不動産異聞 田中の手記

有田茎

第1話「首吊りの家」



 「逆木地所」で働く俺は、古い物件の査定や管理を任されることが多い。

 今日も、少し厄介な案件を担当することになった。相続物件として持ち込まれた山あいの古い家屋は、地元で「首吊りの家」と噂され、若者たちの心霊スポットになっているらしい。もちろん、調査によると自殺の事実も事故もない。

 現地に到着すると、建物は予想以上に朽ちていた。入るやいなや、埃と湿った空気がまとわりつく。座敷の天井の梁からロープが垂れ下がっているのが見え、少し気味が悪いが、どうせ誰かの悪戯だろう。俺はそう思いながらロープに手を伸ばした。

 その瞬間、どこからか声が聞こえた。



「だって嘘だもんねぇ」



 ぎょっとして振り向いたが、誰もいない。心臓が早鐘を打ち、思わず周囲を見回す。冷静になろうと、深呼吸をしてもう一度確認したが、やはり何も見えない。

「誰だ!」

 声を張り上げてみるが、応答はない。動揺を押し殺しながらも、気になって物置や押し入れを探し回ったが、誰も見つからない。

「ったく……」と呟きながら、ロープを手早く外し、さっさとここを後にする準備をすることにした。悪戯の仕掛け人がどこかに隠れていると思い込んでいたが、見当たらない以上、柄にもなく雰囲気に飲まれて、ありもしない声を想像してしまったのだろう。

 足を踏み鳴らして足早に玄関に向かう。家の戸締りを確認し、立ち入り禁止の張り紙を貼るために玄関に立つ。そのときだった。



「……だって、本当はねぇ……」



 まただ。耳たぶを撫でる様な声が聞こえ、思わず背中を冷たい汗が伝う。もう一度周囲を確認するが、やはり誰もいない。

 慌ててその場を離れ、車に乗り込んだ。走り去る直前、閉めたはずの雨戸がゆっくりと開いて、誰かが再び梁に縄をかけている――

 車内から暗い室内が見えるはずがない。しかも俺が屋敷を見やったのはほんの一瞬だったはずなのだ。

 これも雰囲気に飲まれて、俺が想像してしまったのだろうか?

 網膜に焼きついた光景を振り払う様に、俺は車を飛ばした。


 その夜、逆木地所に戻ってからも、あの家の静かな圧迫感が頭に残って離れない。報告書をまとめていると、社長がふらりと現れて、俺に肩を叩きながらこう言った。

「田中、これからもよろしく頼むよ」

 思わず一瞬身構えた。社長は穏やかに微笑んでいたが、俺の奇妙な仕事は「これから」も続いていくのだと諦めにも似た気持ちで悟った。

 どうやら俺の仕事は、普通の不動産営業とは少し違うものになるらしい。

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