セカイエディット

ばろっく

プロローグ

研究所にて

 ついにこの時が来てしまった。射干玉檜扇ぬばたまひおうぎはその知らせを聞き、しかめ面で宙を睨んだ。軍には最前線で戦ったものもいるのに、一研究所の監視役をしているにすぎない自分が甘えた考えでいることは到底許されない。それは分かっているが、しかし。

「虹……。」

遠く、関東にいるはずの息子を想う。今はもう、この研究所の子どもたちと同じくらいの大きさになっているだろう。ここの子どもたちに妙に心を許してしまっていたのは、どうしても彼らを息子の代わりと思ってしまうからだ。


去る2395年3月18日に締結されしハーグ条約第五条第一項に基づき、理化学研究所種子島支部を閉鎖する。これに伴い、2401年4月1日、研究所内で作成された『電脳』の一斉処分を執り行う。


 とは、中央政府から来た通達である。条約締結は5日前だ。この混乱の中、政府が対応を急いでいることが分かる。ただでさえ日本はクーデタの影響で国際社会からいい顔をされていないので、言いなりになっておくしかないのだろう。しかし、いくら『電脳』保持者とはいえ人間だ。処分だなどと、これではまるでモノのようではないか。国も国連も、「戦犯」をはき違えている。兵器として造られてしまった彼らを殺処分すれば平和が戻る、という単純な話ではないだろうに。そうは思うが、しかし檜扇には、これに逆らえるほどの力はない。そもそも、処分を実行するのは檜扇ではないだろう。政府が適当に部隊を見繕って送ってくるはずだ。抵抗など夢のまた夢。自分はただ、そいつらが子供たちを虐殺する様を眺めていればいい。心は痛むが、戦後処理が終わって平和になれば息子にも会えるようになるかもしれない。現に、500年ほど前の二次大戦ではそういう家族も多かったと聞く。なら、今はこの仕事を最後まで完遂し、中央からの評価を上げておこう。4年前のクーデタで軍部による独裁体制が敷かれているのだから、そう単純にはいかないかもしれないが。

 ガチャリ。唐突に響いたドアの音に、思わず檜扇はしかめ面のままそちらを振り返る。結果的に睨まれる形になってしまったドア口の人物は、びっくりした様子でこちらを伺った。

「なんだ、杏か。」

その人物は、子どもたちの中で唯一自由に出歩くことができる千葉杏ちばあんだった。今は軍事訓練の時間のはずなので、誰にも構われず退屈したのだろう。戦争が終わったのだから、訓練だってやめればいいのに。

「おっちゃん、すごい怖い顔してるね。息子さんにでも何かあったの。」

「おいおい、訓練も『姫』も放り出しておさぼりか?」

すぐさま表情を取り繕い、できるだけ平静を装う。

「『姫』は本読んでたら寝ちゃったんだよ。だからさぼってるのは訓練だけ。でも私は見学しかさせてもらえないし、どっちにしろ今は何もしなくていい時間なの。おっちゃんだって分かってるでしょ。」

それより話を逸らさないでよ、と杏はこちらをギュッと睨む。さっき睨まれたことのお返しのつもりだろうか。10歳と思えないほど賢い子だが、こういうところはまだ子供らしい。思わず顔が綻ぶ。

