第83話 虎と瞳

ーサヤー

 彼女の血が狙われるとはいったいどういうことだったのだろう。


 この歷弩れきどの地の国守は代々、久瀬揺くぜゆりという家だった。


 この地方は山がちで、自然は豊か、農業や鉱業が盛んであったために、土着の有力者の経済的な独立性と支配権が強く反乱の絶えない土地柄でもあった。


 それでも、久瀬揺くぜゆりの家を中心に国がまとまったのはいくつか理由がある。


 ひとつは、南から攻めてくる那岐なぎ彩芭さえばなどへの反発。


 もうひとつは、北から侵攻するク海とアダケモノへの対処。


 この二点でまとまらなければ、北でも南でも各国人領主はそれぞれに力と領地を失うこととなる。


 そして、なぜ久瀬揺くぜゆりの家が力をもったかというと、もともと朝御代あさみよの将軍につながる由緒の正しさもあるのだがもうひとつの大きな理由がある。


 鎮護国家ちんごこっかの聖獣を味方につける手立てのある家だったのだ。


 この地のヌシ、聖獣は炎をまとう虎だと伝わる。


 紅蓮の炎をその身に宿し、極寒のこの雪の地に、国家の危機とあらば颯爽と現れる炎の軍神。


 紅い玉のような瞳を持つという。


 願えば、アダケモノより民を守ったという事実があるのだ。



 では、久瀬揺くぜゆりの家はどのようにして炎虎と繋がりを持ったのか。


 それは、もう何代も前の久瀬揺くぜゆりの当主の時の出来事。


 この歷弩れきど松栄山まつばやまの城の北には、活火山の島があり、聖獣はここを寝倉としていた。聖獣であるから海を渡ることも意のまま、気儘きままにこの地を駆けまわるのだ。


 悪意なく風のごとく走り回れば、野は焼け、畑も焼け、人々は追い出される。


 当時の人々は、この地の豪族、久瀬揺くぜゆりの家を頼った。


 並み居る武士たちは、聖獣ヌシの炎を恐れ誰も立ち上がる者はいなかった。


ー情けなやー

 立ち上がったのは、それまでこの様子を黙って見ていた、一の姫。


「誰も行かぬとあらば、私が行きましょう。」

 生まれながらの美しい紅い髪を束ね、白装束しろしょうぞくに鎧を着こみ、父や母が止めるのを振り切って島へ渡った。


 姫は登る、グツグツと煮える炎の山を。姫は渡る、降る雪を溶かしもうもうと湯気の立つ河を。


 そして、そのいただきくだん聖獣ヌシあいまみえた。


 姫は願う。

「どうか、鎮まりたまえ。代わりに我が命をにえとして差し出しまする。どうか、どうかご加護を。」

 白装束になると、深く深く頭を垂れた。


 聖獣ヌシは言う。

「近頃、島の端に妙な花のツボミができてな。犬が吠えてかなわぬ。刈り取ってはくれぬか?」


 姫はにこりとほほ笑むと、腰に帯びた己の護り刀を取り出しその美しい髪を切った。

「これは、我が覚悟の証にござりまする。」

 髪と懐剣をそこに残すとスックと立ち上がる。


 短くなった髪から、数本の髪が熱風で巻き上がる。

 

 そして姫は鎧を纏い、先祖伝来の刀を手にとり山を駆け下り、島の端の断崖へたどり着いた。


 そこにあったのは、石の花。


 姫は一晩、戦い続けた。犬に噛まれ白装束は紅く染まる。


 そして、その魂は石の花に吸われた。


 折しも、満月の夜であった。



 その次の朝、松栄山まつばやま城。

 やはり、姫を救いに行こうとする歷弩れきどの当主と家臣たちの前に大きな炎が立ち揺れた。


 炎虎である。

娘御むすめごの願いは聞き入れた。これを代々の姫の護り刀とするが良い。」


 一の姫の護り刀である懐剣に大きな紅く光る宝石があしらわれていた。

 まるで、紅い紅い瞳のようだった。


 そして、その日以来アダケモノの姿は歷弩れきどの地には現れなかった。


 一人の少女がこの国を後にするまでは。

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