6.

誰がために鐘は鳴る(1)

 教会の鐘が鳴っていた。

 雲ひとつない青空が広がっており、きょうは結婚式日和だった。

 久しぶりの晴れ間。六月に結婚式を挙げるというのは、天気との戦いでもある。

 ジューンブライド。それはヨーロッパの伝統で、六月に結婚すると幸せになれるというものだった。結婚を司る女神が六月の守護神であることから、女神に見守ってもらえて幸せになれる。そんな言い伝えから来ているものなのだが、実際にはヨーロッパでは六月は乾季にあたることから、雨に降られることなく結婚式を行えるということもあって、六月に結婚式を挙げるカップルが多いのだそうだ。

 教会の扉が開かれると、純白のドレスを着た花嫁とタキシード姿の花婿が出てくるところだった。

 周りにいる人たちが祝福の言葉をかけ、一眼レフカメラを構えたカメラマンがシャッターを切る。

 みんな幸せな笑顔だった。まさか、この後でとんでもない事件が発生することなど、誰も知らずに。

 笑みを浮かべながら祝福を受ける新郎と新婦。新婦の腹部は少し膨らんでおり、そこに新たなる命が宿っていることは一目瞭然だった。

 フラワーシャワーで祝福を受けながら新郎新婦が歩いていると、どこからか甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。

 しかし、この時は祝福をしている人たちの耳にはその悲鳴は聞こえてきてはいないようで、誰もその声のした方へと目を向けようとはしていなかった。

 突然、世界が揺れた。

 そんな錯覚に囚われたが、実際には目の前に映し出されている映像が揺れているのだ。

 男性のくぐもった声。

 カメラの映像は、突然地面に生えている芝生を映し出す。

 どうやら撮影者は、自分が撮影をしているということを忘れてしまっているようだ。

 言い争う声。何を喋っているのか、はっきりとは聞き取れない。

 急降下。突然、カメラが地面に叩きつけられたように横を向いたまま、地面を映す。

 スポーツメーカーのロゴが入った赤いスニーカー。女性の悲鳴。男性の怒号。地を蹴って走り去っていく、赤いスニーカー。遠ざかっていく背中。モスグリーンのジャンパーにジーンズ、頭にはメジャーリーグの球団マークが描かれたキャップ。その後姿は画面の奥へと消えていく。一瞬では合ったが、左手に握られた刃物が見え、陽の光を反射してキラリと輝いていた。

「えー、ここまでが被害者の持っていたビデオカメラに収められていた映像となります」

 部屋の明かりが点けられ、会議室の中にいた全員が眩しそうに目を細めた。

 新宿中央署の四階にある大会議室。そこに集まったのは約五〇人の捜査員たちだった。その捜査員たちは巨大スクリーンに映し出された映像を見ていた。

 被害者である武藤浩史は、二日前の日曜日に新宿御苑近くにある結婚式場で行われた友人の結婚式に参列していた。武藤はこの日カメラマンとして結婚式のビデオ撮影係をやっており、その映像が先ほど巨大スクリーンに映し出されていたものだった。

 現場に居合わせた挙式の参列者によると、逃亡した容疑者は身長一六五センチぐらいで、がっちりとした体型。キャップを被っていたため顔をはっきりとみた人間はおらず、身体的な特徴などからも思い当たる人物は誰もいないとのことだった。

 被害者である武藤は、警視庁世田谷署に勤務する地域課の巡査であり、この日は非番で友人の結婚式に参加していた。

「被害者は背後からおよそ刃渡り一七センチの三徳さんとく包丁ほうちょうで刺されており、刃は内蔵にまで達していました。その後で、被害者は犯人と揉み合いになっていますが、この際さらに首のあたりを切りつけられています。致命傷となったのは背中の傷ですが、首を切られたことで出血が早まったとも言えるのではないかと検視官はみています」

「わかった。武藤巡査は現在ICUで治療を受けているが、現在も意識は回復していない状態だ。警察官を狙った凶行は断じて許すことは出来ない。全力で捜査をおこない、犯人逮捕につなげてくれ」

 会議室の最前面。捜査員たちとは向かい合わせになる形で座っている捜査幹部の中で、中央に陣取った緑川みどりかわ捜査一課長は、捜査員たちを鼓舞するかのように言葉を告げると、捜査会議を終了させた。

 会議室の入り口には『新宿結婚式場傷害事件捜査本部』という看板が貼られている。警察隠語では、捜査本部のことを帳場ちょうばと呼び、捜査本部が設置されたことを帳場が立つなどという。また殺人事件の場合に限り、捜査本部の名称のことを戒名かいみょうなどと呼んだりする場合がある。これは、外で大っぴらに事件の情報を口にすることができないため、捜査員たちが何の話をしているのかわからないようにするための隠語でもあった。

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