「悪い悪い。まあ、俺のことはあんまり心配しなくて大丈夫だ。ちょっと寝不足でな。」

「ふうん。ま、いいや。それより今日も訓練つけてよ。さっき見たら裏庭は誰もいなかったよ。行こ。」

「やる気があっていいことだが、俺はあんまりコマンドを教えられないぞ。お前、コマンド使わない単純な組手はあんまり好きじゃないだろ。」

「組手なんて絶対しないよ。おっちゃんは私がコマンドの練習するところ見ててくれたらいいから。あとはいつもみたいに誰か来ないかの見張りね。」

我儘な子だ。でも、彼女が我儘を言える存在は檜扇しかいない。はいはい、と苦笑して、デートの誘いに乗ることにした。

 コマンドとは、電脳手術を受けた人間が使えるようになる能力である。コマンドは一人に一つ。コンピュータマイクロチップを脳に移植するだけで、なぜそのような力が芽生えるのかは誰も知らない。人類はこの47年間、理屈も分からない力を使って戦争してきた。当然、支払った代償は果てしなく大きい。だから、ハーグ条約で電脳から足を洗おうという国際社会の動きも、至極真っ当なものだ。電脳保持者たちの人権を考慮しなければ、であるが。しかもそれで処分されるのが、実際兵器として働いた大人ではなく、まだ戦争を知らない子供だというのだから理不尽極まりない。

 檜扇も電脳保持者だが、杏のコマンドの性能は、檜扇の頃のそれより大きく進歩している。とてもじゃないが相手にならない。だが、杏が訓練を頼んでくれること自体は嬉しかった。いそいそと準備を済ませ、杏の後に続いて裏庭へと向かう。

 裏庭は、杏の言う通り閑散としていた。他の人たちは研究所から少し離れた運動場にいるらしく、そちらから賑やかな声が聞こえてくる。そこにいない人たちも、大方地下の研究施設だったり食堂だったりにいるのだろう。これなら安心だ。杏に「いつでもいいぞ」と合図を出す。

「じゃ、見ててね。」

そう言い終わるか終わらないかのうちに、彼女の姿が朧になり、瞬く間に見えなくなった。流石だ。と、再びその姿が見えた時、彼女は火の粉を散らしながら研究所の窓枠に乗っていた。直後、周囲にキィンとつんざくような音が響く。

「おぅい、バレるぞそんなとこ登っちゃったら。ただでさえお前のは音がでかいんだから、もうちょっと慎重に使え。」

 杏のコマンドは「加速」。使用中、体のあらゆる動きが数千倍になるという恐ろしい力だ。とはいえ珍しいものではなく、檜扇の時代からあったのだが、一度使うと使用者の体が空気摩擦で燃え尽きてしまうのが欠点で、まともに使えないコマンドとして有名だった。杏の場合も研究員にそう判断され、皆と一緒にコマンド訓練を受けることを禁止されてしまった。当然だ。一度使うと死んでしまうコマンドなど、自爆特攻にしか使えない。まして戦争が終わった今、そんな力に使い道はなかった。

 だが、杏はコマンドで自滅しなかった。偶然それを発見したのは檜扇だ。以来、暇を見つけては彼女のコマンド練習に付き合っている。

「じゃ、今度はそっち戻るね」

再び彼女の姿が霞み、次の瞬間には檜扇の目の前に現れる。拍手。杏は「やりぃ」とガッツポーズをしている。最初の頃はすぐに転んでしまっていたものだが、本当に上手くなった。しかし、発汗が凄まじい。まだまだ力を使い慣れていない証拠だ。あと一、二回で完全に息が切れてしまうだろう。とはいえ、10歳のうちからここまで出来ているだけでも相当すごいのだが。

 ふと、正門の方から話し声が聞こえてきた。来客だ。この研究所の閉鎖に向けて、これからはこういったことが増えるだろう。杏の相手も今日が最後かもしれない。

「不味い、杏。お客さんが来たみたいだ。今日はもう『姫』のとこ戻れ。」

「ええー。まだ始めたばっかりなのに。」

ぶつくさ言いながらも、賢い彼女はてきぱきと荷物をまとめ始める。本当にいい子だ。せめて彼女だけでも、自分が引き取れないだろうか。彼女がコマンドを使えることは自分しか知らない。であれば、見逃してもらえる可能性も無くはないだろう。希望的観測にすぎないが、そうでも思わないと心が折れそうだ。

