寺生まれのミカミ

桜田

第1話 姦姦蛇螺1

 俺も長年この業界にいるけど、本当の心霊現象っていうのはあるんだよ。……ほんとほんと、笑うところじゃないし。心霊ビデオをお前に依頼している俺が言っても説得力ないのはわかるよ。でも、あるんだよ。え? 聞かせてほしいの?

 いいけど……うーん、どうしよう。あ、いや別に秘密にしているとかじゃないんだよ。ほら、次のビデオって、まだ収録映像が足りてないじゃん。だったら、話しを聞いた代わりに、撮ってきてほしいかなって。

 本当に撮れなくてもいいよ。それだったらいつものように、やってくれればいいから。撮れた儲けみたいな感じでね。

 そういう場所に行くのって、平気? あ、いや、心霊ビデオを作るのは気にしないけど、心霊スポットに行くのは嫌だっていう奴もいるし。お前は?

 大丈夫? なら話すよ。ははは、なるべく怖くしゃべるから、お前も笑ったりするなよ。

 これは、俺が大学生の頃の話なんだけど……。




 昼間に、僕の敷地で、僕に無断で、僕がいる前で3人の男女が楽しそうにしている。

 ピンク髪の男はヘラヘラとした顔で、自撮り棒につけたスマホに向かって話し出す。軽薄そうな雰囲気の大学生ぐらいの男だ。

「はぁーいこんにちは! 生まれてから一度も心霊現象に巡り会ったことのない無霊能力のヘキオでぇす! そしてこちらがいつものメンバー」

 紫髪の女がヘキオの腕にギューと体を押しつける。

「ユミでぇーす!」

 コテンとヘキオの方に頭を乗せる。愛嬌のある顔立ちのユミは、ヘキオと同い年ぐらいだろうか? 髪色は派手だが、ピアスや指輪などの装飾品はない。

 最後のひとりは、二人に比べておとなしい男だ。肩まで伸びた髪はサラサラ、輪郭はシャープで鼻筋も通っている。中性的で妖しい魅力を持つ男は、向けられたカメラにペコリと頭を下げる。

「寺生まれのミカミです」

「ちょっ! ミカミもっと気持ち上げてよ! なんとこのミカミは、霊能力者なんです。しかも寺生まれ。もう寺生まれのTさんよりもすごいという評判です」

「そうそう。どんな霊がいるのかとか、ここで昔なにがあったのかすぐにわかるんだよねぇー」

「ええ」

 テンションを上げて陽気に話すヘキオとユミの言葉に、ミカミは少し笑みを浮かべて頷くだけだった。中性的な容貌が相まってミカミの仕草はとても様になっていた。彼が出ているのも霊能力者であることのほかに、その容姿で視聴者を増やそうとしているのかもしれない。

 そんなことを考えている間も撮影は進んでいく。ヘキオがカメラに手を振ると、カメラを下ろす。どうやらここでの撮影は終わったようだ。

 ヘキオもユミも、さきほどまでの、明るいながらも張り詰めた空気が弛緩している。無邪気にじゃれ合うヘキオとユミの表情は高校生ぐらいにも見える。

 ミカミは俺のほうに歩いてくる。

 あれ? もしかして俺が見えてる?

 彼と目が合う。ミカミは俺の横に立つと、タバコを取り出す。片手で1本取り出すと、ライターで火をつける。とてもスムーズな動作だ。彼は遠くを見つつ、小さな声で話し始める。

