人芥者

城戸なすび

 

 気付けば見慣れた場所に立っていた。

 それは私の生まれ故郷──地元だとすぐに分かった。


 懐かしい通学路、けれどそれ以外はまるきり意味が分からない。


 何故、自分はここにいるのだろうか?

 ──二十歳になる前、高校を卒業した私は就職の兼ね合いで、地元を離れ少し遠くに引っ越しをした。帰省することは勿論あるが、今はもはや住み慣れた一人暮らしの我が家で床に就いていたはずだ。


 何故、こんなにも人が多いのだろうか?

 ──まるで都会の街並みのように、多くの人が行き交っている。この地域は田舎とは呼べないまでも、こんなに人の多い町ではなかった。


 そこまで考えて、そして合点がいった。


 ああ、ここは夢の中だ。


 この支離滅裂な現状も、タネが分かってしまえばどうということもない。

 

 どれ、少し散歩でもしてみるか。

 

 話には聞いていたが私は所謂"明晰夢"というものを体験したことがなく、これが初めてのことだったので少しワクワクとした気持ちになっていた。のだが、それにしてはどうにも様子がおかしい。


 体が動かないのだ。

 

 普通、明晰夢というのは夢の中で『これは夢だ』と気付くことにより、瞬間移動したり空を飛んだりと、自由に行動できるようになる……というものではなかっただろうか? ならば、何故動けないのだろうか? これではまるで金縛りではないか。

 

 そんな疑問は、唐突に聞こえてきた声によって思考の水底に沈んでいった。


「■■■……■■■……■■■……」


 なんだろうか。


 それが人の──低い男の声だというのは理解できるのだが、ハッキリと聞き取るにはあまりにも距離が遠く、またモゴモゴと呟くような発声のため内容が分からない。


 その声に意識を集中させ、耳を澄ましていると、それはどんどんと近付いてくる。


 その速度は常人の足では考えられない程で、まるで全速力で走っているか、さもなければ一歩一歩がとても大きい巨人にしか有り得ないだろう。


 この時点で、何か嫌な予感が悪寒となって、足のつま先からうなじの方へ這い上がってくるのを感じていた。

 

 けれど、体が動かないのだ。

 

 結局どうすることもできず、ただじっと、その声の正体がやって来るのを待つことしか私にはできなかった。


 そしてそれ・・は現れた。

 

 住宅街の曲がり角、ちょうど角の家のおかげで死角になっていた場所から、まるで通勤通学する一般人のような態度で。


 見た目としては白地の黄ばんだタンクトップに、黒寄りのグレーのジーンズ。

 何故か靴だけは履いておらず裸足の、三十代ほどの細身な男だった。

 その目は大きく、ギョロリとしながらも焦点が合っておらず虚ろで、頬は痩せこけ、そのくせ顔色は良い。


 どこかアンバランスな感じを漂わせるその男は、一概に言ってしまえばホームレスのような雰囲気ではあったが、何より異常だったのはその身長だった。


 およそ七メートル。

 

 世界で一番身長が大きい人間でも二メートル半であることから、目の前にいる男はその約三倍もあることになる。


 ここは夢の中だから不可思議な現象もなんでもありなのかもしれないが、ようやく明瞭に聞き取れるようになった男の呟きだけは『これは夢だから』と聞き逃すことができなかった。


「手……手……手……」


 先程からずっと聞こえていた男の呟き。

 それはひたすらに『手』と連呼しているものだったのだ。


 男の手を見ても、特におかしな部分は見受けられない。

 怪我をしてうわの空で呟いているわけではなさそうだ。


 であれば、『手』がどうしたのだろうか?


