Dom様だって褒められたい!
雛飼ひよ
第1話
生物学的男女という性別の他に、第二の性と言うべきダイナミクスという物がある。ダイナミクスは、Sub、Dom、Switch、Normalの4種類に分類される。支配者であるDomと被支配者であるSub、そしてそれを切り替える事ができるSwitch、そしてこれらとは無縁のNormalである。人口のおよそ9割がNormal、言い換えればダイナミクスを持たないものであり、残りの1割中およそ半々がDomまたはSubで、ダイナミクスを持つものの中でもSwitchは1%に満たない例外中の例外である。
DomやSubの持つ欲求は、本能的なもので満たされなければ体調を崩す。しかし、これはあくまで本能的なもの、言い換えれば生まれ持っての特性であり性格は考慮されない。そのため、中には被虐趣味のあるDomや支配欲のあるSubも存在する。しかし、多くは本能には勝てず、別々に発散することになるのだが、何事にも例外は存在する。
しかし、だからこそ1つ大きな問題が発生していた。事前連絡によると彼はDomである。欲求不満状態のSubとの相性は、非常に悪い。そして、運の悪いことに聖悟はCommandもGlareも強力である。Commandは、通常時でもDomの意識を無視して命令を実行させ、Safe wordを使う暇を与えない。Glareは容易くSubを恐慌状態やSub dropさせ、Dom相手でも対抗するGlareを弾くことはもちろん、気絶程度ならやってのけ、Normalにも感じ取れるほどのものだ。それが聖悟の制御下から離れたら、どれほどの惨事を引き起こすだろうか。
馴染みの医者から、半ば諦めたように処方されている抑制剤をありったけ胃に流し込んで聖悟は、打ち合わせ場所である喫茶店に向かった。とはいえ、頓服として出されている分だけだ。ネット通販が発展した現代社会、それも作家という職業柄最低限しか家から出ない聖悟は、頓服として処方されている強力な抑制剤が溜まっていた。ちなみに、常用の抑制剤に手を出さなかったのは、切れると地獄を見るからである。
聖悟の欲求不満は、主に身体面に不調を与える。吐き気、頭痛、発熱とまともに動ける状態ではなくなる。幸い精神面への影響は、ほとんどないが、代わりに普段でも危険レベルのCommandやGlareの強化、また無意識に発動させてしまうことが増える。そのため、聖悟は抑制剤がなければ、まともに生きていけない。
ほとんど闇医者に近いことをしている聖悟の担当医は、抑制剤を管理出来なくなったら隔離施設送りかもね、と冗談半分に言っていた。とはいえ、目が笑っていなかったので、限りなく事実に近いのだろうと聖悟は考えていた。それは流石に御免被る。そのため、とりあえず常用の抑制剤だけは、何があっても用法用量を守って服用している。
OD《オーバードーズ》した抑制剤で、吐き気がする。それを抑え込むように、ホットココアを飲んだ。口の中の酸味が消えるとともに、じんわりと冷えた四肢が温まるような心地がした。
有以からは、電車が人身事故で遅延しているとの連絡が先程届いた。それで、約束時間から1時間ほど聖悟は1人自宅からほど近い喫茶店で吐き気と格闘する羽目になったのだ。さっさと帰りたいのが本音だが、これは有以のせいではないし、有以も平謝りしている。ただ単にダイナミクスをコントロール出来ない自分が悪いのだと、聖悟はため息を吐いた。
「申し訳ございません!!」
バタバタと入店し、そのまま聖悟に近付いてきた男が深々と頭を下げる。駅から走って来たのか服は軽く乱れ、肩で息をしている。
「いいよ。気にしないで。座って、座って」
男、有以は聖悟に促され、恐縮しつつ向かいの席へと座った。
(それにしても、なんとまあ)