「騒がしくてすみません。お詫びに今度、お供え物持ってきます。なにがいいですか」

 驚いた。本当に霊能力者だったんだ。

「といっても、見えるだけですけどね」

「声に出ていた?」

「いえ、たまに霊の思っていることがわかるんです」

 ミカミは独り言のようにつぶやく。

 俺がいることを、ほかの2人には知らせないようにしているのかな。あの2人に教えたほうが盛り上がりそうだけど……。

「あまり霊がいることは言わないようにしているんですよ。ああやっているけど、本当に霊が見えたら怖がっちゃいますから」

 また俺が考えていたことがわかったんだ。

「いや、いまの顔で」

「そんなわかりやすい?」

「ええ。こんなに表情豊かな霊を見るのも初めてです」

「そうなの?」

「霊って普通は無表情で、こっちが話しかけてもボソボソと答えるぐらいですよ。あなたみたいにこんなはっきりと会話できるのは珍しいですよ」

「俺って珍しい霊だったんだ」

「霊自体が珍しいですけど。というか、ほかの霊見たことないんですか?」

 ミカミは声を殺して笑う。

「ないない。ずっとここに憑いてるから。地縛霊ってやつ」

「じゃあ、ここにはあなた以外の霊がいないんですね。それはよかった」

「いいの? 霊を撮りに来たんでしょ?」

 俺は、イチャイチャしているヘキオとユミを指差す。

 あ、いまキスしやがった。俺の土地で。

「映ったら映ったで面倒くさくなりますから。怖がりだから」

 霊が映ったときのことを思い出したのだろうか、顔をしかめたミカミはタバコの煙を吐き出す。

「そういう訳で、いいんですよ。それで、お供え物はなにが?」

「じゃあお酒がいいかな。日本酒」

 幽霊は飲み食いできない。けれど、お供え物に触れると味は感じることができる。幽霊になって初めてわかったことだ。嬉しくて近所にあった予約制のレストランに行った。

 でも……お供え物以外の食べ物じゃなんの味も感じることができないなんてなあ。

 だから、ミカミの提案は俺にとって非常にありがたい。

「美味しいの持ってきます。でも、あまり期待しないでくださいよ。金に余裕ないんで」

 ミカミは携帯灰皿にタバコを入れる。そして、ヘキオとユミのところに向かう。

 挨拶してくれたりお供え物を用意してくれたり、彼には好感を持てる。

「待って」

 俺が言うと、ミカミは足を止めてチラリとこちらをうかがう。

「じつは言ってないことがあるんだ。幽霊はいないけど、怪物はいるよ」

 ミカミが振り返る。その顔はこわばっている。

「人間の上半身に蛇の下半身の化け物。ほら、ネット怪談の姦姦蛇螺みたいの」

「それってここが発祥なんですか?」

「違うと思うよ。姦姦蛇螺って言ったけど、それとは別物。ネットだと女性の上半身だけど、ここにいるのは男性の上半身だし。それに楊枝とかもないしね」

 そう、森の奥にいるのは、ネット怪談で語られるような存在じゃない。

「でも安心して。化け物はしめ縄の囲いから出られないから。しめ縄の中に入らなければ安心だよ。それに森の奥に行かなければ安全だよ」

 ミカミは少し考えてから口を開く。

「……地縛霊って言ってましたけど、その化け物にやられたんですか?」

「うん」

 俺が頷くと、ミカミの肩がわずかに揺れる。俺の言葉は衝撃的なものだったようだ。

「忠告ありがとうございます。お供え物、奮発します」

 頭を下げたミカミは、ヘキオとユミたちと合流する。




 動画撮影が始まった。動画撮影をしながら進むヘキオとユミの後ろを、ミカミがついて行く。明かりはヘキオが持つカメラのライトと、ユミとミカミが持つ懐中電灯だけ。

 9月下旬に入っているが、夜になっても昼間の暑さが残っている。歩くだけでじんわりと汗が出る。

 ヘキオとユミは、自分たちが立てる草の音にも怖がるように歩いている。ヘキオが静かに話し始める。

「ここは昔、軍の基地があった場所らしいです」

「そうなの?」

 ヘキオとユミが、いま歩いている場所を、視聴者に向けて説明を始める。ヘキオが説明して、ユミが相づちを打つ。ヘキオが運営するチャンネルの基本スタイルだ。

「戦後にアメリカ軍が使ってたけど、日本に返したんだって。でもな、そのあとここはとくに使われることなくて、こんな風になっちゃったんだよ」

 ヘキオがカメラで周囲を撮る。木が乱立していて、膝ほどもある草が地面を覆っている。聞こえるのは、風で揺れる木の葉がこすれる音、セミの鳴き声、自分たちの足音だけ。街中では聞こえないこれらの音が響く。

 元は軍事施設ということもあり、土地は広大だ。最盛期では軍人や従業員で二千人ほどがいた。日本に返還されたあとは、地元自治会がいくつか施設を建てたが、それ以外の場所は手つかずのまま。空いている土地を有効利用するために検討されては、計画が立ち消えた。時が経ち、建物が崩れ、草木で土地が覆われる頃になると、子どもたちを中心に噂が流れるようになる。