 白状しよう。この時点で、男の言っている意味が私にはなんとなく分かってしまった。


 彼は、『手』を欲しているのだ。


 ちょうど答え合わせのように、男の虚ろな眼球が道行く一人の男性を捉えた。


「手……手……手……」


 うわごとのように呟き続けながら、男は会社員らしき男性に近付いていく。


 常識では考えられない大男が、怪しげな雰囲気を醸し出しながら歩いているというのに、人々は何も気にならないといった様子で歩き続けている。


 そして、あっという間に男の巨大な手が男性を捉えた。


「おい、なんだよ!? うわぁぁぁああああああ!?」


 男の風貌にではなく、唐突に捕まえられたことに驚いたような声を上げた男性だったが、その直後に濁声の混じった悲痛な叫び声を上げる。


 無理もない。

 ぶちぶち、ぶちゃぶちゃと音を立てて腕が肩から引き剥がされたのだから。


「手……手……手……」


 噴水のような血しぶきにも、男性の絶叫にも男は関心を示さず、ただひたすらに『手』と呟きながら男性の腕を見つめている。

 

 その傍らでもう用済みとなったのか、男性はあっさりと解放され、そして落下の衝撃で地面に転がりながら、失った腕の方の肩口を残った手で抑えてうめいていた。


「手……手……手……」


 言いながら男は、その手の大きさからは想像もできないような器用さで、奪った男性の腕から手の部分だけを千切り取る。


 今見ている光景、そして今居る場所が夢の中だということを忘れかけるほどのリアリティが、そこにはあった。


 そして男は無感情な表情のまま奪い取った男性の手を見つめ、おもむろに飲み込んだ。


 そして再び歩き始めるのだ。


「足……足……足……」


 今度は足か、と私は絶望した。

 

 手で終わりではなかったのだ。

 

