人を呼ぶ合図なのだろうと見当をつけ――チリンと鳴らす。すると素早く部屋のドアがノックされ、使用人たちが入室してくる。
「おはようございます、王妃様。朝食でよろしいでしょうか?」
「ええ、お願い」
「はい、かしこまりました」
昨日とは異なる使用人の存在に、おそらくレイラの夫である陛下・ジェイドが新たに手配したのだろうと気が付く。
淡々と仕事をこなすことに注力しているようで、昨日の不正がバレた件で使用人内で引き締まった雰囲気になったのか、無駄な動きは一切ない。
おべっかもかかず、一定の距離を引かれている感がありありと出ていた。
(ここまで露骨なのもどうかと思うけれど……)
仕事に不備はないので、指摘はしないが――かなり、無機質な空間となっている。しかし、昨日のようにレイラを出しにして勝手な振る舞いを起こされるよりは幾分もましなので受け入れよう。
こうした使用人や王宮使えの人々は、レイラに対して二種の反応を示す。一つは、王妃という権力を持つレイラに取り入ろうとする者。そしてもう一つは、表面には出さないがレイラという存在を嫌悪する者だ。
もちろんレイラの性格がきつくて嫌われているということもあるのだろうが、一番はレイラが「妖精という存在を見ることができない人間」だからだ。
(そう、レイラは他国からユクーシル国へ嫁いできた身……)
着々と部屋に用意される朝食を前にして、私はレイラの出身について頭を悩ませる。レイラの国・ヨグドは真奈美がいた日本と近しい環境で……機械などといった文明ありきで栄えていた国だと描かれていた。
一方のユクーシルは「妖精」から加護を受けて力を行使する国と言われていて……火をおこしたり、水をだしたりできると言われている。
そんな摩訶不思議な「妖精」は、ユクーシルのみに存在しているため非常に稀有らしい。
その希少価値に惹かれて、いろんな国からユクーシルの王族には妃候補の女性が贈られ――戦争を起こさないためにも、しぶしぶユクーシルは他国からの嫁を受け入れている……という状況だ。
ジェイドの妻であるレイラはヨグドの第三王女として生まれ、ヨグドとユクーシル、二国の架け橋として嫁に出されたのだ。
たくさんの機械や資金をもってユクーシルへ送り出され、他国よりも潤沢な資産によって結婚相手に選ばれたらしい。
(ノエルに対する接し方からもそうだけど、レイラ本人はこの結婚に納得してなかったのかもしれないわね)
小説内では取り巻きの使用人たちによって持ち上げられ、悪事を企む嫌なキャラだったが……それもこれも、ユクーシル国を好きになれない感情の側面があったのかもしれないと――今になって少し思う。
というのも、「妖精」を見ることができない者はユクーシルでは軽んじられるのだ。となると、他国から妖精なんて一度も見たことがなかったレイラは――この国に嫁ぎに来ても「妖精」を見ることはできなかったのだろう。
現に部屋で朝食の用意をする使用人や騎士たちの態度を見れば、自ずとそうなのだと理解できる。
きっと一人ぼっちで、夫も助けてくれない環境に嫌気がさしてノエルに冷たく接したのかもしれないが、そのことに同情はできない。
やっぱり酷いことをしたレイラは良くないし、酌量の余地はないのだ。ただ現在レイラの中身は――私なわけで……。
(レイラは好きではないでけれど、私はレイラとして別の道を歩まないと……)
そう、このままではノエルは家族の愛情を知らないまま、性格が180度変わるほどの闇落ち展開になってしまう。それは絶対阻止しなければならない。
ということは、レイラにとって過ごしにくいこの王宮で、ノエルを守れるほどの力が自分には必要になってくるだろう。そう決意をしていると、側にいた使用人が声をかけてくる。
「レイラ様、食事の用意ができました」
「ええ、ありがとう」
「……」
表情一つ変えない使用人に、何とも言えない感情を抱きつつも――私は少しでも力をつけるために朝食を口に運ぶ。西洋の食事のように、ふわふわのパンと新鮮なサラダはとても美味しいはずなのに……。
部屋の中が静まり返っていすぎて居心地が悪いためか、食事の味はしない。
(テレビとかあれば、気分は変わったんだろうけど……)
黙々と食べる時間を過ごしながらも、「ノエルのために……!」と意気込みながら食べ続ける。
妖精という存在は、レイラと同じく見ることはできていないが――ヨグドの王族という立場を利用すれば、もしかしたら……と頭をフル回転させながら、朝の時間は過ぎていく。
(そもそも、今日は愛するノエルとティータイムができるのだから……! とってもいい日だわ!)
鬱々とした思考の中、唯一の希望であるノエルのことを思い出せば、思わず頬が緩んでしまう。
真面目な顔からにやにやとした顔になった私は、使用人たちからの冷たい視線を気にせずに朝食を摂るのであった。
◆◇◆
「ノエル!」
「お母様……!」
待ちに待ったティータイムの時間となり、待ち合わせの温室へと向かえば――嬉しそうに駆け寄ってくるノエルの姿があった。
元気そうな彼の姿に、こちらも嬉しくなり、またしても頬が緩んでしまっていた。しまりのない顔でも、ノエルはニコニコとほほ笑んでくれるので――。
(ま、眩しいっ……!)
