2・仮面の高校生

「ゴメンね、マイナスくんは一旦補欠で……」

「いえ、全然大丈夫ッス……! というか週二しか平日の予定空けられなくすみません……」


 俺のパパはとても厳格な人だ。俺がロックをやる事は秘密にしたい。その中で絶対に外せない習い事があってどうにか捻出できた時間はこれだけだった。


「最初は下積みと思って……ね? バンドって組むの難しいからね」

「は、はい……」


 今、話しているのは二年の渡辺先輩。三年生のバンドのファンだったのが高じて、今は軽音部のマネージャーをしているそうだ。


「仕方ねえって、相性とかもあるしなー。そうそう、よかったら飲み物買ってきてくんねえ?」

「あ、鷹田! うん、もちろん!」

「はいダメー、そこはパシりじゃねえよ! ってツッコむところだかんな?」

「そ、そうなの……?」

「私だったらとりあえずはっ倒すね」


 鷹田は先輩たちとすぐに馴染んでそのままバンドメンバーとして迎えられる事になった。時間の融通ができるのはもちろん、話が面白く、場を盛り上げるのがとても上手だ。


「先輩に殴られたら全身骨折間違いなしなんで勘弁っすよー」

「理不尽な事言われたら私に相談するんだよ?マイナスくん。対処方法教えるから」

「こ、心強いッス……!」

「まぁ冗談冗談。せっかくの高校デビューをオオコケさせてちょっと負い目あるんで教えてるだけっすよー」


 軽音部でマイナスと渾名が付いた後、それが広まりみんな俺をマイナスと呼ぶようになったんだ。


「黙ってると顔の仮面模様でスゴく雰囲気あるのにね」

「ヤブイヌとリカオンのハーフ、だっけー?」

「あ、ああ、パパがヤブイヌでママがリカオン……」


 ヤブイヌには模様はなく、リカオンは逆に特徴的な縞模様がある。特に目の当たりを覆面のように覆う模様があるのだが……


「模様がもう少し垂れてたら完全にタヌキだったな」

「タ、タヌキじゃないよ……」


 俺の場合、目の周りに模様があって、それはまるで仮面(あるいはアイマスク)のようになっている。黙っていてももちろん、普通に笑ったつもりでも不敵な笑みに見えるらしい。


「カッコよくしてたらきっとカッコいいだろうにねー」

「まぁ俺に並べるかもっすよね」

「か、カッコよくしようとがんばったんだけどなぁ……」

「台無しにしたの俺でーす」

「まぁまぁ……違う自分を背伸びし続けるのって上手くいかないから、よかったと思うよ?」

「は、はい……」


 とはいえ、鷹田はよくしてくれる。声をかけてくれるし冗談も言ってくれて、おかげでクラスメイトや先輩たちとも話す機会が増えた。中学の頃と比べれば忙し過ぎるくらいだ。


「っと、そろそろ先輩らが来る時間か。マイナスは帰る?」

「ああ、うん。ゴメンね……習い事があって」

「あれ? 鷹田くんも予定あるって言ってなかった?」

「何とかするんで大丈夫っすよ。バンドの為ならちょっとくらい無理するんでー」

「無理し過ぎないでよー! じゃあマイナスくん、お疲れさま!」

「はい、お疲れさまッス……!」



「ところでマイナスくん、習い事っていうけども……」

「うちってバカ高校っすよね、それで習い事ってなんなんすかねー……?」


 ――


 高校を出て、バスを乗り継いで1時間ほどかけて家に帰る……


「おかえりー! お兄ちゃん!」

「ただいま、カナ。先生休憩中?」

「うん、お茶飲んでるよー!」

「オッケー、すぐ支度して行くね!」

「ゆっくりでいいよって言ってたよ! でも、せっかくだしカナの演奏聴いてよー!」

「わかったわかった、着替えてくるから待ってて!」

「はーい!」


 真っ直ぐに自分の部屋へと向かう。


「ただいま」


 部屋に入れば一番にハードケースを開けて中に入っているバイオリンに声をかける。



「軽音部には何とか入れたけども、補欠になっちゃった。

 バンドって楽器ができるよりもメンバーとスケジュール合わせたりするのが大事なんだって。

 本当はバンド組めないと入部もダメなんだけどもね」


「でも鷹田がね、今後の面子を見据えて補佐をしながら、空きが出たバンドに入るっていうの提案してくれたんだ」


「補欠でも軽音部に入れて本当に嬉しい。

 組んでくれる人が見つかるように一生懸命がんばるね」



 バイオリンはもちろん返事なんてしない。

 それでも今日あった事を話すのが、いつの間にだか習慣になっていた。着替え終えれば弓を手に取り、ネジを絞り、松脂を塗り、バイオリンを構える。


 そして気ままに、気ままに音を奏でる。

 バイオリンは確かに返事はしないけど、俺の心をそのまま奏でてくれる、そんな気がしてる。

 静かな郊外の一等の住宅街でも聞こえてくる小さな音を伴奏に今日の気持ちをバイオリンが代弁してくれる。どこかから聞こえる駆動音、通りかかる車。気が付けばピアノの演奏が……あっ。