「軍の基地があったからか、ここでは軍人の霊が出るっていう噂がある」

 ヘキオが声を1トーン落として言う。すかさずユミが返す。このやりとりは事前に決められたものだ。台本があるから、会話もスムーズだ。

「見た人いるの?」

「いる。心霊写真も動画もある。20年くらい前には心霊番組で取り上げられたこともあるんだってさ」

「本当に出るかもしれないんだ」

 ユミが両腕を抱いて怖がる。

「そう。そして、その幽霊を撮るために、ミカミに来てもらったってわけ。で、いそう?」

 ヘキオに話しを振られる。ここからミカミも参加する。

 ミカミは、精一杯の真剣な表情で当たりを見回して、前方を指差す。

「ここにはいない。でも、奥のほうは嫌な雰囲気がある」

 動作もセリフも台本に指定されている。

「えっ、向こうに幽霊が」

 ユミが恐る恐る前方を見る。すかさずヘキオがカメラを向ける。あるのは木だけ。

「じゃあ、そっちに行こう」

 ヘキオが進む。それについて行くユミとミカミ。これで、最初のシーンは撮り終わった。でも、カメラは回しっぱなし。いざ幽霊が現れたときにすぐ対応するためだ。だから、ミカミは演技を止めるわけにはいかない。真剣な表情で歩き続ける。

 とはいえ、幽霊が居てもミカミは知らせない。ヘキオとユミを怖がらせたくないからだ。

 それでも、こんな茶番劇に乗っかっているのは、ヘキオから貰ったアルバイト代が理由だ。動画に出て、台本通りに話す、もし幽霊がいたら指摘する。それだけで、1万円を貰える。

 歩いているのは本来なら道だった場所で、ほかと比べて草は少ない。それでも高々と伸びた草が生い茂っており、ミカミたちはそれらを踏み潰しながら進む。

 ヘキオとユミは、風で揺れる木立の音や虫の鳴き声にびくつきながらも、恐る恐る進んでいく。

 ふたりの後ろを歩くミカミは、シャツをパタパタとして風を体に送りながら、ミカミは先ほどの幽霊の言葉を考えていた。

 化け物がいる。

 ミカミは幽霊が見えるが、化け物は見たことがない。見えるのは人間の霊だけ。そんな彼も、ほかの霊能力者から忠告されたことがある。ミカミとは違い、見えるし祓える霊能力者だ。

 化け物は人間とは違う理で存在している。出会ったら逃げるしかない。

 化け物は存在するし、おそらくここにもいる。

 あの幽霊が嘘を言っているようには思えなかったからだ。心配から忠告してくれたように感じる。

 不安はあるが、安心してもいる。幽霊が教えてくれたからだ。しめ縄の囲いに入らなければ平気だと。

 化け物は独自の理で存在している。ならば、しめ縄の囲いを見つけたら、なにもせずに遠ざかればいい。

 月明かりを木が光を遮っている。それぞれが持っている安い懐中電灯とカメラ用のライトを頼りに森を進む。軍の基地の名残で道がある。道といっても、ほかよりも草が少し少ないといった程度で、地面はボコボコしていて歩きにくい。

