黒炎の悪魔と私の復讐

川田スミ

黒炎の悪魔と私の復讐

 私は一生忘れない。




 ところどころ燻る煙が立ち上る瓦礫の山の中心で、高らかに笑うその姿。悪魔が笑みを浮かべたその瞬間、いったい幾つの命が彼岸の彼方に去ったのか。私は散りゆく彼らの最期の姿を見ることも、声すらも聞くことができなかった。


 怒り、悲しみ、絶望……胸に渦巻いていた感情は弾け、もっと大きな、これまで感じたことのないものが私の心を支配した。




「これで終わりになんてさせない。生きて必ず復讐してやる」




 ●●●●●




 私は血の繋がった親の愛情を知らずに育った。当時の生活を思い出すと、あれでよく生きていられたなと思う。カビが生えた残り物のパンと同じく残り物の具がないスープ。ひとかけらのチーズでもついていればラッキーな方だった。服は貧乏な平民でも着ないようなつぎはぎだらけのワンピースが2着だけ。骨が浮き出るほどに痩せこけ、髪はボサボサで伸びっぱなし、手も水仕事で荒れてボロボロだった。朝から晩まで一日中働き、夜は疲れ果て物置部屋に置かれた壊れかけのベッドで眠る。その繰り返しが私の毎日だった。


 そんな私を家族として迎え入れ、何不自由ない生活をくれた義理の両親には感謝という言葉では足りないほどの恩義を感じている。これまで触れたことがない一流のもの―—服や家具、食事、芸術作品はもちろん、貴族としての振る舞いや学問を教える家庭教師に至るまで―—を与えてくれた。そしてそれだけではなく、私が心の奥底で渇望していた無償の愛で包んでくれたのだ。





 トーニック伯爵家当主として自分にも他人にも厳しいが家族にだけは少し甘い父アモン。


 美しく優しく、それでいて家族を守る芯の強さを持つ母アーセニー。


 天使のような無邪気さで家族に笑顔を振りまく妹リン。


 トーニック家に仕えることに誇りを持ち、自分たちの職責を全うする使用人たち。


 伯爵家は一瞬で当主夫妻と娘、それに邸宅と使用人を同時に失い、文字通り崩壊した。


 そして全力で私を愛し、あらゆる危険から守ろうとした婚約者のロトニーもまた、悪魔が放った爆炎の餌食となった。


 あの悪魔が現れて私を囲む世界の全てが変わってしまった。理不尽な破壊と死が炸裂し、生き残ったのは私ひとり。そう思っていた。今日、この日が来るまでは。





 王宮の外れにある洗濯場に笑い声が響く。女たちは大きなタライと洗濯板を使い衣服やシーツを洗っていく。ここで洗濯されるのは主に王宮内で働く人たちが使ったものだ。高貴な人々の洗濯はまた別の、もっと王宮の中心に近いところにある洗濯場で専門の職人によって行われている。おしゃべり好きの彼女たちは次から次へと話題を変えながらも、手は止めることがない。


「アンタもひどいと思わないかい?ウチの旦那!」


 声をかけられた少女は、こちらもまた手を止めずに答えた。


「そうですね。お互いに思いやりの心を持って、よく話し合うのが良いと思います。夫婦なんですから」


 返答された中年の女は周りの同僚と顔を見合わせた。それから少しだけ間を置いて小さく笑った。それに釣られて周囲にも笑いが伝播した。


「いや、アンタには敵わないね。その若さでよくそこまで人間ができてるよ」


「しかも気配りもできて頭も良くて、おまけに器量良しときてる。まったくなんでこんなところで洗濯なんてしてるんだい」


 口々に褒めそやされ、少女はほんの少し、年相応のはにかんだ顔を見せた。明るい金髪にライトグリーンの瞳、透き通るように白い肌。化粧はせず髪も整えられていないが、見る人が見れば高貴な生まれであることは容易に想像できた。