 それと同時に、この起こり始めた惨劇に巻き込まれるわけにはいかないと強く思った瞬間、今まで強い力で締め付けられるように動かなかった体が自由になった。


 ──否、自由とは言えなかった。


 そう、まるで何者かの意思によって操られているかのように、男の進行方向に向かって体が勝手に走り始めたのだ。


「イヤァァァアアアアアア!」


 次は女性が目を付けられた。


 今度は酷かった。

 男性の時の仕打ちがまだ優しいと思える程だった。


「足……足……足……」


 男は女性の両足を片手で掴み、宙ぶらりんの状態にした後──腕を振り上げて女性を地面に叩きつけた。


 足を掴んで離さないまま、何度も何度も。


 形容し難い破裂音が辺りに繰り返し響き渡り、オレンジ色の煉瓦の道が赤く染まっていく。


 やがて完全に弾け飛んで地面の染みとなった女性の上半身には目もくれず、残った下半身から片足だけを引き千切った男は、またしてもそれを一瞥した後飲み込んだ。


 悪夢はまだまだ続く。


「目……目……目……」


 とある青年は、頭を圧し潰されて眼球を奪われた。


「指……指……指……」


 とある老人は、踏み潰されながら指を奪われた。


「小腸……小腸……小腸……」


 とある少女は、上下に引き裂かれて腸を奪われた。


 他にも、ありとあらゆる人間が、男の呟いた部位の通りの場所を奪われ続けた。


 私は勝手に体を動かされ、その一部始終を見続けることしかできなかった。


 なんと最悪な夢だろうか。

 自分が何かに追いかけられる、惨たらしく死ぬ夢なら何度も見たことがあるが、まさか他人が被害に遭う光景を延々と見せ続けられる夢を見る羽目になるとは。


 これならば、まだいつも通り、何かに追われる夢の方が良かった。

 あるいは、自分がさっさと例の男の標的となって殺されてしまう夢であればどれだけマシか。


 誰かが男に目を付けられて殺され、その際に上げる悲鳴を聞く度に、心が引き裂かれるような苦痛と息苦しさを味わう。

 男の猟奇的な行為に対する恐怖より、『もうやめてくれ』という懇願の感情がいつしか大きくなった。


 しかしそんな願いは虚しくも聞き届けられず、その後も男が誰かのパーツを一つずつ奪う凶行が続いた。


 たちが悪いのは、その部位が大雑把なときもあれば細かいときもあって、似たような部位を奪うパターンがあることだ。


 既に挙げた行為で言うならば、『手』を奪ったにも関わらずその後に『指』を奪った例だろう。

 これによって、次はどこを奪うのか、何が残りの足りない部位なのかを予測することが困難になるのだ。

 中には私の知識には無い部位を欲する時もあり、それが更にこの悪夢をただの『悪夢』と片付けていいのかと私を悩ませる要因になった。


 そして、気の遠くなるような惨殺劇に一筋の光が見える。


 それまで、どれだけ近くに居ようとも私に一切の興味を示さなかった男の瞳が、遂に私を捉えたのだ。


 今まで散々見せられてきた被害者たちのような仕打ちを、今度は私が受けることになる。


 けれどそこに一切の恐怖はなく、むしろようやくこの悪夢から解放されるという喜びの方が強かった。


「脾臓……脾臓……脾臓……」


 どうやら私は脾臓を奪われるらしい。

 

 再び動けなくなった体を無視して、私は男をじっと睨みつけた。


 男の手が迫り、頭を押されて無抵抗に地面に倒れ込む。


 そして男は、相変わらずその大きさでどうやっているのかと疑うほど器用な手つきで、私の腹部を破り始めた。いや、ほじくり始めたという方が正しいのかもしれない。


 夥しいほどの出血量と、耳障りな湿った音。


 けれども思わず叫んでしまう程の激痛はなく、自分の体内を抉られる不快感とピリピリしたような痛みを感じるだけだった。

 なるほど、こういう部分はまさに夢という感じだな、なんて暢気に考えもした。


 やがて男は臓器を取り出し、それを少し見つめた後、いつものように飲み込んだ。


 しかしそこまで見届けたというのに、どういうわけか私の意識が覚醒することはない。


 おかしいと思った次の瞬間、私は深い絶望に囚われることとなった。


 既に夢の中での私の肉体は息絶えたというのに、意識だけが相も変わらず男に追従するのだ。

 

 どうやら終わってくれないらしい。男が欲する全てのパーツを集めるまでは。


 血と、肉と、絶叫と、男の呟き。


 直視することをやめ、感情を放棄しようとしても、私の思考は明瞭なままで目の前の光景から逃げることを許してくれない。


 どれだけの人が死に、どれだけのパーツが奪われただろう。


 やがて男のボソボソとした呟きが止み、気付けば私の意識は男共々どこか薄暗い地下に移動していた。

 遠くからは水の滴る音が聞こえ、心細い蝋燭の灯りだけが光源だ。

 男が直立していても問題ないことから、天井はかなり高いということだけは理解できる。


 ふと、闇の中から一人の男性が現れた。


 壮年後期といった様子の白髪の多い男性で、一目で分かる上質な黒いコートを着た人物だ。

 目は生気に満ち溢れていながら、顔色は死人のように青白かった。


 男が襲わず、それどころか恭順のような姿勢で佇んでいることからも、きっとこの男性は男の主人のような立場だろうことは想像できる。


「ご苦労様」


 男性が穏やかな笑みを浮かべながら言う。


「沢山集めたね。では、それを返してもらおうか」


 そう言って男性が足で地面をコンと鳴らすと、男が仰向けに倒れ込んだ。


 そして、男の周りに透明な人影がわらわらと集り始める。


『足、足、足』

『目、目、目』

『胃、胃、胃』

『脳、脳、脳』

『蝸牛、蝸牛、蝸牛』


 人影たちは呟きながら、男の体からパーツを一人一人抉り始めた。


「あは、あはははは、あは、あは」


 男は一切の抵抗を示さず、それどころかどこか愉快そうに笑い声を上げるだけ。


 そして、そこでようやく目が覚めた。


 ベタな怪談のように『飛び起きる』なんていうことはなく、本当に自然な形で、目が開いたのだ。

 心臓は少し鼓動が早かったが、それ以外に特に体に異常はなく、もちろん腹だってきちんと中身があり、皮があり、塞がっていた。


 けれども心の中に蓄積された不快感や嫌悪感、恐怖は残ったままで、私はその日の内に何人もの友人にこの話をした。


 皆一様に『確かに怖いし不気味だけど、ただの夢だろ? 良かったじゃないか』という反応を示したものだ。

 

