張り込み(2)

 動きがあったのは、明け方四時頃のことだった。

 闇の中で人影が動いていた。最初、張り込んでいた捜査員たちは新聞配達員がやってきたのかと思っていたが、それが野崎だった。

「マルタイ確認。全員持ち場につけ」

 無線から聞こえてきたのは、織田の声だった。

 富永と交代で仮眠を取っていたわたしは、その声に毛布を跳ね上げて飛び起き、富永と一緒に捜査車両を飛び出した。わたしたちの持ち場が一番野崎のアパートに近い場所だった。

 まだ日も昇らない薄暗いアスファルトの道の上を、手に持ったマグライトの灯りだけを頼りにわたしたちは全力疾走する。この辺りは街灯も少なく全体的に薄暗いエリアだった。

 動き出したのはわたしたちだけではなかった。他の捜査員たちも一斉に持ち場から野崎のアパートを目指して動き出していた。

 アパートの階段を一段抜かしで駆け上がったわたしは、その視界にひとりの男の背中を捉えた。モスグリーンのブルゾンにジーンズといった姿の男。それは野崎雅也に間違いなかった。

 突然背後からものすごい勢いで迫ってきた人影に野崎は驚いて振り返ったが、野崎が振り返った時にはすでにふたりが目の前にいる状態だった。

「野崎雅也だな、新宿中央署だ。殺人教唆の疑いで逮捕状が出ている」

 息を整えながら富永が声をかけると、野崎は持っていたコンビニの袋を富永へと投げつけてきた。

 反射的に富永は顔を反らすようにして、そのビニール袋を避ける。

 廊下に落ちたビニール袋からは、缶ビールとスナック菓子がこぼれ出てきていた。

 一瞬の隙。それをわたしは見逃さなかった。ビニール袋を避けた富永と入れ替わるようにわたしは一歩前に出ると、そのまま野崎の腕を掴んだ。

 野崎はとっさに腕を引こうとするが、わたしはその勢いに乗って関節技である脇固めの体勢に入る。

 すると遅れてやってきた二川や堀部、織田といった刑事たちも一斉に野崎に飛びかかり、野崎の身体は完全に抑え込まれた。

 床にねじ伏せられても野崎は抵抗をしようとしたが、腕関節を極められた状態で複数人の刑事に揉みくちゃにされて動きを封じられて、すぐに観念した。

「確保っ!」

 野崎の腕を捻りあげると、その腕にわたしは手錠を叩きこんだ。

 逮捕状を織田が読み上げると、野崎は完全に抵抗することを諦めたように項垂うなだれた。

 そして、野崎の身柄は織田と一緒に捜査車両の後部座席へと乗せられ、新宿中央署へと送られたのだった。この後、野崎には屈強な刑事たちによる取り調べが待っているのだ。

 仮眠時間は30分程度だったが、体は思ったよりも軽かった。これも、織田が差し入れてくれたコーヒーのおかげかもしれない。そんなことを考えながら、わたしは赤色回転灯をつけた捜査車両のハンドルを握って、野崎を乗せた覆面パトカーの後ろを走った。

 署に戻ると、野崎に対する取り調べがはじまった。

 取り調べを担当するのは織田と富永であり、その間にわたしは自分のデスクで出動報告書を書いていた。刑事というと、現場主義でデスクワークなどはしないというイメージがあるかもしれないが、出動すれば出動報告書を書く必要があるし、毎日の勤務日報なども書いていたりする。

 以前は手書きでノートに書いていたそうだが、いまはパソコンで専用の画面に打ち込んでいる。だから、刑事もパソコンが使えないとならないのだ。

 わたしは刑事になってから、パソコン教室に通ってキーボードのブラインドタッチができるようになった。新宿中央署の刑事でブラインドタッチができるのはわたしだけである。他の刑事たちはキーボードと睨めっこをしながら一生懸命に報告書を打っていたりするのだ。

 みんなパソコン教室に通えばいいのに。時おりそんなことを思ったりするが、言ったところで誰もパソコン教室には通わないだろうと思っているため、その思いを口にだすようなことはしなかった。

 報告書の作成が終わった頃には、空も明るくなりはじめていた。

 取調室からは、まだ織田と富永は戻ってきていなかった。もしかしたら、この件は長丁場になるかもしれない。そんなことを思いながら、わたしはビルの隙間から上ってくる朝日の姿を眺めていた。

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