 あの惨劇から2年、生まれ育ったペンターデ王国から人知れず隣国であるカルコーゲン王国に渡った私は、素性を隠しこの洗濯場で働いていた。この仕事を選んだことに深い理由はない。出自を探られる心配が少なく私の体力でも務まる仕事となると、それほど選択肢が多くなかっただけだ。寝床から近いというのも大きかったかもしれない。気のいい女性たちに囲まれて仕事は辛くはなかったが、彼女たちに嘘をついていることには少し後ろめたさを感じる。



 でも、仕方がない。



 私はあの日誓った復讐を忘れたことはない。こうやって本来の身分なら縁がないはずの肉体労働で汗を流す。これまでの生活からは考えられないような住処で暮らす。食べるものも着るものもそう。それもこれも復讐を成し遂げるために必要なことだ。


 割り当てられた洗濯物を全て片付けるともう日は高くなっていた。思ったより時間がかかった。急がないと次の仕事に遅れてしまう。共に働く女性たちに声をかけて急ぎその場を離れた。




 次の仕事場までは王宮内の門をいくつかくぐる必要がある。


 早歩きで石畳の道を急いでいると、最初の門の傍に人通りを避けて立つ人の姿が目に留まった。仕立ての良さそうな外套のフードを目深に被っているので顔は見えない。それなのに、足が止まる。


 おもむろにフードを後ろにやり露わになった顔。忘れない。忘れようがない。




「セレニア、ああ、久しぶりだ」




 ゆっくりとこちらへ歩いてくる男から視線を逸らすことができない。栗色の髪とグレーの瞳。左の目尻から首まで大きな傷跡が残ってはいるが、見間違えるはずもない。



 こんな―—



 こんなことがあるなんて。



 胸の内側から湧き起こる想い。2年経ってもこの気持ちは変わらなかった。頬が熱を持っているのがわかる。今すぐに彼の元へ駆け出して、そのまま胸に飛び込みたい。それなのに体が動かない。足は震えるばかりで地から離れようとしない。




 ●●●●●




 初めて出会ったのは今から4年ほど前。彼が乗る馬車の車輪が街外れで壊れ、立ち往生しているところに私が通りかかったのだった。


「あの、お困りですか?」


 明らかに平民が乗るものではない馬車を見て、声をかけるか少しも迷わなかったわけではない。でも御者の初老の男は本当に困っているようだったので思い切って話しかけた。


 御者は私に一瞥をくれたあと、ふん、と鼻を鳴らした。


「失せろ。お前のような薄汚いガキに頼るほど落ちぶれてはいない」


 心にほんの少しのざわめきは起こったものの、まあそれはそうだと思う自分もいる。言われた通り薄汚いし、小さく痩せた体は子供に見えてもおかしくない。何にしても貴族の反応としては驚くようなものではない。いきなり殴り飛ばされなかっただけマシだ。御者自身は貴族でないと思うけど。


 そんなことを考えながら立ち去ろうとした私は背中越しに不穏な言葉を聞いた。


「おい、お前はクビだ。どこへなりと失せろ」


 振り返ると、過剰な装飾を廃した、しかし質の高さが伺える馬車の扉が開き、言葉の主が上半身を乗り出したところだった。


「ク、クビですと?いきなり何をおっしゃいます!」


「黙れ。二度は言わん」


 御者はしばらく抵抗の意思を見せたが、主人の気が変わりそうもないと悟ったらしくそのまま帰っていった。後で聞いたが、彼が一度言い出したらまず曲げることはない、というのは使用人たちの間では有名だったらしい。今はもう少し融通が効くようになっているけど。


「親切に雑言で応えた無礼を許してくれ」


 高貴な身分の人間がこんなに素直に謝ったことに驚いた。そしてその姿をはっきり認識して二度驚いた。


 彼は今でこそ優しい笑みを見せることもある―—少なくとも私に対しては―—が、当時は無愛想を通り越して怖いくらいだった。もともと整った顔立ちをしている、というか整いすぎていて人間味がないぐらいの上、切れ長の目から覗く瞳に宿る眼光が鋭すぎる。言葉遣いも仰々しいというか古風というか、貴族どころか堅気の人間にも見えなかった。


