12 近づけているのかどうか(アシュリー視点)
第18話
「あーもー、しんどーい……!」
俺の執務室で終わらない仕事に囲まれていると、アレクに負けず劣らず、どうしても定期的にそう叫んでしまう。それで仕事が減るわけじゃないし、言って満足するだけの衝動的行動だ。
「明日に回しちゃおうかなぁ……。でもこれ、今夜中に目を通しておきたいし……」
窓の外は真っ暗で、そろそろみんな自分の時間を満喫しだす頃。
それこそ恋人へ手紙を書いたり、互いに温めあったりとお盛んになる時間帯だっていうのに、俺は冷たい机に突っ伏すしかないなんてなんとも悲しいというか、これも仕事だと納得すべきか。
(アレクが忙しいのに、補佐の俺が暇ってのはありえないわけで……。つか、本格的に俺も補佐が欲しいよー……)
スケジュール管理や細かい事務作業の担当者は、当然ながらいる。
ただ俺の傍らで補佐役ともなると、なかなか良い人材がいないまま至る現在だ。
「これにはどの資料が適切かなんて、見ただけで把握してくれる人ってのはなかなかねー……。団員のみんながみんな、文武両道ってわけでもないし……」
うーんと悩みつつ書類の束を睨んでも、やっぱり減るわけじゃない。
「今は補佐より、こっちの資料を見つけるのが先か」
やれやれとため息つきつつ、書庫へ。
「えーっと……どの棚だっけ?」
他国の情勢、人民の暮らしぶり、医療機関の発展具合、作物の成長、他にも色々。
(各国へ送ってる偵察部隊から、定期的に情報は届いてもねぇ……。もうちょっと、一般人に近い感覚がまとめて分かる資料なり本なりがあればなぁ)
各国から仕入れた本を数冊手に取っていると、本棚の角から現れた相手に気分が華やぐ。
「エマちゃんっ」
「アシュリー様も、自由時間に読書ですか?」
「ううん。俺は絶賛、執務中でーす。ちょっとね、仕事の参考になりそうな本があればなーって」
「どのような本でしょうか」
「ぅんとねー……」
軽く説明すると、エマちゃんが頷く。
「探すのをお手伝いしましょう」
「いいよいいよ。俺に付き合ってたらここの棚全部チェックしなきゃいけなくなるし、夜の自由時間は自分のために使ってよ」
ほんの少し、彼女の目元に浮かぶ笑み。
嬉しかったのかな、今の俺の言葉。だとしたら俺も嬉しい。
(もっと色んな表情を教えてほしいなぁ……)
なんて、それを望むのはまだまだ贅沢か。今は今を素直に喜ぶべきだよ、うん。
「では、お仕事中お邪魔いたしました」
「ううん。エマちゃんもお疲れ様」
いつもどおりの丁寧なお辞儀をし、頭上で束ねた髪を軽く揺らしながら颯爽と本棚の向こうへ消え。規則正しい足音が遠退くと、俺はひとり気合いを入れ直す。
(よしっ、元気出た!)
どうせなら毎日でも会いに行きたいし、ずっとくっいていたい相手。
同じ職場とはいえ城内は広いし、やることも違えば会える確率は少ない。だから偶然会えて話せたのが、素直に嬉しかった。
(一時期は、終わったーとかマジで頭抱えてたもんね)
捻挫事件で距離が開いて、オムレツ事件で元通り。
……より、少し近づけた気がするのは俺だけ?