「じゃあ、また後でな。俺は所長さんのところ行ってくるから。」

「うん。あ、そうだ。今日『姫』のところで一緒にお昼食べようよ。」

「いやあ、今日は難しいかもな。お客さんも来てるしな。多分すぐ帰ってくれないと思うんだよ。」

「ちぇ。まあ別に今度でいいか。夜はどうせ『姫』の部屋閉じちゃうし。じゃ、今度ね。約束覚えといてね。」

「分かった分かった。じゃ、今度こそ行ってくるな。」

いってらっしゃーい、と送り出してもらって、玄関へ向かう。話し声が鮮明になってきた。どうやら所長が直々に出迎えているらしい。いよいよ中央からの使いで間違いない。

「おお、来たか。射干玉ぬばたま君。現場監督として、君にも知らせておかなければな。紹介しよう。こちらが、今度研究所閉鎖に尽力下さる宮内少尉だ。」

所長が、玄関口にダルンと佇む男を示す。釣り目と、少し生えた顎髭が特徴的だ。歳は30手前だろうか。若い。檜扇より二回りほど年下に見えるが、いやに抜け目のない雰囲気を纏っている。それに、少尉といえば檜扇より上官ではないか。まあ元々ここは窓際部署なのだから、どちらにせよこちらの方が立場は下だが。

「お初にお目にかかります。自分は、陸軍九州分隊所属の射干玉檜扇伍長であります。」

お互いに敬礼を交わす。敬礼など久しぶりにした。場違いな感慨を抱いてしまう。

「射干玉伍長、ご苦労様です。この度、臨時で九州分隊に配属されました宮内投真みやうちとうま少尉であります。以後、ここ種子島研究所の閉鎖処理をお手伝いさせていただきます。」

見た目の印象以上に礼儀正しい。

「それで、今回は配属のご挨拶で?」

「それもありますが、もう一つ、中央より秘匿事項を預かってきております。」

「秘匿事項……。」

所長と目を合わせる。どうやらあれのことで間違いないだろう。

「その様子では、お二人とも事情はよくお分かりのようですね。話が早くて助かります。」

「ええ、もちろんですとも。そうだ。こんなところで立ち話もなんですから、ぜひ中へお入りください。その方が話もしやすいでしょう。」

所長が宮内を招き入れる。ぬかった。杏を『姫』のもとにやるべきではなかった。『姫』との関わりが知られれば、杏もただでは済まない。これからあそこを案内する運びにならなければ良いが。しかし、

「いえ、お二人が事情をご存知であれば、特に私から話すこともありません。大事なことは中央からの書簡にすべて書いてありますからね。いやあ、用事が早く済みそうで助かりますよ。ははは……。」

あはは、と合わせて愛想笑いをする檜扇をしり目に、宮内はカバンから赤色の封筒を取り出した。

「所長、これを。」

「ええ。確かに。」

ではこれで、と、彼は軽く会釈をし、軽い足取りで帰って行ってしまった。あまりにあっさりと来客が済んでしまい、呆気にとられる。檜扇は所長と二人、宮内の背中が見えなくなるまでその場でぼうっとすることになった。

 中央からの書簡の内容は、驚くべきものだった。檜扇は所長と何度も顔を見合わせた。


最重要機密である『ID:8128』は、その特異性から、殺処分が危険である。よって種子島研究所は表向き閉鎖とするが、引き続き『ID:8128』の保管場所として稼働する。それに伴う職員の異動としては……


「引き続きここで一緒に過ごすことになりそうですね、所長。」

「うん。まあ私としては、身寄りもいないしその方が嬉しいがね。いやしかし、残念だな。『姫』以外の研究の成果は全部失うことになりそうだ。」

このクソじじいが、と言いかけて、やめた。研究者にとって、子供たちはあくまで研究結果に過ぎないのだ。やるせない気持ちでいっぱいだった。せめて、杏だけでも。

「所長、少し相談なのですが……。」

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