綺麗な男だと有以を見た聖悟は思った。艶やかな黒髪をハーフアップにし、アーモンド型の黒い瞳は長い睫毛に縁取られている。鼻筋は通り、唇は少しぽってりと厚い。背は高く、顔立ちも中性的というわけではないのだが、彼の造作は綺麗という言葉が良く似合う。肌は白いが、決して不健康という印象は与えない。まったく、自分とは正反対だと聖悟は自嘲した。
とはいえ、聖悟は聖悟で別種の美しさを持ってはいる。アルビノ故のどこまでも白い肌と金糸のような髪、猫を思わせるぱっちりとしたツリ目にはまり込むアメジストのような瞳は金色の睫毛で烟るように縁取られている。また、左目の泣きぼくろも印象的だ。造作としては、聖悟も有以に負けず劣らず整っている。しかし、聖悟は退廃的な印象を相手に与える。それは、ダイナミクスが満たされないことで体調が悪く、顔色が冴えないだけではなく、聖悟が生まれ持ったものだ。しかし、幸い聖悟本人の気質は退廃とはかけ離れており、ダイナミクス由来の体調不良には悩まされているものの、概ね人生を楽しんでいる。
「皆瀬さんは、何飲みます?」
「あ、私はコーヒーを」
「んー、ここコーヒーだけでも色々種類あるんだよね。どれも美味しいんですよ。どれがいいですかね。【教え......」
聖悟が言葉を途切れさせる。ほとんど無意識にCommandが発動しかけた。小さく、舌打ちをしてスマホのメッセージアプリに文章を打ち込んで、有以にメッセージを見るように身振りで促した。
『下手に喋るとCommand発動なので、こちらからの発言は文字を通させてもらいます』
「えっ、あの、大丈夫ですか? あ、抑制剤とか......」
『飲んでるんで、喋んなきゃ大丈夫です。Glareの方は大丈夫だと思います。ごめんなさい、初対面で』
「いえ、大丈夫です! 顔色も悪いですね。一度、病院へ......」
『慣れてるので大丈夫です。体調も酷い時は、ベッドから起き上がれないぐらいなので、今日は全然マシな方ですよ』
「前任者から体調については、伺っておりましたが、その、もしかして体調不良ってダイナミクス由来ですか? あっ、答えたくない質問だったら答えなくていいです!」
ダイナミクスは、とても繊細な問題だ。今でも誤解や偏見は存在するし、ダイナミクスに振り回される当事者も少なくない。前任者はNormalで、当事者ではないながらも気を使って聖悟の体調不良がダイナミクス由来であることは伏せて、有以に伝えていたのだろう。とはいえ、本当に気を使うなら後任にDomはやめて欲しかったのだが。お陰でSub性が刺激され、能力の制御が危うくなり、体調も悪化している。
『ダイナミクス由来。もう伝えてありますけど、俺Subなんですよ。それで、ちょっと皆瀬さんに刺激されちゃってるところはあります。CommandもGlareも気を付けますけど、絶対とは言えないので、危ないと思ったら直ぐに......』
『すいません、セーフワード代わりのハンドサインを決めて貰いたいんですけど、いいですか?』
『初対面でプレイをする訳でもないのに、こんなお願いしてすいません』
「いえ、こちらこそ体調不良の中御足労頂きありがとうございます。そうですね、"コレ"はどうですか?」
有以がして見せたのは、手遊びではキツネと言われるポーズだった。なるほど、これなら誤ってすることはないが、比較的簡単に作れる。Commandを遮ってすることもできるだろう。
「こう、犬に噛まれそうになってるイメージで......どうですかね?」
『ありがとうございます。俺がコマンドやグレイを出したら直ぐにしてください。お願いします』
「わかりました。その、失礼ですが、星原さんパートナーは......」
『フリーですよ。というか、いたことありません。危ないですから』
通常、ダイナミクスを持つものはパートナーを持つことで安定する。しかし、聖悟の場合は強過ぎるCommandのせいで相手に悪影響を与えかねない。強過ぎるCommandが相手を安心させる命令ではなく、何もかもを無視して隷属させるものになりかねないのだ。おまけに、Subにとって聖悟のCommandは最上級の快楽を与えるらしく、依存状態に陥りやすい。そのため、パートナーのSubのことを考えるとCommandは回数を制限し、頻度も低くしないといけない。ならば、不特定多数の相手とPlayをした方が、面倒事がないと聖悟は判断した。
