第12話

「なるほど、穴場ですね」

「でしょー? 前王の時代までは、庭師の休憩所だったらしいよ。ぅんでもアレクは興味なくて、俺の好きにしていいって。だからちょいちょい手を加えて、城内にある秘密基地にしちゃったってわけ」


 お茶を飲みながら始まるのは、いつもの質問とは少し違った。


「たまには、君が俺に質問したら? いっつも俺ばっかりだしさ」

「質問ですか……」


 手合わせをしない理由は、もう知った。

 父親のことなど彼の過去を知りたい気持ちはあるが、あまりにも立ち入った話題だ。

 アシュリー様の「質問したら?」に、そこまでの重さはなかった。あくまで日常的な部分での質問を受け付けているのだとしたら、この質問しか思い浮かばない。


「アシュリー様は、おモテになられます」

「へ?」

「町の見回りなどでお嬢様がたから、今日はアシュリー様はいらっしゃらないのですか? と、問われるのです」

「あー……それね。町の子たちのアレは、軽くあしらって大丈夫。一種の熱病みたいなもんで、冷めるのも早いのよ。ほら俺、ご覧の通りで見た目は天使だし職業は騎士団長だし、伴侶もまだいないし」

「選ばれないのですか」

「俺、エマちゃんが好きだって何度も言ってるよね?」

「わたくしも何度かお伝えしております。自分が誰かの伴侶になるという想像が出来ません。結婚したいと思っていないからだと推測しております。これは、相手がアシュリー様でなくとも同じ返事をいたします」

「俺を好きになっても?」

「その状況下にないので、返答しかねます」

「そりゃそうなんだけどさ。可能性ってのもあるじゃない。はいといいえの間にある答えも大事よ?」

「おっしゃる意味は理解出来ますが、これがわたくしなのです。アシュリー様のように軽やかな性格にもなれませんし、陛下のように穏やかな雰囲気も出せません」

「君のそういうところも、俺は好きだけどねー」

「珍しいだけかと。そのうち飽きられます」

「飽きられた経験あんの?」

「恋愛経験も、誰かとお付き合いした経験もないので――……」


 ああ、そうだ。これも伝えておくべきだろうか。


「ちなみにわたくしは、まだ処女です」

「ふぼっ……!」


 お茶を飲んでいたタイミングでの発言だったからか、アシュリー様が盛大にむせた。


「ッゲホ! ごほっ……!」

「大丈夫ですか」

「大丈夫なわけない! つか俺、そこまで聞いてないよ!? 教えてもらったところで、やったー、エマちゃん処女なんだ! とか言わないよ!?」

「伴侶という関係には、性行為も含まれると記憶しておりますが」

「そうなんだけどそうじゃない感……!」

「男性にとって、結婚相手側が処女であるかそうでないかは、重要ではなかったのですか?」

「……月並みな台詞ですが。俺は、エマちゃんがどっちだろうと関係ない」

「では、アシュリー様にご経験は」

「――――」


 唇が、ピクリとも動かなくなる。

 しばらくの沈黙後、アシュリー様はちびちびとお茶を飲みだした。


「……あるにはあるよ。ただ、恋人を作ったことはなくて……」

「あれほどファンがいるのにですか」

「うちの騎士団、恋愛は自由よ。誠実であれ、不義理はしない、相手を敬うといった規則は当然あるけどね。ただ俺の立場上、街で騒いでる子たちに、可愛いからって手を出すわけにいかないのよ。遊びではなく本気だとしても……相手は一般人だもん。その点、きっちり商売としてくれてる女性のほうが、金銭のやり取りで終わる。それだって、ちゃんとした紹介でお願いしてた」

「街の女性だろうと、本気ならば良いのでは?」

「……俺に向けて、一生懸命手を振ってくれる子たちも可愛いよ? 嬉しくもあるよね、誰かからの見える好意っていうのもさ。でも俺、ああいう子たちの想いに応えられない。末永く一緒に、なんて想いにはね」


 小さなテーブルに水筒を置いて、アシュリー様がだらしなくソファーへ背を預ける。


「だって俺は、騎士団長なんだ。騎士団長は有事ゆうじの際、自分の家族よりも真っ先に国王陛下を守りに行く。それっていうのは、一番に死ぬ可能性が高いってこと。嫌でしょ? 自分の夫がいつ死ぬかも分からないのに、家でひとりで待ってるなんて。俺も、自分の奥さんにそんな悲しい思いはさせたくないんだ」


 いつもどおりの笑顔。

 いつもどおりの軽い口調。

 この人は、本心ですら見えないオブラートで、悲しみや辛さを包むのか。

 そんな彼に何か伝えたいのに、その「何か」が判然としない。こんなもどかしさも、私は経験がなかった。


「まーね。国王陛下であるアレクが、騎士は国王のために死ぬのではなく、守るべき弱者のために生きろって考えだからね。俺もこのまま戦のない平和な国であるよう努めるし、簡単に死ぬつもりもないけど死なない保証もない。だから俺は、強い子が好きなの」