私は思わず、光を目にしたように目を細めてしまう。ノエルの柔らかな金髪に、愛くるしい笑顔。
何をとっても100点満点、いや点数なんて付けられないほど輝いて見える。それほど光がキラキラと纏って見えるのだ。
「私の天使は今日も尊いわっ!」
「……天使?」
「はっ……! 天使くらいにノエルが愛らしいという意味よ」
「そうなのですか? それなら……お母様も、天使様と同じくらい綺麗です」
「ま、まぁっ……!」
ノエルからそんな嬉しいことを言われるなんて思ってもおらず、つい反動で鼻血が出そうになるのをくっと堪える。
普段使わない筋肉を動かしたためか、きっとひどい変顔になっていたのだろう。ティータイムの準備を指揮する執事が、恐ろしいものを見たと言わんばかりの表情を浮かべていた。
(……執事さんの顔は見なかったことにしよう)
気を取り直して、私はノエルと向かい合わせで紅茶を飲む。ノエルがこちらをちらっと見てから、おずおずと紅茶を飲む姿の愛らしさに、胸がぎゅっと掴まれる。
この尊さを感じるために今まで生きてきたのだと思わざるを得ないほど、そう、尊かったのだ。そしてノエルの一挙手一投足を見逃さないように、紅茶を楽しみながらも彼を見ていれば――。
(あら……?)
ノエルが紅茶を飲む時と、付け合わせのクッキーを食べる時とで表情が違うことに気が付く。
クッキーを頬張るときは嬉しそうに口を開くのに、紅茶は少しだけ口を開いていて。
「ノエル、紅茶は苦手だったかしら……?」
「えっ、あ、そん、そんなことは……」
「?」
私がなんとはなしにそう問いかければ、見るからに挙動不審になるノエル。彼の態度の違和感を探るべく、ノエルのティーカップに目をやると。
(ストレートで飲んでるの……?)
ノエルのカップには、ミルクの色は全くなかった。
しかも砂糖が入った容器を使った形跡もないため……純粋な紅茶が彼のカップには入っているはずだ。幼い子供にとっては紅茶は慣れない味。
私の幼い頃だって、ピーマンやコーヒーといった受け付けない味があったのだから、ノエルにも苦手な味があるはず。
「ねえ、ノエル。ミルクをいれたらまろやかになって、美味しいわよ?」
「……え? で、でも……」
「でも……?」
「優美な貴族は、ミルクは入れないと――先生が」
「先生――……」
ノエルが言った「先生」という言葉に、私は頭痛を感じた。というのも、立派な王族になるためにノエルにはマナー講師が付けられていたのだが、その講師は大変に性格が悪かったのを私は知っている。
躾と称して、ノエルができないことをあざ笑い、体罰を与えてくるのだ。あまりの苛烈さに不愉快な気持ちにさせてきて……レイラに次ぐ嫌なキャラだと感じていた。
(そうか、まだノエルは講師の魔の手の中なんだわ……)
彼の取り巻く環境も変えてあげたい。それが彼の成長のエッセンスになるのかもしれないが、これは虐待に属する。
そんなエッセンスは正常ではないし、成長というのは本人が努力して変えられる先になければ――ただ理不尽を与えるだけなのだから。私はノエルを安心させるように、ゆっくりと声をかける。
「ミルクは好みであり、優美さと関係はないわ」
「え……?」
「そこのあなた、ミルクを持ってきて」
「はい」
近くにいた使用人に声をかければ、使用人は速やかにミルクを私のもとへ持ってくる。ミルクが入った容器を自分のカップへたっぷりと注げば、ノエルは穴があきそうなほどこちらを見てきた。
そうして、私の方をじっと見つめるノエルにニコリとほほ笑んで、ミルク入りの紅茶を口元に持っていき飲んだ。
レイラの身体になって幸いなことは、貴族として必要な所作は無意識レベルに身についているのか、そつなくこなせた。そして再びカップをソーサーに戻してから、ノエルを見つめ。
「今の私は、不格好だったかしら?」
「い、いいえっ! とっても綺麗です……!」
「ふふ、ありがとう。優美というのは行動のことで、味や好みは自由なものだと私は思うわ」
「自由……」
「ええ、だって――病で弱っている人に、礼儀だからと華美な食事……消化の悪い肉を食べさせるのは拷問だと思わない?」
「……っ!」
ノエルは私の言葉を聞いてハッとしたようだった。少し例が難しいかなと思っていたが、幼いながらにもイメージをして理解ができるノエルは、優秀な子だと思った。
そしてそこまで理解したノエルに、私はミルクが入った容器を彼に差し出し……。
「私は紅茶にミルクと――砂糖を入れるのが好きなのだけど、ノエルはどうかしら?」
「ぼ……」
「うん?」
「僕も……ミルクと砂糖を入れたほうが好きです……」
「ふふ、私とお揃いね」
私の言葉を聞いたノエルは、「お揃い」という言葉が嬉しいのかパアッと明るい表情になっていた。そんな素直な彼を見て、私は胸の中がぽかぽかと温かくなる。
そしてノエルは、私から容器を受け取り――自分のカップへと注ぐ。そして砂糖も入れて、甘くまろやかになった紅茶を美味しそうに飲んでいた。
(ノエルの笑顔をずっと見ていたいわね)
ノエルの表情はころころと変わり、見ていて飽きがこない。もしくは愛する気持ちがそう思わせるのかもしれない。のほほんと、ゆったりとした時間が流れる中――鋭い声が温室内に響いた。
「ノエル様、時間だというのにまだここにいたのですか!」
「え?」
今日は私とのティータイムがあるからと、ノエルのスケジュールは調整されていた。しかもまだほんの数分しか経っていないのに。
ふつふつと不愉快な気持ちが湧いてくる中、勝手に乗り込んできた声の主の方へ視線を向ければ、そこには暗い紫の髪と瞳を持ち、眼鏡をかけたツリ目の女性がいた。
そしてノエルはその女性を見つめると、震えながら。
「せ、先生……」
そう、か細く声を出していたのであった。
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