 私とて夢の中の出来事だというのは分かっている。

 だが、ただの夢と片付けられない程にハッキリした光景だったのだ。

 何より、時間が経てば少しずつ記憶が朧気になっていくいつもの夢とは違い、その悪夢はどれだけ経っても忘れることができなかった。


 それから数週間が経ったある日。


 友人の一人と、いつものように通話をしていたときのことだ。


『なぁ、この前言ってた夢さ……なんだっけ、変なデカい男が人から体の一部を奪ってく、みたいなやつ?』


 何やら消沈したような声で友人が語り始める。


『あれ……なんでか分かんないけど、この前俺も見ちゃったんだよね』


 確かにあの凄惨な夢の中にいた最中は心が壊れそうになるほど辛かったが、ある程度時間が経った今では半ば面白い体験に昇華しつつあった私は、笑いながら『本当か』と尋ねた。


 訊けば、友人は"脛骨"という膝から下、足首の上にある骨を奪われたらしい。

 それから、惨劇の舞台となったのはやはり友人の地元だったとも。

 妙だったのは、友人の場合は最後に男の前に現れたのは男性ではなく老婆だったということだ。


 細かな違いを不気味に思いながらも、私は『きっと無意識に怖いと感じたから、プラシーボ効果的なもので似たような夢を見ただけだろう』と慰めてその話を終えた。


 しかし、似た夢を見たのはその友人だけではなかった。


 全員ではないが、他にも数人。同じような夢を見たと言い始めたのだ。


 夢の流れに大きな違いはなく、共通しているのは巨大な男が人を襲い、その身体の一部分を奪うということ。

 それから、自分は途中までその光景を強制的に見せられ、その後自分もどこかを奪われること。

 夢の最後には必ず謎の人物が現れて、男が大勢の人影に、今まで他者にしてきたように体の様々な部位を奪われていくこと。


 違うのは、それぞれが奪われた部分、そして最後に現れる謎の人物の性別や年齢と容姿。


 聞いたとき、私は自分の耳を疑った。

 まさか夢を話したことで、それを聞いた人間にも伝染する……なんていう話が本当にあるものかと。


 それからそういった話のお決まりごとである『誰かに話すまでいつまでも同じ夢を見続けるパターンかもしれない』と考え、私の場合、見たその日の内に誰かに話したから同じ夢を見なくて済んだのかもしれないとも思った。

 

 しかし幸いなことに、友人たちは見てから数日は経っているが同じ夢を見たことはなく、また、話したのも私が初めてだと言う。


 このことから、どうやら例の夢を見るトリガーとなるのは『この夢の話を聞く』という部分らしいと結論付けた。

 しかし、聞いたとしても『見た人間』と『見えなかった人間』がいる部分に関しては、どういう理由なのかは分からずじまいだ。


 とりあえずの危険性があることから、私は友人たちに『この話をこれ以上広めないように』と告げ、事件は終着を迎えた。


 本当に酷い悪夢だった。











 さて、ここまで読んでいただいた多くの方が、そのような夢を何故、多くの人間が見るであろうここに書いたのか? とお思いのことだろう。


 本当に申し訳ない。


 ただの実験だ、と言い切れればよかったのだが、どうにも最近、妙な考えが私の頭を支配している。


 それは、『この夢を多くの人に伝えなければならない』というものだ。


 これが私個人の感情なのか、それとも何か別のものに支配されているのかは定かではない。


 本当に申し訳ない。


 だが安心してほしい。

 この話は小説として公開するにあたって、若干の加筆や虚妄を加えている。


 だから信じるも信じないもあなた次第だし、きっと同じ夢を見ることはないだろう。


 もし見たとしても……




 それは夢。ただの悪い夢なのだから。

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