「演奏聞くんだった!?」


 バイオリンを手にしながら急いで向かう。


「ごめーん!」

「いつもの事だから気にしてないもーん」


 ムっとした顔でカナはそう返す。


「テルくんの呼び方も覚えてしまいましたしね」


 紅茶を手に持ちながら微笑むこの人は音楽の家庭教師の上井先生。


「お兄ちゃんの気分に合わせるといつまで経っても降りてこないからね!」

「いやごめんて……つい夢中になっちゃうから……」

「今日はなんだか良いことがあったみたいですね?」

「あー、うん! えへへ……」

「皆には言わないから私たちに教えて!」

「実はね……」


 軽音部に入れた事をふたりに話す。補欠、というのは内緒にして。


「じゃあロックができる……っていう事!?」

「まだ入れただけだからもう少し先だね」

「音大付属高校へ入らず、普通科に行きたいと言い始めた時は驚きましたけども……両立できるなら経験は何よりも糧になりますからね」

「先生も手を貸してくれたおかげです……ありがとうございます!」


 週の四日を上井先生とのレッスンに当てている。 基本的にピアノとバイオリンのレッスンを受けるが、土日はカナも連れて何かを鑑賞したり、座学も行っていたりする。 たぶん、パパやママよりも長い時間を上井先生と過ごしていると思う。


「さて、予定通り、今日からは課題曲に取り組み始めましょうね」


 音大に入る事はパパと約束している。しかし、付属高校に入るとパパの知り合いがたくさんいる……そうしたらパパにロックをやっている事がバレてしまう。だから、俺は無理を言ってどうにか普通科の高校に入った。


 両立させるのがとても難しいのはわかってる。だけども、やりたい。


「ピアノの方は『ラ・カンパネラ』。バイオリンの方は『24のカプリス』。もちろん両方ともパガニーニ/リストの曲ですね」

「は、はい……」


 パガニーニ/リストとは、2人の人物を指している。

 まずはパガニーニについて。彼は非常に類稀なる才能を持った作曲家であり演奏家だ。だが、そのあまりの卓越ぶりに”悪魔に魂を売った”と噂が流れ、没した後に彼の遺した曲は殆ど処分されてしまった。

 しかし、リストはパガニーニの演奏に感銘を受け、聞いた彼の曲を楽譜におこし、パガニーニという天才がいた事を後世に伝えるのだった。


「まずはそれぞれ聞いてみましょう。何度か耳にしているでしょうが改めて」


 先生は用意しておいたオーディオを操作する。


 ――『ラ・カンパネラ』

 鐘という意味を冠しており、儚く輝くようなイントロから入り、そこから鳴り響く鐘たちの音を表現するような、非常に美しい曲だ。しかし――


「こちらの曲はそう難しくないでしょう。練習すれば弾けるようになります」

「いや待ってくださいよ! なんでそんな余裕そうな事言うんですか!?」

「綺麗な曲だけども、まだ私には弾けなさそう……」


 鐘は振られる事で音が出る、それを示すかのように両方の手を振るかのような演奏を求められる。鍵盤と鍵盤の距離、それを完全に把握しながら繊細に弾いていく高い技術が求められる難曲だ。


「『大練習曲』ですからね。カナさんもそのうち取り組みますよ」

「うん! がんばるね!」


 高校卒業までなら何とかなるか……? 聴きながら演奏のイメージをする。


「こちらは来年の夏にコンクールで演奏します」

「ええーっ!?」


 頭の中の予定が吹っ飛ぶ。高校生活との両立のためにはどうしたら良いかを考えると時間が足りな過ぎる。


「楽しくなってきましたか? では次の曲です」

「あ、あうー……」


 ――バイオリン独奏曲『24のカプリスより第24番』

 パガニーニの天才ぶりを遺憾なく発揮した曲でうれな入りから気まぐれに、気まぐれに、雰囲気が変わっていく。バイオリンの独奏とは思えないほどに様々な顔を見せ、それを表現するためにパガニーニが作った技法があるほどだ。パガニーニは悪魔に魂を売ったという話を信じさせる説得力がある。


「途中のピチカートすごい!」

「カナさんもいつかやってみましょうか?」

「うーん、気が向いたら?」

「こっちはいつまでに……」

「はい、こちらは音大の入試までですね」

「や、ヤベーッスね……」

「でも、がんばれますね?」


 高い高い山を前にして、息を飲むような感覚。これを自分は登れるのだろうか? 多少の不安と、しかしそれで得られる何かに想像しながら、ゆっくりと頷いた。


「よろしい。ではとりあえずピアノに向かいましょう」

「はい!」

「カナ、応援してるよ!がんばってね!」


 自分で言うのもなんだけど、いいとこの坊っちゃんなのを隠して普通の高校生の仮面を被る。嘘を付いてるみたいで少しの罪悪感がある。だけども自分で決めた事だから。


 ロックをやるためなら、何でもやる。

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