第3話「椅子のある家」

 新卒で入った会社を辞めてブラブラしていた時に、縁あって拾われた「逆木地所」で俺は働いてる。

 いわゆる中堅社員として、まあまあ長くやってるからか、正直ちょっとやそっとの仕事じゃ驚かない。お化けが出るだの、古い家が不吉だの、そんな話を何度聞いたことか。俺はそんな馬鹿げた噂は全く信じていない。


 ある日、空き家のチェックに行くことになった。築50年以上の古い一軒家だ。またしても地元じゃ「霊がいる」とか噂されているが、俺からしたらただの売れない物件だ。

 社長からは「定期的に見に行ってくれ」と言われてて、仕方なく行ってるんだ。給料のためなら、面倒くさい仕事もこなす。しがないサラリーマンの悲しいところだ。


 夕方、薄暗くなりかけた頃にその家に着いた。ボロボロの門扉を開けて庭を通り、玄関に鍵を差し込んで開ける。家の中は相変わらず埃っぽい。ま、誰も住んでないんだから当たり前だ。何も異常がなければさっさと帰るつもりで、一階をざっとチェックした後、二階に上がった。

 階段を上りきった瞬間、なんだか背中に視線を感じた。でも、俺は振り向かなかった。くだらない。こんな古い家じゃ、風で何かが動いただけだろう。そう思って、奥の部屋の確認に向かったんだ。だが、あの部屋のドアが、わずかに開いていることに気づいた時、俺の背中に一瞬、冷たい汗が走った。

「あれ……?」

 俺は前回来た時、確かに鍵をかけておいたはずだ。もしかして、誰かが入ったのか? 冗談じゃない。俺は手を伸ばして、静かにそのドアを開けた。

 西陽が差し込む薄暗く、ぼんやりと茜色の部屋の中央に、古ぼけた一脚の椅子がぽつんと置いてあった。誰かがそこに座っているように見えたが、もちろん誰もいない。ただ、どうにも寒気がする。すぐに部屋を閉じて、帰ろうとした瞬間、椅子がぎしり、と音を立てて動き、驚いて体が固まった。振り向こうとしたが、俺の耳元で、低い声がこうささやいたんだ。



「お帰りなさい……」



 意味が分からない。理解する前に体が勝手に動いて、俺は階段を駆け下りた。全速力で玄関の扉を開け、車に飛び乗った。アクセルを踏み込んで、その家を後にした。バックミラーを見ると、二階の窓に何か黒い影が見えた気がしたが、俺はそれを無視して走り続けた。


 数日後、社長に

「あの物件はもう行けない」

 と言った。社長は笑ってたが、俺の顔を見た途端、何も言わなくなった。

 その後、あの物件には新人が行くことになったが、そいつも「変な声が聞こえた」とか言って辞めやがった。

 今でもあの家は空き家のままだ。俺はこの仕事を続けてるが、あの家のことは二度と思い出したくない。



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