ミドリ(6)

 松本ミドリ殺害事件の第一容疑者である笠井みどりが死体で発見されたのは、わたしの容疑が晴れた三日後のことだった。

 第一発見者である老夫婦は、犬の散歩をしていたところ、不審な車が路上駐車されていることに気づき、車の中を覗いた。運転席には女性が座っていたが、あきらかに様子がおかしかった。老夫婦は車の外から女性に声をかけたが女性が反応しなかったため、警察に通報したとのことだった。

 通報で駆けつけたのは、近隣の交番に勤務する埼玉県警S警察署地域課の巡査だった。巡査は、何度か車の中の女性に声を掛けたが反応は無く、死亡している可能性が考えられたため、助手席側の窓を割って女性の状態を確認したが、女性はすでに死亡しており、持っていた運転免許証から、女性が笠井みどりであることが判明した。

「埼玉県警は、笠井みどりの死について、他殺と自殺の両面から捜査をおこなっている。場合によっては、こちらの案件に絡んでくる可能性もあるかもしれないから、そのつもりでいてくれ」

 朝の捜査会議で笠井みどりについての報告をした織田係長は、難しい顔をしながら語った。

 もし、笠井みどりが何者かに殺されたとすれば、ミドリを殺した犯人と一緒の可能性は高い。なぜ、このカップルは殺されなければならなかったのか。

 織田の話をわたしはあごに手を当てながら聞いていた。あごに手を当てるのは、わたしが何か考え事をしている時の癖だった。

「なにか質問があるのか、高橋」

 そのわたしの仕草に気がついた織田が聞いてくる。

「笠井みどりの死因は、何だったのでしょうか」

「首に紐状の物で絞めた痕が残っており、車内にはベルトが落ちていたそうだ。笠井みどりはこのベルトで首を絞めたことによって死亡したものと考えられている。それが自死によるものか、それとも誰かに絞められたものなのかはわかっていない」

「そうですか」

「詳しい報告書が、午後までに埼玉県警から届くはずだ」

「わかりました」

 なんだろう、この違和感。わかったと返事をしてみたものの、わたしは全然納得をすることができなかった。

「我々は引き続き、松本ミドリの事件を捜査する。なにかひとつでも新しい情報を手に入れてきてくれ」

 織田の〆の言葉で朝の捜査会議は終わった。

 捜査会議を終えたわたしは、富永と一緒に歌舞伎町にあるミドリが勤めていた居酒屋へと向かった。

 ビルの二階にある居酒屋の入口のドアには「しばらくの間、お休みします」という貼り紙があり、中は無人となっていた。

 関係者以外立ち入り禁止と書かれた規制線の黄色いテープを潜ると、ビルの管理会社から借りている鍵を使って店のドアを開けた。

 すでに鑑識の作業は終わっているため店内は片づけられており、いつでも営業再開ができるようになっている。

「富永さん、そこに立っていてもらえますか」

「なんだ?」

 ちょうどミドリが倒れていた辺りに富永を立たせると、わたしは入口の辺りから富永の姿を見てみる。

「ちょっと違うか」

「え?」

 富永がこちらを振り返ったが、すでにわたしは別の場所に移動しており、そこにはいなかった。

「ここかな」

 あごに手を当てて、独り言を言いながら富永の背中を見つめる。

「あ、富永さん、そのまま動かないでくださいね」

「ああ……」

 どこか緊張した声で富永は返事をする。

 わたしは富永との距離を確認すると、一気に走り寄って、富永の背中へとぶつかっていった。

「うぉっ!」

 あまりの不意打ちに富永が変な声を出す。

 わたしは、よろけた富永の腰に慌ててしがみついて支える。

「こんな感じだったのかな」

「何がだ?」

「ミドリが刺された時ですよ。こんな風に後ろから抱きつく感じで刺されたんじゃないかなって」

 わたしはそういって、富永の腰に回していた左腕に力を込めて、富永のことをぎゅっと抱き寄せる。それはまるで恋人たちがじゃれ合っているような姿に思えた。

「お、おい」

 よく状況が理解できていない富永は困惑の声を上げながら、わたしの方へ顔を向けようとする。

 次の瞬間、わたしはコートの下に隠し持っていたゴムナイフを富永の腹に突き立てた。

 その姿は二人羽織で切腹でもをしているかのようにも見える。

「え……」

「こんな感じですよ、きっと。ミドリはこうやって刺されたんです」

 手に持ったゴム製のナイフで富永の腹のあたりを何度も刺しながら、わたしは言った。

 松本ミドリは、背後から抱きつかれるようにしながら腹を包丁で刺された。

 ずっと正面から刺されたものだと思っていたけれど、本当は背後から抱きしめられるようにして刺されたんじゃないかというのがわたしの推測だった。

 身長からすると、松本ミドリと富永は両者とも一八〇センチ近くあり、わたしの身長は一七〇センチと女性にしては大柄な方だが、もう少し背の低い女性であれば、抱きついた時にちょうど腹のあたりに腕がまわしやすいはずだ。それを考えると、犯人は女性であり、一七〇センチよりも低い身長ということになる。

「たしか、笠井みどりさんの身長は一五六センチでしたね。それだと、ちょうど腰に腕を回しやすいかと思います」

 わたしはそういいながら膝を少し曲げて身長が低かった場合をやってみせる。

「じゃあ、犯人は笠井みどりだというのか?」

「わかりません。ただ、身長がそのぐらいの人間が犯人ではないかと思っているだけです」

「もし、もしもだぞ、犯人が笠井みどりだとしたら、なぜ死ぬ必要があった?」

「恋人を殺してしまい、自責の念にとらわれて死を選んだ……とは、思いません」

「と、いうと?」

「彼女は、誰かにそそのかされてミドリを刺したのではないでしょうか」

「どうして?」

「なんか、質問ばかりですね」

 少しは自分でも考えてみろ。わたしは心の中で富永につぶやいた。

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