 風で揺れる木立の音が、心をざらりとなでつけて不安を誘う。

 ヘキオとユミは、本気で怖がっているのか腰が引けている。周囲を照らして、ゆっくりと進んでいる。

「いまのところ幽霊はいません。ユミ、なにか見たらすぐ言ってね」

 ヘキオがユミを見る。ライトで照らされたヘキオの顔を見て、ユミが小さく悲鳴を上げる。

 その悲鳴で、ヘキオが悲鳴を上げる。ヘキオはカメラで周囲を写す。

「なにかいるの」

 ユミがヘキオの腕を掴む。顔はライトが照らしている場所を見ている。腰は引けているが、なにかあったらすぐに逃げるつもりのようだ。

 ライトが左右に揺れる。そこに不思議なものは見えない。

 ヘキオが大きく息を吐く。

「なにもない……よかった」

 すぐさまユミに腕を叩かれる。それで気づいたのか、ヘキオは慌てて言い直す。

「よかったじゃなくて、残念です。いやー、いると思ったんだけどなあ。一応聞くけど、なにもいないよね?」

 不安そうな顔のヘキオが、ミカミに聞く。

 ミカミは目を凝らす。小さな蛇が地面を這っている。地面にある小石や雑草をすり抜けて、奥へと這っていく。

 霊だ。動物霊。

「お、おい、なにかいるのか?」

 ヘキオがミカミを揺する。

 蛇の霊が這っていた先をジッと見ていたミカミは、安心させるように笑みを浮かべる。

「なにか動いたと思ったけど、気のせいだった」

「驚かすなよ」

「ねえ、びっくりした」

 霊を撮りに来たはずなのに、霊がいないことにヘキオとユミが喜ぶ。そこで動画の趣旨に気づいたようで、ヘキオが気まずそうな笑みを浮かべる。

「いやいや、幽霊がいないとダメだよな」

「ああそうだね。忘れてた。ちょっとミカミ、ちゃんと幽霊を見つけたら言ってねー」

 ユミがミカミの肩を叩く。だが、手の振りは弱々しく、幽霊が出るのを望んでいないようだ。

 動画撮影が再開した。道を進み出す。といっても、草が生えていて地面はほとんど見えない。両側に木がなければ、ここが道だとは思えないだろう。

 足音と木の葉がこすれる音。無言で慎重に進んでいく。ときどき、ヘキオとユミが動画のために話している。二人の軽くて柔らかな会話に、雰囲気が和らぐ。ヘキオはミカミにも、霊がいないか、霊はどういう風に見えるのか質問する。もちろんヘキオには説明済みだし、前にもでた動画で話しているが、今回の動画で初めてこのチャンネルを見る人に向けて説明する。このあたりは、事前にも説明を受けているので、ミカミはよどみなく受け答えする。

 幽霊はいない。だが、動物の霊はいる。

 なんでこんなに動物霊がいるんだ?

 ミカミは前方を横切った兎の霊を目で追う。

 兎なんて初めて見た……。

 ヘキオが足を止める。

「うーん、この先は通れなさそうだね」

「なんで」

 ユミが言うと、ヘキオはライトを一点に当てる。倒れた木がお互いに支え合っており、行く手を遮っていた。木は三角形のようになっている。下には人ひとり分通れる隙間があるが、伸びた草がその隙間を塞いでいる。

「ここ通れる?」

「いやー」

 ユミが首を振る。

「道はないし、もう帰らない?」

 ミカミが周囲を照らす。先に進むには森に入るしかない。もう十分進んだ。これ以上進んで化け物がいる場所に着いてしまうかも。

 気配がする。ミカミの息が止まる。

 三人は一斉に振り返った。来た道から、なにか気配がする。

 音はしない。風が止んでいる。

 ジュリジュリ……。ガサガサ……。

 長いなにかが、草をかき分けて、地面を這っている。見えないけど、そうだとわかる。

 姿は見えない。懐中電灯を向ける。目を凝らすが、草がそれの姿を隠している。

 草が揺れた。懐中電灯で照らす。揺れる草が近づいてくると、三人の間に恐怖が募っていく。ミカミはぎゅっと懐中電灯を握っている。

 動物か?

 ガサガサ……ジュリジュリ……。

 蛇行するようにゆっくりとそれが迫ってくる。

 この森にいる幽霊は、どれもこの世界に干渉できないほど存在の弱い霊だった。草をかき分けるほど、強い存在の霊はいなかった。

 だから、これも霊ではない。

 草の隙間からそれが見えた。

 蛇だ!

 その蛇は生きていない。幽霊の蛇。この世界に干渉できるくらい存在の強い霊だ。

 どうすることもできない。

 ミカミは霊を見ることができるが、それだけだ。除霊、浄霊はできない。

 逃げるしかない。

 そう思ったときに、ユミは恐怖に耐えられなくなった。

 悲鳴。足音。逃げるユミ。そしてヘキオがミカミの肩を叩く。

「逃げるぞミカミ」

 ヘキオとミカミがユミを追う。だが道は塞がっている。木がなくて、草が薄い、獣道を、三人が走って行く。

 走り出す直前、ミカミはそれを見た。太さが人間の腕ぐらいあり、体は長く、2メートルほどの草を揺らしている。蛇の幽霊だった。

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