青光/アオピカ

山城渉

予感

 梅雨は明けたとはいえ、朝には雨がぱらつき、夕方の予報も雨だった。現在の空は雲に覆われ、この調子でいけば夕立は免れないだろう。自身の鞄から飛び出した折り畳み傘の持ち手はこちらを向いて、なんだか誇らしげであった。

 統制管理されているエアコンは好き勝手に調整できない。そのせいで席に着いている何人かは、下敷きをうちわよろしく扇いでいた。

「じゃ、うちのクラスは劇をやるってことで」

 彼が黒板をチョークで叩いたところで、四時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。まばらに拍手が起こる。

「演目の候補はいくつかに絞りたいところだけど。どうする、閣下?」

 教卓に寄りかかった状態で、女子生徒がこちらを見た。さすが、二年連続で文化祭の実行委員を引き受けているだけあって段取りが良い。

「そうだな。できれば今日中に……」

「間下!」

 びくりと体を震わせる。振り返ると、教室の扉のところに担任教諭が立っていた。息切れしていた。ただごとではない雰囲気を醸した担任は、教室を見回してから、肩を落とす。

「先生」

 ほとんど予想はついていたが、間下は問うてみた。

「どうかしたんですか」

「どうもこうも……アイツは?」

「いませんよ。ないでしょ、いたこと」

 間下の言葉を受けて、担任はやっぱりかとため息をついた。

「また何かしたんですか、あいつ」

 うんざり気味に眉を顰める彼に対し、担任は外を示した。己の目で確かめろと言わんばかりだ。間下は頭をかいた。教卓にもたれていた実行委員が困り顔で体を起こす。

「どうしよっか」

「えーっと。とりあえずみんなは、昼休みで大丈夫。劇の案はできれば今日中、明日までに俺に…」

「あ、いいよいいよ、私が聞いとく」

 彼女がクラスに向かって手を挙げた。

「やりたい劇があるって人は私まで!」

「いいの? 忙しいでしょ、委員会」

「ううん平気。これくらい私にやらせて」

「そっか、ありがと」

 彼女と間下は小さく頷き合って、担任に視線を戻した。彼も昼休憩だろうに、一息つく暇もなさそうだ。

「いいんだぞ、お前も昼飯にして。テストも近いんだ」

 そう告げる優しい目には疲労の色が浮かんでいた。

「いくら生徒会長だからって何でもかんでもお前が引き受ける必要は」

「大丈夫です。生徒の問題は生徒会の問題だし。同じクラスだし…実感は正直ないけど。先生こそ、お昼ご飯とった方が絶対に良いって顔してますよ。大丈夫すか?」

 気遣わしげに言われた担任は、おどけて腹に手を当てる。間下の表情がかすかに和らぐと、担任は少し安堵したように見えた。意見を変えるつもりはないらしいと判断した担任は間下に背を向けて、廊下へと繰り出した。間下の教室は校庭側にあり、校門側の様子は見えない。担任がそちらを指したのを確認した彼は、嫌な予感に支配されながら、校門が見える窓まで急いだ。それから、目を見張る。

「アイツ絡みだろ、どう見ても」

 背後から担任の声が飛んできた。

 見下ろした先にたむろしている数人は、他校の生徒のようだった。学校の中を探るように覗き込んでは、しきりに何かまくし立てている。制服であろうブレザーは着崩され、はっきりとは分からないが様々なアクセサリーも身につけていた。曇り空の上から注ぐ日に反射して、彼らの動きに合わせて下品に光った。立ち振る舞いは下品で粗野。不良と呼ぶのがしっくりくる、そんな連中だった。間下は嫌悪から、思わず渋い顔をした。

「生徒に用事がある連中だってので、警備員さんも追い払うに追い払えないみたいでな」

 担任の気配が背後から隣に移動してきた。彼らは眼下に注目したまま、神妙な面持ちで頷きを交わした。他校生ということもあって、どう扱ったものかと思案していると、不良たちは校舎をひとしきり見渡した後、すたすたと学校の前を去って行った。

 間下は拍子抜けして、何度も瞬きを繰り返しながら担任を見上げた。

「……帰って、いきましたね」

「ああ、帰ったな。アイツの名前を出してたらしいし、無関係ではないと思うんだが……」

 担任も彼らの不可解な行動に腕を組んだ。

「まあでも、問題が起きないのが一番かぁ。とりあえずは落着ってことで。先生は昼休みに戻るわ。間下もちゃんと食っとけよ」

 彼はそう告げて、そそくさとエレベーターに向かう。

「六限、テストすんぞ」

「え、マジすか。範囲は?」

「おいおい、流石にそれは言えないよ」

 担任は再びおどけてみせて、エレベーターの中へと進む。

「お前の昼休み邪魔しちまったからな。他には内緒にしとけよ、抜き打ちなんだから」

 扉が閉まる前に早口で言った彼は、ひらひらと手を振りながら間下の視界から消えていった。間下は詰襟から空気を逃がした。湿気が酷かった。靴底の摩擦で廊下が鳴るくらいだ。つま先をぼんやり眺めこれは間違いなく降るなと思いつつ、教室に帰る。六限にあるという小テストはおそらく、再来週に迫った期末テストの出題傾向に関わってくるはずだ。今一度、ノートを確認しておこう。

 教室のドアに手をかけたところで、中からすうとドアが開けられた。顔を上げると、先ほど間下の仕事を肩代わりしてくれた実行委員の彼女が立っていた。気を利かせて開けてくれたらしい。

「ありがと、四天王寺」

「おかえり閣下。なんともなかった?」

「ひとまずは何にも」

「そっか」

 四天王寺はふわりと頬を綻ばせた。

「あ、閣下がいない間にね、みんながいくつか候補を出しててくれてて」

「劇の?」

「うん」

「すげーなみんな、そんなやる気あんだ」

「どうせなら早く決めちゃったほうが良くなーい?」

「そうそう、テスト期間もうすぐだしさ」

 近くで弁当を口に運んでいた女子たちが間下に向かって親指を立てる。

「つか、その方がモチベ上がる」

「分かるー!」

 机を並べて盛り上がる彼女たちは、いつもと変わらず楽しげだった。

 間下は茶々を入れたくなって、少し声を大きくした。

「モチベって、期末の?」

「早蕨祭のに決まってんじゃーん、アハハ!」

 周囲に笑いが起こって、彼女らの話題はそちらに移り始めた。

「私ら閣下みたいにガリ勉とか無理だし!」

 彼女たちの間でさらに笑いが広がる。間下は耳の辺りの骨がかすかに軋んだような気がした。後ろ手に教室のドアを閉めた。

「閣下、こっち来て」

 四天王寺が手招きしている方に歩みを進める。彼女の机には、端に寄せられた可愛らしい弁当箱と、開かれたままのB5ノートが置かれていた。それを覗き込むと、彼女の言った通り、既にいくつもの案がクラスメイトから出されている様子だった。

「今のところはこれくらい。これ以上増えても絞り込むのが大変そうだし、もう締め切っちゃった方がいいかなと思うんだけど、閣下はどう思う?」

「そうだね、そうしよう。今週中のホームルームで決定まで漕ぎ着けたら最高って感じにしとこうか」

「うん、わかった」

 四天王寺の段取りも信頼できるし、この調子なら、あまり苦労はせずに済みそうだ。二年の秋冬は文化祭に加え修学旅行もある。何が議題にせよ、揉めないに越したことはない。間下は安堵した様子で息を吐いた。

 頭をよぎった不安を、間下は手のひらでかき消した。消したところでどうせまた。奴の顔がちらついた。

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