キノスラの心臓外科医

灘 粋美

第1話 羽根なき渡り鳥


『心臓がふたつある少女を治せ』


いやいや無理だって。

間違えて乗り込んだ船で煙草臭いゴロツキに胸ぐらを掴まれて困惑中なんです。誰か助けて。

 

 ─これは直径約25万から40万光年の球形の銀河ハローが存在する宇宙で起こるできごと。遥か彼方の星々がランプのように明滅する世界の物語。


 私は物心ついたときに故郷を亡くした。天命というのは波乱万丈なもので、生命活動バイタルがきわめて困難となった星からの避難を余儀なくされる。


 民間の旅船会社から派遣された輸送機がとどけるのは一時的な難民キャンプまででそれっきり。それ以降はその日暮らしで銀河をさまよう流浪の民を「亡星者ぼうせいしゃ」と呼ぶ。

数多の星々をあてもなく征き、その地に許しを乞う。しかしながら、羽根のない渡り鳥の背中にはいつも冷たい視線が注がれた。

 

 その中でも私は折り紙付きの亡星者。齢18歳にして海と大地の星リベルのスーパーノヴァを見届けた後、名もない星雲を旅をしていたとき、異星人の治療をしてしまったちょっとおちゃめな無免許医なのだ。

 

 話を戻そう。そんな無免許医の私“ミア・イヴレン“が自身よりも大柄で人相の悪い顔の整ったゴロツキに恫喝をされているか。

とっくのとうに路銀は底をついていて、ダストボックスから忍び込んで星渡りをするのは日常茶飯事。ついにはキセルの常習犯として各旅船会社からマークされている。


 目的はたしかにあってひとつの星を目指していた。ふくろう星雲M97の座標にとりわけ荒くれ者が集うアンダーシティの『レヴィンド禁域』である。


比較的容易な不法ルートの要衝ようしょうとなり、まさにターミナルのような役割を担っているので亡星中なら渡りに船。第二の故郷といっても過言ではない。


 闇市や酒場などで賑わうこの街は移住した亡星者のみで興され、禁域というには似つかわしくない活気がある。

薄手のボロ雑巾のローブをしっかりと悴む手で握りしめ、歩けば冷気をまとった土埃が舞う道中をかすかに砂利を噛み潰す不快感とともに肩を交わして進む。


 錆塗れたスクラップの退廃的な街並みは延々と続く。燃費の悪そうな旧式の船が至るところに鎮座し油臭い。


 しかし、こんなのは序の口。星渡りの旅路で体験した磁場の乱れや時差による不眠、カサカサと耳元を掠るG《アイツ》で吐き気を催すなんてもう慣れっこ。忍び込む「宿」を吟味していると、ひときわ異彩を放つ船に目を奪われた。


 凍てつく砂塵から睨む船体の名は『ノーティカルスター』と。


 私は逸る想いに身を任せ、本能的にこの船をねぐらとすることに決めた。見受けたところ、主翼は可変翼でトップスピードなら1光年はものの数分で征ける。そこに旧式の軍用機である懐疑はなかった。


ただ、私は星を捜していた。


この銀河のどこかに亡星者を受け入れる場所は必ずあると信じてやまない。とにかく遠くへ征きたいんだ。それだけが今の私を動かす全て。


 ダストボックスは地上だとやはり空いており、いとも簡単に侵入できる。子供の矮小わいしょうな背丈では届かないし、一般的な同年代の女性でも潜り抜けることはできない。


この芸当ができるシンデレラサイズの身体は自由を求める私の思想によく合っている。ほらね、抜け穴を潜るなどお手の物。


 ハシゴを抜き足、差し足、忍び足。狭い通路を抜けるとヤニが燃えた匂いが鼻をつんざく。


大量の煙草の吸い殻が眼前に埋め尽くされていたのだった。おまけに培養肉のカスに、擬似穀類の粘ついたゴミなどが所々に散りばめられている。

 

「きたな…っ、生まれて初めてよ。こんな汚いダスト」


「そりゃダストだからな。ドブネズミには丁度いい」


 暗がりに眩いあかりが刹那に射し込んだ。ハッチが開いたのも束の間、鋭い眼光に身を翻して引き返す力も虚しくローブの結び目ごとたくし上げられて一本釣りされたのだ。


「なぁ、クソガキ…

 この手を離して落ちてみるか?」

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