死体ノットイコール彼女
冷田かるぼ
玄関に死体
私がまだ高校生だったあの日、学校の帰り道に見た子猫の死体のように。
大学生になった私が家の扉を開けた眼下にいたのは、彼女によく似た死体だった。
「久しぶり」
玄関に丸まったまま死体は喋った。月明かりに照らされたその瞳を動かして、バイト帰りの私を見る。腐敗臭はしない。色素の薄い髪の垂れたその顔にも、制服のスカートから覗く脚にも傷一つ見えない。
だけれど私は一瞬で分かった。これは明らかに死体で、生きてはいない。そうだとして、目の前にあるこれはどうにも受け入れがたく。
「は」
緊張感を伴う浅い呼吸音だけがその場に響いている。白い息が私の視界にぼやっと広がって、外気に融ける。
ドアノブを握ったまま硬直していると、それはゆったりと起き上がった。ぱんぱん、とそのスカートを叩き砂や埃を落とす。靴一つない玄関にぱらぱらと粒が落ちていく。そうし終わった後に死体は顔を上げ、私の目を見た。
「相変わらず不用心だよね。危機感がないっていうか」
どくん、と心臓の奥から突き上げるような衝撃。高校生の彼女そのままの凛とした声。
「入っておいで」
その言葉に従い玄関に足を踏み込む。自分の家なのに、そう言われないと動くことすらできなかった。足元、真っ暗な中に使い古したスニーカーが映る。死体は私の踏み出した足が震えていることに気付いてか、軽く鼻で笑った。
玄関の中へ完全に入りきると背後でゆっくりと扉が閉まっていく。重たい金属音。それとともに死体が私に近づく。真夏の草むらの中のような香りがふわりと満ちて、触れてしまいそうなほど近くにその躰があって。
思わず息を止めたその瞬間、死体が私の横へ手を伸ばして、かちゃ、と扉の鍵を締めた。
「鍵はちゃんと締めないと。強盗に入られちゃうよ」
こんな風にね。そう付け加えて死体はけらけら笑った。私にとっては全く笑い事ではない。
夜中に疲れてバイトから帰ってきたら、高校の頃いなくなった親友によく似た死体が転がっていたのだから。
高校一年生の時に私の親友、
田舎の快活な少女だった。適度に焼けた健康的な肌と、地毛か疑われるほど色素の薄い黒髪。二重でぱっちりした目と忘れ鼻に、口紅なんて必要がないくらい血色のいい唇。その肌荒れ一つない顔に載せられたパーツは全て嫌になるほど完璧で。
その上彼女は勉強もスポーツも何でもできた。人当たりもよく、地域のボランティア活動なんかにも定期的に参加した。村の老人たちは彼女をひどく気に入って、何かあるとすぐ家に呼びたがった。皆の人気者。そんな言葉が似合う人だった。
それが急にいなくなったのだ。
どこを探してもいない。目撃情報もない。狭い田舎の村な上、その優秀さから未來の顔は誰もが知っていた。それなのに誰も彼女を見ていない。彼女を脅かす動機があるような人の存在も浮かび上がらない。強いて言うのなら嫉妬くらいのものだと噂されたけれどそんなことを言い始めたらきりがなく、皆憶測の域を出なかった。
いなくなった日の翌朝すぐ、その村独自の宗教団体の神官が祈祷をした。どういう根拠があってか知らないが、神隠しやもしれませぬ、と言った。村人たちはなるほどそれなら納得がいく、とその説を受け入れた。
私一人だけ、そう簡単に納得なんてできないことを隠して。
村人はさっさと空っぽの墓を造り彼女の冥福を祈った。帰ってきたのならそのときはそのとき、とでも言いたげな雰囲気が充満していて吐きそうだった。
そうして橘未來は消えた。
そのはずなのに。
目の前にいる死体はあの頃の未來に似ている。というか、彼女の死体なんじゃないかと思ってしまう自分がいる。神隠しなんて信じていなかったのに。彼女はあの辺鄙な村から逃げ出して、勝手に健やかに暮らしているものだと思っていたのに。
「馬鹿じゃないの」
思わず溢した。
「馬鹿じゃないよ」
死体は緩い声で返す。伸びをして、何かを探すように廊下の壁をなぞっている。
「馬鹿なのは
それはごもっともではあるのだが。そういうことじゃなくて、と言おうとして、かちりという音とともに視界が明るくなる。目が眩んで、十数秒。ようやく慣れた視界に映るものを見て私は言葉を失った。
人工灯の下に照らされた死体の肌は恐ろしいほど青白かった。改めて見れば十二月にも関わらず半袖のセーラー服を着ているし、そのくせ首元には濃いブラウンのマフラーを巻いている。
こんなのが未來なわけない。未來が死体になったってこんなに白いわけがない。それに彼女はネックウォーマー派で、マフラーなんて巻かないのだ。
「華子は変わってないね」
そう言って未來に似た顔で微笑むから、あなたは全然違うね、なんて声を呑み込んだ。そうするしかなかった。彼女に似たその顔に哀しみを浮かべてほしくはなかったから。
「……そう」
だから、自然と無愛想になった。
「つれないなあ」
死体は他人の部屋だということも気にせずずんずんと進んでいく。私は部屋の主だというのにその後をついていく。
「ほら、昔みたいに"みーちゃん"って呼んでよ」
「いつの話、それ」
「覚えてないの? 薄情だなあ。保育園のときくらいだよ。華子、恥ずかしがって呼び方変えちゃったもんね」
「そんな昔の話覚えてない」
これは本当だ。そんな呼び方したことあったっけか。思い出そうとしても分からないから、たどり着いたワンルームの隅に鞄を投げ捨てて、括った髪を解く。それを見て死体は微笑を浮かべた。
「髪だいぶ伸びたんだね」
「五年間伸ばしてるから」
未來がいなくなってから、ずっと。なんて、他人に押し付けがましく未練を語る気はないから黙った。あの日から何かが欠けた感覚がして埋まらなくて、慰めのように髪を伸ばしている。
「へえ」
死体は特に興味が無いようで適当な相槌を打った。そうして面白くもなんともない平凡な部屋を見回して、頷く。
「じゃあしばらくお世話になるから。よろしく」
「は?」
咄嗟に出た声は明らかに親友に向けるものではなく。死体の表情がほんの少し変わったのを見て猛省した。いやそれはそれとして。これは親友によく似たものであって親友そのものではないわけなのだから、そもそも反省する必要はないのだ。
そうだ、その通りだ。もうこれはいないものとして考えよう。ああもう、ひどく疲れた。私はそのまま座り込んで思考を放棄した。
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