「自分の夫が死んでも泣かないような?」

「泣いてくれていいよ。死んだら忘れてくれてもいい。顔も、声も。徐々に記憶から薄れて、名前だけが残るんでもいい」

「それは、あまりにも残された側が悲しいのでは……」

「うん。だから俺は、伴侶に強い子を……君を望んでる」


 彼の背筋がしっかり伸びて、向けられる眼差しも声色も真摯しんしであった。


「俺がそういう仕事を持つ男だって、ちゃんと理解してくれてないと駄目なんだよ。だって、俺が死んだら俺は自分の奥さんを守ってあげられない。子供がいたら、その子供も。死んでも大丈夫な環境は作ってあげられても、抱きしめてはあげられない。自分の身を自分で守れる、俺の代わりに子供を守る、それぐらいの強さを持ってないと。そういう意味でも、エマちゃんは超理想」

「強いからですか」

「見た目も大好き。その黒髪を俺が毎朝梳かしてあげたいし、漆黒オニキスの瞳で俺だけ見つめてほしい。クールな性格だって大好き。俺、エマちゃんとなら安心して家庭を築ける。これ、プロポーズよ?」

「…………」


 さすがに「ご冗談を」と言える雰囲気でもなく。かろうじて視線は逸らさずにいられたが、すぐに口は動かなかった。


「……とかねー。君が困るの知ってて言っちゃう、俺も俺だよね。完全に拒絶されるまでは……なんてのも、俺の勝手な言い分だし」

「わざと冷たい態度など取りたくありません。ですが、わたくしのこの態度がアシュリー様を惑わせているのだとしたら……」

「冷たくしちゃう?」


 本音を言えば、したくはない。

 出会ってすぐの頃とは違い、彼は良識人であり信念のある、尊敬に値する人物であると私は知っている。

 けれど彼の伴侶になる自分が、やはり脳裏に浮かばなかった。

 ならば、嘘でも冷たくしたほうがいいのだろうか。そうしたら彼は私に遠慮し、今みたいな時間を作ろうとしなくなるのだろうか。


「…………」

「あー……うん、ほんとごめんね?」

「いえ、こちらこそ……」

「…………」

「…………」


 気まずい雰囲気の払い方も分からず完全にうつむいていると、アシュリー様がソファーから飛び立った。


「ちょっと待ってて」


 ひとりきりになれて、フッと体の力が抜ける。


(受け入れられないなら、団長と団員というだけの関係になればいい。アシュリー様も納得し、必要以上、接するのをやめるはず……が、困りました。わたくしは、それがどうやら嫌なようです)


 子猫キトゥンブルーの瞳が、こちらに向かなくなるのが。

 真っ直ぐな想いが、こちらに向かなくなるのが。

 なのに私は、彼の気持ちに応えられないと言う。

 なのに私は、ふたりきりにもなって相手に期待させてしまっている。


(女としてというより、これは人間として失格なのでは……)


 胸の痛みを減らしたいとため息をついても、減るはずもなく。

 アシュリー様にこの感情を伝えるべきかも迷っていると、ドアが開かれた。


「はい、エマちゃん。これあげる」


 戻って来たアシュリー様の手に、小さな花束。


「前ね、アレクに花でも贈れって言われてさ。本当はもっと綺麗な部屋で、売られてる花束を贈るほうが女の人は嬉しいんだろうけど……俺、エマちゃんは野花なイメージなんだ」

「わたくしが野花……」

「力強く地に足つけて、太陽に向けて花開く感じとかがね。真っ直ぐで強くて…………君は綺麗だよ」

「っ……」


 今までにない甘さを含んだ声色に、耳の奥がくすぐったくなる。


「俺を期待させてるとか、悩まないでいいよ」

「ですが……」

「俺の勝手で独りよがりの感情に、君は振り回されてるだけなんだ。君はなんにも悪くない。ただ、騎士団長じゃない俺って男を知って、それから返事をちょうだい? 俺の想いから、わざと視線を逸らされるほうが辛いよ」

「……はい」


 花束を受け取れば、アシュリー様がパアッと顔全体で喜びを表してくれる。


「ありがとっ。じゃあ、そろそろ戻ろうか」


 ことさら明るく言い。私を部屋まで送ってくれると、アシュリー様は誰にでもそうするように、バイバイと手を振り帰って行った。

 私室で、コップに野花を生ける。可愛らしく綺麗で、彼の目に私はこんなふうに映っているのだとしたら……。


 思い立って、閉じたままの窓から空を見上げる。

 すっかり日は暮れ、姿を表していた月は直視出来た。太陽とは違い、柔らかい光だから直視出来るのだ。


「……アシュリー様」


 その柔らかな強さに触れてみたいと手を伸ばしたのに、私の指は窓の冷たさに阻まれた――。


 **********


 親愛なるお父様、お母様へ


 お父様、お母様、お久しぶりです。 

 以前のお手紙に書かせていただきました、難題の件を覚えていらっしゃるでしょうか。これはクリア出来たと、ご報告させていただきます。

 とはいえ「どうにかクリア」程度でもあり、わたくしには至らぬ点が多すぎると実感しました。今は新人として許されているだけで、そうではなくなった時。私は、アシュリー様の役立つ者となっていたいのです。


 彼は真面目であり、誠実で、尊敬に値します。わたくしも彼のようになりたいと、願わずにはいられません。

 なぜなら、強い彼を守れる者がいないのだと気づいたからです。それは、あまりにも不公平ではないでしょうか。


 アシュリー様は優しい方でもあります。きっと自分よりも相手を守るため、迷わず飛び出すのでしょう。その時に、少しでも彼を守れる者であればと願うのです。


 まだまだやるべきことは多いですが、わたくしの日々は充実しております。

 お父様もお母様も、お体を大事にお過ごしください。また、お手紙させていただきます。


 エマ = ウィルバーフォースより

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