(エマちゃんの手料理、また食べたいな)
売り物みたいな料理でなくていい。
もちろん、一生懸命練習して作ってくれたのも食べるけど、俺のために作ってくれたっていう事実が嬉しいんだ。
(頑張るっ)
勢いがついたと気になる本は全部借りて、また執務室へ。
さっそく一冊を読んでいると、コンコン、控えめなノック音。
どうぞと
「夜分に失礼いたします」
「エマちゃん、どうしたの? 何か言い忘れ?」
「これをお持ちいたしました」
差し出されたのは小説だった。
「お調べになっていた国の、情勢が描かれている小説です。料理人の下積み時代から店を構えるまでが、面白おかしく書かれております。作者の実体験を元にしていると、評判の本です。物語として多少は盛られている部分もあるでしょうが、その国の作物の種類や食生活が見えれば、何かしら読み取れるのではないかと」
「例えば天候。作物の収穫高、働く人間の生活環境?」
「お
「うん、すごく助かります。わざわざありがとうっ」
「いいえ。たまたま手元にございましたので。では、わたくしはこれで」
「部屋まで送るよ」
なんてね。
頭の後ろで手を組んで笑っていたら。
「……はい」
まさかのオッケイに、組んでいた手をゆっくりと下げる。
「ぅんじゃー……行こうか」
なるべく平静を装って歩き出しても、エマちゃんは俺の隣を歩かない。
気まずいようなそうでもないような。とにかく不思議な空気感が、斜め後ろをついてくるエマちゃんとの間に漂う。
「……月、綺麗だね」
俺の執務室から、団員の宿舎へは渡り廊下を歩く。
そこから見えた月はもうじき満月だからか、だいぶ明るかった。
「はい。とても……お綺麗です」
「ははっ、月にそこまで丁寧に言わなくても」
歩みは止めず顔だけ振り返れば、ハッとした顔。
「そうですね。つい」
(なんだ今の反応)
振り返った時、視線はしっかり俺と重なった。他に視線を向けてもいなかった。
そこからの驚き顔ってことは、今の形容詞は……。
(……俺に向けて?)
嘘だろ?
俺の顔、通用するようになってんの? だから「送るよ」の誘いにも頷いた?
(いやいやいやっ。ここで調子に乗ったり、期待しちゃうのは……!)
今までが今までだから手放しに喜べないというか、
とりあえず、いつもどおりの態度で済ませよう。
「ざーんねん、もう着いちゃった」
「はい」
この「はい」は、どこにかかってる?
俺の「残念」に同意してくれた「はい」なのか、到着に対しての「はい」なのか。あるいは「ああ、はい、そうですね」ぐらいのノリの、「はい」なのか。
(うーん……分かんなくなってきた)
ま、それ抜きにしても、もう少し話したいし……。
「あ、そうだ。本のお礼、ちゃんとするからなんでも言って? 手合わせの場合、アレクの許可は必要になるけどね」
「ならば……」
お? またまた珍しいな。
こういう場面でのエマちゃんは、「お礼などいりません。では失礼いたします」とか、サラッと終わらせそうなのに。
「また、手料理をいただければ」
「そんなんでいいの? なら喜んでー」
「ありがとうございます。アシュリー様のお時間がある時、お声がけください。わたくしはいつでも大丈夫です」
「分かった」
「……楽しみにしております」
また、目元のみの笑み。でも、少し照れ気味?
じゃあね、と俺のほうがその場からさっさと立ち去り、かなりの早歩きで執務室に戻ってドアを閉じた瞬間。
「くっそ可愛い……!」
近くの壁に、ダンッ! と張り付く。
「えー? もー、マジかー! お礼が手料理とかなんだそれ! 可愛すぎる……!」
俺の作ったオムレツ、そんなに美味しかったのかな。
それとも、俺が作ったから美味しかったのかな。
「分っかんないけど、もうどっちでもいい! エマちゃんのためなら、一個でも十個でも百個でも焼く! ていうか、あそこであの笑みって卑怯が過ぎる……! 抱きついておっぱいに顔を埋めたい衝動、よく我慢出来たよね!? 誰か褒めて!」
「――どういう宣言してるの」
「うあっ!?」
室内から届く声に驚けば、アレクがソファーで怪訝そう。
「鍵かかってるなら勝手に入るなってば……!」