 そんな人が率直に謝罪をする姿に大きなギャップを感じ、思わず笑いが出そうになった。ふっと少し息が漏れただけで耐えた私を誰か褒めて欲しい。


「いいえ、お気になさらずに。それより衛兵を呼んできましょうか?きっと助けてくれると思います」


「いや、衛兵より馬車の修理ができる者を知らないか?」


 笑いを堪えたことに気づいているだろうに、そこには全く触れてこない。こちらとしては助かったけど。


「それでしたら大工の知り合いがいます。簡単な修理ならできるはずですので呼んできます」



 それからしばらくして馬車の応急修理が終わると、なんと彼自ら、御者のいなくなった馬車を走らせ私を家まで送ってくれた。


 一目見て家で私がどんな扱いを受けているか気付いたらしい。その場では何も言わなかったが、たまに顔を見せてくれるようになった。訪ねてくるときは決まって、普段食べられない高級そうなチーズや焼き菓子、果物などをたくさん持って。彼が来た時だけはお腹いっぱい食べられて幸せだった。




 ●●●●●




「生きて、いたの」


 たったこれだけの言葉なのに、絞り出した声はかすれ、途切れ途切れになった。


「ああ、生きているのが不思議なほどの怪我だったそうだ」


 2年前と変わらない笑みに胸がきゅっとなる。無意識のうちに手を胸の前で組んでいた。


「治癒魔法をかけ続けて、目が覚めるまで一月かかった。まともに動けるまで半年。それからあなたを探して、ようやくここまで来ることができた」


 それだけの怪我をしたであろうことに疑問はなかった。伯爵家の屋敷が文字通り木っ端微塵に吹き飛んだのだから。むしろここまで回復したことが驚きだ。


「あなたが生きていると知って本当に嬉しかった。今度こそあなたを幸せにできる。ご家族も喜んでくれるだろう」


 死んだと思っていた婚約者に愛を囁かれて幸せな笑みを浮かべる前に、脳裏を掠めたのは一つの可能性。


「まさか、両親と妹も生きているの?」


「……いや、命を繋いだのは私だけだ。すまない」


 少し落ち着いてきた私は視線を遠くの空に移した。そうよね。あの爆発の中で一人でも生き残るだけで奇跡だよね。


「謝ることではないわ。ただ、できることなら今の私を一目見て欲しかった」


 心の底からそう思う。生きていたらなんと言ってくれたかしら。もう叶わない願いではあるけど。


「結婚してトーニック家を再興し、それを持って皆の供養としよう。帰ろう、私たちの国へ」


 視線を戻して顔の傷跡を見た。本当に酷い怪我だったのがわかる。もしかしたら左目はあまり見えていないのかもしれない。それによく見れば左腕の動きに微かな違和感がある。後遺症が残っているようだ。そんな体でここまで来るのにどれだけ苦労したのだろう。