とはいえ、そもそもPlay自体、最近はしていない。抑制剤で安定しているのもあったが、何よりも面倒だったからだ。それは、PlayをしてもDomとしての欲求は満たせれても、精神は満たされず寧ろ不満が溜まるだけからであった。
「そう、なんですね」
言った有以の顔が一瞬嬉しげに見えて、聖悟は目を瞬かせた。とはいえ、直ぐに心配げな表情に戻る。
「私もパートナーがいたことは、ないんです。抑制剤飲んで、なんとかーって感じです」
『俺が言うのもなんですけど、あんまりよくないですよ。パートナー作らなくても定期的のプレイは大事ですよ』
「あははっ、仕事が忙しくて。でも、星原さんは締切を絶対守ってくれるので、そういう意味では安心してるんですよ」
『そこは安心してください。迷惑はかけませんよ』
話しを逸らされたなと感じつつ、話題がダイナミクスから仕事へと移る。有以にとってダイナミクスはあまり触れられたくないのかもしれない。Subで、おまけにこの見た目だ。ロクでも無い輩を引き寄せる可能性は高そうだ。もしかしたら、過去に何かあったのかもしれない。詮索はしないでおこうと、聖悟は、そのままその話題を掘り返すことはなかった。
その後は、引き継ぎの確認といった業務連絡が主だった。それにしても手際がいいなと聖悟は関心していた。まだまだ新人だというのに、随分としっかりしている。
さて、用事も済んだしお開きにしようかというところで、有以が口を開いた。
「あの、どうして今日、私と会おうとしてくださったんですか? 前任者からは、ほとんどメール連絡で、あっても電話くらいで直接あったのは、最後の担当変更の連絡の際だけだったと聞いています」
『会ってみたかったから。それと、言いそびれてたんですけど、小説褒めてくれてありがとうございます』
『ほんとは、直接お礼を言いたくて会いたかったんです。結局、コマンドの制御できなくてこんな形ですけど。すいません、迷惑かけてばっかりで』
「そんなことないです! 私も星原さんに会えて嬉しいです。それに、作品はもちろん星原さん、貴方だって素晴らしい人です。Commandだって、もっと悪質な人達はいっぱいいます。でも、貴方は私を気遣ってくださってる。迷惑なんて、考えないでください。むしろお礼を言いたいくらいですよ」
有以が身を乗り出して熱弁する。
「体調を押してまで私に会いに来てくれてありがとうございます。お礼を言うためだなんて、こんなこと誰にでも出来ることではありません。それに............って星原さん大丈夫ですか?」
突然机に突っ伏した聖悟に有以が慌てる。それを手で制した。突然褒められて顔が熱い。メールでも十分に嬉しかったのに、直接だとこのレベルで
(まずい、久しぶり過ぎて顔熱い。嬉しい。もっと褒められたい。それで――)
――このSubを支配したい。
思考がDomの本能に支配されかけたことに、はっとした聖悟が、最終手段として持っていた常用としての抑制剤を喉に流し込む。
違う、止めろ、支配して無理矢理言わせたら意味がない。はあはあと荒い呼吸をしながら震える体を叱咤して伝票を引っ掴んで席を後にする。
心配げな店員の視線を無視して会計を済ませ、逃げるように自宅へと向かった。そして、なんとか玄関までたどり着くと、扉を背にしてズルズルと座り込んだ。
吐き気はもちろんある。しかし、それ以上にDomとしての本能を抑え込むことに必死だった。
彼を支配したい。そう叫ぶ本能に蓋をする。だって、そんなことをしても無意味だから。結局自分は満たされないのだから。
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