「城内に僕を閉ざす扉はないよ。君だって、僕の執務室の鍵は持ってるでしょう? あといくら僕でも、私室には勝手に入らないから安心して」
「そうなんですが!」
「お邪魔してますって言おうとしたのに、とんでもない宣言し出したのはアシュリーのほう。あといい加減、エマと合意の上でないとそういうのしちゃ駄目でしょ」
「最近は、エマちゃんのほうが俺を抱きしめてくれるもんねっ」
「いつの間にそういう関係!?」
「そういう関係じゃなくて、同情から来る抱擁っていうか……ぅんでも、すごい進歩じゃね?」
「過程が分からないのと、どういう進歩を遂げたかも分からないしね。下手なことは言えない感じかな。で? なんであんな宣言?」
「実はねー」
数日前の手料理の件から、書庫とここでのやり取り。
細部までではなくても伝えれば、アレクが「うーん?」と首をひねり出す。
「その、手元にあったていう本。エマ、書庫で探してたよ?」
「俺と別れた後に、そんな時間はないでしょ」
「今夜の話じゃなくて、数日前にね。目星はついてたみたいで、受付で質問してた。たまたまそれを僕が聞いたんだ、間違いないよ。で、声かけたらアシュリー様が知りたがっている知識を自分も増やしたい、とか言ってたね。内緒にするほどでもないのに、なんで隠すんだろ」
「恩着せがましくしたくなかった、とか」
「そうかな」
「他に理由ある?」
「君に本心を伝えるのは照れくさい、とか」
「語尾真似すんなだし、やめてよそういうの。期待しちゃうじゃん。俺としては、さっきみたいに笑ってくれただけで嬉しいのに」
「笑ってたんだ」
「顔全体にじゃなくて、目元だけね」
「それも、アシュリーにだけ見せてる笑顔なんじゃないのかな」
「だからやめてよ、そういうのさー……」
さっきまでへばりついていた壁に、今度は背中を預ける。
「期待しちゃうと俺、また距離を一気に縮めたくなりそうだもん。今がチャンス! みたいにさ。戦でそれはありな戦法だとしても、恋愛には通用しないでしょ」
「いい加減、ちゃんと告白してみたら? 毎回ふざけてるじゃない。あれじゃあ、エマも本気にしかねるよ」
「……ふざけてないのも一度してる」
「あ、それで関係性が変わってきたんだ」
「ちゃんと俺を見てってお願いはしたよ。今の俺は審査されてる側っつーか……」
「審査されてるって、それ、今までと何が違うのさ」
「向こうの本気度? 軽く流されてはない……はず、たぶん」
「たぶんって便利な言葉だね。そうやって、本質をうやむやに出来る」
「痛いとこ突いて来るなぁ……」
「君がいてくれるから僕は国王として、存分腕を振るえてる。でもね、君もいい加減ひとりで抱え込むのはやめていいはずだよ。
「息抜きねー……」
それも確かに必要だ。
「ぅんじゃ、久しぶりにひとりで汗でも流すかな」
「僕が言ってるのは、伴侶とふたりの時間って意味だよ?」
「知ってますー。でも、さすがに今すぐは無理」
「君が逃げないでくれるなら、タイミングはご自由に」
「はいはい。……で? 何しに来たのさ」
「大々的な山狩り、いつにするかは天候次第だったでしょ? 天気予報士の最新情報だと、まだしばらくは風が強い空模様だって。雪はまだでも風のせいで匂いが散るから、もうしばらく山狩りは待つべきだってさ」
「りょーかい。ま、当日突然決行でも大丈夫なぐらい、こっちの準備は出来てるし。臨機応変に対応していきますよー」
「うん、よろしくね」
アレクの用件も聞き終えた後、剣と水筒を持ち、向かうのは俺の秘密基地。
室内で剣を構えて、軽く素振りを開始。最初は寒いと感じていた体が温まってきたところで、さらに一振り一振り集中する。
ヒュンッという音が一定間隔で室内に響き出すと、頭の中は真っ白になっていく、この感覚が俺は好きだった。
そのまま数分も経てば汗が滴り落ち、水を飲んでまた繰り返す。
「あー……気持ちいいなー……」
もちろん毎日鍛錬はしていても、外でのこういう時間はまた別格だ。
「もう100回」
着ていたシャツを脱ぎ捨て、剣と腕が一体化する感覚になるのも楽しみつつ、俺は剣を振り続けた――。
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