濡れませんか

鷹野ツミ

雨のハロウィン

 ザアザアというよりもサアサアと雨が降っていた。

 くすんだ緑色のパーカーにはぽつぽつとシミができ始めている。赤信号で立ち止まりつつ折り畳み傘を出すかどうか考えたが、駅まであと少しだと思うと面倒臭い。雨のせいか車が多い気がする。対面で信号を待っている犬に目を向けると、頭にかぼちゃの帽子をかぶっていた。そういえば今日はハロウィンだっけか。あの犬、顔バリにブーツカットのお洒落犬さんだ。帽子で見えないが、頭はアフロとかにしていそうだな。

「濡れませんか」

 ぬっと横から現れた手に肩が跳ねた。同時に視界が薄暗くなったが、傘のせいだと気付いた。ぱっと横を見れば、ガタガタの黄ばんだ歯で下手くそな笑顔を向けている中年男性が居た。見た瞬間全身に鳥肌が立つくらいの気色悪さを感じて直ぐに目を逸らしてしまった。失礼なことをしたと思うが、真っ白なファンデーションは首の色と合っていないし、うっすら青く髭が浮いているし、顔のツギハギは明らかに油性ペンで描いてあるし、微調整のされていないツートンカラーのウィッグは不自然だし、衣装を見て私の好きなキャラクターのコスプレをしているのだとようやく気付けた。

 愛のないコスプレ、許せねえ。というか家でやれよ。イベント会場でもないのに何なんだこいつ。

 気色悪さと苛立ちを腹の中でぐるぐる回している間に対面の犬が目の前に来ていた。いつの間にか青信号だった。逃げるように足を早めると、男は傘をこちらに傾けながらぴったりとついてきた。

「あの、あの、いつもここ通ってますよね。ボクいつも見かけて」

 全力で無視をする。こういう人に答えたら負けなのだ。

「電話番号教えてほしいです、今度ご飯でも行きましょう! ウナギとか食べますか? 美味しい店知ってるので」

 この男、放っておくと家までついてきそうだ。困った。非常に。周りの視線も痛い。

 電話番号教えたら、去ってくれるだろうか。

 早めた足を遅めつつ、スマホを取り出そうと鞄を開けて、あ、と中身を思い出す。

 トリミングシザーが入っている。

 私、専門学生で良かったね!

 立ち止まり、慣れた手つきで持ったシザーを男に向けた。後ずさった男の下手くそな笑顔がド下手くそな笑顔になっている。

 傘がどさりと落ちて、通行人が迷惑そうに避けて行く。

 私はぐっと男に近付いて、胸ぐらを掴んだ。安っぽいペラペラの衣装は今にも破れそうだ。眼球に向けた刃先に男は縮みあがっていた。そういえばハロウィンなんだしお菓子くらい持ってないのかと思って衣装のポケットを探ると、注射器型のボールペンが出てきた。キャラクターに合った小物を持っているところには好感が持てる。だからといって仲良くはなりたくないが。

「あっ、あ、ごめん、ごめんなさい、ウナギ嫌いですか? カニの方がいい?」

 何故食事に行く前提で話しているのか分からない。最早笑いすら込み上げてくる。

 もう一度胸ぐらをしっかり掴んで、シザーを男の口の中に突っ込んだ。喉の奥に突き刺さるように。二度と話しかけてくるなという思いを込めて。

 流れた血が雨に流されて、ちょっとグロいところが、なんだかこう、今どきのハロウィンっぽいな。

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