 次の言葉を発しようとしたとき、私の魔力探知が強い魔力源を捉えた。


 嘘でしょ?と声に出しそうになる。大して探知能力が高くもない私にもはっきりとわかるほどに膨大で、重厚で、濃密で、怒りと敵意に満ちている。2年前と同じ、あの魔力だ。


「逃げて!」


 まさかこんなに早く来るとは。このままではあの時の再現になってしまう。もうこれ以上、殺させるわけにはいかない。


「セレニア?どうしたんだ?」


「早く!できるだけ遠くへ!」


 しかしすでに遅かった。強大な魔力の持ち主は恐るべき速さで私たちに近づいてくる。人間が走るスピードを遥かに超えている。もう間に合わない。


「根こそぎ駆除したつもりだったが生き残りがいたとはな。まったく害虫はしぶとくてかなわん」


 その場から一歩も動けぬまま、背後から声を聞くことになった。悪魔と呼ばれた男の声を。




『黒い厄災』『業火の主』『最強の炎術師』……二つ名は数多くあれど、最も通っているのは『黒炎の悪魔』だろう。


 火魔法の達人にして傍若無人。気に入らぬことがあれば物であろうと人であろうと全て瓦礫と灰にする。逆鱗に触れ、トーニック家と同じ運命を辿った貴族は一つや二つではない。黒い髪、黒い瞳に同じく黒を基調とした服を身につけ、体のあちこちにちろちろとゆらめく炎を纏っている。


 徐ろに翳した掌から一抱えほどもある火の玉が打ち出された。この威力、いきなりとどめを刺すつもり!?


 はっという小さな掛け声と共に両手を突き出す。瞬きの間の後に現れたのは人の背丈の倍ほどはある氷の壁。直後に着弾した火の玉は大きな音―それこそ雷のような―とともに氷を粉砕し、自身も消え去った。後に残るのは撒き散らされた白い礫とあたりに漂う濛々とした煙。


「大丈夫!?生きてる?」


 ロトニーは煙の向こうに倒れているが、声をかけると膝をつきながら立ち上がって手を挙げてみせた。なんとか相殺できた、かな?


「動けるなら早く逃げて。私のことは気にしないで!」


 こんな時のために魔法の練習を続けてきたのだ。時間稼ぎぐらいならやってやるさ。


 と、覚悟を決めて振り返ると、先ほどと同じぐらいの大きさの火の玉が10個ぐらい浮いている。咄嗟だったから全力は出しきれなかったとはいえ、1個止めるのがやっとだったんですけど。完全に、確実に、終わらせる気だ。


 もう仕方がない。時間を稼ぐのすら無理だ。誰も死なせないためにはこれしかない。



 魔力を練る。



 先ほどのようにただ力任せに放出するのではなく、あくまで繊細に。必要な量を必要な場所にそっと置くように。


 さあ、上手くいって。


 指先から湧き出した冷気が氷の柱を形作る。丁寧に、イメージ通りの大きさで。


 出来上がったのは氷の像。我ながら良い出来だ。こんなにモデルにそっくりな像はなかなかない。


 それはそうだ。モデルにしたロトニーを中に閉じ込めてあるからね。


「何をしている」


 黒髪の魔法使いは苛立たしげに言った。周囲の火の玉はいつの間にか消えている。私の意図はわかっているはず。その上で問うているのだ。


「ここで殺させるわけにはいかないんですよ、サファル殿下」




 ●●●●●




 時を戻そう。



 2年と少し前まで、私はトーニック伯爵家で両親と妹と暮らしていた。


 トーニック伯爵家当主として自分にも他人にも厳しいが家族にだけは少し甘い父アモン。


 美しく優しく、それでいて家族を守る芯の強さを持つ母アーセニー。


 天使のような無邪気さで家族に笑顔を振りまく妹リン。


 そしてトーニック家に仕えることに誇りを持ち、自分たちの職責を全うする使用人たち。


 みんな、私をトーニック家の


 直接伝えられたことはなかったが、どうやら私が強い魔力の持ち主であることが原因のようだった。そして物心つく前にその魔力を暴走させてしまったことが決定的だったらしい。暴走自体は恐らく大した被害を生まなかったものの、両親から気味悪がられ、遠ざけられていた。


 妹が生まれてからは両親の愛情は全て彼女に向けられ、私はますます疎まれた。衣服も食事も平民以下。それでいて奴隷のように働かされて毎日ボロボロになっていた。



 当時、すでにカルコーゲン王国はペンターデ王国をほぼ属国にしていた。精強で知られる兵を動かして領土を一部切り取った上、唯一の王子はカルコーゲンに留学という名目の人質として送り、同じく唯一の王女は別の属国に嫁がせた。


