第2話
気が付くとそこは暗闇であった。右も左も、上も下もない暗闇である。
手を伸ばしても何もなく、足さえついていない。ふわふわと浮いているような感覚。
そんな闇の中、すぐ目の前に誰かがいる。
見えずとも静音は確信した。まじまじとこちらを見ている気配が伝わってきたからである。
身構えた瞬間、その誰かが言う。
「よく来たね、もう一人の私」
静音は驚愕した。無論、発言の内容も驚くべきことだがそれ以上に、その声が聞き慣れた自分の声そのものだったのである。
困惑しながらも静音は、もう一人の自分という彼女に問うた。
「君が、もう一人の私? というかここは…?」
「うーんとね、わかりやすく言うなら、私は君の願望そのものってところかな。それでここは、言っちゃえば心の中って感じ」
「余計わかんないんだけど…」
―心の中…? 私の願望そのもの…?
静音は状況が呑み込めず、さらに混乱していたが、気に留めることなく彼女は言う。
「君、というか私か。私はさっき、強く願ったはずだよ。“この世界の全部、思い通りにしちゃいたい”ってさ」
「!?」
「驚くことはないよ。だって君は私で、ここは君の心の中なんだから。その強い感情が、私をこうやって君の前に具現化させたってこと」
滑稽無糖な話だが、妙に合点がいく。それは他ならぬ自分自身の言葉だからだろうか。
彼女は続ける。
「この感情の強さは、【天秤】を傾けるに値する」
「天秤…?」
「後にわかるよ。世界はね、強い強い感情の動きで回ってるんだ」
暗闇が徐々に晴れていき、彼女の気配も希薄になっていく。
「君の願いを叶える、力をあげる。その力でどう世界が傾くのか、楽しみにしてるね」
彼女に気配が完全に消えると同時に、静音の視界は真っ白に塗りつぶされた。
再び気が付くとそこは、屋上であった。
―そうだ。私はアミ先輩と会いに来て、それで取り巻きの男の先輩に殴られたところで…。
状況の整理が出来かけたところで、静音は目の前に見るも無残な光景が広がっていたことに気が付いた。
彼女を羽交い絞めにし、殴りかかってきた男2人は生きているかも怪しいほどの姿に変わり果て、血だまりの中心に横たわっていた。残った3人はまるで化け物を見たかのように怯え、屋上の隅に身を寄せ固まっている。
同時に、静音自身に起きた異変にも気が付いた。
顎から滴り落ちるほどの異常な量の発汗と今までに経験したことのないレベルの全身倦怠感、そして、まるで球形の盾でもあったかのように綺麗に避けられた血痕である。
もう一人の自分とやらに会っていた記憶は鮮明にあるが、目の前の惨状を起こしたであろう自身の行動の記憶が一切ない。
―私は一体、何を…。
「あーあ。随分とやらしちゃって。後始末大変だろうなぁ」
「!?」
突如背後から、声が聞こえた。
静音は驚きながら振り返ると、そこにはスーツ姿の女が立っていた。
なぜ驚いたのか。それは静音の背後には落下防止の柵しか存在せず、彼女の視界に入らずに背後に立つには、地上から4階の屋上まで外壁を登る、もしくは上空から着地するしか選択肢がないからだ。ヘリや航空機の音がないことから、おそらく前者。どちらにせよ異常な状況に変わりない。
「あなた、いったいどうやってここに」
「うーん。その前に、目撃者がいるのはまずいからね。申し訳ないけど、っと」
静音の問に気も留めず、隅に固まる3人を見た瞬間。スーツの女の右手が霞んだ。凄まじい速度の腕の振りで、ナイフをあの3人に投げたのだと認識出来たのは、ストトトッ、と3本のナイフが3人の頭部に突き刺さった音を聞くのと同時だった。
明らかに人間のできる腕の振りの速さではない。そして殺人行為がまるで当たり前だと言わんばかりの躊躇のなさ。
静音に久方ぶりの緊張が走る。
―おじいちゃんと初めて稽古で向かい合った時以来だ。
鉛のように重く、鈍い体で構える。それを見たスーツの女はニヤリと笑い、
「随分と構えが様になってるね。なにか武道でもやってたのかな? でもね」
どこからともなくナイフを取り出す。そして、
「“今の状態”じゃあ、成す術なんてないけどね」
同時に今度は女の姿全体が霞む。瞬間、静音は自分の首元に冷たい気配が走ったのを感じ、ありったけの速度で上体を反らせた。冷たい気配はナイフの切っ先と化し、静音の顎先を横一線、掠めていった。
反らせた上体を起こすだけの体力は残っておらず、静音はそのまま倒れ込んだ。立ち上がる余力すら残っていない。
倒れた静音を見下ろしながら、女は眉をひそめた。
「生身であれを避ける…? 君、何者…?」
少しの間、静音を観察していたが、
「考えてもしかたないか。さっさとトドメ刺そ」
ため息を漏らしてナイフを持ち直した。そのとき。
「間に合ったぁぁあああああ!」
と叫びながら、誰かがまるで弾丸のように一直線にスーツの女に飛び掛かっていった。
ギャリィィイイ!!
二人の間に火花が散る。その人間もナイフを持っていたようで、着地と同時に鍔迫り合いに移行した。静音のほうを振り返り、
「おう、助けに来たぜ…ってあれ!? 間に合ってない!?」
長い金髪を風にたなびかせながら、着崩したスーツ姿の彼女は言った。間を置かず、さらにもう一人、同じ方角からこれまた弾丸のように飛んできた。血だまりに着地し、盛大に血をまき散らす。
「ちょっとなによこれ!? 服汚れちゃったじゃない! だからこんな移動のしかた嫌だって言ったのに!」
彼女はフリフリの動きにくそうな服についたべったり血痕を手で擦りながら、金髪の女に怒鳴った。
「今はそれどころじゃないんだよ! まずはそこに倒れてるやつの生存確認だ!」
「この服高かったんだからね! 帰ったら絶対弁償してもらうから!」
文句を付けながら、彼女は静音に駆け寄った。
「君、生きてる? 大丈夫そ?」
どうやら、どこからともなく飛んできた彼女たちは、ひとまず味方と考えていいらしい。そう判断した静音は、この状況でなぜ大丈夫だと思うのかという言葉を飲み込みつつ答えた。
「何とか…。でも動けそうにない…」
静音の生存を確認すると、ぱっと表情を明るくし、そしてすぐ険しい顔に戻って振り返った。
「生きてるけど動けそうにないって!」
それを聞いた金髪の女はスーツの女を強引に振り払い、叫んだ。
「生きてるなら万事オッケーだ! 撤退するぞ!」
「させるわけないでしょうが!」
スーツの女が、開いた距離を再びすさまじい速度で詰める。再び鍔迫り合いになるも、今度はそれを軽々と振り払い、空いた腹に蹴りを入れた。柵に激突し、その場に崩れ落ちる。
「そろそろ時間切れだろ、あんた。ここは退かせてもらうぜ」
金髪の女はそう言い残すと、
「瑠璃、その子担ぐのよろしく」
こちらを振り返ったのち、柵を飛び越えていった。
「もう、勝手なんだから…。 服も汚れたしホント最悪…」
フリフリの服を着た女は大きなため息を吐くと、静音のほうを恨めしく見た。
「元はと言えばアンタのせいなんだからね! 感謝しなさいよ!」
そう言うと静音を小脇に軽々と抱え、金髪の女が飛び降りたほうと同じ方角へ跳躍する。屋上4階からの落下加速度を肌に感じながら静音の意識は再度、暗闇へと沈んでいった。
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