第63話 勘と十字槍

ーカリンー

 サヤは口の中の飴玉をかみ砕いてしまった。


 波が引くように、収まっていく衝動。いったいこの感情とあの突進はなんだったのか。


「あんた、ウチに何を食べさせたと?」

 口では文句を言っているが、明丸とシロウの様子が気になるサヤ。

 結わえていた縄を手繰りよせる。


 これだけ走れば大丈夫だろう。アダケモノの気配はなくなった。


 ずいぶんと山の中に入った。勘で北の方に逃げたつもりではいるのだが。


 とりあえず、目指すのはまだク海には遠い山脈の中腹にある成馬宮なるまみや城。その城が虎成とらなり城の北東にあるので、まず北の方、山の方を目指したのだ。

 

 ただ、目がまだ霞む。途中からあの少し酸っぱい飴の味もしなくなっている気がしていた。


 もしかして、間違って深い方へ来たのではないか?サヤは気になっていた。


 言い伝えでは、ク海では、人間が死ぬに際して一般的に失っていく順に五感が失われていくと聞いている。分かりにくいが、まず味覚。そしてだんだんと見えなくなって臭いも分からなくなる。やがてモノを触っても分からなくなり、意外と耳が最後まで残るらしい。個人差はあるだろう。同時にも来よう。


 ともかく、少しづつ異常さが増すようだ。水に深く潜ればそれだけ圧力がかかるように。

 もしここが文字通り、ク海、海だとするならば、急に深く潜ったり、逆に浅い所へ急に上るのは危ないのではないかとサヤの直感は告げていた。


 ああ、二人の男の子の様子を見なくては。できることは少ないが。結構派手に暴れた。モモも揺れたろうに。


 若様の様子を見る。顔色が少し良くなった気がするな。


「どおれ、顔を見せてちょうだい。」

 サヤはモモの半透明な甲羅をのぞき込む。幼子は寝ているようだ。


「良かった。でも、今のうちになんとかせんと。お腹も空いてくるやろうし。」

 少女は赤子とケガ人を抱えて迷っていた。


 もう夕焼けは過ぎ、辺りは暗くなってきている。


 動くべきか。朝までじっとしているべきか?サヤはあの鉄の扉の後ろの備品を集めている場所で松明を二本、モモの縄にしっかり括っておいたのを思い出した。


 火打石も火口ほぐちもある。しかし、火を点けるべきか?もし虎河こがの兵がいたら?


 不安はつきない。しかし、皆を守れるのは今、自分しかいない。


 川を見つけよう。この辺りの川は北の那岐なぎの国から流れてくる。


 サヤはそう決めた。


 上流に登れば、成馬宮なるまみや城に辿りつけなくても、ク海から逃れられるかもしれない。


 しばらく後、灯りをつけず音を頼りに亀を連れて、川を上流に登る彼女の姿があった。満月からそれほど日は経っていない。まだ月明りは水面を照らすほどには残っていた。川に近づき過ぎぬよう、しかし離れぬように。


サヤは川を左手に見て、しっかりゆっくり上流へ向かう。気持ち的には早くク海から上がってしまいたい。自分だけならもっと急いでいただろう。けれど、人を連れている。長時間の滞在は良くないだろうけど、急激な変化も多分、危ないのだ。はやる気持ちを落ち着かせて進む。


 ふと見ると右手に道が見える。川に沿っている。多分街道だ。辿っていけば成馬宮なるまみやの城へ続く。少なくともク海の上には出られるに違いない。


 しかし、サヤの足は止まった。数少ない街道なら、敵の追手も追ってこれやすいのではないか。川べりで様子をのぞいた。


 随分と前にここにいる若様が民を北へ逃した。多くの者が虎成とらなりの城下を離れたことだろう。しかしそうはいってもまだ道半ばのモノがいるはずだ。


 荷車が来た。大人二人、荷車に子ども二人、親子連れのようだ。父が引き母が押してこのなだらかな坂を上ってきたのだろう。


 その時だった。遠くで馬のひづめの音がする。やけに急いでいる。


 サヤは嫌な感じがした。暗闇に目をこらす。


 月影に垣間見たのは、赤い鎧。月の光を跳ね返す十字の槍。三騎駆けてくる。


 サヤは目の前を通る荷馬車に乗っている女の子と目が合った。


 騎馬武者に目をやる。槍を振りかぶっている。


 サヤはもう飛び出していた。・・・そういう娘だ。

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