 王子であるサファル殿下はペンターデの王族と貴族を監視する役を―少なくとも名目上はペンターデからの委託という形で―担っていた。反抗の兆候がないか、また法を犯したり民衆への無体を働いていないかを調査し、必要なら摘発する。実際にかなりの数の貴族が彼の手にかかり粛清の憂き目にあった。そのやりようは苛烈で、抵抗すれば得意の火魔法で有無を言わさず焼き尽くす。そうしてついた異名が『黒炎の悪魔』だった。


 ペンターデ国内からの不満が出るかに思われたが、そもそも人口の大部分を占める平民たちは横暴な貴族にいい感情を持っていない。むしろ悪徳貴族に制裁を加える英雄扱いすらされていた。


 私と偶然出会った時、すでにトーニック伯爵家の内偵を進めていたらしい。公金横領、密輸、脱税とおよそ金が絡む犯罪ならなんでもありで、父だけでなく母と妹、それに家令を中心に使用人たちも積極的に関わっていたそうだ。


 そして婚約者のロトニー。元はリンの婚約者として引き合わされたが、すぐに私の婚約者になった。理由はリンが耐えられなかったから。



 アゾート侯爵令息であるロトニーは、一言で言えばクズだ。



 婚約者となった私の自由を奪った。自室から出ることを禁じられたし、食べるものも着るものも、目に触れるものすら自分が決めたもの以外は許さなかった。それから当たり前のように私を毎日殴り、本人はそれが心からの愛情表現だと信じていた。


 トーニック家の罪の罪の証拠を集め終わった後、殿下は家族から虐待されている私を連れ出してくれるつもりだったんだと思う。一人で屋敷を訪れ、罪人たちに刑場への招待状を突きつけた。そのまま私の部屋のドアを開けた殿下が目にしたのはボロボロの私とその首を絞める婚約者。


 その瞬間、私の目は殿下の姿を捉え、そのまま気を失った。気づけば屋敷がなくなって瓦礫だらけになっていた、というわけ。


 ちなみにいくら王子とはいえ、抵抗したわけでもないのに一家まとめて手にかけたことは相当怒られたそうだ。普通なら外交問題になるよね。当たり前。


 その後すぐにカルコーゲン王国に連れてこられた私はどういうわけか殿下に気に入られてしまったらしい。四六時中そばに置かれ、なにくれとなく世話を焼かれた。当時は王子であることなど知らなかったのでされるがままになっていたが、我ながらとんでもないことをさせていたものだと思う。


 体調が落ち着いてきたある日、唐突に自分がカルコーゲン国王の息子であることを明かされ、そのまま国王、王妃両陛下の待つ部屋に連れて行かれた。その時の私の気持ちを想像して欲しい。ちょっと物好きの貴族かな、ぐらいに思っていた相手が超軍事大国で隣国の王子、しかも次期国王はほぼ確定の一人息子だったんだよ。さらに、半刻も置かずその大国の頂点の前に引き出された。貴族としての礼儀作法なんて教わったこともない私が。骨が浮いていた体にようやく少し肉がついてきたところだったのに、無礼があれば頭の重さの分だけ強制的にダイエットさせられてしまうかもしれない……そんなことが頭の中でぐるぐる回っていた。




 ●●●●●




「だーかーら!あなた王子!ここ王宮!人殺しだめ!わかる!?」


「家に押し入った賊を退治して何が悪い。それに、お前を殺そうとした罪人を生かしておく必要性を認めんが?」


 興奮してなぜか片言になった私に突っ込みを入れるわけでもなく冷静に答える彼。いや、そうじゃない。大国の王子が王宮への侵入者を直接手にかけることなどあってはならないのだ。そのぐらいわかって。本当に。


 ちなみにロトニーはすでに荷車で衛兵の詰所に連れて行かれた。もちろん氷漬けのままで。あ、一応呼吸のための穴は開けておいたから死なないと思うよ。早めに融かしてあげればね。


