彼女が死んだ

外都 セキ

第1話 彼女が死んだ

 私はいつだって死んでもよかった。だって、生きている理由が見出せなかったから。無気力な身体。空虚な思考。堕落した精神。大切な物なんて何も持ち合わせていなかった。あなたが現れるまでは。


 あの日、初めて彼女を認識したあの場所。なんでもない思い出の場所。今、私は再びその場にいる。


 彼女は夕焼けを背に緩く口角を上げる。様々な感情の混じり合った複雑な顔。その目には決壊寸前の涙腺があった。


 ベランダの安全柵へと身を乗り出す。ふわりふわりとその場で跳ねる。小さな子供が縁石に乗って遊ぶように。両手を巧みに使い、まるで弥次郎兵衛のように。


 口を開く。言葉を伝う。とても感情的で、静かな言葉。


「大好きだよ。」


 手を伸ばした。しかし、彼女はそれを拒絶するかのように柵を強く蹴り上げる。目の前の華はふっと体の力を抜き、自由落下を始める。一瞬よりも短い時が過ぎた後、白い花弁は地面に着くなり紅く変色し花びらを散らせた。


 

 ぱちゅん


 

 何かが頭の中で切れた音がした。あの日変わった世界。あの日変わった私。あなたがいたから生きていけた。あなたがいたから頑張れた。あなたが、あなたがいたから。


 混乱する頭を身体が引きずり走る。もしかしたらまだ生きているかもしれない。助かるかもしれない。私のことを必要としているかもしれない。


 憶測、願望、欲求、妄想。頭の中で浮かべるものはそれだけだった。身体の正しい動かし方なんて忘れた。歪な姿だろうが関係ない。そんなこと考えている暇なんてない。脊髄反射で動けばいい。


 嫌だ。待ってよ。だって、まだ一緒にいたい。これからもずっと二人で。そのためならなんだって与えられる。捨てられる。壊せる。あなたのために生きていきたい。あなたがいないと生きていけない。


 そんな願いは目の前の現実に塗り替えられる。割れた頭。てらてらと艶を放つ内臓。既存の枠組みから解き放たれた骨格。鮮やかな赤色の固いベットの上で彼女は永遠に眠っていた。



 ぱちゅん



 また何か聞こえた。先ほどより奥深くの場所からもっと鮮明に。直視した現実は私の頭を冷静にさせた。もう助からないと直感で分かったからだ。静かに涙がこぼれた。それを生ぬるい風がそっと拭う。


 かろうじて残った顔面から最後の表情を読み取る。それは、正気に戻り始めた私の頭を再び混乱の佳境に引きずりこんだ。


 だって、ありえないから。お願い、やめてよ。あなたが分からない。どうしてそんな顔するの。そんな顔しないでよ。まるで、私が。

 

 ねぇ、どうしてあなたは


 笑っているの。

 

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