第23話 旅が始まる

 早朝四時にアラームが鳴る。

 夏休みであるのにも関わらず、なぜこんな時間に起きたのかというと、今日が海の家バイトに向かう日だからだ。

 陽キャしかやってはいけないお仕事にこんな陰キャが参加していいのかは疑問だが、これも罪滅ぼしなので全力で頑張るぞいという気持ちはもちろんある。


「ふぁあ」


 誰もいないことをいいことに大きなあくびが出た。

 朝四時まで夜更かしをするのは簡単なのに、起床するとなると途端に辛くなるのはなぜだろうか。人間って不思議。

 シャワーを浴び、歯を磨き、身だしなみを整える。恋伊瑞に選んでもらった服をしっかりと装着して、前日に用意した大きなバックを背負う。

 準備は完璧だ。なんなら昨日、眉毛とか揃えてみた。


「え、お兄ちゃんが起きてる……。槍でも降るの?」

「今日から二泊三日でバイト。お前は逆になんで起きてるんだよ」

「泉はこれから寝るの。……その服どうしたの?」


 訝し気な目で上から下へ。全身をくまなくチャックしている。

 いやお前、人の服装より自分の服装気にしろよ。Tシャツにパンツだけとか、中学生なんだから恥じらいを持て。


「前に言った頼れる人に頼ったんだ」

「あれ本当だったんだ。……もしかして女の子?」

「そうだけど。え、なに。どこ行くんだ」


 そのまま泉はよろよろと居間の方向に踵を返す。

 そして。


「ママー! お兄ちゃんに春が来たー!」

「バカやめろ! 母さんが寝起き悪いの知ってるだろ! 怒られるの俺なんだぞ!」


 母さんの寝起きの悪さは相馬家で一番なのだ。父さんとか投げ飛ばされたことあるからね。そしてもちろん俺もある。

 そんな歩く台風みたいな母さんが来たらどうなるか予想出来ないので、俺は逃げに転じる。


「じゃあ行ってくるから」

「お兄ちゃん」


 玄関から出る直前、廊下の隅から顔だけ出した泉は。


「洋服似合ってるよ。行ってらっしゃい」

「ああ。行ってきます」


 喧嘩もするし、憎たらしいこともある。でもまぁ、なんだかんだで可愛い妹だ。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


「おー、早いな湊。おはよ」

「おはよ。斎藤も早いな」


 集合時間十分前。

 駅のホームで座っていた俺の元へ、唯一の男仲間である斎藤が到着した。

 

「女子より後に来るわけにはいかないからな。湊も同じ考えだろ?」

「もちろん」


 男たるもの女子より後に来てはいけない。なんていうのは前代的な考えだと思うが、それでも見栄を張りたい。いつも一番に教室へ来る相馬君を目指して早起きを心掛けていた小学校時代の俺とかまさにそれ。裏で地縛霊と言われているのを知ってからは止めたけど。


 そんなことを思い出していると、階段から軽い足音と共に話し声が聞こえてきた。 


 透き通った声のする方へ首を向ける俺と斎藤。

 そこには改札で出会ったのか、女性メンバー全員が並んで歩いている姿が見えた。

 早朝のホームからは想像出来ないその光景に、思わず「おぉ」と声が漏れ出てしまう。いや、こっち見て笑わないで下さい斎藤さん。


「おはよ、二人とも。早いね、待たせちゃった?」

「全然。久しぶりに湊と会って話し込んじゃったくらいだよ。な、湊!」

「お、おう。そうだな」


 えぇ何そのナチュラルに爽やかな返し。しかも俺の好感度まで上げに来るとかハーレムエンドでも目指してる?


「おはよう、相馬君!」

「おはよう椎名さん」

「急に参加させてもらっちゃったんだけど、よろしくね!」

「うん。こちらこそよろしく」


 真っ白なワンピースを着た椎名さんは、そう言うと花が咲いたように笑った。

 俺が一目惚れをし、一生をかけてでも大切にしたいと思ったその笑顔を、なぜ今になって向けられるのだろうか。

 頭の中で思考がグルグルと回る。

 このままでは嫌な事まで考えてしまう――と思ったその時、背中に軽い衝撃が走った。


「おはよ」

「おはよ。出来ればポシェットで殴らないで挨拶をして欲しかったな」

「こっちじゃなかっただけ感謝してほしいわ」


 恋伊瑞はキャリーバックを撫でながら笑った。

 選択肢にそれがあるのはマズいと思うんですよ俺は……。でも感情的になった恋伊瑞ならやりかねないと思ってしまうのは許してほしい。こいつ華奢なくせして普通に力あるからなぁ。


「……ありがとな」

「別に。せっかくの旅行なのに変な顔で隣にいられたくなかっただけよ」

「それでも。ありがとう」


 おかげで気持ちが楽になった。

 俺には悩みを共有できる相手がいるのだ。こんなにも心強いことは無いだろう。


「お、来たぞ。全員いるなー?」


 電車を横目に最終確認に入った杏奈さんは、一人ずつの顔を見てしっかりと数える。

 やがて電車が止まると、杏奈さんを先頭に、白波さん、椎名さん、森川さん、斎藤と乗車していく。

 そして、残るは俺と恋伊瑞。

 恋伊瑞に先を譲ると、跳ねるように電車に乗り込んだ。そのまま奥へ――は行かず、くるっと振り返り。


「洋服似合ってるじゃない」


 妹とは違い、からかうようなその表情は、何かを期待しているのかもしれない。

 だがまぁ、深くは考えないで思った通りに。


「恋伊瑞も似合ってるぞ、その服」

「セクハラー」

「これで!? 世知辛いなぁ……」


 そうして電車に乗り込んだ。

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