「おやセレンちゃん、なにかあったのかい?」


 いまいち噛み合わない言い合いをしていると優しく声をかけられた。聞くだけで安心する、大好きな声。


「お義父様!お義母様も!」


 この人たちが私の義理の両親。実の親から与えられなかった、人間が生きるために必要な全てのもの―たっぷりの愛情を含む―を与えてくれた人たち。第8代カルコーゲン国王サンソン陛下と王妃のテルリア陛下だ。


「2年前に駆除した鼠の生き残りがセレンにちょっかいを出しにきた」


「……今度こそ確実に始末したな?」


 にこにこと目尻を下げたまま陛下が恐ろしいこと言ってるー!ダメだから!あなたの息子は王子だから!始末しちゃダメなの!


「私が魔法で捕縛したんです。すでに衛兵が連れて行きました」


「さすがセレンちゃん。でも大丈夫かい?怖かったろう」


「全然平気です。私は強くなりましたから」


 そうだ。私の魔力は氷魔法と相性が良かったらしく、1年ほどの鍛錬でそれなりに魔法を操れるようになった。今の私はあのクズが暴力に訴えてもどうにかできるほど弱くはないのだ。


「……足が震えていたようだったが」


 あー、バレてましたか。いくら物理的に、いや魔力的に?強くなっても、植え付けられた恐怖心がそう簡単に払拭されるわけではないんだね。私もさっき気づいたよ。


「それを見ていてなぜお前が手を下さなかったの!かわいそうなセレンちゃん。もう大丈夫ですからね。これ以上、絶対にあなたを傷つけさせはしないわ」


 お義母様はそう言ってぎゅっと抱きしめてくれる。暖かくて、柔らかくて、いい匂い。さっきまでの緊張が解けていく。


「まったく、その体たらくではセレンちゃんとの結婚も考え直さなければならんな。大層な二つ名で呼ばれておるくせに」


「そうよ、セレンちゃん。婚約なんていつでも解消しちゃっていいのよ。結婚しなくたって私たちの大事な娘であることは変わらないわ」


「な、ちょっと待て!こいつに結婚を承諾させるのに俺がどれだけ苦労したと!」


 普段は冷静沈着なサファル様が珍しく焦っている。そんなに大変でした?どちらかというとあなたが言葉足らずすぎて私に全く伝わっていなかっただけだと思うんですけど。素直に言ってくれれば私だって、ね。


「いえ、私が勝手にしたことですから。それに、結婚できないのは……いやです」


 恥ずかしくて顔を上げられないけど、お義父様とお義母様がニヤニヤしてるのがわかる。絶対私に言わせたくてわざとやってるでしょ!




 義両親の愛情を受け、衣食住も足りている。たまに汗を流して働き―素性を隠して洗濯場に通うのは少しだけ罪悪感があるけれど―これまでしたくてもできなかった勉強もできる。そして、心から想う人が、私を伴侶にと望んでくれる。



 今の私をトーニック家の人たちに見せたかった。



 あの日、瓦礫の中で誓った。




 生きて、必ず幸せになる。




 それが私のあの人たちへの復讐。









◯ ◯ ◯ ◯ ◯


あとがき

ロトニーと再会したセレニアの様子がおかしかったのはフラッシュバックのせいです。

 

 

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ぜひよろしくお願いします。



名前の由来

セレニア→セレンSeから セレンは愛称

サファル→硫黄(sulfur )Sから

サンソン→酸素Oから

テルリア→テルル(tellurium)Teから

カルコーゲン→カルコゲン(第16族元素)から


アモン→アンチモンSbから

アーセニー→ヒ素(arsenic)Asから

リン→リンPから

トーニック→ニクトゲン(第15族元素)から


ロトニー→窒素(nitrogen )Nから

アゾート→窒素のフランス語azoteから

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黒炎の悪魔と私の復讐 川田スミ @kawakawasumi

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