3.立ち聞き

 その日、わたくしはまた迎えの馬車が遅れるという知らせを受けた。

 車輪のスポークのいくつかにヒビが入っていて、付け替えに時間がかかっているそうだ。最近、休日になると二歳上の兄が婚約者を連れて乗り回しているので、故障が多い。

 わたくしの送迎のために作られた、小型の二輪馬車の方が見栄えがすると言うのだ。父がわたくしに合わせて白く塗ってくれたその馬車は、女性好みに作られている。

 使い終わった後の点検が甘いのかもしれない。先日、馬車の管理部門の使用人に注意があったばかりだと言うのに。


 ランディ様は、じきに馬車ではない地上を走る乗り物が実用化されるとおっしゃっていた。それは馬車より早く、揺れがほぼない乗り物だと言う。

 木製の車輪でもなく、それが流通すればスポークが傷んだり、車軸が折れたりする事故も無くなるそうだ。

 馬を使わないので、町の道の美観も改善するだろうし、そのうちわたくしでも御せるようになるだろうとも。


 その乗り物を想像しながら、わたくしは仕方なく待合室に向かった。

 最近では待合室で他愛無いおしゃべりをするために、わざと迎えを待たせている方達が多いのだ。

 わたくしは先日のように揶揄われる対象なので、少し気が重かった。


 待合室の扉は、少し開いていた。

 そこから話声が聞こえた。


 それはわたくしの、そしてわたくしの婚約者であるランディ様の陰口だった。


 一瞬、部屋に入ろうかどうか迷った。

 しかし、この際だ。存分にわたくし達が、陰でどう言われているかきいてやろうといういたずら心が湧きあがり、その場で足を止めて耳をそばだてた。


「ありえませんよね。ランディ・ステイスは」

 くすくす笑いが湧き起る。

「王都で名高い美女、その通り名も"白百合の乙女"なんて言われているフローレンス・ブルースターが、あのダサい男に粗末に扱われているなんてね」

 ナイア・スコッティの声だ。

 おおかた「小気味いい」と言う意味だろう。

 ナイア・スコッティは、この学院にわたくしが入った当初から、何かにつけて競り合ってくる。


「"白百合の乙女"なんて呼ばれて、思い上がっているのですわ」

 これはサンドラ・エドウィンの声。

 わたくし自身、誰かに面と向かって言われたことはなく、ただここにいる令嬢達に揶揄われる時に出てくる語句なので、彼女達がわたくしをへこませるために付けた渾名と思っていた。

 話の様子からすると、どうやら彼女達がわたくしをばかにしてそう呼んでいるのではなく、本当に巷で呼ばれているのね。


「まあまあ、フローレンスは王都一の美女と言われていますけど、結局嫁ぐ相手はあのランディ・ステイスですのよ」

 ナイア・スコッティの言葉にあからさまな笑いが広がる。


 ふむ。「あのランディ・ステイス」。ランディ様の評判は、どうしてよろしくないのかしら?


「熊と結婚するなんて、わたくしだったら式で卒倒してしまうわ」

 サンドラ・エドウィンが、いかにも嫌そうに言う。


 熊…可愛いじゃないの。わたくしは熊みたいなランディ様が大好きよ。


「それどころかあんな人が婚約者だったら、わたくし、今頃泣き暮らしているわ」

 ナイア・スコッティが続ける。

 挙式を急いだのはわたくしの方。素敵なランディ様の妻に早くなりたくて、期日を急かしたの。

「あの人達の結婚が早いのは、フローレンスが逃げ出さないためよ、きっと」

 笑い興じる。

 ランディ様に逃げられたくないのは、わたくしの方だわ。


「あの道化師のブレスレット、よく恥ずかしげもなく身に着けていられるわね」

 だってランディ様からのプレゼントですもの。


 何もわかっていない方々の陰口は続く。


「黒い蝶々のチョーカーもよ。よりにもよって黒よ」

「きっとフローレンス・ブルースターの格を下げたいのよ」

「少しでも自分に釣り合うようにね」

「あの婚約指輪ったら。安物の石を贈るなんてね」

「贈られたコートも安っぽいわ」

「あれを着て建国祭の体術大会を観戦するんですって」

「体術大会?」

「ランディ・ステイスはね、体術大会に出場するのよ」

「まあ、剣術や馬術ではなく?ほんとうに地味な方ね」

「見かけ通りじゃない」


 けっこうな言われようね。もはや自分のことながら面白いわ。


「あの…建国祭なのですが…」

 今まで黙っていた令嬢の声がする。

 カザリーン・エイリック侯爵令嬢だ。

「建国祭に隣国の従妹が参りますの。アシャシュ帝国のオリオール大公令嬢のブランディーヌ様が」

 とたんに待合室はどよめいた。

「まあ、大公令嬢が?ぜひ紹介していただきたいわ」

 紹介を求める声は複数重なった。


「もちろん、皆様をご紹介したいのですが、ブランディーヌ様はフローレンス様を紹介して欲しいとおっしゃるのです。まずはフローレンス様をご紹介致しませんと…」

 困ったような声色だ。

「ブランディーヌ様のお兄様が、ランディ・ステイスとご友人なのですって。学生時代にランディ・ステイスがあちらに留学したでしょう?」

「まあ、つまらないこと。いいわ。その時にわたくし達も紹介してくださいな」

「体術大会をご観戦なさりたいとおっしゃっていたから、その場でよろしいかしら?」

「体術大会?」

 また笑いが広がる。

「いいですわよ。ぜひみんなでランディ・ステイスの"雄姿"を観戦いたしましょうよ」

 話はまとまったらしい。


 と言うことはわたくし、ゆっくりランディ様の応援ができないのね。

 いつもの方々に囲まれてしまうことが決定してしまった、というわけね。


 体術大会のことを考えて、一人小さく笑っていると、馬車の到着を知らせるメイドがこちらへ向かってくるのが見えた。

 わたくしは待合室の中の方々にばれないように、メイドの方へ向かった。

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